政府事故調の長時間の事情聴取に応じた故吉田フクシマ第一原発所長の渾身の激白。事故当時の率直な気持ちを表明していると同時に、この記録が後代に残ることを配慮して客観的な見地から、当時の実情を語ったものである。
2011年3、11の全電源喪失、核燃料棒メルトダウン発生から連続する生命の危機と大量被爆の危機に包まれた異常な緊急事態が続く中で、事故当時の各担当部署の現場情報は、おそらく吉田所長個人の元に集約されていったものと想われる。
こういった異常事態の中では、日常的な組織的機能のうち、緊急事態に役立たない余計なものは、緊急対応の流れの中でそぎ落とされていく。
現場指揮系統も人格的能力的に卓越した少数の者に集約されていく。もはやこうなるとあらゆる意味での個々のヒトの力そのものが試される。
>ただし、コレはあくまでも異常事態への対応という条件下に発生していることであって、あくまでも相対的基準に過ぎない。
平素にこういう異常事態を引き起こさない工夫が一番肝心で、人間の評価は異常事態で決定されてはいけない。
非常時用のタイプ者と平常時向きにタイプの人がいる。
チャーチルは戦争用にイギリス国民に使われたが、戦争が終わると首相の座から引き摺り下ろされた。
この頭の切り替えができるかどうかで民主政治のあり様は決定されるのじゃないか。
今の日本の政治のトップに非常時用の人間タイプは不必要。
アベ首相は小保方晴子に近い人間タイプ(言い過ぎか)。
「美しい国へ」を熟読すれば良くわかる。彼の作はあとがきの稚拙な発想だけ、後は全部、完全に代作。
にも拘らず、あとがきには一言の断りも無い。普通は感謝の言葉を書き加える。
他人の知能を借りていることへの自覚も無い次元で存在している人間だということだ。
という上記の事実に踏まえて
朝日の特集「記事」のなかで吉田所長が、2号機の爆発音と圧力調整チャンバーの圧力計0、圧力容器、格納容器の圧力の残存、放射線量などの判断材料から、放射線量の低い構内一時退避の指令を導き出す思考過程に、物凄い人間力の集中を見る。
今から振り返っても、あの時点では最高の現場トップの総合的判断力に基づく命令だった、と想う。
しかしながら、今から振り返っても、この行為自体、それなりの妥当性があった、といえる。
何よりも、線量の低い構内への一時退避は車内でジッと次の所長命令を待つことを意味する。
命令された所員の立場としては、コレまでの奮闘による労苦を踏まえると、耐え切れない命令だったのではないか。
同時に所長命令には後から振り返って妥当といえない部分があった。
11日以降の全電源喪失、核燃料棒メルトダウン以降の緊急事態のなかで、15日の早朝の時点の2号機の異常事態発生は、いわばそれまでの水素爆発による建屋大破などの異常事態の連続の総仕上げのようなもので、コレ以降、事故現場に600余人もの所員が詰めていても、大半の人たちにとって、ほとんど何もやることがなかった。ただ、集団でジッと大量被爆と死の恐怖に耐えているだけだった。
核燃料メルトダウン以降の暴走に人間ができる当面の抵抗は大量注水しかなく、この仕事に所員は直接は関係が無い。
事故現場に残るものへの交代要員の必要性を想定すると、第二発電所待機も妥当といえる。
それから、ココは肝心なことで、15日早朝までフクシマ第一原発現場所員たちは手動ベントに代表される必要な緊急措置をキチンとやり遂げている。緊急事態のマニュアルに手動ベント作業は明記されていたかもしれないが、訓練で、個々の所員たちはあまり体験したことがなかったのではないか。
高圧の圧力容器(原始炉)の圧力逃がし弁の大きなバルブを大量被爆覚悟で開き、容器内の圧力を下げなければ、原子炉建屋の水素爆発では収まらないもっと大きな大爆発が発生して、大量の放射能が大気中に拡散していた。
