反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

司馬遼太郎風に云えば、日本は街道沿いの間口広すぎ、奥行きない大きな商家。主人番頭店員は店舗の2階に住んでいる。

 日本の社会、政治、経済は基本的な想定に沿って事が運んでいる様だ。
こうなってああなって、そういう処に着地する。そこからまた先が始まる。一つのヤマを越せばその向こうに又山がある。峠に立って行き先を見渡せば山又山で平たん地がない。
 
 日本の基礎的経済社会要素を見る基本視座は戦前日本の軍事力と経済力の異常な不均衡とその敗戦による当然の破たん=是正。負け戦は歴史の必然!
 
 「権力政治に、権力政治としての自己認識があり、国家利害が国家利害の問題として自覚されている限り、そこには同時にそうした権力行使なりの<限界意識>が伴っている。
 コレに反するほど、そうした限界の意識は薄れていく。
 道徳の行使にどうして限界があり、どうしてそれを抑制する必要があろう丸山真男
 
「政治の持つ悪魔的性格は政治が前提とする人間の性悪から由来するもので、それは取扱注意の赤札を付けられた問題的な存在として人間をとらえることを意味する。それゆえ政治を巡る思想と行動の課題は、こうした政治の煉獄化を潜りぬけなければならない。
帝国日本はこうした政治の煉獄の敷居さえ到達していなかった。」kim hang。
 
大正デモクラシーは社会の表層を流れていく空気に過ぎなかった。
が、その空気が敗戦日本再建の市民的良心?となる。
岩波書店岩波茂雄の雑誌「世界」発刊の辞。
 
 「明治維新以来、未だ100歳に満たず、この間に進歩は世界の驚異とされた。コレが一に明治維新、御箇条の御誓文に従い、先進国に比して自らたらざるを憂いつつ営々と努力せる結果に他ならなかった。
然れども、維新の進歩的改革は中道にして早くも御誓文の方針を失った。
私は明治維新の真剣味を追想し、御誓文の精神に生きる事が新日本建設の根本原理であると考える。
御誓文の精神は明治維新の指針に留まらず、天地の公道に基ずくこの大精神は永久に我が国民の指標たるべき理念であると信ずる」
こうして、
戦後は一転して、大正デモクラシーの空気の中で深く考る機会のないまま傍に安置されたままの国体主義と底の浅いデモクラシーの奇妙な合体によって、政治的思慮に乏しい比類なきGDP至上主義的経済発展の道を猛進。
その生息域は特殊時代としての冷戦構造である。
ここでも国民生活の要点を蔑にした不均衡があった。高度経済成長路線はやり過ぎ、はしゃぎ過ぎ。付けはいずれ国民生活に回ってくる。
 この時代の日本こそ、本物の別の道が選択可能だった。その余裕が日本と世界にあった。
 
 今のグローバル資本制に置いて、今後、トリクルリンクはもはや期待できず、支配層と大企業は食い逃げを路線的に選択している。ここの処が全ての事象を解読するキーポンイントになる。
 
 そうするとどう転ぶか。
戦後的大正デモクラシーの退場(冷戦構造の長期化が大きな原因で間延びした)と硬直日本への螺旋的回帰になる他なかろう。
 
 加藤紘一「テロルの真犯人」より引用。
 
 「日露戦争に勝利をおさめ、ポーツマス条約が締結された1905年は日本は欧米列強に伍して植民地主義政策を推し進め、その戦争の道をひた走っていく端緒に成った年でもある。
アレからちょうど1年を経た今の日本社会にはあの当時とよく似た時代の空気が蔓延している様に思えてならない。」
>現状の日本は貯蓄を取り上げられてやっと気付くと云う、唯物史観?ぶりだから今後、究極の処、時間の経過に焦点が当たる。
 
 数値的に見ても、異常事態であって収まる処に収まるしかなく、日本だけが世界の別格である訳がない。
 
 不均衡は経済法則として是正されるのである。
どの先進国の数値を見ても、程度の差こそあれ、そういう軌跡を辿って収まる処に収まっているとみる。
後発日本は、まだおさまり方が全く足りず、その方途も見つからず、悪足掻きをしている現状。
 
