反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

前回の記事の、何をいいたいのか解らないところの詳しい説明。

 前回の記事は、何をいいたいのか解らないところがある。
 
そこで参考資料として次のものを引用しておく。
 
>記事の全体の流れでは、現状認識を右傾化の事態と捉えているようであるが、選挙結果を受けて、漠然とした不安感を跳躍台に、次のようなまるで戦前と同じような世界に飛躍してしまう。
 
 解りやすく云えば、現状認識としては右傾化とみるが、不安感、危機感をリンクに一挙に戦前日本を連想させる事態に至る。
文面を読むものが両者を混同してしまうように仕組まれている、というか本人にも混濁が見受けられる。
 
 執拗は承知しているが、大事な状況認識に関わるのでつめていく。
 
 まず、現状を明らかに右傾化とみている箇所を3点引用する。
 
イ)「だがマスコミが争点にしたのは~原発は少し触れたが右傾化については全く触れなかった。国政の問題という理由からだろうが。」
ロ)「選挙の結果しだいでは安倍政権を立往生させることも可能だった。原発再稼働だけではなく右傾化にも待ったをかけることができた。」

ハ)「舛添候補が漁夫の利を得て当選すれば、都民が安倍政権の右傾化に信任を与えたことにつながるからだ。」
 
>以上、イ)、ロ)、ハ)の右傾化状況認識は漠然とした不安感にリンクされて、次のような世界の開陳にいたる。
 
「だが、遅すぎたのではないか。これが都民にとって自由な選挙ができる最後の機会ではないのかという不安が頭にこびりついて離れない。秘密保護法が成立したのはわずか2ヵ月前のことなのだ。」
 
「彼らには間もなく国会に上程されるであろう改憲と徴兵制の道筋W?が見えているのだ。」
 
「2・26事件(昭和11年=1936年)」の日も東京地方は記録的な大雪だった。
この事件を境に自由な言論は封殺され軍部が政治の主導権を握る。日本は無謀な戦争へまっしぐらに突き進んだ。」
 
 勿論、こういう政治傾斜で危機意識を持つこともわかるし、それが通用する政治世界もある、ことは解っている。
しかし、どう考えても、現実とはかけ離れている、と実感する。
 
 さらに、もっと突き詰めて考えると、このような論法は一種のハルマゲドンのような事態の想定によって成り立っているようだが、
 
>直近では1960年4月の李承晩大統領を退任させた学生革命以降の長い民主化運動の過程の紆余曲折はどうみるか?
 
>南米チリのピノテェット、軍事クーデター以降、今日の民主化まで至る過程を、どうみるか?
その状況はジャックレモン主演した名作のアメリカ映画にもシリアスに描かれている。
 
>前回の記事の最後に挙げたオバマ新大統領就任式のピートシーガー登壇の背景をどうみるか?
注W1。
 
>>それで終わりは絶対にナイ!
 
 徴兵制は100%あり得ない、と断言できる。
 
 端的な理由は必要ないからだ。
経済的理由で軍隊志望者が増えている米国事情を想定すればわかる。
この事情を徴兵制、と強引にこじつければ、別だが。
 
 現在のアメリカがファシズムの国か?戦前日本のような政治傾向の見出せる国か?
日本にあるのは徴兵制に関してもアメリカ的方向である。
 
 また、今先進国で徴兵制を実施している国を指折り数えてみるとわかる。
コレでは現下に進行中の情勢に対応力を欠く。
 
 記事をよく読むと演説会に訪れていた男性(60代後半)の言葉を記事のタイトルに使ったものだった。
「怖い時代に入っている。有権者にはそれが分かっていない。情報統制はすでに始まっているではないか。
舛添に入れた人は自分の子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ。」
 
