反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

海軍乙事件の実態を参考資料5点から多角的に照射する。~理研ー小保方騒動の発端~経過~現状と何処か似ている~

  前回の記事で取り上げた海軍乙事件は去年の8月15日に向け、マリアナ沖海戦ーサイパン島の戦いを実録重視で取り上げたとき、記事にしなかったが、参考資料として詳しく調べたことがあり、太平洋戦史における事件の位置づけは掴んでいた。また、関連事項を追求する中で、当時の米軍情報機関の発展という角度から、スノーデン事件をキーワードに一連の国際的情報網の実態と日本の秘密保護法案提出の背景をつかんだ。
具体的事実関係に拘って課題を追いともめて行き、パノラマに達する(時もある)、という方法論を採っているものとしては、身震いのするような瞬間だった。
 
 ブーゲンビリアの花の記事を書いているときに、ブーゲンビル島山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機の撃墜事件(海軍甲事件~大本営はしばらく公表しなかった)の関連記事を仕上げてから、フト頭をよぎったのが海軍乙事件だった。
日本軍の組織問題がアカラサマになった事件を書き落としていたのだ。
それで時間の都合で急いでウィキペディアを引用したわけだが、相変わらず戦史関連の解説の特徴である、本質をズバリ正面から見据えるのではなく、実態を分散的に描き出し核心をぼかせる傾向を満開させたもので大いに不満だった。
生きて捕虜の辱めを受けず、の戦陣訓の方向に重心を置いて、海軍乙事件を捉えていくと、敗戦によって、何もかもが一新されて、海軍乙事件のような支配層の支配層としての現時点までの継続、継承の問題、日本独特の国民的な思考パターンの問題がスルーされてしまう。
煎じ詰めると、支配層のかばい合い、無責任性と「希望的に考えていると、それがいつの間にか事実のようになると信ずる日本独特の思考形態をみることができる。今でも、あちこちに生き延びています、その考え方。」は見逃される。~安心計画株式会社 こんな事実が 山本里見先生 02海軍乙事件~引用。
 
 が、他の核心をえぐった記事に当たる時間も無くそのままにした。
また、理研ー小保方騒動と海軍乙事件が似ていると、直感したので関連付ける軽い文言を追加することも考えたが、中止した。
 
 *海軍乙事件関連のネット記事はグーグル解説記事をはるかに凌駕する好読み物ばかりだった。
しかも当然、事件の事実関係の記述は重複するのだが、リアルで多様な記事ばかりで、文句のつけようがほとんど無かった。
 
*戦争とは?平和とは?抽象的な事態ではなく、あくまでもリアルな事実問題である、と常に考えている。
以下の記事や動画(NHKテレビ特別番組を数本集めたもののようだ。まだ見ていない)は、そういった意味で非常に参考になる。問題意識と視点が鮮明だからこそ、生まれた記事と動画である。


