反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

A、カミュが「シューシュポスの神話」において描く、神々の怒りに触れて、無益で希望のない永遠の地獄の苦役の罰を受けた人間神シューシュポはコロントス都市国家共同体の実像をホメーロスが伝承したもの。

 アルベール、カミユの「シューシュポスの神話」は高校生のときから、愛読している。
今でも文庫本を開いて読み返すことがある。
 前々回のブログで再度ミルを取り上げた時点で、その直後に愛読書のカミュ「シューシュポスの神話」を続けるつもりだったが、やはり躊躇した。
 
 が、執拗に取り上げる前提で神話の部分だけ熟読してみた。
 
 すると、今までとマッタク違う世界が広がってきた。
この間、古代ギリシアに拘ってきた結果である。
 
今までの自分の読み方は、神の怒りに触れて、地獄に落とされたシューシュポスの巨岩を永遠に山頂に押し上げる無益で希望ない労働の苦闘とその労苦の果てに訪れた全てよし!とする境地の獲得、ばかりをカミュの朗々とした美文で辿ってきた。
 
この神話はホメーロスの伝承によって現在に伝わっているものであり、シューシュポスという、古代ギリシア独特の神人同一の神話の主人公は古代ギリシアの交易で繁栄したコリントスの人間神である。
 
カミュの書き出しから続く文章は、シューシュポスの「地獄で無益な労働に従事しなければならぬに至った原因」をホメーロス伝承に従って忠実に記している。
 
 カミュによって、地獄に落とされたシューシュポスを抽象的に整理によれば、
「神々に対する侮蔑、死への憎悪、生への情熱、」が神の怒りに触れて「全身全霊を打ち込んで、しかも何ものも
成就されないという、この言語に絶した責苦を招いた。」
 
 コリントスのシューシュポスは古代都市共同体を構成する市民として実に人間的な相貌に描き出されている。
ホメーロスによれば、「シューシュポスは人間たちのうちで最も聡明で、最も慎重な人間であった。
しかしまた別の伝説によれば、彼は山賊を働こうという気になっていた。」
ホメーロスは当時のコリントス都市国家共同体市民における善と悪のリアルな共存をシューシュポスに具現している。
 
>そこで、彼と神々のトラブルの具体的事態に立ち入っていくとこの神話がトータルとして云わんとした事が浮かび上がってくる。
 
1、「神々に軽率な振る舞いをした。」「神々の秘密を漏らした。」ー長すぎるので要約。ー
川の神=(乾燥地コリントスでは水の恵みの象徴だろう)、の娘の誘拐事件の真相を知っている彼は父親=(川の神)の事情の説明の詰問に真相を話す交換条件として
コリントスの城塞に水をくれるならば、教えようといった。」
 
シューシュポスは「天の怒りの雷電よりも、水の恵みの方を選んだ。」「このため地獄で罰を受けた。」
 
コリントス都市国家共同体の神の秘密=(絆ともいえるが市民共通の実益を伴った権益)とは市民の上に存在する守り神であって、その前では軽率に振舞ったり、絆を破ってはならない。
 
城塞都市コリントス市民は夏の乾季で乾きに毎年苦しむが、市民は共同体の全体の秩序の中にいて、耐えなければならない。ペロポネソス半島の僅か5キロの付け根に位置するコリントスに日本でい云う川はなく小川だ。
 降雨のない乾季の夏のコリントスの城塞都市生活は乾きとの戦いであったろう。
 
 引用、フィンリー「民主主義ー古代と現代ー
「共同体意識こそが民主政治の実際上の成功をもたらした不可欠な要素であって、その意識は国家宗教と伝統によって強化されてていた。
 
もし市民の間に大部分の人々にの行動に枠をはめるような自己規制がなかったならば、無制限の参加の権利を持った主権的な民会も、民衆法廷も、抽選による役人の選出も、陶片追放も、無秩序状態や、その反対の僭主政にせよ、阻止することができなかったであろう。」
 
2、死の神を鎖に繋いだシューシュポス。
死の世界の神プルートンは自分の支配する死の国に誰、一人来なくなり、静まり返っている有様に我慢できなくなり、
<戦争の神>を急ぎ派遣して、死の神を、その征服者シューシュポスの手から解放した。
 
