反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

石原ー猪瀬の時代錯誤,現実逃避的東京五輪、ニッポン、チャチャチャ、ラインに430万票の東京都民が選ぶ都知事。自民党は党除名者を選び、脱原発識者?は当選不能、政治隠遁者を選挙前に選ぶ日本の「到達段階」

  今回の都知事選には近年中の自民党下野時代の初っ端に自民党に見切りをつけた行為によって除名された候補と、コレへの対抗馬として、公示数時間前に立候補記者会見を開いた15年ほど政治的隠遁者の身であった候補、さらに前回選挙に立候補した候補が再立候補している。
既に、2013年1月13日の記事において、一応の感想は書いておいたが、予想通り、ことが運んでいる。
 
 2011年3、11大震災原発事故、直後の統一地方選挙から猪瀬400万票圧勝のの経過を順序だてて考えると次の結論しか導き出せない
 
 既に1月13日付の記事の結論で断言している
政治妥協、打算を集合させた数合わせの候補は選挙戦で負ける!
しかもかなり票差の開いた敗北もあり得る、とみる。
 最初から負けると解っているムード先行候補への一本化に政治的意味は見出せない、とした。
今回、立候補記者会見を全部視聴した結果の脱原発ワンイシュー的政策にも、前々回、石原、前回、猪瀬の都知事で判明済みの有権者の政治意識からの乖離に疑問を感じたが検討は後にする。
 
日本の行く末の大きな方向はもはや、政治の施作では変えられないというのが自分の基本的立場。
 
それは放置しておけば良いというのではなく、よりベターな手を打たなければならないが、常に大きな限界が付きまとう。 
 
     まず、枡添候補。
 この方のネットに掲載された記事を最近までお気に入りに登録していた。
要点は、ドイツの反ナチ、リベラル有名学者のナチス政治に関する論説を学者時代初期の研究テーマであったとして簡単に要約し、橋下維新の会政治のマスコミなどを利用してアドバルーンを揚げて、常に激しく動き回り、大衆の耳目を集中させる政治手法は国民の利益をならず、長期展望にたった日本の政治環境を損なうものとして、拒絶を前面に押し出したものであった。
 
 橋下のところに駆け込まなかった理由は明示されており、内容に筋道が通ってると、評価した。
もっとも実情は相手にされなかったのか、誘われて断ったのかわからないが、当分自民党復帰の目はなさそうだし、維新がないとすれば、みんなの党だが、この時点で党内部事情はわかっていて、接近できないとなれば、当分、くすぶるしかないという、展望からシンクタンク紛いのものを立ち上げる有様だった
 
 一応、昨年の参院選出馬断念の具体的理由は、有力者への資金援助を拒絶されたため、としていた。
記事から察するに、枡添氏の周囲で多額資金援助をできるのは競馬会のガリバー社台グループしか、いないとみた。
 自民党下野にまつわる騒動で党を除名になって、改革の会もうだつが上がらず、終いにはぐれ狼のようになってしまった党除名者の汚点の付いたままの枡添氏は、一昨年の自民衆院選圧勝を受けて、天秤に掛けられ、利用価値がないと見捨てられたのか、と想像することもできる。
 
  ところが猪瀬5000万円騒動で事態は急変した。
自民党側としても、猪瀬400万票を引き継いだ選挙区情勢に対して、アベ路線をバックにした直下型候補に目ぼしい選択肢はなく、枡添が手を挙げれば、前回の猪瀬都知事選の状態から、恩を着せて手の内に入れる旨みが出てきたわけで、除名者などテンから問題でなった。
 
 こうして悪運のトコトン強い出世主義者と直下型候補の人選ができないアベ路線とは利害一致で合体した。
ま、今回のように話題に事欠かないワァーワァー言い合う乱戦は口達者な枡添氏の得意とする戦場でもある。
 
 なお、枡添氏の政治路線は典型的な新自由主義であり、自民党を飛び出したのも、政策や主義主張によるものではなく、
また長期展望や綿密な情勢分析に基づくものでなく、政局の成り行きに身を委ねた結果と見る。
 
