「六朝時代の中国の「荊楚歳時記」に「人日」(人を殺さない日)である旧暦1月7日に、「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(あつもの、とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が記載されており、「四季物語」には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」とある。
*このことから今日行われている七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本において日本文化・日本の植生と習合することで生まれたものと考えられている。」
>日本
1)餅がゆ(望がゆ) かゆに様々な穀類を入れていた時代(民間の食生活。主食は米とはいえない。)
*かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物(宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入)で←儀式化、これとは別に一般官人には、米に小豆を入れただけの「御粥」。←官位のない職員の儀式は宮中儀式の模倣だけ。御粥は実利主義。
2)現在の7種粥の近い風習の始まり(旧暦の正月(現在の1月~2月初旬ころ)に採れる野菜(食べられる野草)を入れる)初見→「1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」
↓参考資料
史前帰化植物について3つのグループに分類
Cグループ 中国から有用植物として持ち込まれたもの(花)ヒガンバナ
*「これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりであり、今日における七種類の定義は日本の米作文化が遠因」
3)江戸時代に庶民や武家の風習として定着。
*秋の七草はそれを摘んだり食べたりするものではなく観賞するためのもの。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b1/Patrinia_scabiosifolia1.jpg/80px-Patrinia_scabiosifolia1.jpghttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Susuki01s3200.jpg/80px-Susuki01s3200.jpghttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Platycodon_grandiflorum_ja01.jpg/80px-Platycodon_grandiflorum_ja01.jpghttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b5/Dianthus_superbus_var._longicalycinus_in_Mount_Ibuki_2011-08-28.JPG/80px-Dianthus_superbus_var._longicalycinus_in_Mount_Ibuki_2011-08-28.JPGhttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c9/Eupatorium_japonicum_flower.jpg/80px-Eupatorium_japonicum_flower.jpghttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c4/Starr_021012-0015_Pueraria_montana_var._lobata.jpg/80px-Starr_021012-0015_Pueraria_montana_var._lobata.jpghttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/Lespedeza_ja02.jpg/80px-Lespedeza_ja02.jpg
左から順に
1)おみなえし(女郎花<深い意味なし>)。自生地減少、最適場所手入れの行き届いたため池の土手(無理筋!)
2)尾花(ススキ)茅(かや。「萱」とも書く)と呼ばれる有用植物。
*ススキが生い茂ると、草原は次の段階としてパイオニアの樹木がいってきて、遂に森になる。
ススキは株が大きくなるには時間がかかるので、初期の草原では姿が見られないが、次第に背が高くなり、全体を覆うようになる。
今の日本に草原が森に変化する状態で放置される余地があるのか。(北海道などは別)
ススキそっくりで間違えやすい→オギ(荻。
利用
「かつては「茅」(かや)と呼ばれ、農家で茅葺(かやぶき)屋根の材料に用いたり、家畜の餌として利用することが多かった。そのため集落の近くに定期的に刈り入れをするススキ草原があり、これを茅場(かやば)と呼んでいた。現在では、そのような利用がされないので、その多くは遷移が進んで、雑木林となっている。」
3)ききょう桔梗(この漢字?)絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)
