反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

<難しい問題には常に簡単な答えが存在する>さんの「アベノミクスの行く末を予想する」。反俗日記13年2、12の超歴史的日本と世界の経済推移。カミユ「シューシュポスの神話」不条理の論証。

いよいよアベノミクスリフレ政策)が本格的に始動しはじめた訳であるが、今回はあらためてその行く末を予想してみたい。  
といっても筆者の予想は、2011年1月に書いたエントリー(「リフレ政策で日本は破綻するのか?」)から殆ど変わっておらず、要は以下の5つのシナリオのどれかになる(或いはその複合になる)というものである
 
よってリフレ政策によって日本が破綻しないとして、その時に起こりうる可能性については少なくとも以下の5つが想定される。
0. インフレ率の上昇、国債金利の上昇、円ドル相場の軟化、資産価格の上
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1. インフレ率がターゲットを早々に上回り、景気が本回復する前に引き締めざる得なくなる
2. 国債金利が高騰し、財政再建へと向かわざる得なくなる
3. 資産価格が高騰し、バブル抑制の為に引き締めざる得なくなる
4. インフレ率の上昇過程で景気が自律回復し、好況・財政再建に向かう
5. (番外) 対応がぐだぐだになって破綻へまっしぐら、
 
W。<或いはその複合となる>という字句は2011年1月11日記事にはなかった。
大切な付け加えである。
5つのシナリオという言葉を使っておられるが、実際の経済現象としては4)を除外した現象が複合的に表出するのである。
前日の反俗日記では<或いはその複合>に付け足した部分に気がつかず、4)を除外した内容をつたない知識で検討した結果、<5つの分類>という用語の選択に決めた。
その直前は<仕分け作業>という用語を画面に出した。
 
>なぜ拘るか?
20011年1月記事を含む当該記事をよく読むと5)も4)除外した現象が複合的にアベチャンの金融経済政策の実施によって、今後、我々の目の前にたち現れてくると判断したからだ。
5つのシナリオへの分類は解りやすくするための便宜的なものである。
それほどこれから渦の中に巻き込まれる我々には解りにくい、そしてマスコミを筆頭とする諸説入り乱れる事態が展開する。
要はアベチャンのようなことをやって、ハッキリと大儲けをしたり、得をする輩とその追随者宣伝マンが、この社会の頂点に存在し、多数の国民をマスメディアを通じて、たぶらかすという事態が現出するからである。
 
そもそもが、アベチャンの金融経済政策によってもたらされるであろう4)5)事態の除外された0を出発点とした1)、2)、3)の事態さえ我々ど素人には自分の身に聞きつけた損得勘定さえできかねるのじゃないか。事態は複合して発生するし、マスコミによる風評伝播、内外のリアルな政治情勢、世の中の空気感によって、我々あの思惑は左右される。
コレが生きるか死ぬかの飢餓線上の問題であれば、黒白の判断は付けやすい。後は純粋に行動、行為、納得、アキラメの問題である。
 
 
 では、記事によって1)2)3)事態の解説を確かめてみる。
「まず、1のインフレターゲットを早々に上回り、景気が本回復する前に引き締めざる得なくなる」について。」
 
>>1)「現実問題として景気が(誰が見ても)良くなる前にインフレ率がターゲットを少しぐらい上回ったからといって簡単に金融引き締めに転じることが出来るとは思えない。 おそらくはなんだかんだと理由をつけて金融緩和を継続する可能性が高いだろう。
 結局、この場合は2. 3. 4.のいずれかに行き着くまで高インフレ下での景気停滞を経験することになる。」
W。同感である。この辺の強行突破的政治判断については自分も記事にしたことがある。
要は永田町の多数派の数の論理によって、より偏った上位の階層や特定企業群の特殊利害が反映できるようになっているということである。
彼は私のように「自分たちさえよければいい。後は野となれ山となれ!」とまでは<今は言わない>。
が、デモクラットでリベラリストな彼もそのうち、そういう心境にとらわれることが度々だと、想像する。
 
>>>上記から論理的に
2) 国債金利が高騰し、財政再建へと向かわざる得なくなる
3)資産価格が高騰し、バブル抑制の為に引き締めざる得なくなる
 
 W。ここでハッキリした。
この両者のシナリオは単独で出現するものではな混濁事態として出現するだろう、と。
だから、渦中に巻き込まれた庶民には目の真の事態が解りづらい。シナリオや机上の理屈とリアルは違う。
 
しかし、<<現時点のアベチャンのような金融経済政策>>を採用しているトップランナーは日本であるということだ。
 
日本は欧米先進経済諸国に先駆けて、約20年前にプラザ合意に基づく、バブル経済とその崩壊から公的金利ほぼ0を続けて、なお、デフレという事態から、今回の国債やら金融証券を担保に中銀が大々的な通貨増発の戦略を挙行している。
簡単な答えさんによれば、日銀は
「目先の景気後退に目を瞑ってでも通貨の価値を守ること」が本懐のはずが、
黒田日銀がやっているのは「景気の為に、通貨の価値を中銀自らが毀損する事」。
 