古代ギリシア人の戦争と平和観である。
 
ーハンセン「古代ギリシアの戦い」引用。
「現象面から云えば、ギリシア人は間違いなく剛勇とい名に値する民族だった。
ギリシアの戦場に見られる死傷者数は死をものともしないギリシア人の戦争間を反映している。アレキサンドロスが殺したギリシア人とマケドニア人の数は敵である東方人を殺し数より多かった。」
ギリシア人同士が戦ったペロポネソス戦争で死んだギリシア人の数は、半世紀前のダレイオスやクセルクセス
によって殺されたギリシア人の数より多かった。」
「イアtリア人、エジプト人が軍事的なアドバイスを求めたとき、報酬さえもらえさえすれば、祖国の軍事技術を提供しようと、というギリシア人は何処にでもいた。」
 
「つまりコレは一つの文化だった。」
 
「古代歴史家は有能な将軍とは経験、勇気、戦術と戦略についてに知識と実践感覚に加えて数学と天文学をマスターしなければならないと述べたが、コレはそういう文化だった。」
 
「エリートと大衆をほとんど区別しない軍団を擁する文化だった。」
「だからスパルタ王は部下と共に首をはねられた。デリオンでは40代後半に差し掛かった西欧哲学の創始者ソクラテス)あわや戦死、という目に合わされた。
「カイロネアでは(対マケドニア戦争)都市国家最大の雄弁家(デモステネス)が自ら盾と槍を持って戦った。」
 
「死の影にいどどられ、とてつもなく異様な、このギリシア人の戦争に仕方はどう考えればいいのだろうか。」
 
「これらの丘に囲まれた小平原を住民が耕作し、その土地を守ろうとすれば、一見実践的とは思えないような重い甲冑であっても、それをまとって隊列に参加するのは当然の選択だろう。」
「西欧の戦争の形態はこの物理的文化的基盤から誕生したのであった。重い甲冑をまとった自由な歩兵の優位は、自治的な村落の周囲に広がる耕作地を巡って真夏に雌雄を決しようとして戦った男たちが勝ち取ったものだった。」
 
ギリシアの気候地形、そして地中海東部で比較的孤立していたという位置のために、<<都市国家という見慣れない文化が存続して繁栄し、やがて成熟し>>(都市国家は先進文明地に何処にでも見られた。)ギリシア全土を越えて繁栄した。」
 
しかしながら、
ギリシア人と他の民族をはっきり区別するのは、位置と気候ではなく、<観念と価値観>なのである。」
 
>比較的独自性のある地域の歴史は一つの方向に独自進化=深化することがある。
中国文明古代ギリシアはその典型である。
日本鎖国の江戸時代の文化も模倣の上流文化に見るべきものはないが、庶民文化に独自性の進化=深化が顕著である。
 
3、瀕死の床に横たわっても、生への執着の覚めないシューシュポス。
愛と猜疑心に身を焦がし、
地上の快楽を捨てきれないシューシュポスに遂に神々の地獄の永遠の労苦の評定が下された。
 
>カミユによる「神々のプロレタリアートであるシューシュポス」に贈る言葉
 
「影を生まぬ太陽はないし、夜を知らねばならぬ。
不条理人間は<よろしい!>という。
彼の努力はもはや終わることはないであろう。ヒトはそれぞれ運命はあるにしても、人間を超えた宿命などありはしない。
少なくともそういう宿命はたった一つしかないし、しかもその宿命とは、人間はいつ必ず死ぬという不可避なもの、
しかも軽蔑すべきものだと、不条理人間は判断している。
それ以外については、不条理人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。」
「頂上をめがける闘争ただそれだけで、人間の心を満たすのに十分足りえるのだ。いまや、シューシュパスは幸福なのだ。」
 
ホメーロス伝承の描く、コリントスの人間神シューシュポスはコリントス市民への共同体の掟と罰の提示だったのか、それともその罪ゆえに地獄に落ちた奴隷の労苦だったのか。
 
古代ギリシアの民主政は数から言っても少数のエリート民主主義だったが、民主主義の原理は彼らが発見した。
 
 次のようなフィンリーの指摘に同意する。
「政治、つまり公の議論によって意思決定に到達し、しかる後に社会的経験の必要条件としてこれらの決定に従うという技術を発見したのはギリシア人だった。」
 
「我々が深く研究することができるアテナイの民主政治は<<知的にも最も発展性のあるもの>>であった。」
 
>古代の中国人も「政治について体系的に考え、政治を観察し、記述し、論評し、そして最後には政治理論を作り上げた。」ーフィンリー
そういう面ではフィンリーの言うギリシア人の専売特許でないと想う。
ギリシア文明よりも古代中国文明の方が進化=深化している部分は多々あると実感する。
 
しかし、それは<<知的にも最も発展性のあるもの>>ではなかった、とみる。
普遍性、世界性に発展する要素をどれだけ含んでいるかどうかの問題である。