反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

植草一秀さんの12月19日記事「安倍守旧政権の基盤脆弱さと第二維新実現の条件」は視野狭く都合のいい、見解を批判する。

 
 1、(省略)
 
 2、(省略)
 
 端的に12月19日(水)付けの記事のタイトル。「第二維新実現」って何?
 
 なんでこのグローバル資本制のTPP事態が問題にされているこの時期に置いて、「維新」なのか?
<第二>維新と云うからには、明治維新を念頭に置いての<第二>なのか。
この様な思考パターンでは橋下等、維新の会のネーミングの底にある問題意識と何処がどう違うのか。
 
 私は<維新>という言葉を今、単純安易に政治スローガンとして使用すべきでないと考える。
 
 自民党加藤紘一さんは著書の中で次の様に云っている。この著書は(以前の安部首相時代に刊行された。)
 
「安部首相には安部首相の歴史観があり、ナショナリズムがある。小泉首相にも独特な歴史観が在った<YKK時代の言動知っている強烈な皮肉)。
 
日露戦争に勝利をおさめ、ポーツマス条約が締結された1905年(明治38年)は日本が欧米列強に伍して植民地政策を推し進め、その後戦争への道をひた走っていく端緒となった年である。
アレからちょうど1世紀を経た今の日本の社会には、あの当時とよく似た時代の空気が蔓延しているように思えてならない」。
 
 植草氏は政治スローガンを提出する場合、単なる政治雰囲気を醸し出す次元にとどまることなく、よく考えるべきである。
 
 >ましてや、引用した加藤紘一さんの著書が刊行された時期から、日本の内外では大天災、大人災も含めてイロイロナ重大事態が重なり過ぎた。その事態の度ごとの日本国民へのサブミラル効果に等しいモノさえ含めた情報の刷り込みがマスコミによってなされ、今衆院選の結果があると云えなくもないのである。
 
 
(大幅省略) 
 
>>この加藤紘一さんの想いを自分流に翻訳すると、
 
<現状と将来の世界情勢は<新帝国主義の時代>を迎えていると云う時代認識>だ。
 
(大幅に省略)
 
 >要らない危機意識に陥ってアタフタしない。
 
 日本と日本国民の信ずべきところは信じる。コレは余り記事にしないが、そういう大局感は常に持っている。
軍事衝突が発生しても不思議でないと想定できるが、コレも新帝国主義時代の政治の軍事的表現に過ぎない。
 
 
 >植草氏は次の様な政治地図を描く挙げる。
 
 ナント、このどんぶり勘定の様な分類によれば、今回の選挙結果からは、どんぶりが獲得した得票率は合計は楽々、過半数オーバーなはずだ。
そういう粗雑表面的な分類にもかかわらず、他方で自民党の得票率だけを過去に遡って示し、「有権者の2割の支持を得れば、国政の支配権を握ることが可能であること。」などとしている。
 
 「政治権力から遠ざけられた勢力が悲観する必要はない云々。
 
>私がもう揺り戻しはないと云っているのは、ファシズムや翼賛体制がやってくると云う意味ではなく、多数国民にとって<市場原理主義服従の檻の事態>になると云う認識である。日本がアメリカ(コレは無理筋)、多分韓国状態に近くなる。
グローバル資本制の流れを規制できない限り、そうなる。
よってファシズム到来がないのに中身乏しい大同団結など焦ってやる必要はなく、自分たちの個性特性を磨きあげるべき時代がやってきているのだ。コレは政党を対象としてのみ、云っているのではない。
 
「現行選挙制度を良く知り、適切な戦術を打てば、政権奪取は不可能ではなく、~そのためには大同団結が不可欠だ」
 
植草氏が断定する既得権者の勢力と対決し大同団結すべき主権者国民勢力とは「未来、共産、社民、大地、日本の5会派である」が、まず先に、「未来、大地、みどりが合流し、社民に合流を即すべきだ」と。
 
