反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

一回分。ー広島、長崎原爆投下。敗戦に至る道を検証ー名和統一大阪商大(現大阪市立大学)教授の<三環節論>によって、日本敗戦の国際経済構造をみる。

  >グーグル記事を編集引用したものを使用した。
1)1930年代から戦争突入に至る米国を含む東アジア、東南アジアの政治経済軍事の基本情勢。
 名和統一大阪商大(現大阪市立大学)教授の<三環節論>でスッキリ、情勢分析をした記事がYHOO知恵袋に載っている。
 
 反俗日記でも、<三環節論>は取り上げたが、当該部分は埋もれて探す時間がないので、引用する。
反俗日記ではこの<三環節論>を高橋是清金本位制離脱ー金融緩和ー財政膨張政策、重化学工業の発展=軍需拡大、日中戦線拡大に拡張して論じている。
 
 時代背景をキチンと設定しない経済政策の評価は大間違い。経済ボケである。
 
 現下におけるアベクロ金融財政政策はバブル崩壊金融危機後の欧米経済の回復具合、新興国の経済発展頼みのあなた任せである。
最新の通商白書によれば、米国経済の現状は「雇用なき経済回復」。
実際に企業収益過去最高など各重要経済指標は回復を物語っている。
バブルを引き起こした金融寡頭制は整理淘汰されてバブル以前より、強化されている。
そのことが同時に「雇用なき経済回復」の原因である。
 
 したがって、この経済構造において、本格的な経済回復を実現しようとすれば、再び、海外からのモノ、カネの流入と過剰消費を実現するしかない。
 
 それが可能かどうかの判断はバブル崩壊の真の背景を確定し、(世界の多極化、冷戦体制崩壊のボーナスの時代は終わった)、現在と将来の世界情勢をどう見るかに寄っている。
政経済分析だけでは無理があり、政治、軍事の領域の見極めが肝心だと想う。
 
 欧州の南諸国においても、金融危機はほぼ脱出している。
社会民主主義的政策、制度の溶解が進行していくだろう。
 
 アベクロ政策は言葉によって国民の情緒を煽り、本音は政権維持。
 
 が、程度にもよるが、大きな限界はある。必ず庶民が負担を背負わなくてはならない。
税金や目先のカネ、モノだけでなく、アベクロ政策によって、間違いなく金融資本の国民に対する政治的経済的支配力が高まっていく。
そういう負担もある。
TPP事態とは結局、そういうことじゃないのか。
 
 米国FRB当局でさえ、出口戦略を口走っている。
やるやらないは別として、コレが正常な感覚である。
 
 日本は先進経済大国の中で真っ先にバブルを引き起こし、低インフレー低成長が継続している。
欧米はそういうことはなかった。
にも拘らず、過去を忘れたように怪しげな金融政策に踏み込んでいる。
 
 リフレ派によれば、全部に日銀の金融政策が当を得ていなかったからだという。
果たして、そんな簡単なものだろうか。
 
 結局、その火元はクルーグマンなどの米国流経済認識にある。
ドルを刷り放題できる米国と今や自転車操業気味の日本経済とでは内外環境がまるっきり違うにも拘らず。
鵜呑みにしているとしか思えない。
 
 欧米と違って、工業国日本の経済構造の違いも大きいと想う。
ここ20年余りの間に経済成長率3%を超えなかった先進国は日本とドイツだけだという。
ドイツと違って、日本の貿易収支赤字は交易条件の悪化を物語っているのだが、根本的には、地域経済圏の成熟度合いの問題だろう。
 
 世界市場の競争激化、輸入物価上昇の趨勢にアベクロ資産バブルが絡み合見合いの中で庶民が得られるものがいったい何なのか、何処にあるのか。
得られるものより失うものの方がたくさんある。
 
 将来的展望は、支配層の自分たちの権益さえ保持できれば、{他は野となれ山となれ}という覚悟の元に遂行されてる。
そこまで決め付けなければ、彼等の現在将来の動向の真意は汲み取れない。
国民国家日本は捨て去って、グローバル資本制の利益に沿っている。
 
 
  本論、YHOO知恵袋<三環節論>引用
      質問 
大日本帝国は、満州との貿易、内地として取り込んだ朝鮮、台湾で得られる資源と農産物を基礎として不況を耐え凌ぎ、アメリカとの戦争を防ぐことは出来なかったのですか?」 
 
