反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

雑草物語NO2。ブーゲンビリア~探検家ブーガンヴィルに由来、太平洋戦争のブーゲンビル島~フランスが世界の覇権を争っていた時代は文化も隆盛の時代だった。エドゥアール・マネ。

  ブーゲンビリア ウィキペデア「オシロイバナブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木和名イカダカズラ(筏)、ココノエカズラ(九重)。W、ぶどうなんかと同じつる性の低木。
ブーゲンビリアという名前は1768年ブラジルで木を見つけたフランス人の探検家ブーガンヴィル由来ブーゲンビル島パプアニューギニアの島。島名は1768年世界周航の探検を行っていたフランス探検家ブーガンヴィルちなむ。黄色マークに注目!
 
  
     頭のチャンネルは、花と全く関係のない、戦争に飛躍する。
 ロッキードP38ライトニング 双頭の胴体のように見える。 海軍甲事件も太平洋戦史のエポック。山本長官の前線視察に関する暗号電報の解読に端を発する。
*甲事件があれば、海軍乙事件もあった。、太平洋戦争中の1944年昭和19年3月31日連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件。事件の際に日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E4%B9%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事件の核心は、次の点のある。
「二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた連合艦隊参謀長福留繁中将以下の連合艦隊司令部要員3名(他、山本祐二作戦参謀、山形掌通信長)を含む9名は泳いで上陸したが、ゲリラの捕虜となり、1944年3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われた。ゲリラに対して警戒心を抱かなかった福留らは拘束時に抵抗や自決、機密書類の破棄もしなかった(かばんを川に投げ込んだが、すぐに回収されたという)。」
 事件の影響
「当時の日本では敵の捕虜となる事をこの上ない恥としており、福留繁中将がゲリラに捕縛された事を敵の捕虜になったとみなすかどうかが問題となった[8]。戦時は捕虜にならなかったという見地で不問になった[9]。 福留は海軍上層部の擁護もあり、軍法会議にかけられる事も、予備役に退かされる事もなく、第二航空艦隊司令長官に着任し、海軍内の要路に留まった。 福留らは結局事件直後からその最期まで軍機を奪われた事を認めようとはしなかった[注釈 1] 戦後、海軍は身内に甘い体質を持つと批判されたが、その理由として本件を挙げられることもある[11]。」
「文書の入手や暗号解読に関わった関係者の回顧では、この計画書類は太平洋で日本軍と対峙する太平洋艦隊やその指揮下の第3艦隊にも回送されて活用されたという。」
ミッドウェー海戦で情報戦にも勝利した後、太平洋方面ではアメリカ海軍を中心として情報組織の再編が行われた。」
「太平洋方面情報センター(ICPOA)が誕生した。JICPOAはその後、ICPOAを母体に、既存の暗号解読組織などを統合して生まれ、太平洋方面司令官の任にもついたニミッツの指揮下にあった。これらの組織は、1943年2月に日本語翻訳の速成教育を受けた予備士官20名を受け入れてから、日々その規模を拡大し続けていた」
「文書はハワイでの徹夜の作業によって、その全体が翻訳され、そのコピーが飛行艇で前線の艦隊に送付された。」    P38の機能美。
イメージ 41943年4月18日、前線の視察に向かう連合艦隊司令長官山本五十六が、この島の上空で搭乗機アメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され、戦死する事件が起こる(海軍甲事件)。同年11月2日には島にアメリカ軍が上陸し、以後終戦まで戦闘が続いた(ブーゲンビル島の戦い)。結果として多数の死者を出した為、日本ではブーゲンビル島(当時は「ボーゲンビル島」と表記された)を指して墓島と呼ぶ者も現れた。」W。ガダルカナル島→餓島
W。初夏の青空をバックに枝一面に咲き誇っている赤紫のブーゲンビリアの「花」【色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉】を見たとき、てっきりブーゲンビル島あたりの原産のものだと想って、太平洋戦争の古戦場であるあの島の青い空に映える花の様子を思い浮かべていたが、原産地は南米の熱帯雨林だった。
でも、ブーゲンビル島ブーゲンビリアも世界周航の探検をしていたフランス探検家ブーガンヴィルにちなむものだった。
 
*とここまで書いて、探検家ブーガンヴィルに飛んでみると、詳しい事情が解った。
  ブーガンヴィル(このヒトは数学者、探検家、軍人。フランス領カナダの対英戦争、フランス革命、ナポレオン時代をフランス海軍軍人として生き抜いた偉人)の世界周航の業績を参照。
イメージ 1ブルターニュのブレスト出発→南米→南太平洋→アフリカ喜望峰のルート。 ブーゲンビル島には上陸して探検している。
植物学者のフィリベール・コメルソンPhilibert Commerçon)が、かなり後になって(ブーガンヴィルに因んで)ブーゲンビリアと名付けられることになる花を発見した。」
 
ということは、ブーゲンビリアは1768年の、実際はモット後に見つけられた。
 
 
 
 
 世界周航の業績に面白いことが記されている。
最初に世界一周を果たした女性は男装して船に乗り込んでいた。
「コメルソンの助手にジーン・バレという植物学者がいたが、その正体はジャンヌ・バレJeanne Baré)という女性で、後に船医に性別がばれることになる。彼女は最初に世界一周をした女性となった。」
W、解説から偉大な女性だった、とわかる。フランスの 英米に続いた市民革命は現代に通じる普遍性を育んだ。
*フランス革命前後、ナポレオン以降のフランスはイギリスと世界の覇権を争って、文化的にも隆盛を極めていた。
エドゥアール・マネ Edouard Manet1832-1883 | フランス | 印象派 http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/manet.html マネの作品の詳しい解説が載っている。よく見ている。面白い。拡大可能。
■ フォリー=ベルジェール劇場のバー。モダンそのものだ。 1881-1882年死ぬ間際の傑作。
■ 兵士に侮辱されるキリスト(キリストの嘲笑) キリストの表情、様子は今までのこの種の絵画ではあり得ないもの。どう見ても悲劇的殉教者として描かれていない。劇場のバーの女性バーテンダーの虚無的表情に通じるものがある。

イメージ 2
イメージ 3