反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

NHKデジタルアーカイブス、証言記録 兵士たちの戦争の注釈メモへの序説。

  NHKデジタルアーカイブス、証言記録 兵士たちの戦争、NO1、NO2、全45編を視聴しながら手元に記したメモを元に詳しく注解するつもりだ。
このアーカイブスは第二次大戦における日本軍の勝利に次ぐ勝利の時期の兵士たちの証言は収められていない。
 日本陸海軍の中国大陸、及東南アジアへの支配圏が伸びきった時点で、アメリカ軍を中軸とする連合軍の総反抗の開始と共に、日本陸海軍に、元々大きく潜在していた矛盾が顕在化し、遂に各戦闘地域において、それが極端に露骨になった時期の各戦闘地域のリアルな現状を前線兵士たちの目線、証言からとらえてものである。
 自分の記憶では、こういった日本の敗走過程のきめ細かい記録はバブル崩壊以前までは、マスコミで報じられることは無かったように思う。
高度成長経済期にベトナム安保の反戦の機運は盛り上がっていたが、マスコミでは日本の敗走過程を正面から取り上げることはなかった様に記憶している。
ようやく完全にふさがろうとしている傷口を又開くような作用があったのかもしれない。まだまだ戦争体験者が国民のかなりの割合を占めていた。
 
 そしてようやく本格的に、このNHK報道のような戦争報道が成されるようになると、証言する元兵士たちの年齢は80歳半ばを超えて、各地の戦争慰霊祭に集まる人は数えるほど数人になっていた。
 生き残った兵士は10%にも満たない戦場では何も語らない、「戦死した兵士」が其々の戦場の実態を一番よく知っているかもしれず(数からして圧倒的多数派は戦場でなくなった人たちだ!)もしかして生き残った元兵士は各人各様の特殊事情で生き残ったがために、戦場の平均的意見とは、考えられない場合も有るのだが、その人たちさえもこの世から姿を消していった時期に、こうしたNHKのような特集番組が放送されるようになったところに、皮肉というよりも逆説としての日本的イデオロギーの特性があるような気がしてならない
日本の昭和史の生々しい真相ともいえる。
平和日本」の市民の元兵士としての個人史において、戦争時の生々しい行動を語れない人々が、余りにも多過ぎた。
 
 ところがみんな居なくなって、記憶の受け皿も無くなって、バーチャルリアリティーにもならない圧倒的な無関心の荒野に向かって、日本の敗走過程の記録、戦争の暗部が語られるようになった。
コレが現実ではないか。
 
 だったら、多少の混乱が生じても、効果的条件のあるところで、そうした戦争指導者のリアルなあり方の問題や日本兵士個々の戦争加害者としての側面の報道は徹底してやっておくべきだった。
そうすれば、今頃こんな記事は書かなくてもよかったかもしれない。
 
(それでも、今、「軍事家には物質的条件のゆるす範囲をこえて戦争の勝利をはかることはできないが*物質的条件のゆるす範囲内で、戦争の勝利をたたかいとることはできるし、またそうしなければならない。」という内外情勢の中の日本の絶対限界範囲内で、これ等日本の戦争指導者が、リアルにどうであったかを改めて問い直す時期なのではないかと考えている。
 日本支配層の余りにも極端な国民の人命、個人の権利、無視の基本政治体質は敗戦によって断ち切れておらず、ソレは経済活動に特化して、戦前を継承し、日本的経済成長の基本条件が薄れていく、これからソレが表面化する、と考えるからだ。
勿論、ファシズムが来るなどという幼稚な見解とは全く、違った強度の経済搾取と、その方便としての支配秩序を硬くリンクさせたものである。)
 
 日本軍の欧米と違った戦闘スタイルの基本は兵士たちの精神的肉体的要素への依存度が日露戦争以降、伝統的に大きく、さらにそれが、軍事イデオロギーによって極端に強化された。
(注。司馬遼太郎坂の上の雲」を書き終えて引用。半藤一利「清張さんと司馬さん」)
その意味でも従軍兵士たちの目線、実情の証言に基づいて、日本の戦争の実態を明らかにする方法は、見事に的を射ている
各戦線で生き残った兵士たちの証言は各々、生々しい局地戦の証言でありながら、日本の戦争の全局面と戦争指導者の全般的な有り方をリアルに視聴者に伝えている。
 
 このアーカイブが総括したところが問い返しているのは、単なる大戦争の悲惨、残酷、を抉り出すことだけでにとどまっていない。
 上記の問題意識からすると、戦前日本の戦争を指導した支配層は日本固有に与えられた物質的条件の限界のなかで、具体的にどのように間違っていたのかという指摘を兵士の目線、実態から、問題にしているのだ
 
 NHKの問題意識はここまでだが、仮に敗戦以降の政治過程において、日本支配層と国民政治意識の中に戦前の極端な政治軍事過程の残滓が継承されているとすれば、ソレは必ず形を変えてグローバル資本制の世界市場の一体化とその反面の対立、争奪戦の中で、それにクッション無しに即応する形で、日本において表面化するであろうと、想われる。
 
*NHKアーカイブの各項目は、戦後65年の「平和日本」を背景にした日常生活の積み重ねを経て、生き残った元兵士の実存を開示しながらの証言というワンパターンに終始している。
同時にそのことによって、各戦場お決まりの戦争原則から大きくはみ出した理不尽な自決突撃、飢えと病、による死者90%以上の日本の戦争の核心を中和している。
 このような二つのワンパターンに終始して互いに相殺効果を発揮していることによって、視聴者に客観的な各人各様の判断材料を提供している側面が大きく、決して押し付けがましくない。
 
