反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

橋下徹と云う政治の病い=近代化以降、日本を窮地に追い込んだ政治思考パターン(不安苛立ち、ツマ先立った背伸び、に基づく)「古賀さん、政治の場はやるかやられるか、生きるか死ぬかです。勝たなければ」。

 アゴ池田信夫2012年12月2日記事の一部より引用する。なお当該記事の主旨には不賛成。
 
 さらには、飯田哲也さんの原発問題に関する主張も、当方の研究不足を自覚しつつ、現状では理解しかねる。偉そうなことではなく、解らない、としておこう。
 
 ただ彼の政治内容の神髄は政権交代前のマニフェスト民主党段階に留まっているモノと想える。
 
 承知の様にリアル政治の実行段階になると、権力闘争の問題が発生して、立ち往生する局面が必ず出現する。
その可能性がないから、主張は検証できないだけである。政権交代以降のリアル政治の教訓度が足りない。
以上が、彼の出演の動画をじっくり視聴した率直な感想である。
が、切り捨てている訳でなく、幻想が一切ないだけだ。
 
 日本にはそうした支配構造問題が内在してきた。
コレは抽象的なものでなく、民主党政権交代によって、そうした各々の存在はアブリ出された。
それだけでも政権交代は、日本の民主主義にとって、大変な前進であり、内外環境からの反動は不可避。この視点は譲れない。
 
 コレとの戦いは覚悟、一般的な個々の政治家の政治力、決断力等々の主観的的次元の問題を大きく超えた領域の問題である。
 
 政党の組織力、政治力、強固な政治基盤、国民の自発的支持、煎じつめると日本の民主主義の現状等々。
一体どこが突破口となりえたのだろうか?と以前から問題を立てていた。
全部、なかった訳ではないのだ。1点の突破する箇所はあった。
 
戦後日本の軌道修正はたった、あれだけの事でも物理的抵抗を受ける。
国が滅びる様な課題の設定をしているヒトが多くなっているが、窮するのは国民だけであって、日本国ではない。日本国を操る支配層は基本的に困らない、様な仕組みを画策している。
 
 >以下、アゴ池田信夫氏記事から引用。
 
 「大阪府市の特別顧問だった飯田哲也氏が日本未来の党に寝返り、橋下徹氏が彼を強く批判している。これに対して古賀茂明氏は、橋下氏をこう批判している。
大阪府市の特別顧問だった飯田哲也氏が日本未来の党に寝返り、橋下徹氏が彼を強く批判している。これに対して古賀茂明氏は、橋下氏をこう批判している。
間違えたということはよくお分かりだと思います。理念も政策も違う石原さんや旧たちあがれ日本の老人たちと決別してください。そして、みんなの党選挙協力をやり直してください。そうすれば、国民は付いて来ます。
橋下氏はこう答えた。
古賀さん、政治の場はやるかやられるか、生きるか死ぬかです。勝たなければ自分の思いを実行できないのです。飯田さんが当事者となり、維新批判をする以上、僕は徹底して応戦しなければなりません。ご理解を。
 
 池田信夫さんの古賀、橋下引用箇所はおそらく、両氏のツィターからのモノと想われる。
 
 古賀氏の対橋下氏観はズット的を射ることはなかった。
 
経産省官僚をを辞職する前の彼の著書をザット立ち読みしたことがあったが、まず、たんへんな自信過剰の個人主義者である。
政治的立場はみん党、そのものので市場原理主義とみた。
 
 日本が最先端でぶち当たっている問題の処方箋で、そういう徹底する立場を選択すれば、IMF[優等生韓国の基本政策が理想像の如くなってしまう。
イロイロ云っても、TPP事態やら何やらを含めて考えると、そういう事になってしまう。
我々に問われているのは、そこまで推察して、それでもいいのかどうかの究極の選択である。
 
 次に、古賀氏は官僚を止めて、橋下、みん党への接触を通じて、上記のコメントにある様に、政治路線の神髄を云々するのであれば、(このコメントは政策云々ではない)日本の伝統的政治学である、丸山真男、程度は必読していなければならない。
 
 丸山真男が最も得意として描いたのは、橋下の様なポピュリズムファシスト的(テロリズム的)手法でエスタブリッシュメント外から政治出世の階段を急ぎ足で登りつめていこうとしている人物のアカラサマナ姿である。
一見、反エスタブリッシュメントの主張はあくまでも政治出世のための方便であり、階段を上っていくにつれて、支配層の作法を身につけていくのである。
又そうさせるは日本エスタブリッシュメントの伝統的構造がある。
 
