反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2014年6月23日に亡くなった宮前ユキさんの「行き先なしの汽車」からクリス、クリストファーソンの「Me & bobby McGee」を歌うシンガーたち。

  ジュリーロンドンをいつものように聞きながら~。全20曲。イラついている時はコレに限る。和む。
音楽の好みとして、大仕掛け、大げさなもの、格好つけたもの、高尚ぶったもの、肩に力のはいっているものは全てダメ。サラッとやってほしい。ノリノリで騒ぐなら、徹底的にやってもらいたい。
 ということで、クラッシク音楽を大昔から忌避している。何度チャレンジしても受け入れられない。音の拷問に近いものさえあると想っている。トラウマはいくつかあるが省略。
 
 個人が演奏したり歌わない限り、音は一方的に耳を通して体のほうに入り込んできるわけで、その場合、受け手の側のもって生まれ、さらに環境によって養われた体内リズム(というものがあると仮定して)と合わないことがあり得る。カラオケはこの辺の一方通行のメカニズムの矛盾を超えるところがあったから、浸透したのだろうか。
 
 カントリーミュージックを始めて耳にしたのは中学生のころだった、と想う。
いずみたくさんがパーソナリティーを勤め、相手役の若い女性に曲をかけて、うん蓄を傾けるラジオ番組で、ハンクウィリアムスの」、「Your Cheatin' Heart」を聴いたとき、衝撃を受けた。フィドルとスティールギターのコンビネーション、メロディーライン、ハンクの独特のかすれ声と節回し、は今まで聴いた、聴かされた、どんな音楽よりも、自分の体内にスゥ~と素直に入り込んで来た。頑固な自分の体内リズムと波長があったのだと想う。
そのとき、カントリミュージックというジャンルの来歴がいずみたくさんの適切な解説でシッカリと頭の中にもインプットされた。
 
 その後、大きな間があって、レコードをじっくり聴こうとしたとき、真っ先に買い求めたのはカントリーだった。
当時のレコード店では今よりも、はるかにカントリー系の楽曲にスペースが割かれていた。 
そこでアチコチのレコード店を回って、収集を始めた。
日本のレコード店に陳列されているようなLPはほぼ、集め終わって後は、特注するしかないところまでいっていた。
 
 当然、日本のカントリーシンガーのものにも目がいったが、テレビの歌番組の特別番に出演したのを聴いていると、どうもしっくり来なくて、日本のカントリーミュージックのレコードを集めようとは想わなかった。
ただ、日本を代表するカントリーミュージシャンということでジミー時田さんのものだけは、手元においておくことにした。
が、やはり、どうもしっくり来なかった記憶がある。
上手い!しかし、個性がないな、と。進駐軍向けの音楽環境にどっぷりとつかっていた時代の所為だったと想う。今の時代の外国人演歌歌手が個性的に歌える時代とは違っていたということだ。
 
 そんな中で、宮前ユキさんのLPに注目した。
全曲、オリジナルも含めて日本語で歌っていたと記憶している。録音状態もクリアーで、いい音が出ていた。当時のLPには録音様態の悪いものがあった。ローりングストーン(キングレコードだったと想う)のものは、音が篭っている感じで、おそらく大音響を出さなければ、細かい音が引っ張り出せないような状態だった。
 
宮前ユキのアルバムの中ではシングルカットされていた「お前とナッシュビル」よりも、
「行先なしの汽車 ♪ 」が、小節の展開の仕方が独創的で、よくできている、と感心した。
日本のポピュラーソングに、こういった展開に持っていく楽曲はなかったから新鮮に思えたわけだ。
 
 ところがアレからウン十年が過ぎて、You Tubeの動画から、この曲はクリス、クリストファーソンの代表曲の一つ、「Me & bobby McGee」であると解った。今頃!
余りにも遅すぎるのだが、昔、カントリーを集めていた頃、クリス、クリストファーソンの歌は日本では発売されていなかった。LP特注にまで踏み込んでいたら、カントリー歌手クリスクリストファーソンは知っていた、だろう。
 
 有名なジャニス、ジョップリンが1971年にクリスクリストファーソンhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3「Me & bobby McGee」をカバーして全米NO1ヒットを飛ばしたといっても、当時の自分は音楽とは接点はほとんど、無かった。ジャニスジョップリンが歌手としてではなく、当時のヒッピー風俗の最先端をいっているようなヒトだと、薄々知っていた程度だった。
 