これは映像の持つ威力であろう。
戦場で奇跡的に生き残った元兵士の現在の表情、背景の室内の佇まいは残酷悲惨理不尽極まりない証言内容を薄れさせ、妙な列島住民共同体意識に収めていき、その枠からはみ出した証言や見解は映像の力によっても、削られているようだ。
戦争証言を総括的に一種の映像と政治イデオロギーの形式の中に収斂していき、そこを突き抜けた大きな不条理の自覚に至らしめないように配慮しているとしか思えない。
よく教科書に有るような軍部の悪を露見した証言は続いても、その種の悪はアメリカの強大な力によって一掃され、継承されているとは、思わせない如くだ。
 
 例えば、戦争末期のインパール作戦と共に補給無視、食料現地調達の理不尽、無意味な陸軍史上最大の作戦である大陸打通作戦を推進した、服部卓四郎陸軍作戦参謀大佐は、戦後も生き残り、GHQの一派と通じて、保守政界の黒子として暗躍しているが、敗戦以降の戦争指導者の動向は一切触れられていない
 従ってそこには歴戦のリアルな証言は有っても、歴史は語っていない。歴はあっても史がない。
政治とは、歴史とは、点を点を先で結ぶ作業に裏打ちされたものでものであるのだから、もとよりそこには事実の寄せ集めは有っても、政治は存在しない。
 
 NHKアーカイブのような用意周到、客観性の高いテレビ映像(ネット動画)ではあっても、不思議なもので、どうしても何種類かの漫然とした情緒的感想のようなものが頭の中に去来し、定着するだけじゃないかと見続けている途中でフト気づいた。
要するに、情緒、感覚だけが残るだけに終わってしまうのではないか、そういうことのために長い時間を割くわけにはいかないー。
 人間の頭の中心部にある動物次元の機能を主に刺激するだけで、頭脳の周辺部の考えたり、長く記憶する機能への伝達は希薄になる。
とすると、動物的次元への強烈な刺激は新たな同じような刺激によって相殺される可能性もあるということだ
戦争の記憶が希薄になる、とはそういう次元の現象で避けられないといえば避けられないのだが、
その場合、普通の人間の英知では、制度、法制、行事などの社会的上部構造に、大戦争の教訓を定着させる。
また、もっと積極的に文化的要素に限れば、戦争を通じた当事者やその後継者のイデオロギー的抽象能力の有り方が問われてくる。
 
 その両面において、時期を経過して、政治的立場に関わらず、中身が問われるのは、当然のことで悪いことではない。
しかし、政治的軍事的経済的課題の設定の仕方は漠然としたものであるはずが無く、過去ー現在ー未来の具体的な状況設定の中でそれが具体的限定的に機能するようになる。
したがって、机上や法制上の改変の問題、課題には絶対に留まらず、その課題の設定の仕方が一番大事であり、それによって、答えは決まってくる
回答とは1920年代中盤から1930年代の日本で言えば、日中戦争から太平洋戦争への道程ー敗戦である。
そしてその回答を実行し(NHKアーカイブにある戦場の兵士)、最終回答を受け取るのは、列島住民たちである。
 
ま、視聴途中でココまで厳密に考えなかったが、続けて視聴していくうちに、自然とこれはおかしいぞ、メモをしなくてはと、自分なりの要点をノートにメモするようになった。
 後からメモを読み返して、何のことやら解らない部分が多過ぎるが、この機会にやれることはやっておきたい、ということで記事にすることにした。


   
       参考資料NO1
 注、「『坂の上の雲』を書き終えて」司馬遼太郎半藤一利「清張さんと司馬さん」
「戦争は勝利においてむしろ悲惨になる場合が多い。日本人が世界市場最も滑稽な夜郎自大の民族になるのは、この戦争によるものであり、~この戦争の0科学的な解剖を怠り、むしろ隠蔽し、戦えば勝つという軍隊神話を作り上げ、大正期や昭和期の専門の軍人さえそれを信じ~
もし日露戦争が終わった後、それを冷静に分析する国民的気分が存在していたらならば、その後の日本の歴史は変わっていたかもしれない。」
 
「『坂之上の雲』あとがき」
「<何も知らされなかったことで>むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育によってそのように信じさせられた世代が、やがて昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるで違った質の人間軍というか、ともかく凶暴としか言いようのない自己肥大の集団を作って昭和二本の運命をとほうもない方向へと引きずっていくのである。」
半藤
「明治日本の事実をシッカリと確認して、懸命さを保持せねばならなかったのです。世界中を敵に回す太平洋戦争を引き起こす愚かさに突き進んだことは間違いない事実です。
>ですから司馬さんは日本の明日のためにも、もう一冊、キチンと戦争後の日本を書いておかなければならなかったのです。」
 
 なぜ事実を隠蔽したのか?司馬。
「論功行賞のためであった。
戦後の高級軍人に待っているものは爵位を受けたり、昇進したり勲章をもらうことであったが、そういうことが一方で行われている時に、もう一方で冷厳な歴史書が編まれるはずがない。」
 