>>橋下氏に関しては繰り返しその問題点を指摘してきた。
 
 橋下を登場させた大阪の政治風土を説明する場合、よく御笑い云々が云われるが、浅薄な見方である。
 
 大阪は江戸時代初期より、天下の台所、すなわち市場原理最優先で街が機能してきた。
約50万の街の人口の過半は細民=貧民であり、コレが事実上の底辺労働力を形成していた。
 
町人と呼ばれるモノは各種の商いを「私的所有」している階層である。
その他は庶民は一応中間層としておくが、基本動態は高級中級、下級、被使用者層である。
 
 武士は北南町奉行所に詰めるモノと幕府の大阪城代、合わせて、2000人程度であった。
 
 従って、その町で、大きな力を持つのは、全国規模の大阪蔵屋敷に収集した余剰米を、事実上主催する時の相場によって、換金、貸金業務を商いとしている大商人や各種商品を扱う商人、大規模運輸業者である。
 
 以上の様な各々の身分、経済力、人口分布のバランスの中で50万人の町が機能してきたのだから、当然、市場原理最優先の動態となるが、
 
 >一端飢饉などの経済緊急事態に立ち至れば、50万人口の3分の1程度は、生産手段から全く遊離した立場で労働を売り、日々の生活を再生産している存在だから、当然にも浮浪状態にならざる得ないのである。
大塩平八郎たちの一身をなげうった義挙はこういう環境下で発生した。(比べて橋下氏はどうであろうか?大塩平八郎と向かう方向が違っているのじゃないか。)
計算上、16~17万人が浮浪状態で街に投げ出される事になる。
 彼らは中心部の商人街より、離れた至る処に集住していた。事実上の貧民窟が大阪の繁栄の足元で存在していた。
橋下アドバイザーの堺屋氏などの大阪の合理主義強調イデオロギーの吹聴者はこういった底辺からの視点にかけている。
 
 人口では多数派を占める細民、貧民の出所は大阪の経済圏であり、広がりはあった。 
 
>A)江戸封建制度の最底辺で圧迫されていた被差別部落民の集住地も至るところに点在しており、全国一の市場原理で繁栄する大阪には、彼らの生活の各種の身過ぎ世過ぎが在ったので、大阪の影響力の及ぶ範囲からの被差別部落民が集合していった。彼等は経済力のある大阪では生産的人口であった。
 
>この辺の大阪の町人世界(大阪全体を描いたものでない)の事情を活写しているモノに、井原西鶴「日本永代蔵」がある。
 西鶴研究の第一人者、テルオカ氏の現代訳が出版されている。
元禄の時代1600年代後半において、すでに大阪の街の商人の世界は、現代とほとんど変わらない商いの論理に貫かれている。町人の1年の貸し借りの清算する歳末を、人間性の凝縮露呈する風景、人情として、オムニバス形式で、リアルに描かれている。
 
 カネの論理を基準としたリアル大阪町人世界の在り様がそこに或る。
故に銭に拘ったハードボイルド世界だ。
が、切ない情の世界でもある。ユダヤの様にカネに徹底できず、そこから情の世界が大きくはみ出さざる得ない。残酷な世界であっても、アングロサクソンの次元とは違っている。浮世絵で云えば、安藤広重東洲斎写楽など浮世絵師の描く世界。浮世絵春画の世界も想像できる。
事実、1年に満たず姿を消した写楽を除いて一流浮世絵師は大量の春画を残している。
 
 B)大阪、阪神間、神戸、は江戸時代の経済力を引き継いで、基本的に第二次大戦前まで、全国一の工業地帯だった。この線に沿った理屈は繰り返しているので掻い摘んで指摘する。
 
1、大阪ー関西経済の<地盤沈下が本格的に始まった>のは、1050年代の日本の経済成長への発進時期だった。
中央政治勢力の中央集権的政策誘導も大きいが、基本的には、インフラ、想定される市場規模、社会環境などイロイロナ側面の制限要因から、大阪を中心とする関西経済は高度経済成長期としては、飽和要因が多過ぎた。
 