 以上の様な彼の認識を論証するために、過去に遡った自民党支持率の変化の都合のいい提示による20%を握れば政権を握れる幻想。及び
次の様な切羽詰まった政治地図と政治認識が横たわっている。
 
 「今回の選挙で上記五会派は存亡の危機に直面している。」(ここでは共産党も含めている)
「ここで主権者国民勢力が消滅すれば、日本政治は既得権者によって、完全占領されてしまう。」
「主権者国民の政治は永遠に実現しなくなってしまう(??まさに視野狭く、ご都合主義から発する悲壮感、危機感である。)」
 
 >そして、この記事の冒頭では今回の低投票率に関して、次の様に斬って捨てている。
「主権者国民は必ず選挙に行かなければならない。(?)」
「全員(?)が選挙に参加しなければ、(?)極一部(?)--私から見ると実に、59、32%モノ有権者が投票所に足を運んでいるが、このうち無効票も例年になく多数だったと想うーーの国民の意向で国の方針が決められてしまう。
後で文句を言っても、選挙に行かなかったのだから文句は言えないと、反論されればぐうの音も出ない(脅迫か?こういう論法は絶対に用いるべきでない。」
 
>なお、今回の選挙闘争に実際に携わっている方から、「国民の意識は低い」なる素朴な感想が漏れてきている。
しかし、意識が低いとは全く思わない。
 
 
植草さんの選挙に行かなければ~ぐうの音も出ないは視野狭窄である。この世は政治の仕組みから毀れおちるモノが多過ぎる。
 
 
植草氏の云う主権者国民立場。
私に言わせると主権者国民とはあくまでも概念上のモノで実際の大衆行動や持ち場持ち場の民主主義闘争、権利擁護獲得の戦いが伴わなければ絵に描いた餅。絵空事って事。
 
もっと言えば、主権者国民と云う政治概念を敢えて使っている事から、承知していると想定するが「人民の人民による人民の政治」は今までの歴史上、原理的に在った試しがない。
民主主義制の本質は少数の支配層による多数の被支配層への支配の合法化である事は民主主義の歴史が明示している。
従って、上記のような人民側の行動が必要となる。
が、コレを衆院総選挙の投票参加に切り縮めるのは間違いである。
小沢氏の云う民主主義はともすれば、選挙闘争に極端に矮小化されがちである。
しかも、そこにおける政治技術が過大評価されている。
 
植草氏の民主主義観もその一党である。
共産党にも、そういう処ズットあって、運動圏からは嫌われてきた理由だが、この党には日常活動の積み重ねや政治組織の裏ずけが在る。
ブログの植草氏にはそういう観点は見いだせなかった。
従って、視野狭窄と云っているのである。マスコミ向けの政治に毒されていいる。
 
>棄権した多くの国民の心情の在りかを察する繊細な心遣いなくして、何の主権者国民の大同団結か?空っぽ、無力な数合わせの政治思想ではないのか。
 
 民主党政権崩壊の底流に或るのは安易な数合わせ、実現不可能マニフェスト、結局の吹く風頼みの民衆の政治パワー不在、政治基盤と脆弱だったのではないか。その反動は植草氏の09年総選挙時の民主党突出に確認できる。政治幻想への安易な仮託の反動は大きかった。
 
 >植草氏に一貫する特徴は、小沢一郎氏への拘り、過剰な想い込みである。コレだけは終始一貫しているので、彼の重大な政治岐路における<政治発言>は、小沢氏とその強固な支持者の立場を正当化する事に全知識が費やされている。
 
 本音を云えば小沢氏に距離を置く人たちもいる。
 
 是々非々の立場を場合により、表明していると、彼の信頼度はもっとアップする。
彼の政治意見はかなりの無理が透けて見えるから、一定の範囲を超えて広がらない。
 
 今回の衆院選の結果評価と政治j戦略の如きモノの提出も、落胆する(それ自体はおかしい訳だけれど)層への元気づけにしか終わらないだろう。
勿論、共産を除いて、今後の議会活動の上で共通会派を組むことはあり得る。
 
 3、(省略)
 