ナデシコ属は北半球の温帯域を中心に約300種が分布。このうち、ヒメハマナデシコ(主として九州沖縄)とシナノナデシコ(本州中部)は日本固有種(日本にのみ自生)であり、他に日本にはカワラナデシコ(ナデシコ、ヤマトナデシコの異名もあるとハマナデシコ(本州以西)が分布する。
*「撫でし子」と語意が通じることから、しばしば子どもや女性にたとえられ、和歌などに多く参照。
*ナデシコ属は古くから園芸品種として栽培されてきたが、太平洋戦争時に壊滅的な打撃を受け、現在ではほとんど当時の品種は残っていない。
昔は、草原や山地、河原等の環境は人の手により草刈や枝打ち等され、里山的な利用が行われてきた。これで、日当たりの良い開けた環境が継続してきたという背景がある。近年の人間の生活習慣の変化で、このような
「人為的なかく乱」が行われなくなると、カワラナデシコに代表される人間と密接な関係のある普通種が、その自生地や個体数を減少させてしまう結果となりうる。」
保護上の位置づけ
岩手県 :Cランク(存続基盤が脆弱な種)
埼玉県 :絶滅危惧II類
鹿児島県 :準絶滅危惧
沖縄県 :絶滅危惧IA類
5)ふじばかま(藤袴) キク科
世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 選定種の一つである。地下茎があって繁殖力が強くが強くやっかいなつる性植物。
「北アメリカでは、1876年にフィラデルフィアの独立百年祭博覧会の際に日本から運ばれて飼料作物および庭園装飾用として展示されたのをきっかけとして、東屋やポーチの飾りとして使われるようになった[4]。さらに緑化・土壌流失防止用として政府によって推奨され、20世紀前半は持てはやされた。しかし、繁茂力の高さや拡散の早さから、有害植物ならびに侵略的外来種として指定され、駆除が続けられている。現在ではクズの成育する面積は3万km2と推定されている[5]。」
食用
「古来から大きく肥大した塊根に含まれるデンプンをとり、「葛粉」として利用されてきた[3]。秋から冬にかけて掘り起こしたものを砕いて洗い、精製する[3]。葛粉を湯で溶かしたものを葛湯と言い、熱を加えて溶かしたものは固まると透明もしくは半透明になり、葛切りや葛餅などの和菓子材料や料理のとろみ付けに古くから用いられている。」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/80/Kuzukiri_1_by_macglee_in_Higashiyama%2C_Kyoto.jpg/200px-Kuzukiri_1_by_macglee_in_Higashiyama%2C_Kyoto.jpghttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/11/140614_Yagyu_Iris_Garden_Nara_Japan07s.jpg/220px-140614_Yagyu_Iris_Garden_Nara_Japan07s.jpg
関連項目
「わらび粉はワラビの地下茎を叩きほぐして洗い出し、精製したデンプンであるが、同様の方法でクズの肥大した根から得られるデンプンの葛粉以上に原料の採取や製造に手間がかかり、収率が悪いので、現在では製造者が非常に少なくなっている。
全て手作業の場合は10kgのわらび根から70gほどしか、わらび粉は抽出されず、しかも厳冬の時期に根を掘り何度も冷水に濾し、粉にまで精製する手作業に計十数日を要する。
民俗 月見:中秋の名月に萩・薄を月見団子と共に月に供える風習がある。萩も薄も、昔の日本では山野に自生する身近な植物であった。 花札の7月10点札は「萩に猪」の絵柄が一般的である。
そのため、現在のわらびもちは、わらび粉の代わりにサツマイモやタピオカから取られたデンプン、あるいは葛粉を材料にして製造したものがほとんどであり、本物のわらび粉で作ったわらびもちは希少な高級品となっている。その他のデンプンのものは無色透明で涼しげなものであるが、本来のわらび粉だけのものは茶色がかったものとなる」
7)はぎ(萩)マメ科
マメ科の特徴がよく出ている。
背の低い落葉低木ではあるが、木本とは言い難い面もある。茎は木質化して固くなるが、年々太くなって伸びるようなことはなく、根本から新しい芽が毎年出る。直立せず、先端はややしだれる。
ミズキボウシ、人通りのない殺風景な道端で採取。給水力強い。最近開花22本、つぼみ4。小ぶり、ひっそり可憐、悲しげな風情。
左ススキ、右オギ
ススキとオギの特徴がよく出ている画像。
この画像からは、公園から採取してきたものはオギのようだが、一概に言えないところがある。
理由
引用。http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/gramineae/ogi/ogi.htm 植物生態研究室(波田研)のホームページより。
「オギは河原などに生育する多年草。ススキによく似ているが、草丈は2mを越える。種子でも繁殖するが、群落の拡大は地下茎で行うので、土壌は粘土質から砂質であることが必要で、礫を多く含む河原では生育しない。」
さらに
「オギは漢字で書くと「荻」であり、荻野・荻原などの地名や名字でお馴染みである。昔は洪積平野などに広く生育していたのであろうが、水田や畑地として開墾されてしまったものと思われる。オギ群落の発達している場所は、土壌が砂質から砂質粘土であり、根菜類の栽培にはもってこいの土壌である。最近は放棄水田などに群生しているのを見かけることも多くなった。本来はこのような時折冠水するような低湿地に広く群落を形成していたに違いない。」