 日本の様な平坦地の狭隘な国土と人口密集、歴史的に教育の生き届いた国は一端、加速がつけば、ヒトモノカネの回転率は急速に上がって経済発展のスピードが速い。
その代わり、頂に到達する時間も短縮できるが、頂上は平たんではなく、すぐ下り坂になる。
この辺の事情は極端な韓国の例を見ればよく解る。
 
 ズット遡れば、オランダ。ウォーラスラインによれば、17世紀のオランダは短い間だけれども世界の頂点に立った。だから、徳川幕府はそんなオランダとのみ交易をした。
日本は<その後、現在に至るまでのオランダの身の処し方を大いに参考にすべきが妥当>じゃないのか。 
 
>戦後日本は街道沿いに間口を広げ過ぎ、派手な商売をしてきた店舗。
家屋の奥行きなく、店の主人も番頭、店員の全部が1階店舗の2階に寝泊まりして商売にてんてこ舞いの状態。
 店舗の品ぞろえは豊富で、品質もいいから、街道を繁雑に往来するヒトに向けた商売繁盛していた。
 
 ところが、間口広く奥行きのない店舗の前の街道のヒト通りが減ってきた様に見える。
 新しい街道ができたのだ。
そこでそこに支店を出す。
当然、業績向上のためのいろいろ工夫もした。
が、以前の繁盛していた頃より、店の商品の売れ行きは芳しくない。
 商売敵が増えたのだ。
 
そうすると、街道沿いの騒々しい本店の二階、全員が寝泊まりしている主人、番頭以下は元々商売オンリーでやってきたから、いらつき気味になって、お互いに刺々しくなる。商売の先行きに対する不安感も否定できない。
 こうなると、悪循環で以前の様な自由闊達な工夫、勢いが自発的に沸き起こってこなくなり、やることなす事に、裏目に出る場合が多くなってきた。

関西電力:値上げ 経費削減、焼け石に水 原発稼働、見通しなく毎日新聞 2012年10月30日 大阪朝刊。

「関電は料金のベースとなる「原価」(08年に策定)として、毎年5148億円の燃料費を見込んでいるが、昨年
度は7768億円に達した。他電力会社などからの「購入電力料」も、原価4303億円に対して、同5303億円
かかった。コスト削減を徹底する構えだが、人件費(原価2373億円)▽修繕費(同2639億円)の一部を削っても「焼け石に水」。
 
 「日本鉄鋼連盟の友野宏会長(新日鉄住金社長)は21日の定例記者会見で、関電など5電力の値上げは鉄鋼産業全体として900億~1000億円のコスト増になるとの試算を公表し、「(鉄スクラップを原料に電気炉で鉄鋼を生産する)電炉メーカーにとっては廃業勧告だ」と訴えた。

 中小企業にとっても影響は深刻だ。
大阪府大東市のばね製造会社「富士発条」の山中善博社長は「今夏は電気炉の稼働を間引くなどの努力をしたが2割値上げは非常に厳しい数字」と不安を隠せない。
 
 大阪商工会議所佐藤茂雄会頭は「電力会社の経営が厳しいのは、国のエネルギー政策の混迷のせい。国も値上げをどれくらい抑制できるか考えてほしい」と注文を付けている。
 
 >日本列島には四つのプレートが折り重なっており、近海には海溝の亀裂が不気味に走っている。
グーグルの世界航空地図をクリックして地球上を万遍なく周回しても、こんな異様な地形は世界中どこにもない。
そういう意味では東日本大震災、連動した福島第一原発1~4号機の事故は、残念だが起こるべくして起こった、と冷厳に受け止めなければならない。
 
 戦後支配層としての大きな政治判断の質を改めて問いたい。
自民党は下野しても、何等改まってないばかりか、悪い方向に暴走気味。
ここに声が大きく、恥知らずで暴虐無人な政治画策を事とする橋下、石原が追加される。 
 