コレまでの「デフレ」の反動というか、世界的に見て異例のことをやっているわけだ。
コレは博打ではない。結果が予めわかっているから。
 
どうしてそういうことになっているのかといえば、民主党政権交代の諸事態ー大震災、福一原発事故の日本市場はもとより、人類史上に記される異常事態が保守的急進主義者に元々の独裁権力にくわえて、委任状を与えたからだ。
特定利害を何があっても貫きとうせるという、フリーハンドを国民は奴等に与えた。
勿論コレは形式的なものに過ぎず、選挙に頼らなくても、改変できる。
 
>>2)の事態に対する、簡単な答えさんの結論。
 
「考察したが、一言でいえば結果として高インフレ下での不況(=スタグフレーション)という事態が待ち構えていることになる。」
 
論証部分を乱暴に要約すれば、
インフレ(世の中にカネが出回っているのだから)ー
国債金利を上げないと買ってもらえない、国債金利上昇ー
国債金利の上昇は今まで金利負担がたまっている日本財政にとって、コレまで以上に国債を発行しなければ、財政規模を確保できないー
この状態を見て機関投資筋を中心とた市場は国債に対する信用不安が出てきて買い控えの空気ー
買ってもらいやすくするための国債金利の上昇ー
この悪循環のスパイラル発生ー
>>インフレのまま、とりあえず、財政再建と称して財政規模を急に縮小するしか打つ手がない。ー
 
ーインフレ下の不況=スタグフレーションー中小零細資本、庶民生活の雇用、生活、直撃、失業ー大資本の政治経済支配力強化(奴等にとってコレデイイノダ
 
3の「資産価格が高騰し、バブル抑制の為に引き締めざる得なくなる。」
「ある意味非常にたちが悪いケースと言える。」
W。が、専門家も庶民もバブルに翻弄されやすい。
バブルが進行し、かつそれを政府日銀が放置している期間は、表面上は政策が成功しているようにも見える。 株価や地価が上昇することで直接的・絶対値的に損をする人間は居ないし、その影響で雇用も少しずつ回復し、財政も一時的には潤うだろう。 しかしバブルの問題は崩壊時に一気に顕在化する。」
そう遠くない世界中のバブル経済に対する専門家と称する多くの人たちの見極めの悪さは際立っている。
信用できない。
 
バブル主導の景気回復で実質的に潤うのは良くて上位10%、悪くいくと上位1%程度である。 一方バブル崩壊時にはその痛みは下位99%にも及ぶ(むしろ下位になるほど厳しくなる)訳で、割が合わない。 このシナリオを本当に喜んでよいのは輸出中心の大企業とその株主、そして金融機関関係者くらいだろう。」
 
>>前日記事における、簡単な答えさんのグラフを多用したアメリカ経済の現状にハッキリと示されている。
今度日本でバブル主導の景気回復が発生したら、日本の1980年代後半から1990年前半のバブル経済のような<一種の総うかれとは違って>、上位層だけが踊るバブルになるだろう。
やつ等だけが踊って、奴等の上澄み1%のみが最期に嗤う。
 
以下は戦前戦後の日本と世界の政治的経済的ポジションの比較という持論。
 
イメージ 1
1、米国 44,5%ー       現在24,4%
2、ドイツ 11,6% ー  現在5、8%
3、イギリス 9、3%-  現在3、8% 
4、フランス 7% ー    現在4、6%      
5、ソ連   4,6%
6、イタリア 3,2%-    現在3、7%
7、<日本> <2,7%>-現在8、7%
 
>>B)1922年ワシントン軍縮条約における各種軍艦保有比率の世界主要国、割り当て
英、5。
米、5。
日、3。
仏、1、75。
伊、1,75。
 
 >>アルベール、カミュ「異邦人」より不条理な証明ー不条理と自殺より
「ある門問題の方が別のある問題より差し迫っているということを、いったい何で判断するのかと考えてみると
僕の応えはこうだ。
その問題がわき起こす行動を手がかりにしてだと。
ガリレオは重要な科学的真理を強く主張したが、その真理ゆえ自分の政経が危機に瀕するや、いとも易々とそれを捨ててしまった。
ある意味それは当を得た振る舞いだった。
その真理は真理だからといってそのために火あぶりの刑に処されるだけの値打ちはなかったのだ。
地球と太陽と、どちらがどちらの周りを回るのか、コレは本質的にどっちでもいいことである。
一言で言えばコレは取るに足らぬ疑問だ。
 
本質的な問題とは、時には人を死なしめるかも知れぬ問題、
あるいはいきるじょうねつを十倍にもする問題を云うのだがー
おそらく思考法方法は二つしかない。
つまりラパリス的な思考法=「死の15分前とは~つまり生きていることに他ならない」という愚直な表現=自明の理、ドンキホーテ的思考方法とである。(W。この両極こそが不条理とおもうが)
つまり、明証性と熱情的態度との均衡によってのみ、僕らは感動と明晰とを同時とに同時に至ることができる。」
意味不明箇所が最期にきているが、それ自体を不条理と受け止める。
日本の金融政策に対して、我々はドンキホーテとラパリスであってはならないのだが。