 彼は頭のいい小回りの効く出世主義者。それ以上のものは無い。
激動期の国会議員として、生きた情勢分析ができてヒトを束ねられる器とは程遠かった。
民主党政権交代の選挙のときのアレだけの逆風の中で、自公支持率38%を物凄い岩盤と想って愕然とした。
枡添氏は自民党の将来に見切りをつけたつもりだったのだろう。
世事の見通しは効くが政治の見通しか聞かない。政治力にも疑問がある。
 
 ここまで政治経験を経て年を重ねると、厳しい自己評価の問題が出てくるが、中央集権、首都東京の首長として、それが等閑視されていくのは石原慎太郎を見ても解るとおりだ。石原慎太郎の東アジア愛国排外に継ぐ、新自由主義宣伝マンの、新お山の大将の誕生とみる。
 
 
 細川候補出馬表明記者会見の動画によれば、東京では<岩盤規制>と勝手に決め付ける規制緩和対象があるらしい。
初耳であるが、規制撤廃特区構想によって突き崩していく対象らしい。具体的には全く知らないが猪瀬構想にあるらい。
 
   経産省の2013年度版通商白書に概略が述べられている。全体像のイメージ。
           
         第3節急務となる立地競争力強化策
1.企業の競争力強化のための法人税引下げ
            新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ~
W。課税ベースの拡大を含めた財源確保とは、消費税段階値上げのこと。法人税実効税率引き下げとは、国と地方の法人税の取り分を引き下げること。
 コレを前提に想定すると、外国資本呼び込みのための特区では、法人税を思い切って安くするなど優遇措置をする。
     白書引用。
「2.積極的な取組が求められるグローバル企業の誘致
    (1)アジア拠点化の推進に向けて
 アジア新興国によるグローバル企業の誘致に向けた支援措置の強化や、アジア新興国の経済成長に伴う我が国市場の相対的な縮小等により、我が国からグローバル企業の撤退が相次いでおり、我が国はアジア地域における国際的な事業活動拠点としての地位を喪失しつつある。
 しかしながら、グローバル企業の我が国への進出は、我が国に新たな技術や経営手法等をもたらすものであり、今後の我が国の経済成長に必要不可欠である。
 このような状況を踏まえ、政府は、平成22 年6 月18 日に閣議決定された「新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ~」に基づき、グローバル企業の研究開発拠点やアジア本社といった高付加価値拠点の誘致を進めてきた。
    (2)アジア拠点化を推進するための具体的取組
2 020 年までに達成すべき目標として、「高付加価値拠点の増加(年間30 件の誘致)」「外資系企業による雇用者倍増(75 万人→ 200万人)」「対日直接投資倍増」という3 つの目標。
具体的には、
1.グローバル企業に対する補助金や税制などのインセンティブ置を強化することにより、我が国の立地競争力を高めること、
アジア拠点化立地補助金、アジア拠点化推進法案、法人実効税率の5%引き下 等W。東京都の法人税取り分引き下げ。
 
2.総合特区制度等を活用することにより投資を呼び込み、地域における雇用創出につなげること、
 自治体と連携し、総合特区制度・復興特区制度等を活用することにより、国内外からの投資を呼び込む。
  国際戦略総合特区、復興特区 等。W。特別労働法を成立させ、米国並みに簡単に解雇できるようにする。
 
3.社会資本の整備や規制等の見直し、行政手続の透明性向上、行政の英語化等、事業環境の整備を進めること、
ヒト・モノ・カネの流れを増加するために、ポイント制による出入国管理上の優遇措置、行政手続のワンストップサービス強化、 医療機器・医薬品の審査手続の見直し、行政の英語化の推進 等
 
4.外国人向けの教育・医療等、生活環境の整備を進めること、
外国人向けの教育・医療等、生活環境の整備を進める。
医療機関における外国人受入環境の整備、インターナショナルスクールの整備 等
W。治安管理だけは別として、かつての租界の如きものをでっち上げる。         
       
        特定多国籍企業による研究開発事業等の促進に関する特別措置法案の概要
ターゲット
(1) 研究開発拠点
イノベーションに不可欠な高度な研究者等が集結
(2) アジア本社
グローバル経済社会に不可欠な高度な経営人材等が集結⎧インセンティブ
○認定企業につき5 年間、20%所得控除
○ 認定企業の取締役等に外国親会社が付与した新株予約権をストック・オプション税制の対象とし、譲渡時まで課税繰延
中小企業投資育成株式会社による株式引受け(中小企業者のうち、資本金の額が3 億円を超える株式会社も対象)
W。経済特区のイメージはシンガポール香港に準ずるタックスヘイブン創出。
日本国内に準シンガポールや香港のタックスヘイブンを作ることを画策している。
 