           (1) Commutative Weblog 3海軍乙事件 あやたろう (2012年1月21日 07:47)
~「戦史の証言者たち」吉村昭著、文春文庫に基づき、海軍乙事件について、記述している~
W小説家のドキュメンタリーから記事にしただけあって、他の記事にないリアリズムに徹した事実関係が述べられている。http://commutative.world.coocan.jp/blog3/2012/01/post-401.html
例。
「二番機も、悪天候で完全に位置を見失い、彷徨っているうちに、フィリピン、セブ島とおぼしき付近の海上に不時着した。かなり激しく海に突っ込んだため、燃料に引火し爆発する惧れがあるので、生き残った全員は、セブ島に向かって泳ぎ始めた。その時点で助かった人は、福留中将、山本中佐、山形中尉、岡村中尉、今西一飛曹、吉津一飛曹、奥泉一飛曹、杉浦整曹、岡田整曹、田口二飛曹だったが、田口二飛曹は不時着時に片足切断の大怪我をしており、結局、泳ぎながら力尽きた。
セブ島への泳行は数時間にも亘る難行だった。島に近づくと、現地人がボートで救出にきた。実は、現地人といいつつ、米軍のジェームス・クッシング中佐率いる匪軍(ゲリラ部隊)だった。全員、疲労困憊し武器もないので、なすすべもなく拘束され、ゲリラ部隊の捕虜となった。
一方、セブ島には、大西中佐率いる日本軍が駐屯しており、クッシング中佐のゲリラ部隊とは一進一退の攻防を繰り広げていた。地元民からなるゲリラは地の利もあって手強く、100人ほどの日本兵が殺されたという。
しかし、内偵を使い、ついにゲリラの本拠地を突き止め、完全にこれを包囲した。あとは攻撃すれば一網打尽である。そこには、クッシング中佐の妻子も住んでいるという。
大西中佐がいつ攻撃を仕掛けようかと機を見計らっているとき、なんと日章旗を振ってこちらに向かってくる者がいる。日本人のようにも、フィリピン人のようにも見える。捕らえて話してみると、どうやら日本人、しかも海軍の兵士らしい。その日本人は岡村中尉と名乗った。岡村中尉がいうには、ある事情でゲリラ部隊に捕虜になり、その人数は福留美中将以下、9人であるという。なお、福留美中将は福留中将の偽名である。そして、ゲリラの首領は総攻撃を中止するなら、捕虜は解放するという伝令文を携えていた。」


           2)NHKデジタルアーカイブス 動画
[証言記録 兵士たちの戦争]マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県鈴鹿海軍航空隊~
連合艦隊が総力を挙げて臨んだマリアナ沖海戦   03:54
 
隠蔽されたミッドウェーの敗戦               05:34
 
読まれていた切り札、アウトレンジ戦法          09:23 W。海軍乙事件による最高機密漏えいと絶対                                 防空圏を死守するアトレンジ作戦の解説はココ
 
飛行訓練もできないまま迎えた、マリアナ沖海戦    14:42
 
アウトレンジ戦法の破綻                   09:27
 
W、アウトレンジ作戦とは「日本海軍機動部隊が艦載機の航続距離の長さを生かして、相手の射程外から一方的に攻撃を仕掛ける」
零戦の爆撃で先制奇襲して甲板を破壊し、主隊の飛行機で反復攻撃し撃破、追撃は前衛戦艦が全軍突撃(W制空権のみならず制海権も喪失した現状では戦艦は無力、突撃はできず、逃走)するという案」
日本海軍の敗因は、アウトレンジ戦法をとったことにより搭乗員が実際の戦闘までに2時間半程度もの長時間飛行を強いられ[5]、方向を間違えて行方不明になったり途中で撃墜される機が続出したこと(W。このとき南方消耗戦によって~機密情報を掴んでいた米軍は島嶼部の日本の航空隊基地を各個撃破~錬度の高い操縦兵を失っていた)[6]アメリカ軍が高度なレーダーと無線電話で防空部隊を統制できた上に、近接信管(VT信管)装備の対空砲により濃密な艦隊防空能力を誇っていたこと[1]が挙げられる。」
W。マリアナ沖海戦ーサイパンの戦いの完敗した軍部は、特攻機に体当たり攻撃しかないと判断する。
上記の解説からも解るように、特攻機のほとんどは敵艦隊に特攻攻撃する前に、撃墜されたものと想われる。


            
   証言記録 兵士たちの戦争<その1>(W。未視聴動画。戦域別にまとめたが、中身未確認)
 今後、確認していく。
     ニューギニアガダルカナル方面
     
      ビルマインパール作戦
      
      フィリピン(マニラ、レイテ島)
 
      ぺりリュー島(サイパン島陥落44年7月→パラオ諸島ぺりリュー島
 
      中国戦線、大陸縦断(打通作戦を中心に 
  
       沖縄戦
 
 
       各種特攻
 
      証言記録 兵士たちの戦争 <その2>  
 
~その他15本のタイトルの動画
 


           3)安心計画株式会社 こんな事実が 山本里見先生 02回海軍乙事件
 「日本の軍という組織では異端や個性的であることは許されない。大勢順応型、記憶力抜群型、事務処理秀抜型の金太郎飴が求められ、その面で秀でたのが秀才とされた。それが軍の中枢部にどっさりいるのだ。」
 
