反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第九回福島原発事故事情。再びチェルノブイリと福島原発事故の各々の特徴。絵図(チェルノ福一事故全景。外国漫画による福一事故観、福一地下工事のウェルポイント工法、汚染水貯蔵タンク、工事中の地下貯蔵タンク)

 イ)原子力発電を切り口に調べてみると、その国の政治、経済、軍事のあり方が見えてくる。ソレが結構生々しい。
ロ)また、原発ムラの専門家が心の奥底で宿している、情念もわかるような気がする、から不思議だ。
しかし、
ニ)命と健康を大切にするという、人間としての原点にいつも立ち返らなければ、と自戒する。
 
 ここで敢えて、符号をつけたのは原発問題を切り口に考えていく場合、三つの思考パターンに仕分けできる、と総括したからだ。
 
 ロ)、ニ)原理、原則論に分類できる。
イ)というのは時代の推移(歴史の趨勢)や有りのままの現状である。
 以上のように敢えて分類しなければ、この間の福島原発事故を切り口とする、収集した情報は、多方面にわたって限界ある自分には整理できない。
自分の質として原発問題を考える時、ロ)からイ)に暴走してニ)をつい疎かにしがちであると自覚している。
 
 ロ)の観点でいえば、次のような視点を知って、妄想が膨らんでいく。
<地球上の物質は一度はどこかの恒星の物質だったわけで、われわれの体もかつては恒星・超新星として光り輝いていた>。
「鉄よりも重い元素は、重い恒星の一生の最後を飾る超新星爆発によって生成される。ウラン235ウラン238もその後一定の割合(半減期)で減っていく。
ウラン235ウラン238の比(W。現地球上では0,7対1)が、地球上、いや<太陽系上で一定>だということから、
<太陽系の元素の起源となった超新星爆発は単一>(あるいは同時期の複数)だということが推定できる。
 また、もし理論的に元素生成時のウランの同位体の比が計算できるなら、その超新星爆発が何年前に起きたものかもわかる。例えばウラン235ウラン238の生成時の割合が0.6:1過去に遡ると、<半減期の短いウラン235の割合は相対的に増加>する)だったとすると、太陽系の元素をつくった超新星爆発は約54億年前に起きたことになる。
 ともかく、地球上の物質は一度はどこかの恒星の物質だったわけで、われわれの体もかつては恒星・超新星として光り輝いていたことになる。」
 
      天然原子炉
「過去に遡ると、核分裂の連鎖反応を起こすウラン235の割合がいまよりも大きくなる。つまり、ウラン235の濃度が高かった大昔、流水によって密度の大きいウランが集まった場所ができ、さらにそこに水が存在していると臨界量(自然に核分裂の連鎖反応が始まる最低量)が小さくなることも加わり、ウラン235が臨界に達し、自然に核分裂の連鎖反応が起きた可能性がある。  
 このことを最初に指摘したのは日本の黒田和夫で、1956年のことである。
そして、実際に天然原子炉の跡が発見されたのは、1972年、アフリカのオクロ鉱山(ガボン共和国)であった。
ここで採掘されたウランは、当然ウラン235の濃度が通常の0.7%よりかなり低く、0.4%程度のものもあった。
 天然原子炉が運転していたのは約17億年前(20億年前という説もある)、それは60万年間ほど続き、合計で大きな発電用原子炉の4年分の発電量に相当するエネルギーが放出されたという」。
 
 W。アフリカ起源の人類の歴史は40~50万年前。
地球の自然条件で一定以上集まったウラン235は、さらにそこに水が存在すると、天然原子炉(適度な按配の持続的核分裂)になり、人類史よりも長い60万年も運転し続けたのだ。
17億~20億年前の原子炉は偶々そういう自然条件が重なって、原子炉的な核分裂を60万年も持続した。
 福一原発事故のメルトスルーした膨大な溶融核燃料生成物の後始末の難しさを物語っている。
 
 福一原発事故現場は
現生人類が原子炉核分裂を持続するように調合したウラン235ウラン239がデブリとなって、底に沈んでいった。1基分数十トン×3+使用済み燃料膨大。
 
 1978年米国TMI原発事故。1986年チェル原発事故。2011年福一原発事故。
各々の時代状況、国情、事故現場状況、人体への被害状況(福一がまだ途上段階)の場合はは大きく違っており、ストレートには比較できない。
 
 あえて、チェルノと福一の比較すれば(実情から逸脱した過大評価や過小評価が生まれるのでこういう比較はよくないが事故の実態を表す、一応の目安として)、飛散核種の量は福一はチェルノの多く見積もって数十分の一程度であろう。
一方、メルトスルーしたデブリの量は福一がチェルノの3倍どころではなく、圧倒している。
さらにまた、経済損失も福一が圧倒としていると想定する。
 