 夏目漱石、半藤。
ある門下生の一人がヤタラ統合元帥のことを褒め称えたとき、僧籍はピシリといったといいます。
「統合さんはそんなに偉いかね。僕だってあの位置におかれたら、アレだけの仕事は立派にやってのけられるね。人間を神様扱いするのが一番いけないことだと想う。」
この良識が日露戦争後に失われた。しかもそのことにに本人は気づかないでいた。そのことが一番いけなかったことだと想う次第です。」
 
W。ちなみに「さおの上の雲」には一切興味はないが、その一説が引用されているのであげておく。
「彼はデッキから降りてきた児玉に敬礼した。
児玉は返礼もせず、長岡の顔を見るなり
「長岡ァ」
とどなった。~馬鹿かァ、お前は、と児玉は言った。
「火をつけた以上は消さにゃならんぞ。消すことが肝心というのに、ぼやぼや火を見ちょるちゅうのは馬鹿の証拠じゃないか」
>W。こういう小説が日本で一番読まれているものだという。少年少女小説レベルとしか言いようがない。
まず、列島住民共同体意識?過剰の政治的感情移入アリキでなければ、とてもじゃないがこんな幼稚な心理描写も風景描写も必要としない小説は読み進めない。
 
半藤
「明治という時代には、それほど手放しで絶賛できない一面があったのです。
明治国家は結局のところ、帝国主義国家になったのではないか。そんな疑問が確かにあるんです。
そうした違約いいが体面に触れねばならないときに、司馬さんの<余談ながら~>は絶妙の効果を発揮するわけです。」
日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることは間違いない。が、その現象の中で、日本の立場は、追い詰められたものが生きる力のギリギリのもを振り絞ろうとした防衛線であったことも紛れのない
~納得させられる。しかし余談に意義ありと叫びたくなることもある。」
 
 司馬
「まず自分自身を誤魔化したのではないでしょうか。国民や外国に対しては、機密、機密というレッテルで、隠蔽していました。
国家でも人間ここでも、真の強さは壁で自分の弱みというカードを見せるという精神から来るものでしょう。
 おっしゃるとおり、日露戦争に勝手から日本は変になった、と私はかねがねおもっております。」
 
>W。結局、司馬遼太郎という人は、才能的に小説家の枠に納まる人であった。それもあくまでも純日本的小説家!その場その場の思いつき、情緒優先の。
対象に対して膨大な資料を収集しても、自己の作家的技能の枠内でしか料理できなかった。後はこういうこともこういうことも知っていますよというとどまって、ソレが巧妙な話術と相まって、饒舌な評論、対談になって零れ落ちた。
 
  アルベールカミユ「シューシュポスの神話」新潮文庫P142
「思考するとは、何よりもまず、一つの世界を作ることだ。(或いは結局、同じことになるのだが、自分の世界を限定することだ)
ソレは人間と経験を切り離してて居る根源的な食い違いから出発して、人間の郷愁に則った協調の場、耐え難い背反状態の解消が可能になるような、理性的説明に固められた宇宙、或いは数々の類比によって照らし出された宇宙を見出そうとすることだ。」
>W。小説の中でそういう背景を実現しようとした場合、「異邦人」はかけても「坂の上の雲」は絶対にあり得ない。
 三文小説に過ぎない「坂の上の雲」の世界に読者を釘付けにするためには、余談ながらという一知半解の歴史講釈の道具立てが必要だった。
それについていけないものは司馬遼世界を嫌悪するようになる。司馬の何気ない人間の行き死に掛かけた歴史に対する一刀両断、鷲づかみの無遠慮な一言から巨大な違和感がモクモクと立ち上ってきて、司馬という存在そのものを疑わしめる。


NO2参考資料。
    アルベール、カミユ「シューシュポスの神話」
  新潮文庫P1304行目、以降を抜粋。
 
良心的な人々が、この上なく愚劣な戦争の只中でその任務を遂行し、しかもそういう自分に矛盾を感じない、
ーそういう例を人々は見てきた。
 彼等がそのように行動したのは、何ものも回避しないことが重要だったからだ。
 
 こうして、世界の不条理性を支え続けることには、いわば形而上的な名誉がある
人間が、戦わぬ前から既に敗北とわかっている戦場で、敢えて戦おうとする人間の尊厳に奉げる証なのである。
 
 重要なのは、戦闘の規則に忠実であるというだけだ。この思想だけで精神を養うのに十分である。
この思想がコレまでの文明を支えてきたし、今もなお支えている。
 
 戦争は否定されない
戦争に死ぬか、戦争を呼吸して生きるか、そのどちらかがあるだけだ。
不条理についても同様だ。大切なのは、不条理とともにあって呼吸すること、不条理の教訓を承認し、その教訓を肉体の形で見出すことである。
~一つの苦悩が死んでゆこうとする地点で、もう一つの苦悩が姿を表すということが確実にいえる。
幼稚にも忘却を捜し求めたり、満足感を叫び求めたりしても、今や何の反響もかえってこない。
 
 しかし、人間を絶えず世界に直面させ続ける普段の緊張、人間を駆り立てて全てを迎え入れようとする秩序の狂気は、人間にもう一つの熱病を与える。
そのとき、この宇宙においては、作品こそ彼の意識をそのまま保ちながら、意識の様々な冒険を定着する類ない機会となる。
創造するとは二度生きることだプルースト~苦悩の細心な蒐集(しゅうしゅう)は二度生きるということ以外の何ものも意味しない。
 また同時にこうした探求は~あらゆる不条理な人間たちがその生涯のあらゆる日々に没頭しているはかり知れぬ不断の創造に比べる時、それ以上の広がりを持っていない。
 