 
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細川候補記者会見の動画の印象では岩盤規制(特区構想に不必要な規制撤廃)に挑むのは、枡添、細川ということになるようだ。
 
 
           さて細川候補。
 繰り返すが、当選は絶対にあり得ない。
その候補者に、一本化願望を抱くのは、どういう政治的意味があるのか?
 
 
 まず、細川候補はさておいてー。
小泉純一郎元首相が心底、原発問題の選択を将来の日本の政治方向の分岐点とするならば、自分自身が選挙に打って出てもいいのではないか?
 
 ところがこのヒトの政治行動の軌跡を見ていくと、口先でなんといおうと、自民党という立ち位置、しかも派閥というムラに依存していたことが、はっきりとわかる。
そこを芯に据えて行動したからこそ、政治的幸運が迷い込んだのである
今回の細川支持反原発行動も、彼の行動にあるこの肝を外して評価できない
政界引退してもまだ若く元気な彼にとって反原発選挙戦は高級なゲーム感覚なのである。
それは有権者にも伝わるはずである。
 
 さらに今回の脱原発の動きを見ていると、首相時代の政治遊泳術が、何処まで本人の自らの演出なのか、飯島秘書官の動物的政治感覚なのか、見極めが付かなくなってきた。
確かにしゃべり、間合い、動作は本人のものだが、マスコミ受けを狙った大きな動きは飯島氏の演出が効いていた、と見る。
 
 従って、都知事選で原発問題を取り上げても、かつての首相の面影が出てくる保障は余りないと見た。
 
 また、政治家には旬というものがあり、郵政民営化のワンイシューと原発問題とでは次元が違う
 
 猪瀬4300万票の方たちは、早く煩わしいことを忘れたいと本能的に指向しているのであって、捏造された時代風潮に乗って、公務員など特定の対象を敵に仕立て上げる手法は通用しない。
不安、危機意識を通じたちょっとしたシンキングタイムを喚起しなければならない事情が濃厚であり、猪瀬430万票有権者が簡単にその土俵に載ってくるとは思えない。
 
 「奴は敵だ!奴を殺せ!」という政治の原始的な政治手法を今回の、小泉氏は使用できない。
翼をもがれた飛べない鳥だ
 
>まして自民党の政策の枠内に留まり、原発問題だけを突出させる、という変則技、限定論法が必要になる。
この小泉氏の細川陣営に課した自民党の政策の枠という間接的なタガハメが結果的に脱原発ワンイシューの都知事変則選戦略になった、と看過する。
そこまで大きく巾を広げなければ、小泉氏ー自民党政治路線は包含できない。
 それが今現在の東京都民の実生活とかけ離れている、という問題と同時に、そもそも、脱原発ワンイシューは投票行動に反映するかという根本問題がある。
大阪東京の原発住民投票署名簿の集まり具合、2011年の石原都知事選出ー猪瀬430万票から推し量ると、大飯期疑問がある。
 
 これらの主体、客体の限界を帳消しにするかのように、原発事故が発生すれば、全てはなくなってしまうなどとしても、
猪瀬430万票は、もはや自分の中では原発問題にけりをつけてそっぽを、向きたがっている巨大な一塊の階層なのだ。
 
 甚大災害が生じると、その手の層ができるのは当然としなければならない。
生きた人間として当たり前の精神状態であり、まして天変地異の激烈なこの日本列島の住民である。
 
 巧みな演説でそのときはそうだ、と想っても、皆家に帰って、忘れたい本能に後戻りする。TVはワンプッシュで消える。
 
 この種の心情は戦争中、敗戦直後、よく見られて現象で、当時の文学者がキッチリと描き出している。
 
   坂口安吾「続堕落論」引用。
「人間の一生ははかないものだが、またしかし、人間というものベラボーなオプティミストでトンチンカンな訳のわからぬオッチョコチョイの存在で、あの戦争の真っ最中、東京のヒトたちの大半は家を焼かれ、壕に住み、雨にぬれ、行きたくても行く場がないとこぼしていたが、そういうヒトはいたかもしれないが、
 
