今回はとりあえず、読んだ本の中で気になる箇所の要約、抜粋をしておく。
やっぱり、本は深みがある。面白い。ただし、記憶力減退が著く、読んだ傍から中身を忘れていく。そこで今回から気になる箇所を要約抜粋。後から文脈を今に引き付けるために注釈。
が、現代の時代情勢では基本矛盾の世界戦争的解決の方途は閉ざされている。そうすると、グローバル資本制の(世界の支配層は一面では同じ穴の狢の共通利害がある)基本矛盾の脱出口はどこに求められるか。資源争奪戦、局地戦争、階層分裂拡大になろう。故に支配層は意図的に愛国、排外の食えないイデオロギー幻想で統合するしかない。歴史の歩みは速まってきた。民主党政権交代から、先般の解散総選挙の結果と今後の情勢の急速進展は、そういう大局的見地とレーニン的醒めた視線で見つめていく必要がある。
「戦争はありますよ。避けられません。資本主義の世界は腐敗醗酵の状態に達したので、人々はショービニズム(愛国主義、ナショナリズムの極端なもの。示威国を実情以上に誇るとともに、他国に対する攻撃的姿勢を示す。一般的に排外主義と訳される。-はてな、より引用)やナショナリズムの毒で中毒しかけています。われわれは全ヨーロッパの戦争を見るだろう、と私は思います。
プロレタリアートですか?
プロレタリアートは血なまぐさい喧嘩を未然に防ぐ力を自分の中に見出すことはまあ、おぼつかないでしょう。
どうしてそんなことができます?全ヨーロッパ労働者のストライキよってですか?
そうするには彼らは十分の組織されていないし、自覚もしていない。
そういうストライキが市街戦の端緒となればいいが、われわれ現実的政治家は、それを当てにすることはできません。」
「プロレタリアートはもちろんひどく苦しむでしょう。そういうのが当分は彼の運命です。
しかし彼の敵どもはー互いに力をそぎあうでしょう。-これもやっぱり避けられません。」
「いやちょっと考えて御覧なさい。
何がゆえに食い足りているものが、飢えている者を互いの殺戮へと追いやるのです?
これより白痴的な厭わしい犯罪の名をあなたは上げることができますか?
労働者は高い代価を払うでしょうが、しかし、結局は彼らが勝ちますよ。これはー歴史の意思です。」
>>「在日1世の光と影」より。
「伝統的朝鮮においては、土地の所有関係はあったが、地籍図のような形ではなく、習慣法的な所有であった。日本の役人は、この穴に目をつけた。期限までに申告しなかった農民の土地は、一夜にして奪われた。」
>李朝農村は異民族侵略にさらされてきたこともあって、日本の閉鎖的ムラ社会よりも、歴史的に流動性は高い。その土地所有関係は歴史的に売買の対象とされてきたが、文官貴族中央官僚ー地方官の集権支配体制によって、土地は元々国家所有の意識が残存し、それが習慣法的あいまい性につながっていたのだろうか?
これは中国にも当てはまるだろう。
中央集権専制国家体制の方が日本のような地方分権的中央集権封建体制(ムラ年貢請負が経済支配の基礎だから、日本は土地所有関係は比較的明確化していたのか)よりも、人民支配は緩い。そういう意味で、土地所有関係が習慣法のままで放置されていた。
1936年の2、26事件への在日1世の予感。
「つまりこのままでは、何時かは日本の決定的窮地が中国との戦争の結果、国際的な敗北状態のようなものに陥るのではないか。」
>体制外の人のほうが、情勢を歴史的によく見渡せる、という事なのか。
>日本のイギリス人捕虜の陽気でクジケナイ様子。
「降伏して捕虜となり、敵国日本の捕虜となり、毎日重労働で酷使されているにもかかわらず、微塵も暗い表情など見せないのだ。常に陽気で堂々としていた。」
「コノセンソウハ、ニッポンマケルヨ、マケルヨ。そして彼ら同士顔を見合わせ大声で高笑いするのだった。」
>デビットリーン監督の「戦場にかける橋」を彷彿させる。
「それから拷問でその通りに白状させるものだというのが私の経験だった。」
>今も個人、団体を政治的社会的に失墜させることが目的で、その手段、手法も、本質的に変わっていない。
最もこれは万国共通で、程度と場合の問題である。
>日本の敗戦、立場変われば。
「マンセー、朝鮮万歳、独立万歳の声がひっきりなしに叫ばれた」
>1948年4月3日。済州島反政府暴動。李承晩の南単独選挙=南北固定化をめぐる戦い。
「数年の間に島民30万人のうち9万人死者が出た。」
>戦前の日本と済州島の間には釜山よりも早く、定期航路が開かれていた。
現在の在日の人たちも済州島の出身者が多く、島民テロの難を逃れてきた方もたくさんいる。
この辺の事情を在日小説家、金石範は小説に描いている。「火山島」「鴉の死」。凄惨な歴史的事実を直視する情念渦巻く物語である。
南と北の粛清の嵐。
「北においては反金日成派が粛清され、南では反李承晩派が弾圧と暗殺で粛清された。」
>大変な血の歴史的事実が双方内部にあるが省略。
アメリカの陸軍は案外弱かった。