 誰もが自分自身の現実を模倣し、反復し、再創造をしようと試みる。
そして僕らは、常に、結局、僕等にとっての様々な真理を、自分の顔とするに至る。
芸術創造とは偉大な物まねなのだ。~
 
 記述する、コレが不条理な思考の野望である。
科学もまた、その逆説の果てに到達すると、説明、解答の提示は止め、立ち止まって、諸現象の常に新鮮な風景を注視し記述する。
こうして世界の相貌を前にしたとき僕等を恍惚とさせるあの感動は、世界の深さに由来するのではなく、世界の多様性に由来するのだということを心情は学ぶのだ。
説明は空しい、しかし感覚は残る、そして感覚と共に、汲みつくせない量を持つ宇宙からの呼びかけが残る。


  NO3参考資料
W。日清戦争朝鮮半島配併合ー日清戦争日露戦争満州国樹立ー日中戦争太平洋戦争の日本の対外史を歴史の連鎖で捉える。
当時の中国は「ほぼ百年らい、中国はいくつもの帝国主義国が共同で支配する半植民地国であった。
中国人民の帝国主義にたいする闘争と帝国主義国相互間の闘争によって中国はなお半独立の地位をたもっている。」
コレが有りのままの姿であった。日本軍が「満州国」を超えて(樹立の時点で日本の敗北は決定した)、点と点を線で結ぶしかない中国大陸支配に転じた時、戦局は世界的に広がり、情勢は一変し、太平洋戦争の最も強力最新鋭の20世紀の覇権を握ることになる帝国主義との総力戦に直結した。
                


          日本帝国主義に反対する戦術について(一九三五年十二月二十七日)
    当面の政治情勢の特徴      
当面の情勢の基本的特徴は、日本帝国主義が中国を植民地に変えようとしていることである。
周知のように、ほぼ百年らい、中国はいくつもの帝国主義国が共同で支配する半植民地国であった。
中国人民の帝国主義にたいする闘争と帝国主義国相互間の闘争によって中国はなお半独立の地位をたもっている
1)第一次世界大戦は、ある期間、日本帝国主義に中国をひとりじめする機会をあたえた
だが、中国人民の日本帝国主義反対の闘争と他の帝国主義国の干渉によって、当時の売国奴のかしら袁世凱《ユァンシーカイ》〔1〕が署名した日本にたいする屈服と投降の条約二十一ヵ条〔2〕は、無効終わらざるをえなかった。
2)一九二二年には、アメリカの招集したワシントン九ヵ国会議で条約がむすばれて〔3〕、中国はふたたびいくつかの帝国主義国が共同で支配する状態にもどった
 
3)ところが、まもなく、こうした状況にもまた変化がおきた。
一九三一年九月十八日の事変〔4〕で、中国を日本の植民地にかえる段階がはじまったのである。
ただ、日本の侵略の範囲がしばらく東北四省〔5〕にかぎられていたことから、人びとは、日本帝国主義者がおそらくそれ以上前進することはあるまいとおもっていた。
 
4)こんにちでは事情がちがっている。日本帝国主義者は、中国中心部に進出し、全中国を占領しようとしていることを、すでにはっきりとしめしている。
いま日本帝国主義は、全中国をいくつかの帝国主義国がわけまえにあずかる半値民地の状態から、日本が独占する植民地の状態に変えようとしている。
 
 中国の労働者と農民は、みな抵抗を要求している。
中国の小ブルジョア階級も抵抗しようとしている。青年学生と都市の小ブルジョア階級は、いますでに大きな反日運動をまきおこしているではないか
土豪、大劣紳、大軍閥、大官僚、大買弁は、早くから腹をきめている。かれらはこれまでもそうであったが、いまもやはり、革命(どんな革命であろうと)はどうあっても帝国主義よりわるい、といっている。
かれらは売国奴の陣営をつくっており、かれらにとって亡国の民になるかどうかなどは問題にならない。
かれらはすでに民族のけじめをなくし、かれらの利益は帝国主義の利益と切りはなせなくなっている
帝国主義諸国間の矛盾中国の地主、買弁階級の陣営に分化をもたらす可能性のあることをのべている。
のちに、日本帝国主義華北に進攻し、英米帝国主義の利益とひどく衝突するようになると、
中国共産党は、英米帝国主義の利益と密接につながる蒋介石集団がその主人の命令にしたがって、日本にたいする態度をかえる可能性があるとみて、蒋介石に圧力をくわえて抗日に転じさせる政策をとった。


 
          中国革命戦争の戦略問題(一九三六年十二月)
    第五章 戦略的防御
  第一節 積極的防御と消極的防御
あとからおこって、しかも急速に発展した帝国主義国、すなわち、ドイツ、日本両国の軍事家は、戦略的防御に反対し、戦略的進攻の利益を積極的に鼓吹している。
このような思想は、中国の革命戦争には全然適しない。
帝国主義ドイツ、日本の軍事家たちは、防御の重要な弱点として、人心をふるいたたせることができず、逆に人心を動揺させるという点を指摘している。
これは、階級間の矛盾がはげしく、反動的な支配階層ないし政権をにぎっている反動的な政党だけが、戦争から利益をうける国家についていうことである。
 