 しかしその生活に妙な落ち着きと決別し難い愛着感じ出していた人間も少なかったはずで、雨にぬれ、爆撃にびくびくしながら、その毎日を結構楽しみ始めたオプティミストが少なくなかった
私の近所のお上さんは<爆撃の無い日は退屈ね>と井戸端会議でふともらしてみんない嗤われてごまかしたが、嗤ったほうも案外本年はそうなのだと私は想った
 
「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが充満していた。
猛火をくぐって逃げ延びていく人たちは、燃えかけている家の傍に群がって寒さに暖を取っており、同じ火に必死に消化に勤めている人々から一尺は離れているだけで全然別の世界にいるのであった
 
「生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず~
我々のなしうることは、ただ、少しづつよくなれということで、人間の堕落の限界も、実は、案外、その程度しかあり得ない。
 
 ヒトは無限に落ちるほど堅牢な精神に恵まれていない。
何かのカラクリによって落下を食い止めずにいられなくなるだろう。
そのカラクリを作り、そのカラクリを崩し、そして人間は進む。堕落は制度の母体であり、その切ない人間の実相を我々はもっとも厳しく見つめることが必要なだけだ。」
 
 
    宮沢賢治「目にて言うふ」
 だめでせう
 とまりませんな
 がぶがぶ湧いているですからな
 ゆべからねむられず 
 血も出つづけなもんですから
 そこらは青くしんしんとして死にさうです
 もう清明がちかいので
 もみじの若芽と毛のやうな花に
 秋草のやうな波をたて
 あんな青空から
 盛り上がって湧くやうに
 きれいな風が来るですな
 あなたは医学界のお帰りかなんかはわかりませんが
 黒いフロックコートを召して
 こんなに本気にいろいろ手当てもしていただけば
 コレで死んでもまず文句はありません
 血が出ているにかかわらず
 こんなのんきで苦しくないのは
 魂が半ば体を離れたのですかな
 ただどうも血のため
 それがいえないのです
 あなたのほうから見たら
 ずいぶん惨憺たる景色ででせうが
 わたしから見えるのは
 ヤッパリきれいな青空と
 すきとおった風ばかりです
 
「死んでしまえば人生は終わりなのだ。自分が新でも自分の子供は生きているし、何時の時代にも常に人間は生きている。
しかしそんな人間と、自分という人間は別のものなのだ。自分という人間は全くたった一人しかいない。
そして死んでしまえばなくなってしまう。はっきり、それだけの人間なのだ」
 
 
  細川氏本人の出馬記者会見は公示7時間前だった。
こういう光景は直近、どこかで見た記憶がある。
そう、日本未来の党衆院選公示直前までもたついた候補者の選挙区調整。
 
 一体誰が政界から事実上隠遁中の細川氏を引っ張り出したのか?
菅直人元首相が関わっていることだけは間違いない。
記者会見の内容は論戦用に政策の組み立てができていないと感じた。
かなり隙だらけで結局、地方政治の政策課題は猪瀬路線を踏襲するということだ。
エネルギー研究会立ち上げ、丸投げも大阪橋下がやって、最後は政治決断ー大飯原発再稼動の流れだった。
 
 冒頭の本人の質実国家を目指すという政治思想は日本新党時代から引き継ぐ問題意識であり、言葉の上では、整合性があるし、今でも政治思想としては色あせず、聴こえるが、最大のキーポイントは、そういう政治路線を今の日本は選択できないままここまで立ち至ってしまった、と。
政治経済の根幹にわたる最大級のシステムに問題があるのだ。
この点をつめていけばきりが無い、ほど質実国家の政治路線と今の日本の現状は遊離している。
引き戻すことを真剣に想えば、革命しかないと考える。しかも暴力的なそれだ。
記者会見冒頭の美しい言葉は単なる表紙のページ似過ぎないと見る。
 
 選挙のたびにこの種の空中戦が繰り返されるから、過大幻想と失望の繰り返しで、政治課題を少しずつ消化し前に進める選択が疎かになってきた。
コレが1990年代の政治だった。政治家として、この時代に政治責任を負わなければならないヒトがいる。
 