有権者にはそれが判っていない?自分たちだけが知っている、と。
 
 が、しかし。
今の60代後半は戦前体験者のなのか?そうではあるまい。戦後世代に属するはずだ。
 自分は世代論は避けているが、60才代後半世代は青春時代を含めて、戦後日本高度経済成長のゆとりを背景に思う存分個人が活躍できた世代だったのじゃなかろうか。
失敗は戦後民主主義とタイアップした内国的拡大経済によって包摂された。
 
 仮に、1945年の日本敗戦の時に物心付いた10歳の子供がいたとすると、その人は今、79歳になっている。
 
 戦争云々であっても安易な世代論による分断については、後に問題にする。
コレは説教であり、若者を離反させる。
 
細川都知事候補は76歳だから、戦前を知っているとしてよい。
 
 日本国在住の方で戦前体験者の割合は極端に減っている。
圧倒的な多数派にとって、戦前は聞いたり読んだり、写真でみたりの知識としてのものだ。
であれば、どういう観点から情報処理をするかが問題になり、この点において、各々に違いが生じる。
 
 ただ、自分としては、この分野に対してハッキリしていることがある。
ヒトが十人いれば十通りの意見があっていい。
ただ、批判の自由はある。
 
 例えば、今回の都知事選に立候補した田母神さんのような意見。
 選挙前後も現時点でも、ヨーロッパの事例などを考慮しているから、別に驚きはナイ。
ただ、彼等とヨーロッパの極右と呼ばれる人たちには決定的な差異がある、と批判してきた。
グローバリズムに対する意見に相違がある。

 情報処理の仕方が間違っていると想うが、残念ながら、日本では昔からあの手の思考パターンをもつヒトがかなりいた。
それが、日本経済の相対的後退と周辺諸国の経済的台頭と共に、共感者を増やしてきた。
 
 結論を先回りして云えば、田母神さんは戦後日本の伝統的右翼に分類する。
本人は否定するだろうが、戦後民主種によって培養されたヒトである。
 
 その主張に接したことは一度だけしかない。
都知事選で何を訴えているのか全く知らないし興味もなかった。
その他の候補についても各人一度だけしか、主張を聞いたことがない。
 
 自衛隊幹部の彼が揉め事を起している時に、どんな主張しているのだろうと興味を持って、書店で著書をめくってみた。
少し読み進むと、米軍に核兵器をシェアリングさせてください、とお願いしているくだりが出現し、前後の認識も余りにもばかばかしいので、軽蔑して本を閉じた。

 一言で云えば、アベ等が主張しているアジアー中東の価値観共有の弧=対中対ソ?包囲網を勝手にアジア版NATO構想に置き換えているだけである。
もっともアベ等の主張はこの時点では明らかになっていなかったが。
 
 この主張を仮に理念とするとその現実的展開は、経済占有率後退の趨勢を背景とする世界覇権力低下に基づく米軍世界戦略において、
日本と自衛隊は各種の下請け的機能を忠実に果たしていくこと、に結果するだけである。
 
 あくまでも米国極東軍事戦略は自らをハブとした同盟諸国の分断状態に権益を見出しているのであって、同盟諸国同士の横のつながりの契機になるようなアジア版NATO構想のようなものに同調するわけがない。
 それ以上の状態に突入することは日本内外を取り巻く、戦後歴史を含む客観情勢が絶対に許さない。
経済協定であるTPPの一部諸国との関係がアジア版NATOに発展する可能性もない。
 元々、日米安保体制は経済面では、日本支配層政府の公金米国横流し体制を含むものであり、軍事面では集団自衛の軍事課題を内包してきた。
 70年安保条約自動延長時代の安保条約、片務双務論争をワザと提起して、ガイドライン設定によって、既に極東アジア軍事圏に拡大した日米安保軍事同盟において、日本の役割も明記されていた。
 