 「福留は記憶力だけはよかったのだろう、主席で卒業しているからあとは出世があるのみだ。
別な本(大和と武蔵:吉田俊雄:PHP研究所)では、彼は石頭の典型だった評価されている。
日露海戦当時の戦闘思想しか持てず、近代戦争を理解できない男だったらしい。そんなのが参謀長だったのだ。海軍大学校で主席だったから。」
 
 「これだけ重要な書類が敵の手に渡った可能性が強いのにもかかわらず、責任を感じない最高責任者とはどんな倫理観を持った人だったのだろう。
また、機密が漏れていないと希望的、楽観的に考える海軍作戦本部は、なんと戦争知らずのお人よし、馬鹿であるかと考えざるを得ない。危機感をまったく持っていないといってもいい。むしろ、米海軍のほうが漏れたと知ったら困るのではと心配してくれている。
 
 希望的に考えていると、それがいつの間にか事実のようになると信ずる日本独特の思考形態をみることができる。今でも、あちこちに生き延びています、その考え方。
 
作戦要領という作戦の基本が敵の手に渡った可能性があるなら、再構築するのが基本ではないかと、素人の私でも考える。
が、作戦のプロと称する参謀の集合である参謀本部ではそうしなかった
なぜ、なのだろう。責任感がなかったのだろうか、それとも、そんなことを考える人がいなかったのだろうか。
再構築するのは大変な作業だろうとは思うが、それをしないというのは業務放棄以外の何者でもないと私は信ずる。
こんなおめでたい参謀たちの無責任さを評価することばを私は持ち合わせていない。」


            4)太平洋戦争取材班  海軍乙事件・海軍使用暗号書紛失。その関連事項
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/imperialnavy/otsu-jiken.htm
W。関連の軍事情報に詳しい記事。


            5)歴史好き<<ナンチャって>>100kmウォーカーの憂鬱
W。海軍乙事件に引き付けて、日本軍の問題点を1)~5)に分けて整理している。実に明解。
ミッドウェー海戦での大敗や甲事件での山本長官暗殺等は米軍暗号解読による部分が大きいが
 かたや日本海軍は暗号が漏れているとは知らずに3年8ヶ月間の太平洋戦争中に暗号を
 変えようとはしなかったこと。
  
② 福留海軍中将が敵に捕まり捕虜となり尋問され白状し作戦計画原書を敵に奪われたのに
  仲間内の甘い事情聴取のみで「なあなあ」ですませ結局海軍の汚名を防ぐため暗号漏れも
  無かったことにしその後の対策も講じなかった。
  これは天皇や陸軍、国民を騙したようなものだ。

③ 捕虜を嫌う日本軍の中にあっても上級者には甘い対応ですませた事。
  海軍上層部に信賞必罰の精神が無かったこと。
  事情聴取の結果、福留参謀長はフィリピンの第二航空艦隊長官へ転出、
  山本中佐も連合艦隊主席参謀へ栄転した。
  明治維新の侍はこの時期すでに絶えており現在の大蔵省と変わらない自分と
  自分の組織しか考えられない者達が仲良し倶楽部を肥大化させていただけだった
  
④ 現地のパラオ島の守備隊を見捨てて連合艦隊司令部の上級者だけ安全圏に
  逃走を図り
挙句に墜落、捕虜、作戦計画書と暗号表は敵に渡す。
  これだけ米軍を助けて日本軍全体を困らせた連合艦隊司令部もいないだろう。


⑤ 古賀長官行方不明の後、次席の高須四郎南西方面艦隊司令長官が連合艦隊の指揮を
  代行したが、、、、。
  ニューギニアマッカーサー軍の動きを過大視する高須代行司令部はマリアナ沖海戦
  に備えてマリアナに集められた陸上航空戦力を無駄に南西に動かし無意味ま消耗を
  招きマリアナ沖海戦本番の時に陸上航空戦力が弱体化してしまったこと。
                                  
                                 ~以上で終わり~