反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

研究文引用。TPPの原協定 =P4協定の源流はニュージーランドが主導してシンガポールと締結したFTA。TPPの構想者ニュージーランドの事情を検討すれば理念なきエゴイズムTPPの裏事情が判る。

         ニュージーランドのTPP拡大戦略:積み石アプローチの理論と実証
                 作山 巧(青山学院大学WTO 研究センター)
 P4 協定(W2006年6月締結。拡大交渉中のTPP協定と区別するために、原協定  は、P4協定 と呼ばれることがある。ニュージーランドシンガポール、チリ、ブルネイ)は、
ニュージーランドが主導してシンガポールと2001 年に締結したFTA自由貿易協定)であるANZSCEP に由来する。
 つまり、現在のTPP交渉が米国主導の色彩を帯びているのは事実ではあるが、それを構想したのは米国ではなくこの点でTPP 協定の真の立案者はニュージーランドなのである。
 
  しかしながら、ニュージーランドFTA の締結相手国として多くの不利性を抱えている。
第1 に人口が僅か400 万人余りと経済規模が小さく、市場としての魅力に乏しい
第2 に、全品目の単純平均実行関税率が2.1%と低く(APEC, 2012)、相手国にとって関税撤廃から得る追加的なメリットが乏しい。
(W拡大TTPも無関税品目98%近辺が目標といわれているがハッキリしない.。はっきりしないところがTPPの特性)
第3 に、相手国に対してセンシティブ品目の除外を認めないという高いハードルを課している。(W。日本で云えば農産品5品目)
 
 この背景には、輸出額の約2割を占める最大の輸出品目である乳製品が(絶海の孤島、人口400万人、貿易依存率40%、完全な特化型輸出、店舗で云えば専門店)、
米国、日本、カナダ等の主要な先進国にとって自由化が困難なセンシティブ品目であることから、
除外を認めれば乳製品が関税撤廃の対象から外され、ニュージーランドにとってFTA 締結のメリットが大きく損なわれるという事情がある。
 
>このように、FTAの締結相手国としての魅力を欠いたニュージーランドが、TPP 協定の立案者であるというのは大きな<パラドックス>と考えられる。
 
>>具体的には、ニュージーランドの目的は、
イ)<米国や日本といった大国市場へのアクセスの確保>であり、
ロ)そのための戦略が、高水準の自由化が可能な国々でFTA を締結した上で参加国を漸進的に拡大する「積み石アプローチ」であるとの仮説を提示し、
(W。仮説に過ぎず、過大評価イ)の動機を重視する。結果的に米国主導=米国の都合、国益優先にゆだねて初めて、積み石アプローチになる。
その妥当性を定性的・定量的な手法を用いて実証的に検証する。

      2.TPPの拡大過
   第Ⅰ期(構想期)は、(1994年~1998年)
 インドネシアAPEC 首脳会議でボゴール宣言が採択された1994年11 月から、
>マレーシアのAPEC 閣僚会議で<EVSL(早期自主的分野別自由化)構想>が頓挫した1998 年11 月までである。
 EVSL は、先進国は2010 年、開発途上国は2020 年までに自由で開かれた貿易・投資の実現を謳った「ボゴール目標」の達成を念頭に1997 年以降に検討が本格化し、
米国、カナダ、豪州、ニュージーランド等(W。エシュロン、ウーラック、情報スパイ情報同盟国)はEVSL 全分野への義務的な参加?を主張したものの、
日本がそれを拒否したため断念に至った
 
その頓挫を受けて米国が非公式に提唱(?意味不明)したのがAPEC 参加国の中で<自由化に積極的な米国、豪州、ニュージーランドシンガポール、チリの5 カ国(Pacific 5)によるFTA 構想であり、このP5 構想}が現在のTPP 協定の起源>とされている。
(W。米国の非公式提唱のP5がどうして<現在のTPP 協定の起源>になるのか説明不足。後からのこじ付け?)
  
     第Ⅱ期(準備期)は、(1999年~2001年)
 ニュージーランドシンガポールFTA 交渉を開始した1999 年9 月から、同FTA が発効した2001 年1 月までである。
  P5 構想が実現に至らなかったことを受けて、1999 年夏に行われたニュージーランドシンガポールの貿易大臣の会談で、<両国が先行してFTA(ANZSCEP)を締結>することが合意された
W。P5は何処に行った。特殊国家<前者は人口400万、特定農産品特化の貿易依存度40%、後者はタックスヘイブン都市国家>の両国FTAがTPPの原点。本来ならば、他国はメリットなく相手にしない。それが拡大していった要因?)
ANZSCEP の締結交渉は1 年余りで終結し、2001 年1 月に発効した。(W。障害など何もなかった、とは担当者の弁、当たり前、そういう国柄。)
 ANZSCEP の物品貿易分野は、全品目の関税撤廃を約束した極めてレベルの高いものであり、
ルール分野では、投資、サービス、基準・認証、動植物検疫、政府調達知的財産権競争電子商取引人の移動を含む包括的なものとなっている
ANZSCEP は、アジア太平洋地域で最初地域を跨ぐFTA であり、物品貿易の自由化水準の高さとルール作りの広範さの両面で、P4 協定のベースとなる野心的なものであった。
   
      第Ⅲ期(第1 次拡大期、(2002年~2006年)P4終結=コレが拡大TPP交渉の源流。
 ニュージーランドシンガポールにチリを加えた3 カ国がP3(Pacific 3)協定の交渉開始に合意した2002 年10 月から、ブルネイ(W。戦前日本の帝国憲法の王様国家。石油ガス以外に何もなし40万人)が追加参加してP4協定が発効した2006 年5 月までである。
 
