反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「ワイマール共和国の憲法状況と国家学」未来社刊。第五節、政治的統一体・民主主義及び多元主義。パスカーレパスキーノのカールシュミット論の抜粋と注釈。

 <問題意識>
カールシュミットは通常、ドイツ1918年革命の人民蜂起を圧殺した社民党多数派と旧体制勢力の妥協を基礎に成立したワイマール共和国の民主主義的混迷状態に対する政治的統一体への収れんを政治基準とする批判者として有名である。
 
 その国家観、政治思想は1930年代のナチスの急速な台頭、32年の政権獲得によって、現実のものとなった。
彼自身は戦後、ナチス戦犯容疑で逮捕されたが、不起訴処分になり、故郷に帰ったまま、二度と公職に就くことはなかったが、その思想はワイマール時代の旧来のドイツ保守主義ナチス全体主義をハイレベルで理論的に基礎づけたに留まらず、その後の国家学を中心とした現代政治思想に今なお強い影響力を保持している。
 
 >例えば、<先延ばしにしない政治><決める(決断)政治>などと云う、現民主党政権から自民党まで共通する政治フレーズはシュミットのワイマール共和国憲法状況の混迷する政治への決定的な断罪のコピーと想われる。
 
 その様なコピーの生まれる系譜には丸山真男福沢諭吉論で使用した<決断のナショナリズム>や産経系の保守月刊誌に登場する論者がこっそりとシュミットの政治思想を借用したモノが連なっている。
 
 kim hangの丸山論の福沢諭吉を読んでいて、<決断のナショナリズム>とは上手いフレーズ過ぎて、本来の丸山の言説からは出てこない文句である。
この前後の箇所の理論展開のモチーフもどうやらシュミットの影響を受けている様だ。
 
 丸山の政治思想の本質は戦後民主主義を基礎づけたモノと解釈できる反面、官僚、政治家のエリート政治層の活動の高級モチベーションにもなってきた。
昔の自民党政治家の中で丸山の民主主義観の都合のいい部分を援用するモノが多かった。
高度成長をイデオロギー的に補完したともいえる。
今は市場原理主義新自由主義にとってかわられているが、TPPを第3の開国と官僚が最初に名づけたのは丸山の明治維新を第一の開国。敗戦を第二の開国としたモノに習ったのだと想う。
政治思想は長い人類史の中で基本パターンは出尽くししている。知っていると知らないでは、激動期に大きな違いが出る。卑近にいえば、騙されなくて済む訳だ。
 
 >現状の日本の混迷する政治過程を本質的に特徴づける場合、ドイツのワイマール憲法状況のシュミット、ヘラーなどの政治思想、国家学はリアルなモノとして十分参考になる。
kim hangさんの「帝国日本のイリ」が純日本政治思想史概説とすれば、「ワイマール憲法状況」はもっと今の日本の現実に近い普遍論と具体論の両方を含んだ部分が多い。
 
>>以下抜粋。注釈。
 
「ワイマール時代のシュミットの著作に見られる<多元主義(コレは米英仏の政体の当時の現状の事)>の分析と批判は<同質性を有する政治的統一体>と云う概念に基ずいてのみ理解することができる。」
 
>当時世界一民主的と云われたワイマール共和国憲法状況の政治は一見、多元主義的に見えるが、その混乱混迷の脱出口としてワイマール以前のドイツ国家主義の伝統とそれを引き継ぐ、<同質性を有する政治的統一体>を見出している。
おそらく当時の彼の言説は物凄くリアリティーを持って、有識者層に浸透していったと想像する。
社会民主党主流派のイデオローグにもその言説は影響を及ぼした。
先に述べた様に今の混迷の時代にこっそりと援用されてきている。(ナチス出現を理論的に基礎づけた事から、歴史の検証を受けて、正面からは論じ辛いが)
 
ドイツ国家主義の伝統は日本の明治以降の政権が内外の戦争を通じて確立した天皇イデオロギー=国体観、家族国家観に基ずく古代から近代国家建設に至る自然成長的国家と国民意識の融合による、あるがままの
同質性を有する政治的統一状態を前提としていない事に注目すべし。
 