 以前も記事にしたが、チェルノ事故直後に爆発で吹き飛んだ原子炉建屋の内側に突入して撮影したドキュメンタリーを昔小劇場で見た記憶は鮮明に残っている。
同時上映の韓国、光州事態のフィルムはマッタク記憶の彼方だが、チェルノのフィルムの爆発現場の内側から、周辺建屋の残骸をぐるっと見渡した映像は、ロシア語のトーンの低い淡々としたナレーションと共に今でも記憶の底から呼び出すことができる。
勿論石棺をする以前の事故現場への突入だから撮影者たちはなくなってしまっていると思う。
しかし、事故直後の収束作業は人命をとして行われたのだ。
その中の一人がメディアだった、とおもえば、理解できないことはない。
あのような事故はTMI事故は参考にならない人類初の事態であり、対処方法は、収束作業者と民間被爆者の多大な犠牲を伴うものになってしまった。 
 
 同時にソ連邦崩壊という時代的趨勢による、体制崩壊による社会混乱、それ自体のもたらす、健康、生命被害も、十分考慮すべきである。
広く一般に知れ渡っているように、ソ連邦崩壊ーロシア誕生の時代において、ロシア人の平均寿命は大きく後退している。
 
 コレにはチェルノ事故による人体被害の結果も加味されるが、体制崩壊による失職、社会経済混乱によるところが大きい、と推定できる
       
       エマニュエルトッド「帝国以後」208ページ、表10。
    <ロシアの乳幼児死亡率と男性平均寿命>W抜粋。
チェルノ原発事故1986年4月。
ソ連邦崩壊。ウィキ「1991年12月25日に大統領ゴルバチョフが辞任し、これを受けて各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体された」
 
*この統計資料はフランス人口統計学研究所によるものである
ソ連邦崩壊以前の構成員ベラルーシウクライナの統計が含まれてるのどうか、チェルノ事故の影響を考える場合、ここが肝心なところであるが、残念ながら、明記されていない。
「帝国以後」はのロシア関連の記述はソ連崩壊後のロシアの動向を問題にしているところから、ベラルーシウクライナの統計は混入してないものと想定する
 
*エマニュエルトッドのソ連邦崩壊の予言は1965年から~1971年まで一貫して低下していった乳児死亡率が1971年を底に上昇していく傾向を大きな論拠にしている。有名な指摘である。
社会で一番環境に影響を受けやすい乳児の死亡率に注目したものである。
*ロシア男性の平均寿命のピークはチェルノ事故の次の年の1987年の65,0歳である。
 
*1987年から平均寿命の最低値1994年57、3歳まで実に7、7歳も男性平均寿命は低下している。
 エマニュエルトッドは、ロシア社会の特徴は全面的に識字化されており、中等、高等教育はかなりすすんでいるにもかかららず、依然として貧しく極めて暴力的な社会であり続け、自殺率も極めて高い、世界でも稀な社会の一つであるという。
トッドはこの社会の特徴から、ロシア男性の平均寿命の短さを説明し、
ソビエト時代末期には短く、1989年には64だったが、1994年には57歳という最低点に達した。その後やや持ち直し1998年には61歳になった。」とだけ指摘し、ソ連邦崩壊の影響を明記していないが、彼の論法に従っても
そうした特性のある社会は体制崩壊によって、よりその傾向は顕著になって、男性平均寿命を実に7,7歳も低下させてしまうのである。
 おな、スターリン主義官僚支配体制が暴力を助長し、死を決しなければならないような絶望を個人にもたらすことも指摘しておきたい。
 
 もっとも、これからの日本は殺人はともかくも、自殺者3万人、社会的経済的閉塞傾向のさらに強まりが予測されることから、他人事ではないと考える。
 
 また、集団的つながりの強制の反面としての、姥捨て、間引きは日本人に染み付いた所作である。
 
 支配層がわも、困った時は、国民多数を犠牲に供する傾向がハッキリしている。
 
 それで、大震災ー福一原発事故、増税、TPP、近隣諸国との領土問題を抱えた排外主義の横行、である。
表無し、裏ばかりの2020年東京オリンピック開催時には今ある事態の全ての全貌は明らかになっている、と断言する。
 
*一方、で乳幼児死亡率は1987年19,4。1994年18,6であった。
あらゆる意味で環境に影響されやすい乳児の死亡率はチェルノ原発事故にも拘らず、悪化していない
 