W。なお、名和教授、学生等の研究会グループは戦時中、全員不当逮捕されている。大阪商大事件。
共産党とはなんら関係のない自由主義者の経済研究グループである。
 
「★戦前の有名な名和統一教授の三環節論(「日本紡績業と原綿問題研究」)でまず考えて見ましょう。
戦前日本の貿易構造を三つの関連した節に分類したものです。
1.第一環節…日米間では日本から生糸を輸出。
米国からは石油、機械類、くず鉄、木材パルプと綿花を輸入。
綿花は日本国内で綿布に加工されて輸出。 …米国から見ると、生糸輸入は必須ではなく、日本にとっては、死活問題である。
W。戦前日本の綿紡績産業から重化学産業への産業構造の転換は、
世界恐慌後の高橋是清の金輸出停止ー金本位制離脱ー管理通貨制ーインフレ財政膨張政策を梃子とする関東軍の満蒙進出などにに伴う軍需拡大によって、達成されつつあった。
 
 しかし、日本の重化学工業はあくまでも軍需に限られたものであり、経済圏外への輸出品は綿紡績製品だった。本文では平価切り下げによる綿製品の競争相手はイギリス(インド植民地の綿産業)だけのように書かれているが、寺島実朗は、中国市場で米国綿産業とも競争関係にあり、それが日米間の利害対立を生んでいた、としている。
 
 繰り返し主張しているように高橋是清は軍拡の財源を与えた反国民的な戦争犯罪者である。
それが、また今頃になって、歴史的背景を抜きに経済問題だけに絞って、高評価を受けている。
現在の都合によって、悪い側面にはふたをする歴史の改ざんであり、経済幻想である。
 
2.第二環節米国から輸入した綿花を加工して綿布を生産し、英国経済圏に輸出。
稼いだ外貨で重工業の原材料を輸入。
英国から見ると、日本の金本位制離脱後の円の平価切り下げで綿布の競争力はある意味で「迷惑_であったし、日本が敵国になった場合、重工業、軍需工業原料の輸出を止めるだけで日本は死命を決せられる
1と2は日本の入超。
 
3.第三環節…日本から中国・満州などの日本経済圏に対する輸出で、こちらは当然、日本の出超。
但し、市場としては不安定で、第一環節、第二環節の代替にはならない。

 貿易面からは、日中戦争拡大と日米通商条約破棄と禁輸措置は、米国からの綿花調達を難しくし、英国からの原料輸入が途絶え、大して期待できない中国・満州との貿易をせざるを得なくなり、長期的には日本は戦争に敗れるという理論的根拠となります。

★貿易依存度が一貫して高い日本経済
 一九八九年の通貨ベースで日本の貿易依存度は輸出約九%、輸入約七%。
 
 しかし、戦前では一九三二年以降、戦争により通貨ベースでの通商統計の価値が著しく減じた戦時(一九四二年以降)を除外すると、輸入・輸出ともに貿易依存度が一〇%を割ったことがない。
特に、戦前日本の経済力が最大となった一九三〇年代前半において、貿易依存度が一〇%代の後半(二〇%を越えたこともある)を示したことを考えると、戦前日本の産業構造は現在以上に貿易に依存する所が多かった。
 W。戦前日本の工業生産値はイタリアより低く列強最低。占有率は2、4%である。
民需マッタク蔑ろ、軍需主導の経済構造である。従って工業発展=軍需産業の発展となる。
 
  又農村人口の過剰圧力も大経済政治情勢を左右した。 
 W。農村人口1400万人は日本が工業化の道を歩んで以降、ナント1950年過ぎまでほぼ不変。
 農村の多産の出生率寄生地主制の進展、農業生産性の拡大、長子家督制度の明文化などの理由から、
日本農村は毎年20~30万人の過剰な人口圧力を生み出していた。
コレが当初は軍隊に吸収され、以降、綿工業の発展とともに安価な女性集団労働が動員され、軍拡=重工業の発展とともに次第に大量の男子が工場労働につ就くようになった。