 われわれの事情はこれとちがう。
われわれは被抑圧者であり、被侵略者であるから、革命の根拠地をまもれ、中国をまもれ、というスローガンのもとで、最大多数の人民を結集し、心を一つにして戦うことができる。
ソ連の国内戦争の時期における赤軍もやはり防御形態のもとで、敵にうち勝った。
かれらは、帝国主義諸国が白衛軍を組織して進攻してきたときに、ソビエトをまもれというスローガンのもとで戦ったばかりでなく、十月蜂起を準備した時期にも、やはり首都をまもれというスローガンのもとで軍事動員をおこなった。
正義の戦争での防御戦はすべて、政治的異分子をまひさせる作用をもっているばかりでなく、おくれた人民大衆を動員して戦争に参加させることができるのである。


      
      第三節 戦略問題とは戦争の全局についての法則を研究するものである
 戦争があるかぎりは、戦争の全局というものがある
世界が戦争の一つの全局になりうるし、一国も戦争の一つの全局になりうるし、また一つの独立した遊撃地域も、一つの大きな独立した作戦方面も、戦争の一つの全局になりうる。
およそ各方面、各段階に配慮をくわえなければならないような性質をもったものは、すべて戦争の全局である。
 全局的な戦争指導法則を研究することが、戦略学の任務である。局部的な戦争指導法則を研究するのが、戦役学と戦術学の任務である。
 戦役指揮員や戦術指揮員にたいして、ある程度の戦略上の法則について理解をもつことを要求する必要があるのは、なぜだろうか。
それは、局部的なものが全局的なものに従属しているので、全局的なものを理解すれば、局部的なものをいっそうよく使いこなせるからである。
 
 戦略的勝利が戦術的勝利によって決定されるという意見はあやまっている。
なぜなら、このような意見は、全局と各段階にたいする配慮のよしあしが、戦争の勝敗を決定する主要な、そしてまず最初の問題であることを見ていないからである。
もし、全局と各段階にたいする配慮に重大な欠陥、あるいはあやまりがあれば、その戦争はかならず失敗する
「一石のうちちがいで、全局がまける」というのは、全局的なもの、つまり全局に決定的な意義をもつ一石のことをいっているのであって、局部的なもの、つまり全局に決定的な意義をもたない一石のことではない。
碁がそうであり、戦争もそうである。
 
 戦争の歴史には、連戦連勝ののち、一つの敗戦によって、いままでの戦果のすべてが無に帰したこともあり
あるいはたくさんの敗戦をかさねたのち、一つの勝利によって、新しい局面が打開されたこともある
>ここでいう「連戦連勝」と「たくさんの敗戦」は、いずれも局部的なもので、全局にたいしては決定的な作用をおよぼさないものである。
>ここでいう「一つの敗戦」および「一つの勝利」とは、いずれも決定的なものである。これらのことは、みな全局について配慮することの重要性をものがたっている
>全局を指揮するものにとって、もっとも大事なことは、戦争の全局にたいする配慮に自分の注意力をそそぐことである。
主要なことは、状況にもとづいて、部隊と兵団の編成問題②、二つの戦役のあいだの関係の問題、各作戦段階のあいだの関係の問題、味方の活動全体と敵の活動全体とのあいだの関係の問題に配慮をくわえることである。
これらのことがもっとも骨の折れるところであり、もし、こうしたことをそっちのけにして、一部の副次的な問題に頭をつっこんでいると、損をするのはさげられない
 
 重要とか、決定的な意義をもつとかいうことは、一般的な、あるいは抽象的な状況によって規定してはならず、具体的な状況によって規定しなければならない。
>作戦にあたって、突撃方向や突撃点の選定は、当面している敵の状態、地形と味方の兵力の状況によってきめなければならない。
>給養の十分なところでは、兵士に食べすぎをさせないように注意しなければならず、給養の不足しているところでは、兵士を飢えさせないよう注意しなければならない。
 
>戦争の全局の指導法則を学ぶには、頭を使って考えることが必要である。
なぜなら、このような全局的なものは、目には見えないので、頭を使って考えてはじめてわかるものであり、頭を使って考えなければわかるものではないからである。
ところが、全局は局部からなりたっており、局部について経験をもっている人、あるいは戦役や戦術について経験をもっている人が、もし頭を使って考えようとするならば、そうしたより高級なものも理解することができる。
~これらはいずれも、目には見えないものであるが、頭を使って考えれば、みな理解することもでき、把握することもでき、精通することもできるのである。
     