 近代ドイツの君主は究極の処、政治主体として、直接政治に介入できて、その場合の政治責任の付随する存在である。
ビスマルクとウィルヘルム二世の関係におけるビスマルク罷免による皇帝の直接政治関与と第一次大戦の失敗。戦争敗北によって皇帝制度は人民蜂起によって、ワイマール共和制に置きかえられた。
 
>明治の日本の天皇は神輿として担ぎあげられる、本質的に国民統合の象徴に過ぎなかった。
 
 従って戦前戦後の天皇の政治的立場は1~8条によって、政治的タガがはめられているが本質的に変わっていない。裏読みすれば<天皇の義務と権利>である。
だから、バランスをとるために9条の戦争放棄が必要となった。
と、いうことは、論理的に云えば、9条改正は天皇の権利と義務規定の1~8条の改正を含むモノでなければ、政治バランスが崩れる。
 
 戦前戦後の権力論から見た違いは、天皇を神輿として担ぎあげるモノどもが、「直接」国家暴力装置を統括できているかどうかの違いに過ぎない。天皇を神輿に担ぎあげるモノの剥き出しの独裁か、民主主義的統治機構を経由した資本制支配層の独裁の違いだけだ。
 
>戦前のドイツの皇帝はヨーロッパの春と呼ばれる19世紀半ばのフランスに始まった民主共和制と国民国家形成のナショナリズムの運動によって、国民にとって、対象化された存在である。
皇帝ー国民の間に距離間があり、君主は政治的な存在であり、政治に責任を持つ存在であった。
 
>日本の場合、前回の記事で述べた様に、封建体制の時代を通じて、まるっきり政治的に疎外された存在であって、極端に云えば、民百姓にとって、天皇はいないも同然だった。
本居宣長の様な一部学者の思想的対象であったにすぎない。
巷の神社と天皇との関係づけも、明治維新政府の廃仏棄釈政策によって形成された。
 
>以上の様な余りにも長期にわたる完全な政治的疎外状態であったが故に、封建時代の紆余曲折ある人民統治に関与していない古代的中世初期的聖なる存在として、強権支配者にとって人民支配の道具として神秘化され易かった。
真っ白なキャンバスに絵を描く様なものだ。
 
が、明治の天皇制の物的基盤は絶対主義明治権力の暴力装置の威圧力である。コレがあって初めて権威づけられる。
 
民百姓の関与しない内乱によって成立した明治維新政府が一方に置ける文明開化、近代化による欧米化の人心収攬の弊害の対抗物として天皇制国家機構(この中に自分たちの個々人の権力、利害も埋め込める利便性がある)の制度と思想を国体として、目的意識的に人民に浸透させていった。
 
>従って、日本的君主制天皇制は万世一系と称するの血統的家系が東アジの末端の歴史的地政学的な日本の位置が他民族の侵略行為とその反動を回避できたところに、幸運にも封建制崩壊まで生き残った事を根源とするモノである。
 
 中世半ば以降から封建までの軍事貴族の支配層は古代的中世的カースト貴族である天皇系貴族を自らの支配に都合のいい権威として利用する対象と位置づけても、せん滅打倒する必要はなかった。
 
 中世に天皇の暴力機構である軍事貴族層が自立した。あまりにも遠い昔であり、自らの軍事力を保有しないが故に、生活基盤である領地を奪われていった。
 
 この歴史的趨勢への無力が自らの擬制的存在理由であるカースト的様式への固執を生んだ。それしか生き延びる道がなかったからである。
 
>こうした歴史的な外界と疎外された細々とした生活環境、生活様式純化の唯一伝統が、近代国家を建設する権力支配のイデオロギー的道具をして利用するにうってつけだったのである。
 
>担ぐ神輿は軽くてパーが良い、とまでは丸山真男は云っていないが、神輿に例えているのは事実。
橋下、維新は早く神輿の担ぎ手に成りたくてうずうずしている。
一方における凶暴な市場原主義と他方における日の丸君が代憲法9条国民投票。全てが浅はかな彼ら流の<権力への道>ではある。
そして、詐欺師に騙されるモノは何度でも騙されるのである。