 一口に反原発というが、福一収束もないまま、一体何から手をつけるのか?いい加減な総括原価方式で廃炉積立金も無い電力会社なのだから、政府が予算的裏づけや経済効果を案出するしかない。
それは国民が負担になるはずだ。
ドイツの場合、廃炉作業に着手したり、既に廃炉済みの原発は多いが、それは数多くある旧東ドイツ地域の安全基準に満たない危ない原発が多い。
 
 また支持者は反原発で状況の一点突破みたいなことを言うが、アベ原発推進路線は大企業金持ちへのカネばら撒き金融政策、一部国民切り捨て政策、排外国家意識の意図的醸成=東アジアでの集団安保緊張情勢の恒常化など、一連の政策とパッケージになっているものであって、その中の一支柱に過ぎないと考える
 核兵器開発の手順を除いて、他の代替エネルギーと取替えは効く。
また先進国は原発撤退の趨勢にある。
 
 ただこれから世界中のグローバル化の進展によって、日本のような人口扶養力、資源エネルギー源の乏しい根本的な自力の乏しい国は苦しい。
細川元首相の言う質実な国と国民になることをほんの少しづつ合理的に追求でいないものかと考える。
オリンピック開催を目指すなんて逆方向である。オランダを見習ったほうがいい。
 
 細川氏を押す人たちは、過去のビックネームに安心を求めているのだと想う。
地道な組織的背景にも乏しく吹く風任せのムード選挙であるが、風は最初から吹かないし、猪瀬430万票有権者はそもそも原発事故のことは、己の心の中の消しゴムで消してしまっているのである。
そこに反原発ワンイシューでは後戻りを要求しているようなものである。
 コレはいいとか悪いとかでなく事実だ。
 
 宇都宮氏は前回の都知事選に立候補して、上記の事実を痛切に実感しているものと想われる。
猪瀬430万票有権者は時間とカネと労力をかけて、説得できる対象でないし、又その必要も無い。
好きなところに行く権利が彼等にはある。日本歴史ではコレが「王道」?だった。
彼等の方が生き物の原則に全うなのかも知れない。
 
 長期の政治軍事過程こそが、これからの日本固有の進路である。
そして日本経済の世界に対する割合は必ず、縮小していく。
問題はどの程度の年代経て、実際にどういう実情で。ということに尽きる。
 
 そういう割り切った道程を計算する中で具体的合理的対応を決定して欲しいものだ。
アベ等の路線によって階層格差の進行、同時的な対外関係の緊迫の「余裕」を使い切った次のステージが問題となる。
各国固有の内外情勢をトータルした東アジア情勢ということで、もう後戻りはなく、先に進む。
中国事情、韓国事情、北朝鮮事情、米国事情、ロシア事情の総和が後戻りできない状況に突入している。
 
 中でも、長期経済停滞ー米国バブル崩壊民主党政権交代ー東日本大震災福島第一原発事故を経て、国民政治意識を含めた政治上部構造の一人歩きの日本の急進化は目立ち、情勢の激動過程の大きな加速要因になっていることは間違い事実なのだが、完全にそれを自己正当化する局面に至っている
 
 ワールドワイドに政治状況を俯瞰し、日本政治をその中に位置づける必要が出てきている。
また、勇ましい言葉や勝手な都合で簡単勝手に日本政治が世界の中で立ち回れるはずがなく、むしろ世界政治の動向に大きく規定される。
 
         <2013年度選挙後のドイツ連邦共和国の勢力図>
キリ教民主同盟 アンゲラ、メルケル  社民党   左翼党リンケ  同盟90/緑の党   バイエルンキリ教社                                                         会同盟
議席数630    255          192      64         63           56
 