         第四節 書要な問題はよく学ぶことにある
 なぜ赤軍を組織するのか。それを使って敵にうち勝つためである。なぜ戦争の法則を学ぶのか。それらの法則を戦争に使うためである。
学ぶことは容易なことではなく、使うことはいっそう容易なことではない。
戦争という学問は、教室や書物のうえでは、多くの人がたとえおなじように、もっともらしくならべたてても、いざ戦争をやってみると、勝ち負けのちがいがでてくる。
戦争史も、われわれ自身の戦争生活もこのことを立証している。
では、その鍵《かぎ》はどこにあるのか
知勇兼備になるには、学ぶときにも使うときにもそれによる一つの方法を学ばなければならない。
>どういう方法か。
それは敵味方の双方の各方面の状況をよく知り、その行動の法則をみつけ、しかも、それらの法則を自分の行動に応用することである。
>なぜ主観上のあやまりをおかすくとになるのか
それは、戦争あるいは戦闘の部署配置と指揮が、その時、その場所の状況に合わないこと、主観的指導と客観的実際状況とがくい違っていて、合致しないこと、
ことばをかえていえば、主観と客観とのあいだの矛盾を解決していないことによるものである。
*ここでの鍵は、主観と客観の両者をよく合致させることである。
>戦術の例をあげていおう。
攻撃点を敵陣地のある一翼にえらび、しかもそこがちょうど敵の弱い部分であれば、突撃はそれによって成功する。
これは主観が客観と合致したというのであり、つまり指揮員の偵察《ていさつ》と判断と決心が、敵および敵の配置の実際状況に合致したというのである。
もし攻撃点を他の一翼、あるいは中央部にえらび、その結果、ちょうど敵の強いところにぶちあたって、攻めこむことができないとすれば、それは合致しなかったという。
攻撃の時機が当をえており、予備部隊の使用が早くもおそくもなく、各種の戦闘処置と戦闘行動が、みな味方に有利であり、敵に不利であったとすれば、それは全戦闘における主観的指揮と客観的状況がことごとく合致したことになる。
>ことごとく合致するということは、戦争や戦闘においては、ごくまれなことである
それは、戦争や戦闘をしている双方が、ともに集団をなした、武装している生きた人間であり、しかもたがいに秘密を保っているからで、これは静物や日常のことがらをとりあつかうのとは大いに異なる
>しかし、指揮が大体において状況に合致しさえすれば、すなわち決定的意義をもつ部分が状況に合致しておれば、それが勝利の基礎となる。
*指揮員の正しい部署配置は、正しい決心からうまれ、正しい決心は、正しい判断からうまれ、正しい判断は、周到な、また必要な偵察と、さまざまな偵察材料をむすびつけた思索とからうまれる。
*指揮員は、あらゆる可能な、また必要な偵察手段をつかい、偵察でえた敵側の状況にかんするさまざまな材料にたいして、滓《かす》をすてて粋《すい》をとり、偽をすてて真をのこし、
これからあれへ、表面から内面へという思索をおこない、そのうえで、味方の状況をくわえて、双方の対比や相互の関係を研究し、それによって、判断をくだし、決心をかため、計画をたてる
――これが軍事家の毎回の戦略、戦役、あるいは戦闘の計画をたてるにさきだっておこなう状況認識の全過程である。
*大ざっぱな軍事家は、こうはしないで、一方的な願望を基礎として軍事計画をたてるが、そのような計画は空想的な、実際と合致しないものである。
向こうみずの、ただ情熱しかない軍事家が、どうしても敵からあざむかれ、敵の表面的な、あるいは一面的な状況にまどわされ、自分の部下の無責任な、洞察力に欠けた提案にあおられ、
それでかべにつきあたるのをまぬがれないのは、かれらがどんな軍事計画でも、必要な偵察と敵味方の状況やその相互関係にたいする周到な思索を基礎としてたてるべきであることを知らないか、あるいは知ろうともしないからである。
 