 ヒッピー、その源流はビートニクだったが、日本との大きな違いは、終始群れっぱなしの日本と、群れても、分散して個性としてヒッピーである違い。【ただし、世界的に見て、ビートニク世代に創造はあったが(アレンギンズバーグ、ジャックケルアック、ビートルズローリングストーンズも広い意味でビートニク世代)ヒッピー文化に創造性は生まれなかった】
 自分は硬派ということではなく、そういう習俗、全く個人的にOKで、嫌う理由は無かったが、私生活領域(趣味)で群れていることが肌に合わなった。
それで、ウッドストックとかジャニス、ジョップリンがクリスクリストファーソンをカバーして「Me & bobby McGee」全米NO1ヒットを飛ばそうが、全く縁がなかったというわけだ。
 
 大雑把にまとめると、同時代の同じカウンターカルチャー方面なのに、全く別の世界、別の問題意識で生きていたことになる。大昔のことを今更だが、この辺は日本は遅れていたと振り返って想うし、そういう矮小な政治先行の問題もあった。
今、多少改善され融合されているな、と納得する。三宅洋平など良い線いっている、とはおもうが、彼の出演する動画を見ていつも想うのは、話が分析的というか解説的というか、込み入り過ぎているということ(反俗日記より遥かにマシ!)。聴いていて途中で疲れる。政治活動の分野では一人で考え過ぎてはいけないじゃないか。冒頭の話ではないが、一方通行になる可能性もある。
 
 ということで、「Me & bobby McGee」の歌詞の内容、歌声に耳を傾けるとイロンナことが解る。
アメリカ映画にはロードムービーという手法というかジャンルがあるように、流行歌にもロードミュージックという手法、ジャンルがあり、その根っこはアメリカ人は移動し続けて人生を終えるという側面がある。
日本映画ではトラック野郎(見たこと無し)が該当するが、最長でもたった半日ぐらいの走行距離ではロードムービーは成立するはずはないと想う。
幸福の黄色いハンカチ」は広い北海道が舞台のロードムービー傑作だが、原作はピート、ハミル
アメリカでは移動先にマイタウン、コミュニティーはあっても、日本のような固定的「ムラ的地域社会」はない。


  まず、英語の「Me & bobby McGee」歌詞。(Kristofferson/Foster)
物語性ある歌詞の何処を山場にするか。今風に考えて、文句なく、「Freedom's just another word for nothin' left to lose And nothin' ain't worth nothin' but it's free」のフレーズだろう。今でも通用するフレーズだ。哲学的ともいえる。
なお、ヒッチハイクの始まる、<Baton rouge>ルイジアナ州日本人留学生の高校生16歳の服部君がハロウィンの日に間違って別の家を訪問して、フリーズという主人の言葉に立ち止まらず、射殺された市だと想う。
服部君射殺事件の概要。1992年。
<Headin' for the train>のトレインは超大型トラックのこと。後に紹介する中川五郎さんの解説に説明されている。
*この記事はオリビアニュートンジョンのカバーを紹介したものだが、ヒット曲「ジョリーン」はカントリー界のスパースター、ドリーパートンの作。このヒトは天才。ドリーパートンが提供したビッグヒット曲にはほかにホイットニーヒューストンI Will Always Love Youがある。芝居がかった解釈で、元歌の主旨をはかなり離れているが、確かに上手いし劇的。 
  
 洋楽好きのための洋楽歌詞・動画専門サイト WEB-SONGS.COM引用。
Busted flat in Baton rouge
Headin' for the train
Feelin' nearly faded as my jeans
Bobby thumbed a diesel down
Just before it rained
Took us all the way to New Orleans
I took my harpoon out of my dirty red bandanna
I was blowin' sad while Bobby sang the blues
With them windshield wipers slappin' time
And Bobby clappin' hands
We finally sang up every song that driver knew

Freedom's just another word for nothin' left to lose
And nothin' ain't worth nothin' but it's free

Feelin' good was easy, Lord, when Bobby sang the blues
Buddy, that was good enough for me
Good enough for me and Bobby McGee

From the coal mines of Kentucky
To the California sun
Bobby shared the secrets of my soul
Standin' right beside me
Through everything I've done
And every night he kept me from the cold
Then somewhere near Salinas
I let him slip away
Lookin' for the home I hope he'll find
And I'll trade all my tomorrows for a single yesterday
Holdin' Bobby's body next to mine

Freedom's just another word for nothin' left to lose
And nothin' ain't worth nothin' but it's free

Feelin' good was easy, Lord, when Bobby sang the blues
Buddy, that was good enough for me
Good enough for me and Bobby McGee
Enough for me and Bobby McGee
Good enough for me and my Bobby McGee
I let him slip away
Lookin' for the home I hope he finds
Enough for me and my Bobby McGee
Enough for me and my Bobby McGee, yeah
 
 歌詞の内容を適切に表現した和訳。凄い!この方はジャニスジョップリン盤を取り上げている。
ただ、やっぱり、Headin' for the train の部分を汽車としている。
 