           <左翼党 (Linke、リンケ)>ウィキペディア解説。
    <主義主張・施策>
 東欧革命後に他国の旧共産党の主流が完全な共産主義の放棄によって中道左派的な社会民主主義政党への路線転換を進め、社会主義インターナショナルや欧州社会党などに参加していくなか、こうした左翼路線の維持は際立っていたが、
 ドイツの場合はすでに社会民主党SPD)が存在したため、中道左派社会民主主義政党への転換は難しく、独自に民主主義的な社会主義像を模索する必要があったのである
 とはいえ、こうした新しい社会主義の路線を修正主義視し旧SEDの路線を引き継ぐとする教条的かつスターリン主義的な「共産主義プラットフォーム」(Kommunistische Plattform)も存在した。
 同グループは左翼党に合流後も派閥として存在し、旧東ドイツ・旧SED全体主義的な価値観を引き継ぐ団体として、現在も連邦憲法擁護庁の監視対象となっている。
     <派閥>
 前述のとおり、現在の左翼党は党内において民主主義を重視する開かれた左翼政党であって、旧来式の民主集中制的な前衛党型組織論を有していたマルクス・レーニン主義に基づいていた(党創立メンバーの潮流上、事実上の前々身政党)「ドイツ社会主義統一党」からは、大きく変貌を遂げている。
民主社会主義によって資本主義やグローバリゼーションに対抗しようとすることが共通点とはいえ、その開かれた党の表れとしては同党が共産主義マルクス主義からケインズ経済学・社会民主主義、さらにはリバタリアン無政府主義に近い思想まで、極めて幅の広い多様な社会主義像を持つグループを派閥として内包していることが挙げられる。
 
    <人権・福祉>
 東ドイツ独裁政権党の崩壊後の継承者、民主社会党権威主義的だったSED時代から一転して人権やマイノリティへの施策に熱心となり、移民への社会福祉同性婚の合法化にも取り組んだ。
一例として、1999年から2009年まで民主社会党(のち左翼党に移行)の欧州議会議員として活動したクルド人移民出身のフレクナス・ウカ(de)は、イラクで自由選挙が行われた2005年までは世界で唯一のヤズディ教徒の政治家だった。
   <主な選挙での党勢推移>
2005年選挙   4118194票  8、7%  54議席      3 (選挙区議席
2009年選挙   5155933   11、9%  76議席     16(選挙区議席
2013年      3752577    8、6%   64議席     4(選挙区議席
 
     バイエルンキリスト教社会同盟           
  ドイツのバイエルン州を地盤とする地域政党である。ドイツで最も保守的な政党とされ、同国内では「CSUより右に民主的政党はあり得ない」(つまり、CSUより右は極右政党)と言われている。
 なお「社会」とあるがもちろん社会主義政党ではなく、むしろ社会保守主義的な政党であるが、経済政策においては社会的市場経済を支持し発展させている。
 キリスト教民主同盟(CDU)とは姉妹政党の関係にあり、連邦議会では常に共同の統一院内会派を組んできた。
組織面では独立しているが、政治目標ではCDUとほぼ一致する。
なお、CSUバイエルン州でしか活動しない地域政党であり、CDUはバイエルン州では活動しないため、CSUとCDUは競合しない。
 2005年の選挙では7.4%の得票率で46議席を、2009年の選挙では6.5%の得票率で45議席を獲得した。この45議席は、全て小選挙区当選である。
 
>>独総選挙、メルケル氏独り勝ち 「何も残らない」協力者の悲哀2013.10.05  産経ニュース
9月22日実施のドイツ総選挙は、まさにメルケル首相の「独り勝ち」だった。債務危機対応などで見せた堅実な手腕に対する国民の信頼の高さが改めて示された結果なのだが、
 
 一方で首相に協力してきたはずの連立パート……
自由民主党メルケル氏の保守系キリスト教民主・社会同盟の連立相手でありながら、結党後初の「議席0」という最も厳しい審判を下された
 債務危機では支持者や党内でドイツの負担が伴う対策への異論が強く、ギリシャ支援ではレスラー党首自身が同国の「秩序ある国家破綻」の可能性に言及したこともある。
それでも政権の対応に協力してきたが、選挙では多くの支持者が「ユーロ解体」を掲げる新党「ドイツのための選択肢」に流れた。
中小企業経営者を支持基盤とする自民党は、社会福祉と市場主義のバランスをとるドイツ型経済で、「個人の責任」重視の自由主義を標榜(ひょうぼう)してきたのが特徴だった。
だが、メルケル政権の政策が左派寄りともなる中、独自性が発揮できなかった。
 
