<メモ>気になる論点。
>国家論。ホッブス国家論に階層国家論を埋め込む。
>自然状態野放し状態から発生する合議体には階層支配の要素が既に含まれている。
比較的高い山地で隔てられた盆地の3地方の農村共同体の其々の長が集まって、統一合議体的国家を形成した。この場合、3地方の古代的農業共同体の長は基本的に階層支配者であり、この時点の合議体はすでに階層支配を前提とした合議体的国家である。(コレは韓国高校検定教科書に載っている)
韓国高校検定歴史教科書における、檀君神話から始まる古代史の冒頭にはキチンと原始的共同体の生産力発展ー私的所有の発生、階層分解ー古代的国家成立、の階層国家が明記されている。
日本の場合、大和朝廷成立に至る古代国家分立状態?の歴史的資料が乏しく、神話的類推の域を出ていない。
この事実はまさに、日本列島の置かれた地政学的特徴である、陸続きで侵略性の強い民族支配を免れてきた事によるところが大きい。陸続きで侵略的民族の脅威、介入による、政治軍事情勢の危機を排除しての、古代国家統一は比較的平穏に遂行できた。
>他方、朝鮮半島の百済、高句麗、新羅の分立状態の最終的勝利者である新羅の朝鮮半島統一の過程は「唐が660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼした時には、新羅は唐を支援し唐軍とともに戦った(羅唐同盟)が、その後、百済の旧領の全土と高句麗の南半分から唐軍を駆逐し(羅唐戦争)朝鮮半島をほぼ統一した」(グーグルより)。
この異民族、唐との同盟と戦争を経て国家統一をする過程で新羅の合議体の原始的国家機構はセキュリティー国家に強化されていったが、この場合の国家は支配貴族層の等級を色彩によって細かく定めた骨品制度による古代中央軍事貴族の階級支配国家であった。
紫色は貴族の最高位を表す色であり、日本の皇室カラーにもなっている。<和白>と云う全員一致の合議による合意形成と決定、全員の履行義務は新羅国家成立当初の合議制の残滓である。コレも日本政治に大きな影響を及ぼしている。
>さらに、こうした朝鮮半島の国家統一や中国歴代国家には常に北方遊牧騎馬民族の侵略の脅威の重圧が付きまとった。満州の後金。後にコレが明を滅ぼして清朝を形成。モンゴルの世界侵略帝国の中国、官民独支配は云うまでもない。
だから、次の様な国家への大きな錯覚が自然と生じる。
勿論、地政学的な歴史上の有利性は反面で云えば、大陸の先進文化から、距離が生まれる後進性であり、これが天皇制の古代的支配システムの温存や、東アジア古代律令官僚支配国家制度の不徹底による地方豪族層の地方支配の温存繋がり、最終的にアジアで類を見ない中世から封建制への移行の原因になった。
>以上、地政学的歴史的に日本が置かれた立場をアジア全体を見渡して比較して総括すると、日本は非常に恵まれていた、と云える。
黒船、来襲からの幕藩体制の急速な動揺瓦解と、薩摩、長州の単独の列強への攘夷、大敗北と藩政改革は幕藩体制の封建諸国体制の分立によって可能となった。中央ー地方官僚支配体制であれば、李王朝の大院君の様な、国家を挙げての攘夷の徹底から、近代国家への脱皮の遅れとなっていたかもしれない。
>古代まで辿れば、日本の遅れが、千数百年を経て先進の源となった。
>長い歴史に置いて、遅れが先進に繋がり、その逆もある。歴史的視線を有効に活用すれば、こうした長いスパンで見つめることができる。
>以上のようにイロイロ回り道をして考えてしまったのも、前回の記事の次の様な箇所が気に成ったからだ。
「1959年(S34年)正田美智子、皇太子結婚。ミッチーブーム。沿道に55万人詰めかけた馬車パレード。
沿道で旗を振る群衆はマッカーサーが帰国する時も沿道で旗を振っていた連中だなと。そしてこの大衆は戦中には出征兵士を旗で送っていたのだ。群集の熱狂は全く当てにならない。」
「あの大衆の熱狂ぶりは悪夢の様でなかったか。しかし歴史は何度でもそれを繰り返す。コレから先も。」
(色川大吉自分史より)
出征兵士の隊列に沿道で、米英排撃の日の丸を熱狂的に振っていた人たちは日本帝国とその軍隊の進軍に自我を没入し一体化していた。
そして、大本営発表の転進と云う名の急速な戦況悪化の果てに全国都市、大空襲。
広島長崎に人類史上を画する原爆投下を二発も投下された挙句、焼け跡で茫然自失。
>>敗戦の事態に直面した時の日本人の精神状態を坂口安吾は次の様に云う。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、他ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、という。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!