結論的にいえば、こうした実情を踏まえ、生命に危機に晒された緊急事態に直面した当事者の現場での行動を振り返って、ほとんど無関係な部外者が「総括する」場合、現場の事態の具体的な推移に基づいて考察すべきであって、抽象や情緒に流された見解を落としどころとしてはならない、ということだ。
上記の平常時、非常時の状況設定の違いもひっくるめて考えて見る必要がある。
そういう意味でマルティメディア手法を日本で始めて駆使した朝日新聞のWebコンテンツ化は、情報材料の捌き方としては、どうなのかな?と、疑問はある。
その理由は前回の<追記>に簡単に記したことに尽きる。
NYタイムスやガーディアンは自然災害と人間というテーマ(雪崩と山火事)でマルチメディア手法を利用しているのであって、福島原発事故は自然災害ではなく政治案件である。
政治案件にセンセーショナルな手法を全面に用いるのは間違い、自ら市民の熟考を基盤とする民主政に唾する行為になりかねない。
がしかし、この有料Webコンテンツはたいして売れないだろう。
福島原発事故現場情報の一般のウォチャーは多分、Webコンテンツ内の伝える、科学的な領域の情報では満足できないと想う。
1号基のツナミ到着前の地震で配管系破壊→メルトダウン開始を取り上げていないことでも、原発事故現場情報としてはグーグル、ウィキペディア以下であり、人間情報を伝えることに集約する余り、福島原発事故に隠された問題点を一般に知らせていない。
事故現場がぐちゃぐちゃになって物的証拠が消失しているだけであり、複数の状況証拠からは、そういう結論が導き出されている。グーグルの長文解説の中でも細かく説明されている。
それでどうして、「そもそも人間に暴走を始めた原発を止める能力はあるのか」といいきれるのか。
新規な部分は吉田所長の生々しい発言から事故当時のリアルな人間的要素を引き出すことだが、この部分の取り扱いを間違うと、英雄や自己犠牲の物語に勘違いする人が出てくる。
現状、このコンテンツを購入するヒトの中にそこまでの勘違いは無いと想うが、問題は多くのヒトの目に触れる新聞の特集記事のほうだ。
余計な心配に過ぎないと想うが近頃は失策が連続しているのが気にかかる。自分の直感は不思議なほど良くあたる。
引用、フクシマ、フィフティー
A)は人間的要素の大切さを踏まえた問題意識で賛同する。やはり、古い言葉だが、血路を切り開かねばならない瞬間、場合は確かにある。ただそれを多数に要求するのは間違っている。ここをハッキリさせているかどうかが肝心なところで解っていると思う。
B)は間違った視点であり、表現も「原発が破裂しそう」とは小学生相手ではあるまいに、福一事故に照らし合わせた科学的見地ではない。抽象論、感情論に流れる要素を多く含んでいる。団体、集団に血路を切り開く路を要求する思考パターンである。
第二原発に退避した所員にもそれなりに正当な理由があった。
別の次元のことは承知しているが、韓国フェリー改造客船転覆事故で逃げ出した船長にたいして、沈没船と溺死した乗客と一緒に死ねという「権利」は自分には無い。それは裁判所が決めることだ。
新聞本誌の特集記事はセンセーショナリズムを避けて、非公開吉田調書をホットな歴史資料を提供するつもりで、事実関係をキチンと編集して多くの人たちの参考にして欲しい。
それがホットな歴史的非公開資料を手に入れたジャーナリズムの歴史的使命である。
一応、歴史的教訓に踏まえると、戦前のなし崩し的軍事体制化のリアルな進行の過程で、当初、満蒙戦線拡大に反対の論陣を張って抵抗していた朝日新聞は戦時高揚に沸く国粋主義者の攻撃もあり、軍部の暴走を追認する形での華々しい戦時報道に方向転換した。
この時流に迎合した戦時報道によって新聞は発行部数を伸ばし、こうして言論界の挙国一致が完成されていった。
侵略と戦争、原発事故では情報材料が違う?
そうかな?