  結論
 第一次大戦以降、日本経済が発展の中で世界経済と深くリンクし、政治的孤立→経済的孤立→石油の禁輸以前に経済的基盤が破綻することになるという結論ですね。
 >満州も朝鮮も台湾も資源がなかった。正確に言えば発見されず開発もされなかった。それは鉱物資源、エネルギー資源という意味の資源です。
実相は、資源の地域的偏り(日本勢力圏内で安易に石油が得られなかった)と、欧米メジャーによる石油利権の独占です。
 
 W。日本国内の石油関連の末端小売サービス業の半分近くはメジャーに押さえられていた。
コレに対して政府は法的規制で対抗しようとしていたが、石橋湛山は非現実的政策と批判していた。
 
 >反例として、朝鮮をみてみると、
朝鮮はもっとも大きく変化・・・20年代穀物(米穀と大豆)が2/3をしめていたのが、30年代にはその比率が急激に低下し、対照的に鉱物・金属(石炭、鉄鉱、銑・鋼鉄、非鉄金属)が急伸。
 
W。食料収奪が低下したのではなく、インフラの整ってきた半島現地に産業が移植された。
 
発電所の建設で、化学工業製品(油脂・化学肥料等)も急増。これは30年代朝鮮開発政策によって朝鮮が単純な穀物生産地から、工業を媒介とする原料・中間財の供給地に性格が変わってきいる。
   
>稼動して製品をつくっても輸出先が無い
三環節論の第三環節で、中国・満州などの日本経済圏に対する輸出は大幅に伸びてます。
第二・三環節での相互の補完関係が、対米・英関係の険悪化することで崩壊するというのが問題です。
 
>>以下、経済ボケした典型的な高橋是清インフレ経済政策の礼賛記事が続く。
参考のための敢えて乗せることにする。    
 
 >石橋湛山の指摘にありますが、日本の植民地経営はコスト>リターン
おっしゃるとおりですが、早くは朝鮮、そして満州での開発政策は効果をあげつつありました。
植民地経営のコストには当然戦費が含まれており回収には時間がかかるということです
W。自分が云っているコトの内容が解っていない。
 
>不況を耐え凌ぎ
>不況を解決する
不況は高橋(是清)財政と日中戦争で吹き飛んでます。
昭和恐慌時の実質経済成長率(%)
1927  3.4
1928  6.5
<1929  0.5>
<1930  1.1>
<1931  0.4>
1932  4.4
1933  11.4
1934  8.7
W。ここから先の大事な数値は載せていない。
出口戦略を採用して、2,26事件で暗殺された。軍部の心情としては二階に挙げておいて、梯子を外された。

32年から経済成長は実にすばらしく、列強がまだ恐慌のただ中で、日本だけが恐慌からの脱出に成功していました。
W。典型的な今風議論!平和ボケ!戦争経済による需要創出という前提がない。 
こういう政治感覚の失せた経済馬鹿の戦前総括。
 
現下のアベクロー増税ーTPP事態は批判できない。
 
    追加・・・対米開戦を自重できたとしても
 対米戦を最終的に決定したのは、渋っていた海軍です。
海軍の開戦理由の1つは石油です。
更にもう1つは建艦競争で将来に大きな戦力差が生まれることがわかっており、あの時点での開戦しか勝機(勝てないまでも互角に戦える)が無いという追い詰められた判断があったことです。
 たとえ、日本がとりあえず対米開戦を自重できたとしても、日米の緊張関係は持続しており、米ソの軍拡競争をみればその過重に耐えかねて、社会主義ソビエトの崩壊を招きました。
同様に日本経済も軍拡競争に耐えられません。

  海軍へ与えた脅威・・・米国の対日開戦準備の建艦計画
 1940年のヴィンソン案、スターク案可決が日本海軍に大いなる脅威を与えた。
1944年以降は全ての分野で米海軍の3割程度の戦力に陥る危機感が、辛うじて対米8割の今(1941年)こそ戦うしかないという海軍の総意を醸成させた。
石油の禁輸と建艦競争への危惧が海軍の対米戦決断の2大要因です。
 
  W。どうして日米の軍拡競争に至るのか、説明されていない。
 
    
 >次回、サイパン島の戦いから原爆投下までの事実を編集して引用。
日本支配層にとって、国民は捨石の如き存在だった。コレに尽きる。