 ただし、そこにおける役割は限定されたものであるから、アベ等政府の方向はこの限定性を取っ払って、フリーハンドで対米従属覇権軍として振舞うことを最高課題としている。
 
 ココが従来の政府と法制官僚の1条~8条の天皇の権利と義務規定とのバランスに立つ憲法9条を軸とする解釈と齟齬をきたしているのだが、
 リアル事態を辿っていけば、そんなことはお構いナシに対米従属覇権軍としての既成事実の積み重ねが進行してきた。
 
 法制官僚のこの点における従来の9条解釈の基準に上記の1~8条と9条のバランスという憲法発布当時のバランス感覚があるかどうかが、問われているわけだが、
知っている限り、視野狭窄の法律世界の解釈にとどまってきた、としかいいようがない
 勿論この分野を初かうときには暗黙裡に戦前戦後の歴史の継続性を認識した歴史認識が問われる。
純法律世界だけの解釈は事態の進行によってなし崩し的に修正される。
 戦後日本は敗戦を契機に新たに生まれ変わったのではない。それが1~8条と9条のバランスに集約されている。
 
 なお、現在の自民党憲法草案はそいう云う次元のことを天皇を戴きなどとして、勿論9条破棄からさらに進んで基本的人権項目の一切削除まで及んでいる。
 
 コレは、多分、ナチス政権獲得までのワイマール憲法論争において、数ある基本権の社会主義条項を巡って、カールシュミット等の国家法学者の間で論争が戦わされた内容を踏まえていると想う。
 社会主義条項というのは、19年のドイツ革命を鎮圧した旧支配機構と社会民主党の勢力均衡状態の中で、社会民主党の要求であった議会主義による社会主義への平和的移行の幻想を憲法条項として表現したものであった。
 この状況をを日本国憲法の9条を巡る事態に当てはめることもできないことはないが、1920年~30年代のイタリア、ドイツと当時の特殊な世界情勢を考慮に入れると、単純解釈に陥りやすい。
あくまでも参考程度にしたほうがいいように思う。
 
 もう一つ、ワイマール憲法制定時に、起草者は幾多の基本権条項を加えるかどうか逡巡した。
後々、幾多の条項の解釈を巡って、揉め事を起こす可能性がるるとして他の条項で賄えるから、敢えて記さないほうがいい、ということだった。
 
 さらに。ワイマール憲法状況では著名な社会学者マックス、ウェーバーによって、ねじ込まれた大統領の非常時権限拡大の問題があった。
コレを根拠に政権を握って議会で圧倒的多数派を獲得したヒットラーナチスの独裁がワイマール憲法を廃案にしなくても可能に成った。確か、後に、付帯条項で総統独裁を明記したはずである。
 
 自民党憲法草案で、ワイマール憲法の大統領権限の非常時拡大に相当するは、公共性を私権、市民権に優先させているところである。
情勢の激化によって、秘密保護法と自民党草案の公共性最優先の憲法がセットで運用される可能性がある。
 
 敗戦時に過去の日本史を上手く清算できなかった、というイデオロギー、政治上の問題があり、(敗戦日本の支配的イデオロギーを主導したのは天皇国体主義者の大正リベラリストだった)、組織的制度的基盤が解体されず、朝鮮戦争を契機に、米国世界戦略と冷戦体制を政治的経済的軍事的基盤として、一定の成長を見てきた。
 
 戦後のアメリカを中心とした冷戦体制を前提として世界経済が上手く回っている時代に日本はずば抜けた経済成長をして、一応、GDP計算では世界第二位の経済大国といわれるようになった。
 
 そうすると、戦前列強の中で最低レベルの経済力しかなかった日本経済は二度の石油ショックを政官業の一体的合理化経済運営によって乗り越えたが、世界市場において、著しい不均衡を招くことになった。
 それでプラザ合意バブル崩壊ー長期経済停滞ー中国などの新興国台頭ー世界市場の多極化ー米国バブル崩壊EU金融危機ー大震災原発事故ーTPP事態到来から今日の危機感、付随する漠然とした不安感の蔓延の事態に立ち立っている。
 