「当初、投入されてた米軍も、空軍は大変なものだったが、陸軍は案外弱くて、北朝鮮軍に簡単に撃破、壊滅させられて、師団長本人までが捕虜になった。」
>この点はエマニュエルトッドさんも米陸軍は地上戦の制圧力に難点があると指摘している。
ところが後方兵站基地の日本の生産設備はフル稼働していき、1952年の戦争終結のころには日本の工業生産は戦前の水準に到達した。又、岸信介など戦前戦争指導層がGHQによって復活した。敗戦直後の世論をリードした大正オールドリベラリストは役目を果たし、後方に退いた。日本では天皇ファシストの復活となったが、西ドイツでも同じような政治的位相にあったが、さすがナチ党の残存分子の復活は在りあえなかった。
>大正オールドリベラリストから、天皇ファシスト復活の転換の真相は高度経済成長と日本経済大国化の中に埋もれていたが、日本経済成長の好条件である冷戦体制崩壊ーバブル崩壊後の長期経済停滞期間でむっくりと実態を明らかにしてきた。
日本の支配機構の歴史的特徴は<<危機に対する予防的な既存の国家機構のなし崩し的強圧化、軍事化>>である。この歴史傾向は現状で進行中である。国民の自覚あるなし、民主主義があるとかないとかは、先にあげたレーニンの歴史のダイナミズムの大局的醒めた視点とはかなり違っている。本質的に御身かわいさの保守主義、後ろ向き姿勢で、歴史がダイナミックに推移する時代に対処している。庶民は開き直りが肝心。
日本国は決して滅びることはない。滅びるのは国民である。
又しても我が民族の不幸が日本の飯の種に。
「戦前も日本に食い物にされたのに、又我が民族の不幸が日本の飯の種になってしまったのである。どうにも言いようのない阿呆らしさである。」
>日本は歴史的に地の利、時の運に恵まれてきた。その強みは逆に言えば、脆弱さに反転することに留意すべし。今の東アジア情勢は昔と違っている。アメリカの力も当時よりズット相対化している。
先進諸国と中進、後進諸国との構造的発展不均衡も加味して、グローバル資本制がどういう風に転がっていき、その中で日本と日本国民はどうなるか?
ま。どう足掻いても、なる様にしかならないということだ。大きな軌道修正は効かず。
分断国家の我が民族性に疑問を感じざる得ない。
「分断国家の中で常に戦争勃発の可能性が絶えず、国も社会もさまざまな重荷を背負い、常に不安定のままであるから、長期的展望が持てず、どうしても目先の利益に走ってしまい、明確な秩序と価値観が作れない。」
>そんな韓国をお手本にする輩が日本にいる。TPPに追い込んでいけば、日本はIMF優等生の韓国のようになる。歴史の皮肉である。
「専制国家史論」
古代国家形成の日本的特徴。
「日本における国家形成の特徴は、その後追い性にある。」
「中国専制国家をモデルとする急速な後追い的国家形成は、日本国家に固有な二面性を与えることになった。
一面では律令制をモデルとする国家的枠組みを備えていた。
多面では、専制的国家機構が決定的政治的軍事的対決を伴うことなく実現したことは、国家機構の形成が本格的な社会的再編に売らずけられていなかったことを意味する。
日本の古代国家は前国家的社会秩序に支えられていた。大きな権限を持つ太政官は伝統的な機内の有力氏族の合議体としての性格を持っていた。位階は有力氏族の世襲制。地方支配も有力氏族の力に依拠してきた。郡司は従来の国造層(地元豪族)が横滑りしていた。」
「社会の基底は世帯共同体=単婚家族の集合体、すなわち、ヒト社会が家族に続いて最初に作った集団が存続していた。中国では国家形成の前段階で単婚家族が経済単位となったの対して、
日本古代の戸籍では郷戸を単位としており、
倉庫を共有する4~5軒の竪穴式住居の集団が広範な地域で機能し続けていた。」
>この本。以前もちょっと読んだだけで挫折。いきなり清朝時代の学者の専制国家論だったから、今回は懲りて途中からよんだ。私のブログのように何から何まで詰め込みすぎ。いくらなんでも660万年前のゴリラと、ヒト(チンパンジー、ボノボ)の分離、490年前のヒトと、チンパンジーボノボの分離までさかのぼって集団生活の原型を解き明かすのは論旨として手を広げすぎ。
この基本視座は私が繰り返し主張してきた古代日本の後進が封建制を生みだす先進性に逆転したという超歴史的文脈。この論法を辿っていけば、現代韓国が日本の先進にだってなる得る。中国は産業革命以前の巨大大国の勃興である。
大学では歴史の専門家でないようだが、分析視座が定まっておらず、いろんな視座を複合しすぎて、難解な割りに、論旨が一向に進まない。竪穴式住居の考古学の実証性で検証したほうが面白い。以前、弥生式墓から掘り出された遺骨は縄文人だった、と記事した。弥生集落と縄文集落が同じ時代、同じ地域に隣接していたことが考古学調査で明らかにされている。そして、いつしか縄文人も稲作文化に和合した。人口増、急激な稲作文化の急激な伝播は弥生人の海を渡っての大量渡来説だけで説明しきれないのだ。
歴史記述のはっきりしている中国を除けば、朝鮮、特に日本の古代史は眉に唾をつけて接する必要がある。