 メルケル氏に協力して難しい状況にあるのは社民党同様といえる。社民党は前回選挙から得票率を若干増やした。
だが、これは社民党と同盟による大連立政権(05~09年)後の前回選挙で両党から小党に流れた票の一部が戻ってきたにすぎない。社民党の今回の得票率は戦後2番目に低い。
社民党は本来、同盟より「親欧州」とされ、選挙戦ではメルケル氏がギリシャなど危機国に促してきた過度の財政緊縮策などを批判。
メルケル氏がユーロ共同債などに反対する一方、公約にはユーロ圏諸国の一部債務を共同返済する基金の設立も掲げた。
 だが、社民党ギリシャ支援などの議会採決で、連立与党に造反が出る中でも協力してきた。その手前、メルケル氏への過度の批判は自党に跳ね返りかねない。
危機対応を必要以上に選挙で争点化すれば、国民に負担を求める可能性に言及せざるを得ず、議論にも踏み込めなかった。
 
 さらに悩みは「選挙後」だ。自民党議席を失い、社民党メルケル氏の連立相手として最有力視されるが、社民党には前回の大連立政権での苦い経験がある。
社民党財務相など主要閣僚を担い、金融危機でも迅速に景気対策などを打った。
しかし、メルケル氏の前では存在感を発揮できず、前回選挙では戦後最悪の得票率だった。
そのため再度、大連立を組むにしても条件などで慎重にならざるを得ない状況だ。
 独紙ウェルトは「メルケル氏と組んだ者には自民党のように何も残らない」と指摘した上、「社民党が大連立を組むなら、それは犠牲行為に等しい」としている
>W。いろいろな見方はできるが、ユーロ金融危機へのドイツ負担問題があっても、それなりにバランスの取れた国内政治状況だと思う。
また、政治潮流のなかに自分を置いて、それを政治判断の基準としている市民有権者が多いとみた。
 
が、二回も世界戦争で負けてやっと、この状態。
 
           <フランス共和国の歴代大統領>
政治史の流れは全く比較にならないが、
 
        (参考資料)通産白書より。
    <我が国の貿易・投資構造と変容>
  >近年における我が国の交易条件と実質実効為替レートの推移
我が国は今般の円高局面だけでなく、2000年代に入ってからの円安局面においてもほぼ継続的に交易条件を悪化させていることがわかる。
大幅な円安局面
であった2004 年から2007 年頃にかけても、輸出財の国際的な競争の激化から輸出物価の伸びが穏やかなものにとどまったのに対して、資源・原材料価格の継続的な上昇によって輸入物価全体が上昇したことから、交易条件は急激に悪化し、円安のメリットも十分に享受しきれなかったことになる
為替レートの動向から独立して我が国の交易条件の悪化が慢性的になっていることは、長年にわたって我が国製造業が国際競争力を主に輸出製品の物価を低く抑え込むことによって維持・回復しようとし、そのためにコスト削減努力を続けてきたことの証左。
 我が国の貿易構造は、2000 年代になって大きく変化した。昨年は暦年ベースで31 年ぶりの貿易収支赤字となった。

    各国・地域の最近の交易条件の比較 (過去の円高時(1995 年4 月)を100 とした場合の2012の値)交易条件   日本  米国   英国  ドイツ  韓国  台湾   タイ  豪州  ニュージーランド  ブラジル
指数      51.5   90.2    101.1   87.8   41.5   64.1   78.5  190.2    130.4         121.1
>我が国よりも交易条件が悪化しているのは、韓国(60%程度の悪化)のみであり、我が国を取り巻く国際的な競争環境は1995 年時点からより厳しいものとなっている。
特に米国、英国、ドイツといった我が国以外の主要先進国は、1990 年以降の約20 年間にわたり交易条件をほぼ一定に保っており、資源・原材料価格の高騰に対しても、輸出製品への価格転嫁を進めることなどにより、対処してきたことを示している
W.東アジアの旧ニーズ工業国、韓台などと日本は為替レートの動向から独立しての交易条件の悪化が慢性的⇔長年にわたって我が国製造業が国際競争力を主に輸出製品の物価を低く抑え込むことによって維持・回復しようとし、そのためにコスト削減努力を続けてきた。
この泥沼の競争に世界の工場中国の低価格商品大量生産の競争圧力、過重。
 日本産業は商品のブランド化差別化によって、資源原材料費高騰を価格転嫁する糸口が見つからないまま、コスト削減努力を続ける。⇔デフレの主要因。
ナルホド!経済相互関係は進化しているが、先行した日本には政治経済構造でリーダーシップを取れるはずがなく、厳しい競合関係のままだ、という訳か!その経済関係が政治に強固に反映し、敵対要因になってきた。
例えば、上記の交易条件の数値から、アベ等の金融の量的緩和は日本よりも酷い韓国交易条件41、5に実害を与える→韓国政権反発。
(アジア金融危機前の日本が雁行の先頭に飛ぶイメージは今は無い。壊れた原因。→急成長による金融システムの不備を投機マネーに付け込まれた。→それで、IMF管理下の優等生になって、急速産業構造転換で日本産業の競争相手に進化した。台湾、韓国のコンパクトな分裂国家=政治的同質性という特質も構造改革に有利な条件だった。う~ん。この過程はすべて日本経済にとってマイナス条件をもたらした。おまけに改革開放によって、戦後共産主義の実験国家をやっていた旧帝国の勃興=中国もある。戦前思想を継承した自民党政権では上手く泳ぎきることはできなかった。)
 