 がしかし、田母神さんらは
米国との関係、現下の世界や東アジア、日本の支配関係の大枠をどうこうできるような、そんな大それたイデオロギーの内実と政治方向を彼らは持ち合わせていない。
 
 彼等がやっていることはファシズムでもナチズムでもない。
それらは第一次大戦の後の問題を引きずる1920年代30年代のイタリア、ドイツの特殊政治経済状況ガ生み出したもの、と考える。
 
 日本の場合は、既存の国家行政機構のなし崩し的な軍事化、強権化であって、支配層にとって、ファシズム、ナチズム的独裁体制は必要でなかった。
 階層間政治闘争の激化に対して政治危機に陥った支配層の政治選択肢の一つがファシズム、ナチズムとみている。
 
 既に記事にしたように、そこに至る可能性についても、ドイツではボナパルティズムの選択肢も支配層は試したが、1929年の世界大恐慌による急激な経済悪化と大失業、によって、内外情勢がそれ以上に進行しナチズム独裁を選択させた。
イタリアについては調べていないので解らないが、日本も含めて全部一緒に論じてはダメで、個別の内外情勢をから、それらは個別に論じられるべきである。
 
 以上点をハッキリさせていないから、漠然とした議論になって、日本の現下の現実から遊離した一部の議論に留まると思う。
 日本で現実的に可能性があるのは、既存の国家行政機構のなす崩し的強権化、硬直化の道であるが、それの戦前のようの道は辿らないし、内外条件によって辿れない。
浮ついた空中戦のような言説に終始していると、<安定は安心です>(公明党のキャッチコピーのほうにみんなを追いやることに結果する。
 
 こういう不安感の煽動?はニュートラルな人たちに現実との落差を直感させ、<次の段階では、誰か強力なリーダーの指導や一見、磐石にみえる組織に依存して、不安感を払拭して、取りまとめて団体サンで一緒にどこかに行くということ大いにアリの状態>に向かわせる。
 
 今でも町角に張ってある公明党のポスターのスローガンは<安定は安心です>。
 
 
また、ここでは世代間のズレを助長するような観点が無自覚に垂れ流されている。
公平を期すため前後の前文を引用する。
 「けんか腰の外交」「戦争に道を開く集団的自衛権の行使」…細川候補は街頭演説で安倍政権のタカ派姿勢を批判した。昨夜(9日)、敗戦を語った際も「戦前に戻そうとする勢力との闘いだった」と強調している。
 細川氏の祖父、近衛文麿A級戦犯とされ服毒死した。叔父の文隆氏はシベリアに抑留されたまま帰らぬ人に。細川氏は生い立ちからして「戦争をしてはいけない」という意識が人一倍強い。
 
 細川氏の街頭演説では髪に白いものが混じった聴衆が目立った。
彼らは「いつか来た道」を憂えた。舛添候補が漁夫の利を得て当選すれば、都民が安倍政権の右傾化に信任を与えたことにつながるからだ。
 「怖い時代に入っている。有権者にはそれが分かっていない。情報統制はすでに始まっているではないか。
舛添に入れた人は自分の子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ」。
選挙戦の最終日、数寄屋橋で行われた細川候補の街頭演説会に訪れていた男性(60代後半)の言葉だ。」
 
 そしてこの記事のタイトルは
都知事選】 「舛添に入れて子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ」
 
>こういう論法を使うのも自由、支持するのも自由。
しかし、今の自分からみると、こんな大雑把な状況認識というか、時代認識で済ますことができたら、苦労はイラナイ。
 
この手の分野を記事にする場合も、できるだけ現状に近づくために、慎重を期してきたつもりだ。
尖閣で言えば、中国にとってあの200㌔大陸棚の海域は台湾にも近いし軍事正面に当たる。
 
