下記は 証言記録 兵士たちの戦争<その1>http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/list.cgi?cat=heishi&start=1。<その2> http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/list.cgi?cat=heishi&start=31 を注解するために作成した下手な作文であった。確かに、あの広大な太平洋戦域の戦いのかなりの部分を切り取って、云々すれば、事実関係の沿った見方といえる。太平洋戦争史に共通の見方ともいえる。
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NHKアーカイブスの多数の項目を時系列に編集しなおすと、1947年(昭和17年)8月以降のソロモン諸島、ガダルカナル島の航空基地を巡る攻防戦ということになり、太平洋戦域においてアメリカ軍が主導権を握る大きな結節点になったミッドウェー海戦は含まれていない。
ガダルカナル島の攻防戦はミッドウェー海戦の日本空母4隻の喪失によって、制空権がアメリカ有利に移行したことを抜きにに語れない。空母の機動力による制空権確保は広大な太平洋上の戦いにとって決定的な戦略的要素であった。
そのために日本軍の実行力を大きく超えて伸びきった長距離海上補給に甚大な被害が出るようになり、その最先端のガダルカナル島と周辺海域の攻防戦によって、貴重な航空機の人的物的戦力を一気に消耗させ(ミッドウェー海戦の約3倍の被害、駆逐艦と輸送艦の損害を含めると被害はもっと大きい)、その後の後退一方の戦いを余儀なくされた。
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が、こんな視点で兵士たちの戦争証言をNHKアーカイブスに沿って順次、注解していっても、出てくる結論、というか感情、情緒は決まりきったものである、と考え直して、事細かに各戦線のリアルな証言を解説することをやめることにした。一応、<その1><その2>の全編をメモリながら視聴しての結論だった。
その感情、情緒は極めて単純なものだ。
「A)どうして、物量、その他に圧倒的に及ばないアメリカとの戦端を開いてしまったのだろうか?
B)戦前の日本の政治軍事の指導者は非科学極まりない、無能無責任、集団だった。
C)戦争のリアルな現場は余りにも非人間的残酷非情、動物的世界であり、戦争は絶対にイケナイ」
NHKの動画は、こういった素朴な感情が自然と湧きあがってくるように編集されているように思えた。言い換えると、番組制作者には暗黙のうちにA、B、C、の太平洋戦争「史観」があるから、それに添った画像とインタビューを構成した、とみなすことができる。
太平洋戦争史観としたのは、アーカイブス動画では、満州国樹立→満蒙戦線拡大→日中戦争突入→太平洋戦争開戦を一連の政治軍事過程として、触れることを一貫して回避して、アメリカ軍の対インディアン戦争の様相を呈するようになった太平洋戦争の日本軍のリアルな敗走過程を、兵士たちの証言から、伝えることを眼目においているように見え、そこから編集上、切り離される形で、満州国樹立→満蒙戦線拡大→日中戦争突入の政治軍事過程が取り扱われているからだ。
が、そこにこそ大きな落とし穴がある。現時点やこれからのことを考えるとー。
NHKの兵士たちの戦争は一種の「悪意無き歴史の改ざん」、と言い切ってよいだろう。
日中戦線拡大と石油など戦略資源の米英蘭への依存関係、及び真珠湾攻撃直前の対米交渉におけるアメリカ側の対日基本要求が日本権益の中国大陸からの排除という事実からも、大陸での権益確保、拡大と太平洋戦争突入は切っても切り離せない関係にあった、と理解できる。
最近読んだ興味深い実話では、世界史の教科書にも載っている有名な北京原人の発掘された本物の標本は北京の旧ロックフェラー病院の金庫に厳重に安置されていたそうだが、日本軍が接収したとき、1週間前に確かにそこにあった原人の実物標本が忽然と姿を消していた、という。
どうもアメリカ側が日本軍の進駐を予測して、本国に退避させようと船積みした輸送船が日本軍によって撃沈され、本物の50万年前の原人の本物の標本は海底に沈められたままになっているらしい。今北京博物館に安置されているのは完全なレプリカのもみであるという。
