反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

NHKデジタルアーカイブス、証言記録 兵士たちの戦争、NO1、NO2、全45編。兵士たちの実態、目線からみたリアルな証言。

   NHKデジタルアーカイブス 証言記録 兵士たちの戦争NO1(合計27本)NO2(合計18本)、に掲載されている動画、試しにガダルカナル 繰り返された白兵突撃 ~北海道・旭川歩兵第28連隊~を視聴してみたが、NHKの特長を生かした豊富で丁寧な取材力に裏付けられた見ごたえのあるものだった。
 
 日本軍のガダルカナル飛行場奪回作戦は、今の感覚では理解しがたい戦術思想に基づくもので、兵士たちの目線、実態からみた証言を映像を交えて、じっくりと視聴すると、まさかココまで戦争指導者たちが、終始一貫して非科学的非戦略非戦術的戦いに兵士たちを駆り立てていたとは、唖然とするばかりだった。
NHK番組内容解説より引用。「兵士たちを待ち受けていたのは、米軍の集中砲火だった。物量、兵士で圧倒する米軍に対し、兵士たちが命じられたのは白兵突撃。銃を撃つことなく、銃剣を抱えて米軍陣営に突入する戦法だった。」
 中国戦線で通用した戦法が生産力に十数倍の格差があるアメリカ相手に通用する、としていたならば、戦争指導者として失格である。
 上陸地点から30km離れた飛行場に秘密裏(と勝手に想定。米軍は集音マイクを基地周辺に隠していた)に行軍して、敵陣に夜陰に乗じて匍匐前進して、銃剣突撃するという原始的な奇襲戦法によって、NHKの指摘するような単なる物量兵員数の彼我の格差みならず、情報戦も制していた米軍の完全な待ち受け体制の中に袋の鼠のようにはまっていった。夜陰に乗じて奇襲白兵戦に持ち込む戦術だから、此方からは銃を発射してはならなかった。ゲリラでも、こういった白兵戦の戦術は取らなかった。
そもそも、ガダルカナル島の地形図さえ用意していな無かった。簡単な絵図の如きものと実景が違うのは当たり前で、敗走する兵士たちは深いジャングルを飢えと疾病に苛まれて右往左往するばかりだった。
島外拠点との補給路も整備されておらず、制圧した時の米軍の食料をアテにする有様だった。
ガ島を巡る数度の奪回作戦に動員された兵士は延、3万人。そのうち戦死者約5千人、1万5千人は餓死、疾病による死者だった。
それでも、太平洋戦争初期で日本軍にまだ余力のあった時期のガ島撤退作戦は上手くいったほうだというのが定説になっている。
 生き残った元兵士の次のインタビューは印象的だった。
「戦争にいったのではなく、死にに云った」
一木支隊およそ2千人のうち、8割が帰らぬ人となった。この一木支隊は北海道旭川基地から選りすぐられた精鋭軍団だった、というが、どうして北方の気候に馴染んだ兵士たちを熱帯ジャングル戦の先陣に起用したのか、
また、一木隊長の戦術思想と蒙古襲来絵巻の先陣の功にはやる主人公の肥後国御家人竹崎季長とどこがどう違うのか、600年以上経っても、戦術観は同じ次元にあったのではないかという疑念が浮かんでくる。
ガ島攻略作戦は戦略的にも、織田信長桶狭間の戦いと何処がどう違うのか、疑う。
ガ島攻略作戦の戦略戦術はゲリラ戦の戦法を万単位の軍団規模で行っていたのだから、「戦争に行ったのではく死にに入った」となるのは必然だった。
 
1)~5)までを全部通して視聴すると、だいたい30分近くになる。マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県・鈴鹿海軍航空隊~だと40分近くになる。
放送時間にばらつきが有る所から考えて、アーカイブにされたときに抹消された項目もかなりあると想う。
放映された当時の番組は報道特集番組だと想うが特定できない。テレビは全くといっていいほど見ないので、このような番組は一度も視聴したことが無く、とても新鮮である。
 
>番組を放送した年月日はNO1証言記録 兵士たちの戦争冒頭は西部ニューギニア 見捨てられた戦場 ~千葉県・佐倉歩兵第221連隊~ 2007年8月12日(平成19年)放送
この2007年、7月の参議院選挙で、自民・公明が過半数割れの大惨敗を喫し、参議院民主党が第一党になり、9月に安部首相は辞意を表明している。バラクオバマ2008年大統領戦出馬表明。アメリカン、バブル崩壊の兆しは顕著になっていた。
>NO1アーカイブ最後の27本目昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ ~陸軍・近衞師団~の放送は2010年5月29日だった。
NO2、証言記録 兵士たちの戦争の冒頭の生き延びてはならなかった最前線部隊 ~ニューブリテン島 ズンゲン支隊~(W、ニューブリテン島。パプアニューギニア、最大都市はラバウル太平洋戦争の日本軍のガダルカナルソロモン諸島方面進出の戦略拠点)は2010年6月29日だった。
NO2の最後の18本目の満州国軍 ~“五族協和”の旗の下に~は2012年3月31日に放送された。
 
 現状のNHKトップの人事関係から、こういった報道番組が、今後制作されていくかといえば、どうも怪しくなっている。
そういった意味でも貴重な作品である。今後、じっくり一つ一つ視聴して行きたい。
なお、中国戦線、太平洋戦線の背景を自己流に理解する参考資料として次のもを挙げておく。
 
