>参考資料。 <荘園公領制>
<荘園公領制>の重層的農民収奪体制の構造。
>荘園=私的土地所有系。
>公領=朝廷貴族の中央官僚支配体制の基礎。
701年、大宝律令に基づく、古代王権中央集権国家土地所有系の残存。
朝廷権門体制は荘園を権力権威で名目認定(荘園寄進)することによって、地代の上納を受けると同時に、引き続き古代的国家土地所有制をも政治的経済的基盤としていたのである。
従って荘園と公領の並立する体制こそが朝廷貴族寺社支配層の政治的経済的基盤だった。
この乱は朝廷貴族層内の名門軍事中級貴族、平氏と源氏の間での争いである。
「荘園公領制は11世紀中後期から12世紀初期にかけて成立し、院政期を通じて発展し、鎌倉時代前後に最盛期を迎えた。その一方で、鎌倉時代には地頭による侵食を受け、室町時代には守護(守護大名)によって蚕食されるなど、武士の進出に伴って次第に解体への道を進み、戦国時代頃までにほぼ形骸化した。」
>荘園公領制崩壊まで300年弱経過している。朝廷貴族寺社勢力の経済基盤の武家領主による解体にこんなにも時代を要した。大海原の天然の要塞に恵まれ、同時に中国朝鮮という儒教統治に基づく、対外侵略性のない国家、温和な民族に囲まれた日本列島の地政的位置が、こういうなし崩しで、悠長な社会変革を可能にした。
>参考年譜<
日本歴史のなし崩し性を理解する鍵は鎌倉武家政権成立以降の中性にあり。
従って日本中世を引き継いだ近世封建制も、ヨーロッパのような諸侯分立状態ではなく、日本では100数十年に及ぶ長期の内乱内戦を通じての最終勝者の強力な封建領主の絶対支配が実現した。
朝鮮では1400年ごろ李王朝が成立している。
表面的には日本封建支配体制はヨーロッパと東アジア君主専制官僚支配体制の中間項である。
それは明治資本制変革を容易にすると同時にアジア的専制支配の形態を刻印した。
>鎌倉時代 1185年~1333年
この時代は朝廷貴族寺社、京都勢力と鎌倉軍事貴族勢力の二重権力状況とみなす。
>建武の新政 1333年~1336年
>南北朝時代 1336年~1392年
まだ二重権力状態を解消できなかった。武家政権樹立から200年も経過した。
>室町時代 1336年~1573年
旧勢力(名門武家公家)の没落と新興勢力の台頭の時代と総括できるが中身はなし崩し変革。
>応仁の乱 1467年~1477年
全国の武士を二分した争いに朝廷寺社勢力は一切影響力を及ぼすことがなかった。
従って、朝廷貴族、大寺社の荘園私的所有がほぼ一掃されたのは15世紀初頭とみなす。
武家政権樹立から実に2百数十年経過。
>戦国時代 1492年~1592年