 当初のP5 構想の一員であったチリの参加を受けて、2003 年9 月からP3 協定の交渉が開始され、チリ側の乳製品の譲許内容を巡って交渉が難航したものの、乳製品の関税を11 年間の段階的な撤廃とすることで決着し、交渉開始から2 年後の2005 年7 月に署名された。
(W。チリ加盟は結節点。NZと農産品の品目かち合う)
 
        第Ⅳ期(第2 次拡大期)、
 (2006年~2009年米国参加表明ブッシュ大統領2006年11月FTAAP 構想を再浮上させ米国抜きのアジア経済圏構想進展、特に日本のASEAN+3日中韓+3印、豪、NZをけん制。日本の首相はアベ。)
 
ベトナムAPEC 首脳会議でFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の検討開始に合意された2006
11 月から、米国のオバマ大統領がTPP 交渉への参加を表明した2009 年11 月までである
 FTAAP 構想は、ABAC(APEC ビジネス諮問委員会)によって2004 年に提唱されたものの、中国や一部のアセアン諸国の反対によって政府レベルでの検討には至らなかった。
 
しかし、2006 年の秋頃から米国が積極姿勢に転じ、その背景には、同年8 月に日本の経済産業省が提唱したASEAN+6 によるFTA構想があったとされる
(W。一般的に米国抜きのアジア経済圏構想進展へのけん制が伏線にあり、バブル崩壊でP4に介入とされているが、FTAAP 構想を再浮上させた2006年11月の時点で既にバブル経済へのカネの流入が怪しくなっており、
住宅投資は低下していた。それを受けてFRB金利アップや米多国籍企業の海外留保金の本国還流のための短期非課税措置を取っていた。)
 
 その後米国は、2008 年2 月(バブル崩壊している)にP4 の投資と金融サービス分野の追加交渉への参加を表明し、同年9 月にはP4 の拡大交渉への全面的な参加を表明した。
(W。日本の民主党政権交代ー2009年9月=東アジア共同体ASEAN+3+3?鳩山政権はモラトリアムだったのか?)官僚層も2006年のアジア経済圏構想提唱以来、米国の思惑を見据えて調整機関。上記の時系列から、鳩山政権の東アジア共同体提唱は米国の2008年2月のP4参加表明と路線対立する。
これを受けて、同年11 月には豪州、ペルー、ベトナムが参加を表明し、TPP交渉への参加国は8 カ国に拡大した。
 その後、政権交代に伴って米国は一旦交渉参加を延期したものの、オバマ政権も2009 年11 月に改めて交渉参加を決定した。
  
        最後の第Ⅴ期(第3 次拡大期)、
 TPP 交渉が開始された2010 年3 月から現在までである。
8カ国で拡大交渉が開始されて以降も、TPP はAPEC 参加国の強い関心を集めており、2010 年10 月にはマレーシアが交渉に参加した。
 また、2010 年の横浜でのAPEC 首脳会議では、TPP ASEAN+3 やASEAN+6 と並んでFTAAP の実現に向けた道筋の一つと位置付けられた。(民主政権菅首相はTPP開国宣言。ASEAN+はコレまでの流れを受けた形だけ<TPPに警戒感津夜埋める国もAPECに多数参加>
 
 更に、2011 年11 月には、日本、カナダ、メキシコがTPP への参加に向けた関係国との協議の開始を表明した。
この結果、TPP にはAPEC 参加21 カ国のうち12 カ国が参加を表明するに至り、FTAAP の実現に最も近い取組みと広く認識されるようになった。

FTA の多様な目的のうち、ニュージーランドが重視するのが「大国市場へのアクセスの確保」である
ニュージーランドは、農産品を中心とする一次産品の輸出に大きく依存し、
2009 年時点の輸出依存度(GDP に占める物品輸出額の割合)は40%と、米国の19%、日本の23%と比べて相当に高い。
 
 このため、主要な輸出相手国への市場アクセスの確保は優先的な課題であるが、冒頭で述べた事情を反映して、これらの国々とのFTA の締結は遅れていた。
 
 すなわち、1 番目の輸出相手国である豪州とは1983 年にFTA(CER)を締結済みであるが、
2 番目の米国とは、2002 年12 月に米国と豪州とのFTA 構想への参加を通じた締結を模索したものの、
主に米国との安全保障やイラク戦争を巡る対立から拒否された。
 
 また、3 番目の輸出相手国である日本に対しても繰り返しFTA の締結を要請したが、輸出額に占める農産品の割合が大きいことを理由に拒否された。
 
 他方で、輸出品目が競合する豪州は、2005 年に米国とFTA を締結し、2007 年には日本とEPA 交渉を開始しており、これに対してニュージーランドは危機感を強めている。
 
 こうした逆境を転換し、主要国を自国とのFTA に引き込むためには、従来とは異なる戦略が必要とされたのである。
 
 >自由化水準に関する選好が異なる複数国で協定を交渉する場合に、多くの国が参加するほど合意可能な自由化水準は低下するのに対し、
自由化志向の強い少数国のみで交渉すればより高い水準の協定の策定が可能となる。
 
 >このため、当初は高水準の自由化を志向する少数国で協定を締結し、そうした要件をクリアできる国を徐々に受け入れることによって
最終的な参加国数は同一でも、最初から多数の国々で協定を締結するよりも自由化度合いの高い協定が達成可能となる。
 
 >>これに加えて、新規参加国を自国に都合良く取捨選択するための補完的な戦略が「曖昧な参加ルール」(unclear accession rules)である。