1)温故知新:1935年の日本、日米戦争は論外だった。~数字から見る日本の石油需給構造~
                                計量分析ユニット
当時の日本の貿易構造には三つの環がある、とする、名和統一らの提出した3環節論の視点から、日本軍部が中国戦線に深入りすればするほど、そのために不可欠な資源エネルギー物資を米国、英国オランダ領アジアに、日本の生糸綿製品輸出と引き換え依存をせざる得ない、という循環構造を明らかにしたものである。 
そうであれば、日本の戦略資源を求めての南方進出への飛躍の必然も理解できる。
 
2)社会、地理 NO23日本の貿易
1934年~1936年の日本の輸出入品の割合を示したグラフに注目する。1)の言説に一見、矛盾するようだが、日本経済の軍需優先、民需圧迫の発展段階を表している。その意味で3)の列強最低水準の経済力を証明している。
1■ Hello School 社会科 地理(ハロ地理) No.23日本の貿易 ■Hello School 社会科 地理
3)「1920~30年代日本の軍需最優先、民需圧迫の異常な経済構造から戦争への転落。今は会社最優先社会の行き詰まりから、脆弱な公共セクターさら圧迫へ。両極端な国家戦略は身の丈に合わず、最後のしわ寄せ国民に」 2012/3/27(火) 午後 2:29
 
4)「未だに旧石器時代の寒冷で過酷な環境に基本設計が定まった身体構造を引きずった人類はその後の気候温暖化、急激な社会変動、価値観多様化などの周辺環境変化に対応するには基本設計が余りに古過ぎる」
W。弥生人の渡来を過小評価し、縄文人の稲作取得のように誤解した点で間違っている。むちゃくちゃな理屈だが、一面の真理はあると想っている。
 
5)近代日本における農村過剰人口流出と都市労働力の形成。
                         張 担
日本農村は潜在的流動的過剰人口の巨大な供給地、貯水池だった。
1904年の農村労働力人口及び戸数約1400万人 約550万戸
 
1934年 ほぼ同じ         農村の人口と戸数がほとんど変わらない、工業発展は軍需に偏重していたのだから、農村の過剰人口は軍隊が吸収⇔高橋是清のインフレ政策。(現在のアベノミクスとの違いと類似性)
 
1958年 約1400万人   戸数600万戸   コレによって、高度成長経済の安価な労働力が提供された。
そうすると、現状将来の安価な労働力はどういう政策で調達されるのだろうか?規制緩和、権利無視、経済特区、安価な食料品輸入による労働力商品の生産費は低下。ブラック企業大国日本への道へ。
ココが戦前のインフレ政策との決定的な違い。簡単に戦争できない、カネは自由に国境を越えられるが人の移動には制限があるが故に、資本と労働の非和解的矛盾は国内に蓄積する。


 

 戦争と平和は何ら抽象的なものではなく具体的リアルな日常生活に密着した問題。
現在、集団自衛権容認による法整備が、成立した秘密保護法とセットで、進行しているが、コレは憲法第9条の解釈替え、のみならず、国家支配機構のなし崩し的な強権化を通じて、実質上の基本的人権項目のなし崩し的な解体に繫がるものだと考える。ブラック企業大国日本への道!
 
 日本国憲法第9条の法制官僚的解釈によって自衛権があるから自衛隊が存在する、と。
その自衛権日米安保条約と日米間の支配体制の今日的リアルな状態を追認すると、集団自衛権という、官僚の作った法制用語の是非という、戦争も平和も抽象的情緒感覚レベルの議論に終始されかない。
自衛権や集団自衛権という官制用語から離れて、モット具体的な政治軍事情勢の視点から展望すると、日米安保軍事同盟のガイドライン設定以来の変質拡大ということになる。
この前の記事の載せた毎日新聞の論説は、日米安保条約の80年代以降の新たな変質拡大と捉えているようだ。
 ソレは政治軍事過程をキチンとなぞったもの、と考えるが、そのような世界拡大する日米安保体制情勢の中身は、もっと違った複数のプレイヤーの絡まった次元に足を踏み入れていると想う。
 
 アメリカの世界戦略は世界市場のグローバル資本制の全地球一体化市場と政治的軍事的局の多極化に添ったものに変質し、そこにおける自らの限界を知って、国際的利益を自国の支配機構(あいまいな表現だが)の利益に取り込む基本戦略に変質している。
その基本的な世界戦略の中に日米安保体制を位置づけている。
 
 そうすると、日米安保体制は従来のような安全保障条約上の相互義務の履行という従来の自民党が主張してきたような国家と国家の安全保障体制の次元から、日米両支配階層の利害同盟関係を貫く方向に中身が大きく変質し、両国国民多数は、この支配体制による経済的収奪と政治軍事幻想共同体の枠内に留めおく対象としか存在理由が無くなる。
その支配層としての共通利害の大枠は東アジア諸国の韓国、北朝鮮、中国の支配層まで延長されていると、想定できる。
 
 よって集団自衛権問題は秘密保護法とリンクさせ、グローバル資本制の趨勢であるあらゆる領域での世界的格差拡大の経済問題、自由と人間的権利の抑圧の問題に帰着する視点で捉える必要がある。