*他方で、チェルノ事故の放射能飛散地図を参照すると強度、中度汚染区域はウクライナの北部からベラルーシにかけて広がっており、ロシア共和国は圏外である。
しかし、チェルノ事故による放射能飛散の広範な広がりを勘案すると、放射能汚染の影響がないとはいえない。低レベル放射能汚染地帯の健康被害の分母は極めて大きくするする必要がある。
小数点以下切捨ては許されない。       
 
*チェルノ原発事故のよって、国土の南部が強度、中度の汚染に晒されたまま、長期にわたって避難区域の勘案する。
ホットスポットに多くの住民が長く放置されたままになっていたのは事実である。圏外であったベラルーシの総人口は約5000万人から600万~700万人も減少している事実がある。明らかに国土の20%が汚染された原発事故の影響である。
ここでも、もともとの社会の暴力体質、自殺傾向がソ連邦体制崩壊の影響のよって助長されたことを勘案する。
避難区域に制定されたのは数年後であったのではないだろうか? 
 なお、ベラルーシは現在でも独裁傾向のある国家であり、チェルノブイリ原発事故の影響に対する公式見解は鵜呑みにできない。
日本駐在公使の見解をまとめた報告を見た限り、影響を絶対的なほど過小評価する一方で、個別の事実問題の報告では影響の大きさを伺わせるような、指摘が続いている。
  
乳幼児死亡率               平均寿命
1965年   27,0
1971年    21,0            63、5
1973年    22、2            63,2         
1974年    22、6            63,2
1975年     23、8            63,2
1976年     24、8            62,3
1977年    21,4            62、0
1978年     23、5            61、8
1979年     22,6            61、7
1980年     22、0            61、5
1981年     21、5            61、5
 
1985年     20、8            62,3
1986年     19,1            63、8 
1987年     19,4            65,0
1988年     19,1             64,8
1989年     18,1             64、2
1990年     17,6             63、8
1991年      18,1            63,5
1992年      19,4             62、0
1993年      20,3             59、9
1994年      18,6             57,3
1995年      18,2             58、2
1996年      17、5             59、7
1997年      17,2             60、9
1998年      16、5             61、3
1999年      16,9             59,9
    
       チェルノブイリ原発事故現場写真(以前記載したものは白黒、撮影角度も悪かったので)
事故直後を撮影したフィルムは大破した原子炉側から側面の残存構造物をぐるっと撮影していた。
原子炉の中が剥き出しにされている。多くの核種は大気中に飛散した。
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    福一1~4号基の航空写真、チェルノの放射性核種と福一のメルトスルーデブリの大きさが想像できる。
事故レベル共に7評価は正統な評価と思う。上から1、2、3、4号基。
イメージ 2
    
         外国の漫画による福一事故の認識.チエルノブイリの3倍のセシウム137が地下に。
平均海水面と原子炉建屋の岩着しいる地下構造物、岩着しないタービン建屋の位置関係から漫画だが正確。
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   福一原発基礎工事の工法。素人考えだが、この工法を採用する地下工事では地下水の流量は大したことはない。1~4号基の広さから地下水の流量がトータルとして大きくなる。
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ウェルポイント工法。福一はレベルからGEの設計に従って約10m掘削。他の原発がツナミを逃れられたのは、たった、1~2mの差。偶然である。
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    福一汚染水貯蔵タンク群を含めた全景。 タンクの種類は3種類あると解る。下右は300トン漏水タンク
 
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   200トン汚染水漏水地下タンクの工事中の絵。多核種除去装置からのトリチウム汚染水の一時的保管用に東電が設計したものをALPS故障で安易に転用して、不信を買う。ポリエチレン3層タンクというらしい。
東電としては、ALPS能力過信トとリチウムは希釈拡散すれば人体被害はないという先入観があった、とおもう。
収束作業の曲がり角だった。
イメージ 3
 
 これから、フランスの原発事情をワイン生産地と重ね合わせるという発想を元にフランス原発事情(再処理も含めて)を検証していくが、フランスも日本も為政者の原発事故の庶民への影響、被害に対する態度は対して変わらないなぁ~という実感を持つ。情報隠しである。
 
  引用   原発大国フランスの「正しい選択」(W。本文の真意は正しい選択?である)2011年4月17日。
「1986年に旧ソ連チェルノブイリ事故が起きた時、フランス政府と気象庁は「核の雲はフランス領土までは到達していないから大丈夫」とフランス国民に言い続けていた。現在では、政府が、核の雲がヨーロッパ全土を覆っていた事実を隠していたこと、放射能汚染の症状がでている人がアルザス地方やコルシカ島に多くいることは周知の事実となっている。以来、フランス国民は原発事故の影響に非常に敏感、懐疑的になっている。フランス国民にとって、原発の『安全性』と『情報の透明性』は何よりも大切なのだ。」