>戦争戦争というが、対外戦争は、具体的に相手があってのこと。
 
 今の日本の周辺を見渡して、日本軍が戦争を仕掛けていって、どうこうできる国が何処にあるというのだ。
日本にそんな自由はない、と言い切ってよい。
 
 それで米国との共同作戦を目論んでいるらしいが、それが即、戦争というわけでもなく、外交事態は経済関係との絡みも強固、複雑でシンプルではあるはずがない。
 
 昔と事情がまるっきり変わってしまっている。
 
 勿論、「戦争は政治の他の手段である」。パワーポリティックスという現実がある。
しかし、日本も含めて内外の国々は政治経済軍事に限界を抱えている。
 
 それから、例えば、米国フロリダ沖のキューバ革命後、半世紀以上経過し今に至っている米国との関係をどうみるか?キューバ本土内のグアンタナモ基地は革命前と同じ状態だ。
 
 そうそう、頭に血を上らせて危機感を抱く前に、もっと幅広く世界を見渡し、歴史をふりかえったほうがいいのじゃなかろうか?
 
 そんな風にストレートに日本の前途を想定すれば、考えることは余り必要でなくなる。
 
 確かに歴史は繰り返し、一度目は悲劇だった。
しかし、二度目は茶番、漫画だ。
しかも、歴史は螺旋階段状に発展する。
 
 今はグローバル資本制の時代。全地球一体化市場状態と反面での覇権多極化(分散化)による国家間、民族間対立の醸成しやすい環境にある。
 ここにおいて新興大国の急速な台頭によって地球一体化市場の再編が進行しており、再編過程の政治的不均衡が軍事衝突にいたる危険性は常にある。
 
 、それをさせない国際パワーも人民パワーも含めて働いている。
しかし、日本のおける人民パワーの形勢は不安感によってリンクする政治世界からは本当のものは形成し難いと考える。
 
「>かれらの言い分は、過去に血を流してえたものが、どうして役にたたないのか、というのである。
>過去に血を流してえた経験はもとより尊重すべきであるが、
>自分が血を流してえた経験もやはり尊重すべきであるということを、かれらは知らないのである。」
 
 物騒なことではない。
庶民生活から遊離した言葉の空中戦に終始していたから、都知事選第三位になったとおもう。
細川陣営を総じて云えば、過去に流した血の尊重はあったかもしれないが、自分が血を流してえた経験が不足していた。
 
 二度目が漫画という意味は
外に集団安保状況を常に設定しておいて、それを目暗ましに、日本国内で所得移転と収奪を目論み、日本国民多数を市場原理主義の収奪の檻に画策する趨勢である。
コレが戦争をできる国への悲劇といえるかどうか。
 
 
注W1。         
         2009-11-26 [メモ]好きなPV・ライブ動画・MADブログ引用
オバマ大統領就任式に歌われ、フォークレジェンドピート・シーガーがいまはなき盟友ウディ・ガスリーのアメリカの民間からうまれた国歌ともいわれる「ディス・ランド・イズ・ユア・ランド」を子供たちと合唱する。
 そこでピート・シーガーは、この曲が作られ歌われた当時アメリカ政府検閲され歌うことを禁止された歌詞を、自ら喋り、皆で歌わせていく。レッド・パージの犠牲者でもある彼らだからこその感慨がある。
「大きく高い壁が私を阻もうとした 書かれたサインには私有地とあった」
「でも、その裏にはなにも書いてなかった そちら側があなたたちと私のものだ」
などの歌詞が、人種差別蔓延した当時では考えられない大統領誕生を祝う就任式で、さまざまな肌の子供たちと歌われる光景はいかにもアメリカ的と思いつつも感じ入ってしまう。」
 
 この歌の作られた背景と検閲禁止の事情は次の通り。ウィキペディア当該箇所引用。
「1940年にガスリーは彼の最も有名な歌「我が祖国」(This land is your land) を書いたが、これは、一部は彼の放浪中の経験(注W。2)
 