われら国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。
竹槍をしごいて戦車に立ち向かい、土人形の如くバタバタと死ぬのが嫌でたまらなかったではないか。
戦争の終ることを最も切に欲していた。
その癖それが云えないのだ。
忍びがたきを忍ぶと云う。
なんと云うカラクリだろう。惨めとも、又情けない歴史的大欺瞞ではないか。
しかも我等はその欺瞞を知らぬ。
何たるカラクリ、又狡猾さであろうか。
我々はこの歴史のからくりに憑かれ、そして人間の人性の正しい姿を失ったのである。」
>天皇制と日本国民性の坂口安吾のぶった切りを聞けば、当然その前段に書かれている天皇制と日本支配層の関係の原理を引用せざる得ない。その前の段落は戦前の農本主義のぶった切り、から、前回に引用した日本軍隊は近代国家の軍隊に在らず、論。
まさに安吾節の全面展開の様相を呈している。
>「未だ代議士諸君は天皇制については、皇室の尊厳などと云い大騒ぎをしている。天皇制というモノは日本歴史を貫く一つの制度であったけれども、天皇の尊厳と云うモノは常に利用者の道具に過ぎず、真に実在したためしがない」
「何故に彼らが最高の主権を握らないのか。それは自ら主権を握るよりも、天皇制が都合が良かったからで、自分自身が号令するよりも、天皇に号令させ、自分がまっさいにその号令に服従して見せることによって、号令がさらによく行き渡ることを心得ていた。
その天皇の号令とは、天皇の自身の意思はなく、実は彼らからの号令で在り、彼らの欲するところを天皇の名において行い、自分が真っ先に号令に服して見せる、自分が天皇に服す半を人民に押し付ける事によって、自分の合れをを押しつけるのだ。
自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。
ナンセンス!ああ、ナンセンス極まれり。~
昨年8月15日、天皇の名によって終戦になり、天皇によって救われたと人々云うけれど、日本歴史の称するところによれば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史の編み出した独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、(支配層は)この奥の手を本能的に知っており、
また、我々国民もこの奥の手を本能的に待ち構えており、かくして軍部日本人合作の大詰めの一幕が8月15日に成った」
以上、戦前の上から下までをぶった切った安吾は最後にこう結論付ける。
「天皇制が存続し、かかる歴史のカラクリが日本の観念に絡み残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花は望むべきもない。人間のただし光は永遠に閉ざされ、新の人間的幸福も、人間的苦悩も、全て人間の真実なる姿は日本に訪れる時はないだろう」
時代的危機に日本が立ち往生すると、支配層は、天皇制を利用して国民統合をしようとする。
国民の側にも日本の歴史的位置から、そうした策動に吸い寄せられていく根源がある。
>民主主義の根底には同質性が根底になければ、混乱、混迷の基になる。
しかし日本人には、同質性が歴史的に備わってきた。むしろあり過ぎて「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」状態であった。
この様な根源的同質性が日本人の前提にあるにもかかわらず、またしても、それ以上の同質性を支配層が追求しようとしているのは、明らかに、グローバル資本制による階層分解の進行と云う厳然たる事実を前に、国民国家の物的な分解を排外主義共同国家幻想で覆い隠そうとしている目論見が根底に或る。
古くて新しい支配層の人民政治統合支配の最大の手段である。
今後、支配層は必死でこの手段に固執する。
国民はなれることも必要。