 4、鳩山政権時代の小沢氏強固支持派の政治姿勢(全体とはいえないが傾向)には大きな違和感があった。鳩山政権の右往左往に対する意見の相違はあっても、変わらぬ支持を持続すべきであり、それが政治だと割り切っている自分と、問題が発生するごとに、単純な安易な政権批判を繰り返し、しかも、その批判の矛先から、与党幹事長の小沢氏がすっぽりと抜け落ちている事に、怒りさえ覚えた。
当人等への政治弾圧はあるが、小沢氏の内閣与党の重責を担う立場にあったのだから、全く動けない訳ではなかった。
 
 強固な小沢支持者はこの時点ですでに、内閣の誰それが悪いと云う責任転嫁、すり替えによって、与党幹事長としての小沢氏の政治責任を問わない立場にあった。
 
 小沢氏は常に正義、善、剛腕でなくてはならない、と云う想いこみ過ぎのものがかなり存在した。
この様なモノたちが、議会圏の外部でワァ~ワァ~やっている分には、リアル政治にたいした影響力を持たないが現実の民主与党議員の中に、この種の人物がかなり存在していたとしたらどうだろうか?
 
 それに反動する勢力の結集と凝縮が政治のリアルな力学として、もたらされる。
 
 分裂の種は小沢氏側からもまかれた。
それじゃ~やってやろうと、内部憎悪で一線を越えるモノどもが出現する。
これがリアルな政治に働くり力学である。後はそれを治める指導者の政治力量、視野の大きさ、先見性の問題である。小沢氏は、内部分裂を収集できる能力に一貫して乏しい。周囲をよく似た傾向のモノで固めるからそうなる。熱烈支持者にも鼻持ちならぬ独りよがりの傾向がある。
以上の分析は、当時から抱いていたモノである。
 
 5、普天間基地移設問題を例に引こう。
この問題は日米に渡る支配者の政治的軍事的経済的支配構造の根幹に関わる根深い問題だから、基本的に一鳩山内閣や民主与党の脆弱な政治基盤では解決不能、希望的観測で大きな限界がある、と云わねばならぬ。
 
 そもそも、民主党には、この次元の問題を解決できる政治基盤は極めて脆弱。悪く云えばなきに等しい。
であるとしたら、政権交代を<強固に支持したモノであれば>、鳩山氏等の右往左往の無能を攻撃しておればいい、と云う問題でないはずだ。まさに主体側の個々の在り方が問われていたと云えよう。
 
 具体的に大衆行動を起こす事も必要だが、私は大きく譲歩して、国内移転先を具体的に模索したことが在った。
小沢氏強固支持派にはこういう問題の立て方は見受けられなかった。
 
 6、その後の鳩山内閣崩壊、小沢氏幹事長辞任。
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 問題は「日本改造計画」の市場原理主義丸出し、小泉や橋下政治の先鞭をつけたような立場の満開状態を何処まで総括できていたか、と云う事だったのではないか?
 
>十分やれてなかったから、橋下、維新への政治判断の遅れが公示直前の未来結成となったのでは?。
 
>植草氏も他の小沢熱烈支持派と同様に、小沢氏の対橋下観を忖度して橋下批判を封印しているが如く、一貫して連携の空白部分をあけているようだった。
 
 その時思ったのは、ここでキチンと橋下NOを主張できるのが識者の勤めではないか、と。
その時点でも橋下側からの将来の連携はあり得ない、と完全に予測できるのである。
 
>公示直前にできたばかりのホヤホヤの新党を解党し、新たな新党結成をすると云う離れ業に対するOKが浸透するはずはないのである。
 
 よくあれだけの票が集められたモノと云わねばなるまい。
小沢氏たちの変則動向に目をつぶって、原発消費税TPPの原則的争点を真っすぐ見つめた支持票も多かったと推測する。
ここを勘違いしてはならないが、植草氏の記事を読むと配慮していない。逆に説教を垂れたり、傲慢な自分たち本位の政党合流を早々と提起している。