 また一部はアーヴィング・バーリンの歌「神よアメリカを祝福したまえ」(God bless America)に対する反発によってインスパイアされたものである。(W.9、11事件後、ブッシュ大統領時代に事とあるごとに歌われた)ガスリーはバーリンの歌が非現実的で自己満足的であると嫌悪し、ケイト・スミスがラジオでそれを歌うのを聞くことがもう嫌であった。
 
 このメロディーは、1930年頃にカントリー / ブルーグラスのグループ、ザ・カーター・ファミリーによって歌われ最もよく知られたゴスペル「世界が燃える時」に基づいていた。
ガスリーは最後の節で階級の不平等を敢然と主張した、彼の反資本主義感が丸出しであるが、この節は後のレコーディングに省かれていることが多い。ガスリー自身も時々省いていたようである。」
 
 なお、本人の弾き語りの素朴な録音盤は2014年の松山千春の1時間ラジオ番組、<ちはるラジオ>フォークソングの歴史の冒頭で紹介された。
照れくさかったのか、酷い録音状態でギターも上手くないとけなしていた。
しかし、松山千春にはフォークシンガーとしての強烈な自負があり、それが立場は違っても、フォークの歴史に正面から、向き合わせている
 
 注W2。
W。ウディー、ガスリーは作家ジョン、スタインベックが「怒りのぶどう」で描いたオーキーの一人だった。
映画ではジョン、フォード監督、主役のトムジョード役はヘンリーフォンダ。1940年製作。
 次の事情は知らなかった。ウィデペギア引用。
         
  ヘンリー・フォンダ = トム・ジョードについて
「原作を読んで深く感銘したフォンダは、どうしてもトム・ジョード役をやりたいと熱望し、そのようなフォンダに対してザナックはトム・ジョード役を餌に7年もの長期契約を提示した。フォンダは長期間縛られることを嫌っていたが、トム・ジョードを演じるという目的のために7年契約を受け入れた。
 
 その結果、映画の影響もあり、フォンダはアメリカを代表するタフ・ガイとみなされるようになったが、反面でスタジオに長期契約で縛られ、俳優として脂の乗った時期を不本意に過ごさざるを得なくなった。」
 
 なお、スタインベックの原作ではトムジョードを必ずしも主人公扱いにしていなかったように記憶している。
オクラホマの下層農民が天候不順と借金で土地を手放し、家財道具を車に積み込んで約束の地カリフォルニアを目指したが、そこにも厳しい現実があった、というストーリーでジョードの属する一族個々人の希望と挫折、生と死の人間模様を正面から描いた集団劇である。
 
 カリフォルニアでは当時のオクラホマからの大量の移住者はオーキー。アーカンソーからの移住者はアーキーと呼ばれ、プワーホワイト層を形成した。
 
 カントリー歌手、マールハガードの有名なヒット曲に「オキー、フロム、マスコギー」がある。
 
カリフォルニア大学バークレー校の学生ムーブメントやサンフランシスコのフラワーチルドレン、ベトナム反戦運動に代表される当時の社会的空気にオーキーの立場から嫌悪を露にした歌詞であるが、マールハガードのカントリミュージシャンとしての実力はハイレベル。
日本に例えると、北島三郎が自作自演しているようなものか。
 
 
 ヘンリーフォンダでは十二人の怒れる男12 Angry Menがよかった。シドニー、ルメット監督。脇を固める俳優の演技もリアルそのもの。映画史に残る名作だと想う。
 
 陪審員裁判制度で一人の誠実な男が真実を自分で追究し、冤罪と確信して、で告発されている被告を他の陪審員を説得して、無罪に持ち込む。 役柄とキャラがマッチしている。
 状況に正面から立ち向かう主体的個人の勇気と確信に基づく身近な周囲(マイタウン)の説得による多数決。アメリカ的民主主義の教科書のような映画である。
NHKで放映されていた「大草原の家」のアメリカン、ポピュリズムも同次元の世界。