 そうすると、この長期内外関係から抜け出す手っ取り早い方策は、民主党への政権交代を前提に、自民党アベ等は選挙の人気取りに都合の悪い、経済構造の転換よりも、とりあえず、最後に残された金融策術である、通貨供給量拡大に逃避する。←アベノミクス⇔この時点での愛国排外醸成は現時点と次の段階への政治的上部構造としての当然の準備。→
→この政策はインフレ税や、究極のところ理論的には軍需主導経済も視野に浮上してくる。
治安管理のネットを張って庶民生活破壊を前提とする二枚三枚腰の強攻策が想定されている。
 
 我が国企業の海外展開により、東アジアを中心とする国際的な生産分業への統合を深め、中間財貿易が輸出入とも大きく増加している。
そのため、おおむね10%前後で推移していた輸出額の対GDP 比も、約15%にまで拡大した

かつて「フルセット型」といわれた産業構造は変容を遂げ、国内生産にとって輸入による中間財の供給と外需による生産誘発の双方の重要性が増している
 ただし、これをドイツと比較すると、こうした国際分業への統合度合いは依然として低い水準にある。
>地理的には北米・欧州への投資はシェアとしては低下傾向にあり、中国等のアジアへの投資が急増し、
またこれら地域の市場としての重要性の増大。
>日本経済としては、グローバル世界経済と反面での多極化の条件下では、安定的な広域政治経済圏の不可欠な段階に達していた。
小泉政権時代の官僚の方針は東アジア共同体提唱であったが、日本のそんな独自の政治力はなく、形だけの対応だった。この時点の米国はバブル真っ最中で、様子見だった。
>そして米国バブル崩壊
→TPP介入、利用。
そこで日本官僚も旋回TPPという訳だ。米国の懐に飛び込む、と自分を納得させる発言をする官僚もいたな。
確かに外部条件が厳し過ぎ、主体的力量も伴わないから、安定的広域政治経済圏構想に主導性を発揮するのは無理だった。
>こうしてみていくと、改めて歴史の継承性という事実を思い知る。
>>総括すると、サイコロで言えば、丁の目が出っぱなしであった戦後経済成長から、1985年のプラザ合意まで~。
そこでバブルの起し方まで指南されての崩壊からは、日本が振るサイコロの目は半ばっかり、といえよう。
 
>今回の都知事選。
察するに、フランス、ドイツ辺りに置き換えると、三候補は接戦状態。田母神候補もソコソコの得票を得る。
ただし、細川さんみたいに出現する候補は珍しい。基本的に政治潮流同士の選挙戦になるから。
主義主張があっての政策。政治家は、何を言っているかというよりも何をやってきたかが、判断基準になる。
自分にとって、その候補者の掲げる主義主張、政策がどうなのかが判断基準になる。
なんとなく勝てそうだから応援する、なんてのは、その後の選択肢だ。
その表れが大統領選などでよくやる決選投票。そこで勝てそうだから応援する、という判断が登場する。
最も米国流は違っているが。
>そもそも、反政府の立場を取るものにとって、コレからは、その程度の心構えで対処できる時代ではない。