>さて、前回の様に寄り道をしないで今日は色川さんの自分史を辿っていこう。材料を広げてたたき台にする
つもりで。
7、1960年安保改定闘争の政治過程(5月19日強行採決~6月19日新安保自動承認、6、23岸辞任表明)の時系列。
色川 「近代日本の歴史に置いて、民衆が自発的に、国民的規模で運動に立ちあがった経験が四度あった。
>確かに請願署名1350万人から、妥当。
>TPP反対農協署名2000万人は本当か。が、多分、コメは例外品目になるという大逆転が用意されているのでは。コレによって一気にTPPへ、という筋書き。
<5月19日深夜の強行採決を転機として運動が高揚>
>自民党が割れるほど程、改定安保は当時の内外情勢から見て、問題点を含んでいた、と云う事だろう。
5月22日。 10万デモ、国会へ。参加者激増、世論硬化。
6月4日。 国鉄安保反対スト。利用者から苦情なし。闘争参加者全国で560万人。
>6月15日(水)
「右翼団体の暴漢ら、新劇人のデモ隊に突入、重軽症者多数。コレを黙認していた警官隊に怒り、全学連の学生等南通用門を破って突入。東大女子学生、樺美智子さん死亡。夜、構内で機動隊の包囲された数1000名の全学連の学生に2度目の実力行使。激しい雨の中、血だらけの構内。国会の周辺の警察車両、次々に放火され炎上。まるで革命前夜。
6月16日。 首相、アイク来日延期を要請。
6月17日。 東京7大新聞、朝刊に一斉に共同声明。「暴力を廃し議会主義を守れ」 色川「国家権力の某慮には1行も触れず、一方的に!こうしたブル新の正体に憤激」
>W,この中途半端は結局、議会のためにも民主主主義のためにもならない。
この共同声明は首相の要請を受けてモノ。
「岸内閣は狼狽し自衛隊に緊急待機の命令を下し出動を要請。だが、国民を敵に回す事を恐れた長官は応じない。アイクを羽田に出迎える天皇(W、首相の天皇の緊急時の政治利用の戦前の政治感覚を見よ!)の身の安全を憂慮した大東塾や日本愛国党宮内庁は政府に中止を要請」
6月18日。 国会通用門前、樺美智子さんの遺影飾られる。徹夜。この期に及んでも安保阻止?国民共闘会議はお焼香デモ。
6月19日。 33万デモ隊国会と首相官邸包囲し夜明けを待つ。0時どよめきが上がる。新安保条約自動承認。
6月23日。 安保条約批准書発行。岸信介辞任表明。
>安保改定騒擾をみたイタリア「ラ、ナチオーネ」紙特派員の感想。
民衆の秩序整然たる、彩り豊かな大行進、東洋的礼節(W、お焼香デモの大行進のことか?)に西欧の手法を加えたデモ(全学連)。
毎日新聞6月26日付「デモの群衆の一番凄まじいのはヨーロッパだ。群衆はわめきぶっ壊し殴り合い、警官隊は催涙弾やくしゃみ弾をどんどんぶっ放す。中南米も凄い。彼等は何でもない事にかっときて殺し合うらしい。それから中近東、アジアと云う順だろうな。」
>W,1960年4、19李承晩を倒した戦い以降の韓国の自らの犠牲を覚悟した長い民主化闘争の過程は、1980年光州事態の様な市民の武装蜂起や整然とした戦いなど実にバラエティーに富んだ闘争形態を余儀なくされが、遂に自らの手で民主化を勝ち取った。
戦いは続くモノ。あきらめないと云う事、都合よく変節しない事が肝心。
日本の民主運動にかけているのはコレ。過程の最中にすでに結果を予定調和させている。コレでは物量と権力のあるモノの方向に早急に収斂していく。
>W,基本的に闘争形態は持ち場持ち場、場合場合で各種、在っていい。お焼香デモがダメなのは、火急の際の不可欠な戦闘的デモと自らの隊列を物理的政治思想的に終始一貫して完全分断することであり、コレは長い目で見たら、日本の民衆運動を閉塞させる結果となる。党派主義は悪影響を及ぼす。
>安保騒擾に対する政府当局者、大新聞のお説教。
「西欧先進国は秩序整然で紳士的、後進国日本は野蛮、暴力的で幼稚」
色川 「率直に云って、まさか戦後大企業の繁栄期、岩戸景気まっただ中で、これほどの政治闘争(経済闘争ではない)、国民的な高揚が巻き起ころうとは予想していなかった。さらに韓国の独裁者李承晩があれほどもろく素手の学生デモによって打倒されると云う可能性さえ信じていなかった。」
>米軍占領統治下の49年、中国人民民主主義共和国樹立、51年朝鮮戦争という激動する冷戦体制、真っ最中の日本のいわゆる、逆コースは強力な外的要因によってもたらされたモノであって、日本国民と政府に主体的選択肢はなかったと云える。
>が、急激な高度経済成長路線の選択や、60年安保改定は日本政府の主体性に委ねられた部分の多い、日本の遠い将来まで多大な影響を与える政治軍事経済総路線の選択だった。
だからこそ、国民間は云うに及ばず、政権党内部にも意見の相違、選択する路線への不安感が在った。
コレ等とそれまでの戦後政治過程、朝鮮戦争以来の経済成長による社会構造の急激な米国化による足元の基盤の揺らぎを基底=労働力商品としての原子の如き個的分散(都市と農村の急激な変貌、農村から都市、工業への急速な生産人口の移動)として、国民政治意識を動揺させ、浮揚させていったものと云える。
勿論、この様な規定は、今だからできることである。
焼香デモと全学連の隊列の分解に確認する。
その後の公明=創価の登場の根底には資本制急速成長による労働力商品の原子的分散放置、都市小市民層の生活基盤の動揺があり、この層の一定の部分は基本的に宗派的日常の統合でしか混迷する自己意識を誤魔化せないのである。アメリカ人の一定の層が今でも毎週教会に通う様な位相にあるが、皮相な現世ご利益主義に徹していることがナントもうすら寒い日本的心情風景ではある。
戦後日本人の精神構造の裏面はこの宗派とその政党を分析すれば、よく解るのではないか。
自民党は、戦前の支配層の残滓プラス戦後支配層と総資本によって形成され、官僚国家機構と一体化して、一貫して政権の座にあるべくGHQや、米国支配層の力をも背景に形成されている、予め国民に用意されているが如き、国民支配体制の政党であって、自民党と云う政党枠が時代に応じて変節しようが、新たな政治的予備軍によって補強される性質の党である。
革命的事態がなければ、コレ等をひっくるめた日本体制の進む道は修正不可能とみる。
強過ぎる同質性は多元性によってしか修正できないのに、その多元性が歴史条件的に大きく不足している。
60年安保騒動の事態を見ても、同質性への回帰本能が強過ぎることが解る。
大したこともやりはしないのに、すぐ引きもどす力が働く。コレでは多元性は蕾の段階で抑圧され、育たない。
成熟経済まっしぐらの日本の将来、創造力がカギを握るのは識者が共通に指摘する事。混乱、混迷に時代に同質性の強化で乗り切っていこうと云うのは、衰退の道、弩壷にハマる道である。
現状、一見して、政治的統一性の不足と見える事態も、ジッと目を凝らせば、言葉とは裏腹にほとんどが、現体制順応ではないか。
政界が混乱混迷している様に映るのは、リアルな政治過程によって生じた違いを政治力によって、統合できるのにできない、政治家どもの力量不足と考える。
その結果、国民多数は政治的色目を不必要にアチコチに使わされている。