>状況認識の過程は、軍事計画をたてる前だけでなく、軍事計画をたてたのちにも存在する。
ある計画を実施するばあいには、実施しはじめたときから戦局の終わるときまでが、状況認識のもう一つの過程であり、すなわち実行の過程である。
このときには、第一の過程のものが、実際の状況に合致しているかどうかを、あらためて点検する必要がある。
もし、計画と状況とが合致しないか、あるいは完全には合致していないばあい、新しい認識にもとづいて新しい判断をくだし、あらたな決心をかため、新しい状況に適応するように既定の計画を変更しなければならない。
部分的に変更することは、ほとんど毎回の作戦にみられることで、全面的に変更するようなこともたまにはある。
向こうみず屋は、盲滅法にやるだけで、変更することを知らないか、あるいは変更しようとしないので、その結果は、またどうしてもかべにつきあたってしまう。
 以上のべたことは、一つの戦略での行動、あるいは一つの戦役と戦闘での行動についてである。
経験をつんだ軍人で、もし、かれが謙虚にものを学ぶ人であり、自分の部隊(指揮員、戦闘員、武器、給養など、およびその全体)の気性をよく知り、
また敵の部隊(同様に指揮員、戦闘員、武器、給養など、およびその全体)の気性もよく知り、
戦争と関連のあるその他すべての条件、たとえば政治、経済、地理、気候などもよく知っている人であるならば、このような軍人の指導する戦争や作戦は、比較的に確実性があり、勝利をうることができる。
こういう長期の経験がなければ、戦争全体の法則を理解し、把握することは困難である。
 *ほんとうに有能な高級指揮員には、かけだしのものや、たんに紙の上で戦争を論ずることに長じている人間ではなれるものでなく、そうなるには戦争のなかで学ばなければならない。
>すべての原則性をおびた軍事法則あるいは軍事理論は、みな昔の人あるいは今の人が過去の戦争の経験を総括したものである。
これら過去の戦争がわれわれにのこしてくれた血の教訓は、とくに力をいれて学ぶべきものである。これが一つのことである。
 *だが、もう一つのことがある。
すなわち自分の経験のなかから、それらの結論を検証し、そのうちの使えるものはくみとり、使えないものはすて、自分特有のものをつけくわえていくことである。
このもう一つのことは、非常に重要であって、こうしなければ、われわれは戦争を指導することができない。
書物をよむことは学習であるが、使うことも学習であり、しかもより重要な学習である。戦争から戦争を学ぶ――これがわれわれの主要な方法である。
学校にいく機会のなかった人でも、やはり戦争を学ぶことができる、つまり戦争のなかから学ぶのである。
>革命戦争は民衆のやることであって、先に学んでからやるのではなく、やりだしてから学ぶのが常であり、やることが学ぶことである。
>「民衆」から軍人までには距離があるが、それは万里の長城ではなく、急速になくすことのできるものである。革命をやり、戦争をやることが、その距離をなくす方法である。
>「学ぶことと使うことが容易でないというのは、徹底的に学び、それを使いこなすことが容易でないということである。
民衆がすぐに軍人になれるというのは、入門が別にむずかしいものではないということである。
この二つのことを総合するならば、中国の古いことわざにあるように「世間に難事はなく、ただ心がけ次第だ」ということになる。
入門がむずかしくないならば、ふかくきわめることもできるわけで、ただ心がけ次第であり、よく学びさえすればよいのである。
戦争は、民族と民族、国家と国家、階級と階級、政治集団と政治集団とのあいだの相互の闘争の最高形態であり、
戦争にかんするすべての法則は、いずれも戦争をする民族、国家、階級、政治集団が自己の勝利をたたかいとるために使うものである。
戦争の勝敗が、主として戦う双方の軍事、政治、経済、自然などの諸条件によって決定されることはいうまでもない。
だがそれだけではなく、戦う双方の主観的指導の能力によっても決定される。
*軍事家には物質的条件のゆるす範囲をこえて戦争の勝利をはかることはできないが、
*物質的条件のゆるす範囲内で、戦争の勝利をたたかいとることはできるし、またそうしなければならない。
軍事家の活躍する舞台は、客観的物質的条件の上にきずかれているが、しかし軍事家は、この舞台一つで、精彩にとんだ、勇壮な多くの活劇を演出できるのである。
したがって、われわれ赤軍の指導者は、既定の客観的な物質的基礎、すなわち軍事、政治、経済、自然などの諸条件の上で、われわれの威力を発揮し、全軍をひっさげて、民族の敵と階級の敵をうちたおし、このわるい世界を改造しなければならない。
ここではわれわれの主観的指導の能力が使えるし、また使わなければならない。
われわれは、赤軍のどんな指揮員にも、盲滅法にぶつかっていく向こうみず屋になることをゆるさない
われわれは、赤軍の指揮員の一人ひとりが、すべてを圧倒する勇気をもつだけでなく、戦争全体の変化、発展を駆使できる能力をもつ、勇敢で、聡明な英雄となることを提唱しなければならない。
*指揮員は、戦争という大海をおよいでいるのであって、沈まないようにし、確実に、段どりをおって、対岸に到達するようにしなければならない。戦争を指導する法則は、つまり戦争の水泳術である。
 以上がわれわれの方法である。
  
         第七節 運動戦
 運動戦か、それとも陣地戦か。われわれの答えは運動戦である。大きな兵力もなく、弾薬の補充もなく、どの根拠地でも、一部隊しかない赤軍が戦いまわっているという条件のもとで、陣地戦はわれわれにとって基本的に無用である。
陣地戦は、われわれにとって、防御のときに基本的に使えないばかりか、進攻のときにも、同様に使えないものである。
 敵が強大であること、赤軍の技術的装備が貧弱であることからうまれる赤軍の作戦のいちじるしい特徴の一つは、固定した作戦線をもたないということである。
赤軍の作戦線は、赤軍の作戦方向にしたがう。作戦方向が固定しないので、作戦線も固定しなくなる。
大方向は一つの時期においては変更しないが、大方向のなかの小方向は、そのつど変更するものであり、一つの方向が制約をうけると、別の方向に転じていかなければならない。
一つの時期がすぎたあと、大方向も制約をうけるとなれば、その大方向でさえも変更しなければならない。
 作戦線が固定しないので、根拠地の領土も固定しなくなる。大きくなったり小さくなったり、伸びたり縮んだりするのはつねであり、起伏はあちらこちらでしばしばおこる。このような領土の流動性は、完全に戦争の流動性に由来している。
この特徴から、われわれの日程を定めるのであって、進むだけで退くことのない戦争を夢みてはならず、領土や軍事的後方の一時的な流動におどろいてはならず、長期にわたる具体的な計画をたてようとしてはならない。
将来の比較的に流動しない状態をかちとるためには、また最後の安定をかちとるためには、現在の流動生活のなかで努力する以外にはない。
「正規の戦争」という戦略方針は、このような流動性を否定し、いわゆる「遊撃主義」に反対した。
流動に反対した同志たちは、大国家の支配者気どりでことをはこぼうとしたが、結果は、ただごとならぬ大流動――二万五千華里の長征となったのである。
この点から、われわれの方針がきめられるのであり、それは、一般的に遊撃主義に反対することではなくて、赤軍の遊撃性をすなおに認めることである。
ここではずかしがることは無用である。それどころか、遊撃性こそ、われわれの特徴であり、われわれの長所であり、われわれが敵にうち勝つための手段である。
われわれは遊撃性をすてる用意をすべきであるが、こんにちでは、まだすてられない。遊撃性は、将来には、恥ずべきもの、またすてるべきものとなるにちがいないが、しかし、こんにちでは、なお貴重なまた堅持すべきものである。
 「勝てるなら戦い、勝てなければ去る」、これがこんにちのわれわれの運動戦についてのわかりやすい解釈である。
世の中には、戦うことだけを認めて、去ることを認めない軍事家はいないが、ただわれわれほどひどく去らないだけである。
われわれにとっては、ふつう、歩く時間の方が戦う時間より多く、平均して月に一回の大きい戦いがあればよい方である。
去る」ことはすべて「戦う」ためであり、われわれの戦略、戦役のすべての方針は「戦う」という一つの基本点のうえにうちたてられている。
ところが、われわれには、戦いにくいばあいがいくつかある。
第一に、直面している敵が多いと戦いにくい。
第二に、直面している敵は多くなくても、それが近くにいる敵の部隊と非常に近接していると、戦いにくいときもある。
第三に、一般的にいって、孤立していず、しかも、十分堅固な陣地をもっている敵はみな戦いにくい。
第四に、戦っても戦闘をかたづけることができないときには、それ以上戦わない方がよい。
しかもそれがゆるされる陣地攻撃と陣地防御はぜひとも提唱すべきである。
われわれが反対しているのは、こんにちにおいて一般的な陣地戦をとること、あるいは陣地戦と運動戦を同等にあつかうことだけであって、これこそゆるすことのできないものである。
 遊撃主義には二つの面がある。一つの面は非正規性、すなわち集中しないこと、統一しないこと、規律が厳格でないこと、活動方法が単純なことなどである。
これらのものは、赤軍幼年時代に身につけてきたもので、あるものは当時としてはまさに必要なものであった。
だが、赤軍が高い段階にたっすれば、赤軍をより集中的にし、より統一的にし、より規律のあるものにし、その活動をより綿密なものにするため、つまりより正規性をもったものにするため、だんだんとそれを意識的にすてさらなければならない
作戦指揮のうえでも、高い段階では不必要になった遊撃性をだんだんと意識的にすくなくしていくようにしなければならない。
この面で前進するのを拒否し、ふるい段階にとどまるのを固執するのは、ゆるされないことであり、有害なことであり、大規模な作戦にとって不利なことである