再び戦前の政治軍事過程が繰り返すなどという稚拙な発想と無縁な者は、
<情報の捌き方、如何によっては緊急事態への対処に多くのヒトを巻き込む=臨戦態勢の意識化、という意味では、同一次元>とする。
過去と現在を貫く新鮮な見方じゃないかな。
上記は取り越し苦労かもしれないが、最近のイロイロな失策が連続を勘案すると、新聞定期購読者の減少を背景に間違った方向に一歩踏み出しているような気がしてならないのだが。
また、あの程度のコンテンツでは高級情報商品として販売しても市場はキビシイ反応をする。
吉田証言の内容の粗筋は、この間の多種類の情報で暴露されているのじゃないかな。
ただ、細かいところの詰めはカスカスで、この資料は大いに貢献する。
だから歴史的資料であり、大スクープである。
グーグル航空地図をクリックして、日本列島から、丸い地球を一回りして見る。
地球プレートがこんなに入り組んでいる場所は世界中で、日本列島だけしかない。ザット指折り数えても4~5の地球プレートが日本列島の周辺に巨大なモザイクのように重なっている。
同時に九州から茨城辺りにかけての中央構造線を境に列島地質組成において、形成過程の全く異なる地層が大陸側、太平洋側に分割されて広がっている。
伊豆半島は南太平洋辺りから流れて日本列島にくっついた。
伊豆半島のぶつかった近辺からフォサマグナが長野県を通って新潟に抜けているんじゃなかったっけ。
日本列島の地層は毛根に覆われたしわしわだらけ、全部活断層。
一部の地域の基盤の地層は底が抜けているという。
つまり、地球の時間を短縮した規模でみると、日本列島はまともに立っていられないほど揺れ動いている地盤。
原子核の分裂は、ES細胞の増殖と同じく、人間が自然界に存在しないものを人工的に作り出したもの。
(太古にウランの核分裂の一定の環境が揃って、爆発した形跡が残っているらしいが)
ともに作り出した人間が取り扱いの条件や扱い方を間違うと、反自然的な巨大な災いを、自然的存在でしかない人間にもたらす。
フクシマ原発事故現場の収束作業の完了が宣言(完了宣言は無いと想うが)された時点で、今の日本国民の20~30%は列島に生存していない。
あの程度で収まっているのは、過去も現在も現場で作業しておられる人たちのおかげ。
が、今後、設置され拡大されていくしかない凍土壁や膨大な地上タンク群の存在はあの事故の異常性を指し示している。
それで2020年東京オリンピック開催と。何処か肝心なねじが外れてしまったのじゃないだろうか。倫理的な意味でいっているのではない。政治経済の問題として。
東日本大震災では余りにも多くの方がなくなった。
この二つの事態を祈念する日を制定しようという集会の動画を見たが、気持ちは良くわかる。
初期には無理でも、年月を経たら、現実を直視したほうが良いに決まっている。
日向ばかりで苗は育たない。表があり、裏があってのワンセット。
前回の繰り返しになるが次の事実
(1)参考資料。
【原子力規制委員長「吉田調書読んでいない、知らない】
W,ここまではその立場を踏まえてなんとなく理解できる。
「東京電力福島第一原発で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(故人)が政府事故調査・検証委員会に答えた「聴取結果書」(吉田調書)について、原子力規制委員会の田中俊一委員長は朝日新聞の取材に「読んでいない。(存在自体も)知らない」と答えた。規制委は政府事故調などをふまえ、原発の新しい規制基準を決めた経緯がある。田中氏は「全部考慮してやっている。(調書が表に)出れば読ませていただきたい」と語った。」
(2)参考資料
【菅官房長官、吉田調書は「公開しない」 理由は明言せず】
W、こんな政府は先進国では珍しい!例えば、アメリカではコレは絶対に通用しない。日本は変わった国。
こういったものに対抗していくためには、ナィーブはある程度、捨てる必要がある。
「東京電力福島第一原発で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(故人)が政府事故調査・検証委員会に答えた「聴取結果書」(吉田調書)について、政府事故調解散後に調書を引き継いだ菅義偉官房長官は閣議後の記者会見で「吉田元所長を含めヒアリングは公開しない」と語り、調書を今後も非公開とする考えを示した。
吉田氏は政府事故調の聴取に対し、聞き取り内容の公開を了承している。調書を非公開とする理由について菅氏は「事故を二度と起こさないように施策を政府をあげて行っている。それ以上でもない」と明言を避けた。政府に保管されているとされる調書は「読んでいない」とした。」
吉田氏は政府事故調の聴取に対し、聞き取り内容の公開を了承している。調書を非公開とする理由について菅氏は「事故を二度と起こさないように施策を政府をあげて行っている。それ以上でもない」と明言を避けた。政府に保管されているとされる調書は「読んでいない」とした。」
(3)参考資料
【菅官房長官、吉田調書は「公開しない」 理由は明言せず】