 
>最近、「天皇陵の謎」と云う本を読んだ。
 
各項目ごとに大層な云いまわしの目立つ天皇、皇室崇拝の元読売記者なのだが、どうした事か、天皇陵にまつわる歴史的事実と現状に関しては、率直な意見持ち主である。
 
 それによれば、古墳時代から150年以上も過ぎた古事記日本書紀延喜式の記述に基づき宮内庁が現状、天皇陵と称して、歴史学界並びに一般の立ち入りを一切、拒んできた天皇陵のうち、被葬者が正しいと想定される天皇陵は全体40分の5しかなく、ほとんどすべての天皇陵は盗掘の被害を受けて、一般に想われている様な金銀財宝は、全く見当たらないだろうと云う。
 尤も毎年一般公開されている正倉院の宝物点の見ても推定できるが、それよりずっと以前の古墳時代天皇陵に世界通用する財宝が埋もれている訳がないのである。
 
 天皇陵の改作や修正は私の想定通り、江戸末期の公武合体路線に沿って、政権維持を謀った幕府の思惑に沿って、庶民蔑で大枚をはたいて、敢行された。
 
 そういう実態のある天皇陵と称するモノを明治からの慣行として、立ち入り一切禁止の措置をして今日に至っている宮内庁こそが日本の国家官僚の重要な側面であろう、と考える。ここには戦前戦後の時代の精神的物的な移り変わりは一切、届かなかった。
 
 しかも大切に守護しているモノの中身は歴史的事実とかけ離れている部分が多過ぎて、しかも墓泥棒に蹂躙されテイル。
 
 少なくとも室町後期から応仁の乱、戦国時代を通じての朝廷貴族層にとって、綿密な墓守などできる境遇になかった。
 
著者とかけ離れた感覚の私には、あんな手入れのされていない大木が鬱蒼と繁った小高い丘の前にたたずんでも荘厳な気持なんかちっとも湧いてこない。
 私自身、率直な感想として、こういう問題にことさら、どうこうせよとか云う意見はない。関心はなかったが、歴史の常識としてちっとも「天皇陵の謎」とは想わなった。
 
 天皇制は日本の歴史の欠かせない一部だから、大切に尊重する人たちの意見は貴重な面があると昔から想っているが、度を過ぎてはどうか。
しかも思想構造的に度が過ぎやすいモノとなっており、その歯止めがどの程度のものか、という疑念がある。
その筋には感情過多のヒトが多く、理性を信用できない。
 
 日本国憲法条文の初っ端から8条まで、その在り様が国家的に明記された存在の過去の形跡の重要な構成部分が、こういう曖昧、奇妙なまま放置されており、国民的話題にも上らない国は世界中探しても、一体どこにあるのだろうと云う気はする。神話化、神秘化も方向を間違えば、最終的に良い事はないと想う。
 
 こういう事も含めて、改めて、戦前支配層の動向や、戦後の無分別な高度経済成長、原発安全神話のねつ造は日本精神の奥底の源流なのだと理会する。
 
 うがった見方をすれば、仮想人工的な本当は近代性の純粋な構築物であるが故にその実態が歴史の冷厳なサーチライトに照射される事を怖がっているともいえる。
 
 古代天皇制と東アジア、特に朝鮮半島の結びつきは固有の経過がある。古今東西、君主的支配層こそ国際的な存在だったのである。日本朝廷もその例に漏れない。現天皇家も本来の姿に戻って率先して開明的であれば、日本の閉塞状態も少しは変わってくるのではないか。
日本の経済不振は精神的要素も強いとみている。
 
 橋下徹石原慎太郎、安部普三。
日本閉塞を率先する象徴の様な顔ぶれである。
 
日本の国家幻想の大きな基盤がコレで、古代エジプト王族の墓暴きに精を出している事態を何の違和感もなくTVで大々的に放映している。
コレマタ、日本精神の一端である。独特の雑種、混淆の力のある文化であろう。
 
日本人の戦争体験は平家物語方丈記を超える事は出来ない、と云うのが小林秀雄の先取りした戦争体験だった」
「日本人の精神生活における思想の継承のパターンに関する限り、彼の命題はある核心をついている。
新たなモノ、本来異質なものまでが過去との十分な対決なしに次々と摂取されるから、新たなモノの勝利は驚くほど速い。
過去は過去として自覚的に現在と向き合わず、<傍に押しやられ>、あるいは<下降沈殿して意識から消え忘却される>のである。
が、それは<時あって、突如として<思い出として噴出する>事になる。」
 
 
>議会圏では、出戻り自民党総裁の安部ちゃんが次期首相になると云う、事態が現出しそうである。