反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第二回分。反西洋思想」 I・ブルマ & A・マルガリート、新潮新書。非正統的で恣意的得手勝手な時間と場所を選ばない手法が描く挙げる奇怪、歪な書。テロとの戦いの応援歌。

以下、順次、検証していく。
 
>まず第一の異様を提出する。
 第二次世界大戦で西洋に歯向かったオクシデンタリズムの典型であるはずの日本の特攻隊に対して綺麗ごとに終始し読みようによっては美化とも受け止められがちなのはどうしたことか?
途中経過は省いて結論部分だけにする。

歴史は明瞭な地理的境界線を持たない。オクシデンタリズムは世界のどこでも生まれえるし、その場所にとどまり続けるわけではない。
>日本は一時期、殺人衝動を持つオクシデンタリズムの温床だったが、<今では反対にその標的になっている>。」
 
 日本は<今では反対にその標的になっている>理由で特攻隊の過激主義がイスラム原理主義の自爆攻撃に継承されていることを差し引いてもやっと西洋の一員として、認められたのである。
先回りして付け加えると、
西洋とは、インドネシアやフィリピンのような未だ脆弱なアジアの民主主義国家も含んでいる。
 
明治維新前後から日本軍の勢いのあった1942年京都にて林房雄ら作家と京都学派(仏教とヘーゲル哲学の融合)が近代の超克、座談会を開くまでの歴史経過の著者流理解。>
 
 アジア人にとって当時西洋とは植民地主義をも意味していた。
19世紀の中ごろ、中国がアヘン戦争で屈辱を味わってからというもの、国の将来を憂慮する日本人たちは、西洋列強の権力の源泉となっている考え方や技術を研究し模倣しなければ、国の存続が危うくなることを理解していた。

 1850年代から、1910年までに日本が行った根本的改革は、世界のどの国にも見られないほどの大々的なものだった。
明治時代のスローガンは文明開化で、その開化すべき文明とは西洋文明に他ならなかった。
そして日本の知識人たちは西洋的なものの全てを、自然科学から文学のリアリズムに至りまでむさぼるように吸収していった。
 このような大規模な改革は、かなりの成果を挙げたといってよい。
日本は植民地化を免れたただけでなく、自らも瞬く間に列強の仲間入りを果たし、1905年は近代戦を戦って日露戦争の勝利している。
 
 この辺の歴史の把握は司馬遼太郎史観丸写しで日本人一般に心地よく浸透していく、アジアへの優越感と日露戦争勝利の事情を抜きにした西洋への対抗意識の醸成というお手軽歴史観
新手のジャパンハンドラー希望者の登場だ。
 
 ここから先の政治経済文化過程の総括も実に安易。
「しかし、日本社会は急激な変化による損失や弊害も避けて通れなかった。日本より少し早く産業化に成功していたドイツと同様、産業の発展は社会に混乱をもたらした。
貧困に陥った地方の人々は退去して都市に流れ込んだが、彼らを待ち受けていた境遇は悲惨だった。行く場所のない田舎の若者にとって、軍隊が格好の収容所になり、
彼らの姉妹たちはしばしば大都市の売春宿に売りとなされた。
 確かに経済の問題はあった。しかし、日本はあたかも知的消化不良をとでも云うべき現象に苦しめられたのである。

 ここまでの記述で社会経済構造こそ一番の問題だった、と解る。
内需を蔑ろにした軍需最優先の経済建設=富国強兵=先軍政治軍国主義を必然化した。
この意味で日本は先を急ぎすぎて舵取りを間違った。
 
 当時の日本の政治文化面でイデオロギー文化の葛藤が無かったとしても、古代の専制的残滓を引きずった天皇制を封建権力の近代的後継者が<皇帝><総統><神道教皇><現人神>などもろもろの要素を担わせ、東京に引っ張り出した急進的富国強兵総路線を選択した時点で明治維新は国体思想独裁に行き着く宿命を持っていた。
 
 明治維新は良かったが、その後継者が道を誤った、という司馬史観は心地よく聞こえるが、間違いである。他にしようがなかったという歴史観もあるが、そうはおもわない。

 戦前日本において急激に輸入した西洋と日本の葛藤は現象面であり、本質的には無かった。
西洋文化はあくまでも、都合に合わせた借り物の衣装だった。
本格的に西洋が入って来るのは敗戦後である。制度や社会経済構成をみてもそれはわかる。
日本の戦前の列強最低で、イタリアより低いの工業生産値と、突出した軍需は完全な不均衡だった。
 
>京都に集まった文学者たちが、歴史を覆し、西洋に打ち勝ち、近代的なままで理想化された精神的過去に立ち返る方法を議論したのは、こうした理由もあったからである。
そうした文化人は戦前体制の提灯持ちをしたかもしれないが、庶民への影響力は希薄だった。
 
 京都の座談会で語られた理想が現在すでに影響力を失っているとすれば、こうした話の全ては歴史的興味以上の価値はない、~しかし実際には似たような意見が世界中に広まっている。
>西洋、特にアメリカと関連するものを嫌悪する風潮は根強い。
 
 アメリカ嫌悪が第二次世界大戦以前の世界中に広まっていたとは思われない。

 西洋嫌悪は、アメリカを<悪魔を体現する国>として描く政治イデオロギーに、イスラムの急進派たちをなびかせている。
同様の見方は、中国をはじめとする非西洋世界の過激なナショナリストたちにも共有されている。
また西洋内部においても、この種の考えは急進的な反資本主義者の間でしばしば顔を出す。
そろそろ敵を特定する段階に入ったようである。
 
 <西洋は英雄的でない>

 資本主義にしろ自由主義にしろ、英雄的信条である振りをしたことがない。自由主義が凡庸さを奨励しているとすら考える。

マスコミによって小英雄、小ヒーローが日常的に生産され大衆によって消費されている。自由主義社会は英雄を必要としている。ただしお手軽に捏造しては短期に消費しているいるだけだ。

もちろん<自由主義を信条とする社会?>においても人が優れた業績を残し、際立って優れた人生を送る機会はある。しかしそれは、あくまでも個人の業績だ。
 こんな当たり前の原理が通用しない社会が世界中のどこにあるのか?教えてほしい。きわめて限定されるはずである。
 
 自由主義を信条にまで高めた社会とは?具体的にどういう社会なのか?具体的に何処にあるのか?アメリカがもっともふさわしい、という結論は短絡とはいえないだろう。
 
冒頭の挙げた正統な西洋批判の4の項目を除いた典型がアメリカに凝縮されている。
原理的自由主義だけでは抽象論であって、社会は具体的に目の前に存在している。
しかも資本制の自由主義と補完関係にある民主主義が現在のアメリカに充足しているとはとても思えない。

個人はおのおのの才能の対価として金銭や名誉を与えられる。自由資本主義は、その定義からして不平等である。なぜなら、必ずしもみなが等しく才能を持っている訳ではないし、等しく幸運なわけでもない。
市場原理で頭角を現すタイプの才能には時おり、見せ掛けのだけのものがある。不幸なことにより深遠な才能が認められない場合もある。市場経済が万能薬とはいえない理由もそこにある。
完全な抽象論。説教。
 ピューリタンは伝統に則り、リベラルな普通に生きる運命を受け入れた