 日本の戦後経済発展の経済法則として、大阪を中心とした関西経済は以前の様な繁栄を維持できない構造だったのである。
 
 大阪経済の地盤沈下は、昭和初期の頂点から、敗戦を跨ぎ、高度経済成長に至る長期スパンの経済波動の結果に過ぎない。
経済地盤沈下は時代の傾向だった。
 
2、戦前の大阪、阪神間の経済成長の根底では、朝鮮半島南部からの渡航者の低賃金労働が大きく貢献した。
最盛期の大阪府下の総人口は80万人に及んだ。
これはソウル市に次ぐ人口で釜山を大きく上回っている。
 
日本の戦後、彼らの多くは帰還した。イミュンバク韓国大統領も大阪生野区の出身者である。
生野区は今でも5人に1人が在日韓国朝鮮人の方々であり、その誇り高い文化を守っている。
先般、生駒山系を歩いた際には、数千基に及ぶ在日韓国朝鮮人の方々の墓地に出会った。黙って、合掌した。
 
>大阪独特の庶民的文化風土は以上の様な歴史的背景による雑種混合のブレンドがあって、形成されてきた。
 
 雑居、ブレンド、密集、猥雑、商売の論理優先、から来る生き辛さ、の歴史的環境は
意図的な情への拘り創造と、笑い飛ばす事で、一時でも忘れる術を庶民は身につけてきたのである。
それは文明人として、高度な所業といえよう。
 
 3。が、経済地盤沈下と云う歴史的傾向は地方分権と云う耳触りのいいスローガンでは修正できるものでないし、この面における橋下氏の現実政策は関西広域ミニ中央集権体制の構築であって、
<TPP事態を見据えると、アメリカやグローバル資本への日本のばら売り、>と結果しよう!
 
 ましてや、橋下氏の云う様な大阪都構想などは詐欺師が自らの大ウソを信じ込んでいるが如き類のモノであって、不必要な経済政治ロスから、政治経済混乱デフレ要因を招くだけである。事実上、日本デフレ要因を煽動していると云える。
政治出世のための一方便にすぎない。
大阪の儲けの薄くなったマスコミと政治出世の階段を急ぐ橋下氏には、カネと出世の暗黙の共通利害が存在する。
 
 まだ4年あまりしか経過していない府知事時代の大阪湾沿岸埋立地への府庁移転をぶち上げた不採算の超高層ビル購入は耐震機能の不備が判明して頓挫している。
そうでなくとも、当該埋立地と都心を結ぶアクセスが実質的に完備しておらず、府庁移転先にはふさわしいものでなかった。
 府の財政赤字も増加していると伝えられている。(当方は数字を具体的に検証していないが)
 
 政界への最初の滑り出しである府知事の職を任期中に投げ出し大阪市長選出馬によって、地方選挙の維新の会の、議会多数派獲得と並行してと市長選ダブル選挙を演出する政治手法は日本の空洞化しつつある議会制民主主義をさらに空洞化するモノであると云わねばならぬ。彼の政治基準は基軸から、大きくズレテいる。
 
4、橋下氏のツィートのリアル政治観は稚拙なモノと云わねばならない。
>やるかやられるか、生きるか死ぬか、勝たなければ自分の想いは実行できない、と云う切羽詰まった政治観を根底に議会政治を行えば、迷惑するのは残存国民であり、日本の空洞化しつつある議会制民主主義であり、政党政治である。
 
大阪沿岸埋立地に外国資本やカジノを誘致して経済発展を目論む政治感覚は個人的妄想と現実の世界の混同であり、今の日本ではそういった、アジテーションは目の前と将来に横たわる現実を一瞬忘れさせる方便としか機能しない。
よって次々と現実が裏切っていくから、大衆受けする新しい方便をブチあげていく必要に迫られる。
 
 自分たちの政治勢力への権限と権力の集中という政治手段が
重大な政治局面に至れば至るほど、優先され、実現すべき政策は蔑にされていく。
エスタブリッシュメント外の大急ぎで階段を駆け登るの橋下政治の必然である。
市場原理主義新自由主義政策の最も凶暴な先兵、完全な自民党政治の悪い側面の別働隊。
日本切り売りTPP事態の最先端の煽動者。
コレが暴露された橋下氏の素顔である。
 
ま、大阪的お笑いと情の世界と云えない事もないが。
 
なお、タイトル論旨は十分展開できなかった。