        第八節 速決戦
 戦略上の持久戦と、戦役および戦闘上の速決戦、これは一つのことがらの二つの側面であり、
国内戦争で同時に重んじられる二つの原則であり、また、帝国主義反対の戦争にも適用できるものである。
反動勢力が強大なので、革命勢力がじょじょにしか成長しないこと、このことが戦争の持久性を規定している。
この面であせることは損をすることになり、この面で「速決」を主張することは正しくない。
 
 戦役と戦闘の原則はこれとは逆で、持久ではなくて速決である。戦役と戦闘で速決をめざすことは、古今東西いずれもおなじである。
戦争の問題では、古今東西をつうじて速決をもとめないものはなく、月日を長びかすことはなんといっても不利だとみられてきた。
 だが、中国の戦争だけは、最大の辛抱強さをもってあたらないわけにはいかないし、持久戦をもってこれにあたらないわけにはいかない
その理由は、第一に、赤軍の兵器、とくに弾薬には補給源がないこと、
第二に、白軍はたくさんの部隊をもっているが、赤軍には一つの部隊しかないので、一回の「包囲討伐」をうちやぶるには、迅速な連続的な作戦を準備しなければならないこと
第三に、白軍の各部隊は分進してはくるが、その多くは比較的に密集しており、かれらのなかの一つをうつさい、迅速に戦闘をかたづけることができなければ、他の部隊がみなやってくることである
こうした理由から、速決戦を実行しないわけにはいかない。
 速決戦は、頭のなかでそうしようと考えたらそれで実現できるというものではなく、それには、たくさんの具体的な条件が必要である。
その条件の主要なものは、準備が十分できていること
時機を失わないこと、優勢な兵力を集中すること、包囲・迂回戦術をとること、よい陣地があること、運動中の敵をうつこと、あるいは駐止はしたが陣地をまだかためていない敵をうつことである。
これらの条件を解決しないで、戦役あるいは戦闘の速決をもとめるのは不可能である。
 以上のべたとおりではあるが、全戦役の時間を極力縮めるというわれわれの原則は、やはりやぶられてはいない。

       第九節 殲滅戦
「消耗で張りあう」という主張は、中国の赤軍にとってはいまの事情にあっていない。
「宝くらべ」を竜王竜王とやるのでなくて、こじき竜王とやったら、それこそこっけいである
ほとんどすべてのものを敵側から奪うことによってまかなっている赤軍にとっては、その基本的な方針は殲滅戦である。
敵の実兵力を殲滅しないかぎり、「包囲討伐」をうちやぶることも、革命の根拠地を発展させることもできない

敵を殺傷するのは、敵を殲滅する手段としてとられるものであり、そうでなければ意義がない。
敵を殺傷することで、味方も消耗するが、また敵を殲滅することで、味方が補充されるのであって、そうすればわが軍の消耗がつぐなえるばかりでなく、わが軍の力は増大される
 
 撃破戦は、強大な敵にたいして勝敗を基本的に決するものではない。ところが、殲滅戦は、どんな敵にたいしても、ただちに重大な影響をもたらす
人のばあいでも、十本の指を傷つけるよりは一本の指を切りおとした方がよく、敵にたいしても、十コ師団を撃破するよりはその一コ師団を殲滅した方がよい

殲滅戦と、優勢な兵力を集中して包囲・迂回戦術をとることとは、同一の意義をもっている。後者がなければ前者はない。
人民の支持、すぐれた陣地、たたきやすい敵、敵の意表にでるなどの条件は、いずれも殲滅の目的を達成するのに欠くことのできないものである。