【神の悲惨と恩寵の世界】masashi tanakaさんの素晴らしくさえ渡った古代ギリシャ世界への案内記事より引用。
「ギリシア悲劇はプロットや世界観といった内容部分は、現代のメロドラマとは大きく違う。」
「ギリシア悲劇において痛めつけられる人間の悲惨さは目を覆うばかりで、なぜ痛めつけられるのかという理由に現代的な合理性はなく、」
「しかし<<人間は自ら望んで悲惨な破滅を受け入れる>>のである。」
「しかし<<人間は自ら望んで悲惨な破滅を受け入れる>>のである。」
>>「自分の信じるところを貫いてその結果が破滅だったとしても、
自分の行為の責任を自発的に背負うのだから、悲しくはあっても、どこか人間の強さや崇高さが現れている。」
われわれはそうした作品に古代ギリシア人の価値観や世界観を見て取ることが出来るだろう。
自分の行為の責任を自発的に背負うのだから、悲しくはあっても、どこか人間の強さや崇高さが現れている。」
われわれはそうした作品に古代ギリシア人の価値観や世界観を見て取ることが出来るだろう。
この時代(紀元前800年~紀元前400年)は世界史的に見て、世界史上、先行的(国家的統治機構の一番進んだ?西アジア、次位の中国)な普遍的国家的統治形態は専制国家である。
その他の形態は農耕社会の城砦共同体社会である。
コレが不思議で解らない。
青銅器時代のミケーネ文明の崩壊。
いまだに自分では理屈としてわからないし、こういった問題意識を持ったネット記事は見当たらない。
だから、古代ギリシャ人は人類史上の奇跡とするしかない、と結論付しかない。
文字も無い考古学を含む古代には、今もって諸説混交でわからないことが多すぎるのも事実。
>>最強の軍事国家奴隷国家スパルタの<元老と民会に制限された二人王政。>
しかも彼ら二つの王家の者は重装歩兵集団の最弱点である最右翼を担当することを名誉としている。
軍制民主制、奴隷社会と領域国家に発展し得ない都市国家レベルの民主制?そう簡単に片付けていいものか?
>>中国のような専制国家体制の弱体化時期の民衆次元のダイナミックな反乱が国家機構を変化させる、というものひとつの道である。
今現在もこのパターンは進行中と仮定する。
何よりも、現権力自身がそういうパターンの正確な踏襲者である。
ただ、統一中国の分割は異民族征服国家元から、漢民族国家明、清、以降一切無かった。
宋以降の中国は明らかに近世、近代国家の時代に突入しており、国家的分断は無い。(この部分は説明不足と大きな誤りあり。近代国家は完全な誤り。宋の全中国統一は短い期間であり、その後、中国はモンゴル元の征服王朝まで南北に分断されてきた。その場合の北体制は満州近辺に発した女真族(後の清朝である)
>>領域国家と統一国家の用語上の使用間違いがある。コレは古代史の国家支配形態を理解するうえでの基本的な要点を踏まえない間違い。古代ギリシャの一般的に言われる都市国家は領域国家に行き着くか行き着かないかの頃にその脆弱性を北方の同族、王朝マケドニアに突かれ、従属化に置かれた。
が、ヘレニズムの時代に生き残った古代ギリシャが本格的な過去の栄光として継承されるのはローマ支配の時代である。
コレを統一し、北方の脅威に備えたのが元が作った北辺の政治センター北京である。
現中国にとって北からの脅威は北朝鮮動揺体制だけである。米、日、韓という要素は取りあえず除外。
チベットは中国にとって歴史的本質的に異郷である。
この方面から、中国体制は元支配の時期を除いて影響を受けたことが無い。
中期的に見て、ここが分割される可能性は100%ないとはいえない。
この点について、もはや日本官僚も含めてアメリカCIAやその他が認めるところである。
日本の政治の流れは趨勢に小賢しく逆行するように仕向けられている。
安部の経済政治政策とTPPの結論は現時点ですでに明々白々である。
農村共同体的平和意識の連綿と継続する民族としての最弱点をつかれた格好だ。