バトンルージュでひと騒ぎして、汽車を待っていたの。
ジーンズと同じくらい色褪せた気持ちで…。
遠くから歌いながらやってくるディーゼルをボビーが見つけたの。
そしてニューオリンズまで旅をしたわ。
赤い汚れたバンダナに包んだハーモニカを取り出して、
ボビーが歌うブルースに合わせてそっと吹いたの。
ワイパーがリズムを刻み、あたしはボビーの手を取っていた。
私たち、運転手の知っている歌をひとつ残らず歌ったの

自由っていうことは、失うものなど何もないってこと。
自由でなきゃ何にも意味なんてないわ。
いい気持ちになるのは簡単なことだった。
あいつがブルースを歌うだけでほんとサイコーに気持ちよかったわ。
あたしと、ボビー・マギー。

ケンタッキーの炭鉱からカリフォルニアの太陽まで、
あたしたちは秘密を分け合ったの。
どんな天気だって、何をやったて、
ボビーはどんなことからもあたしを守ってくれたの。
けど、あの日、そう、サリーナの近く。
あたしはあいつの手を離してしまったの。
ずっと故郷を探していたあいつ。
うまく見つかったのならいいんだけれど。
あの一日のためになら、あたし、
明日のすべてを売り払っても構わないわ。
ボビーに寄り添うためならば・・・。

自由っていうことは、失うものなど何もないってこと。
自由でなきゃ何にも意味なんてないわ。
いい気持ちになるのは簡単なことだった。
あいつがブルースを歌うだけでほんとサイコーに気持ちよかったわ。
あたしと、ボビー・マギー。

自由っていうことは、失うものなど何もないってこと。
何もない、何もないわ。
けどあたし、ボビーを見送ってしまったの・・・。

あたしと、ボビー・マギー。


「Me And Bobby McGee」中川五郎 Dig Music Gazette10  
歌詞の内容、精神を最大限に生かした歌うための和訳。「想いでのグリーングラス」の和訳のような歌詞の内容をまるっきり取り替えている酷い改作は御免だ。
*(中川 五郎)解説→上記該当部分。
「日本語に初めて ­訳した時、「ディーゼル」という言葉をディーゼル・トラックではなくディーゼル機関車 ­と勘違いして、「ボビーは汽車にヒッチハイク」と歌い、それでレコーディングまでして ­しまったのは、ほんとうに恥ずかしいかぎりだが、今となっては何とも懐かしくほろ苦い ­思い出だ」
 
ジャニスジョップリン盤が最大のヒットとは想うが、動画をイロイロ聴き比べた結果、カントリー調の素朴さと、歌手なりの解釈がマッチして、コレが一番良かった。あくまでも好み。
Pink - Me & bobby McGee
 
Johnny Cash - Me And Bobby McGee   日本人には受けないが、アメリカではスパースター。
クリス、クリスファーソンの師匠格だった。
 
Johnny Cash - San Quentin (Live from Prison)  カントリーには刑務所ソングというジャンルもある。「想いでのグリーングラス」もその一つである。この歌詞内容を変えたりしないリアリズムと臨場感、パフォーマンスに注目。
日本を市場原理主義一色にするならば、それに対するカウンター的要素が整っていなければならない、と考えるが、それがない場合は、列島は市場原理主義服従の檻と化す。当たり前の道理であり、喜ぶのは誰かも決まっている。そのための集団自衛権法整備だと想う。
 
ジョニーキャッシュと同じような路線のMe And Bobby McGee  コレが伝統的なカントリーでは普通。
Waylon Jennings Me and Bobby McGee ジョニーキャッシュのバンドはティールギターを使わないが、ココでは全面的にフィチャーしている。そういった意味で、こちらのほうが正調カントリー節になっている。
 
Jerry Lee Lewis - Me and Bobby McGee 元神学校放校の偉大なロックンローラー。多くの現役ミュージシャンにリスペクトされている。エルビスレスリーと同じころ、サンレコードからデビュー。カールパーキンスと共に三羽烏といわれた。
持論では一番音楽性が低いのはエルビスである。
 
クリスクリストファーソンの作った名曲は他にもある。冒頭の司会で登場しているのが、クリスクリストファーソン。 Martina McBride - Help Me Make it Through the Night (LIVE)
多くの有名歌手がカバーするスタンダードナンバー。
 
Johnny Cash & June Carter- Help Me Make It Through The Night
女性はカーターーファミリーピッキング奏法で歴史の残るギターの名手、伝説のカーターファミリーのメイベルカーターの娘でキャッシュの妻ジューン、カーター。なぎら健一の同奏法の解説動画が載っている。
 
カーター・ファミリー ワイルドウッド・フラワー メイベルのギターソロ