イデオロギー思考に粘り越しが無く諦める。
あまりにも揺らぎが多すぎるがその自覚に乏しい。
こうなると、もう修正h効かず、振り子が元に戻らないのが日本人。
趨勢に沿って流れ漂っていく。コレが日本だ。
政治はますます、マスコミ刷り込みのゲーム化しよう。
彼ら支配層は基本的に日本国民がどうなろうが関係ない。階層利益の絶対追求である。
グローバル資本制では全世界の支配層はそいう方向に進む。
公的規制の縮小とグローバル資本の世界的過剰蓄積過程の進行は世界資本主義の産業資本主義段階のごとき資本と労働の対立、相対的絶対的貧窮化の世界を法則的に現出しよう。
>>もうひとつは古代ギリシャに発した恒常的な大衆の政治参加を保障する<民主制の枠組みの中身を大切にして>、社会の改変に対応する道である。
>>日本の場合、現実のリアルな歴史過程は、以上の二つの道に当てはまらなかったし、今現在もそうであると考える。
よく吟味すれば、日本には中国のような体制危機の時代における大きな社会変革を誘発する大衆反乱はなかった。
ギリシャ、ローマの「民主制」を発展させた議会制民主制の枠組みの中身を守り、きちんと充実させようという、何を差し置いての不退転の決意も大衆化されているとはいえない。
今風に言えば、カネ儲けのためには枠だけ残して中身は支配層が都合のいいように勝手に改変する。
そういう、各種の統治機構に住民意識は簡単に従属しているという自覚に乏しい。
>>市民のマスコミからの自律が制度化されていない。
要はどんな場合も対抗意見をキチンと手間をかけて、数種上げよ!後は各自の選択に任せよ!ということだ。できないはずは無かろう。
そうすると、日本の道は日本独自なものとして、別に検討しなければならない。
>後追い性、なし崩し性は日本歴史を通じての普遍的な特性である。
いいとか悪いとかの問題ではない。歴史の真実である。
>>たいていは、焦って後追いした場合、それによって形成された支配体制は崩壊している。
古代律令国家体制は300年程度。
明治維新は80年程度。
第二次体制敗北後はまだ80年にも満たないが、一応、1985年~1990年初頭で決着がついている。
従って50年。
次第に間隔がが短くなっているのは当たり前だ。
体制崩壊の基本傾向は対外的圧迫破壊による支配体制の崩壊になるが、そこまでの歴史過程は概ね、
なし崩しに進行する。
>>次回以降、ホメーロスの時代背景や作品検討をしてみる。
ただ、作品分析は古今東西の比較で幅広く、自分、独自の解釈を引き出してくれた。
また、冒頭に挙げた、
「きわめて人間的な意志や感情を持った神々に翻弄されても、人間は自ら望んで悲惨な運命を受け入れる。
自分の信じるところを貫いて、その結果が破滅だったとしても、自分の行為の責任を自発的に背負うのだから、悲しくはあっても、人間の強さや崇高さが現れている」というのもなんとなく解る。
アルベール、カミユの哲学書「シジフォス」に描かれている、永遠に落下する巨石を山頂に押し上げる苦役を科されたシジフォスがそうだった。
そういえば、シジフォスはオデュッセウスの事実父かも知れないのである。
シジフォスはアテナイの政敵で交易で繁栄した都市コリントの英雄神である。
<追記>
コレ等プラス西アジア、インド方面を視野に入れて、キチンと概念の枠内で歴史理論を展開するのが現代の正統な歴史理論。そういう意味で用語の使用は厳密にする。
そこから外れて云いたい放題は面白いが、単なる現在の勝手な歴史を題材にした作り話。
そんなもので現代の生の人間が左右されら堪らない。民族の神話はあくまでも情報のない古代人のもの。
が、日本人はつい最近まで、そういう策動に翻弄されてきたのではなかったか?
今もイロンなところにそういう傾向が沈殿しているのではないか?自分たちの歴史に自らグレイゾーンを設けているのは日本人だけだ。そういう日本人だから、古代ギリシャが突き詰めていっても、奇跡にしか見えないのだろうか。