毛沢東の選集で云っているように、蒋介石は英米の利害の代弁者であって、コレを通じて彼等の権益は中国大陸に浸透しており、それと満州国を基点として中国全土の権益に手を伸ばしていた日本側とは、分け前を争う関係にあった。
そして実際のところ、日本支配機構は、こうした強大な野望を実現する人的物的実行力を全くかいていた。
日本帝国主義は大陸で敗れるべくして敗れた。後ろに引き返すことはできなかった。
さらにモット正確に言えば、満州国樹立ー日中戦争への拡大と太平洋戦争突入及びヨーロッパ戦線の状況をリンクさせて捉えなければ、世界戦争としての全局を見渡せない。世界恐慌への対応策において、世界は二つに割れたのも歴史的事実であり、一般的な帝国主義の世界市場の再分割戦という見方だけでは、第二次世界大戦の実情に迫ることはできない。日本ドイツイタリアはスターリンの体制に近いものであった。
コレも大きな歴史の教訓である。
>最後にモット厄介な通常の1930年代史観に埋もれた戦争と景気、経済に関連した歴史的事実がある。
経済危機から脱出する手段として、思い切った金融財政拡大政策を採用していくと、中期的には景気浮揚状態が継続し、日本の経済規模は拡大したことは、戦前の高橋是清経済政策で明らかである。
政治世界では急激な軍部台頭、普通選挙制度実施によって、始まったばかりの政党政治の終焉、言論統制や思想弾圧の嵐が吹き荒れる一方で、、軍隊、軍備の拡張もあって、工場はフル回転し人手不足で労賃が上がって、好景気に沸くという経済の現実があった。
1930年代を一括して暗黒時代とすることで、景気も一貫して悪かったような印象を何となく描かれがちで、コレまで余り指摘されてこなかった経済的側面だった。
1930年代の満蒙戦線の拡大と巷の様子を活写した小説がある。
武田麟太朗 「好きな場所」。 「改造」誌に昭和14年(1939年)12月発表。
【W,炭の買占め】
「実際、先日から、温度が下がって炭の必要から、切実にどうしたものかと~
炭屋にいけば、取り付けの店で買ってください、(W。卸店だろうか)。その取り付けが、公定相場では商いにならないせいか、それともやはり配給のないためか、とっくに店を閉じている。鉄道省や商工省?で木炭の買いだめを勧めたという説をなすものがある~
買い溜めの事実は、アチコチで目にしている。現に、~自家の前の金持ちなんぞ、毎日トラックで何杯もなく運び入れていた。アレだけの分量を蔵っておける納屋なり余地があることがもう大変ビックリさせるくらい。
おまけに金持ちの欲望は限りないとの真理を証明するだろう、近所の取次店からもどっさり仕入れて~」
「何を戯事を云っているのか。軍需景気について知るところを、というわけで(W。改造編集部の要望。現在と何処か似ている)売文業者はつらい。」
↓【W。インフレは進行し、労働強化と労賃の上昇率を上回る必然】
「油脂のにじんだ労働服の職工さんが百貨店で、最上級の紋服を、実にさりげなく注文したとか、小型自動車を側近で買い調えたとか、見習い工らしい少年が百円刷の束をジャンパーから引き出して何かの支払いにしたとか、イロンナ伝説が流れているが、よほど特殊な場合ではないと、~~。
統計を取ればすぐわかるけれど、単価の値上げはどれほどまでのものであるのか、ただ仕事が繁忙を極めているだけで、労働過度の疲労が、好況好況の声にあおられた上機嫌に伴われて、むしろ生活精神の頽廃だけが目立つようだ。
【W。若い情熱は、後から必ず残る悪い影響なんぞ、無視】
「しかも、その現象は若い労働者のほうに余計特徴的なのは、彼等が若いという点から理解出来よう。若い情熱は、後から必ず残る悪い影響なんぞ、少しも考慮させないで振るまわさせてしまう。
~そして私なぞ、彼等が工場名入りの戦闘服紛いの帽子をかぶり、国防色の労働服のそろいで、どんなことがあってもまだ作業中と想われる時間に、競馬場に颯爽と現れて規則を破って何枚もの馬券を買い入れたり、(W。高額単位の馬券しか売っていなかったので、規則違反の共同購入したと想われる)
彼等を得意客とする工場付近の三流四流の不見転芸者が忙しくって、待合と待合の間を歩いている暇もないので、誰も彼も駆け足で廻っている異様な光景を、風俗に興味あり、とジッと観察していいのかもしれない。」
【W。中年労働者は青の経済恐慌、工場閉鎖失業者氾濫時代を経験し小さな自己満足で貯金】
「それを解釈するなら、今日もコレだけ稼いだ~いくらいくら貯金通帳に記入できると、旨のうちで算用している面持ちなんだ。それらは中年の労働者で~小さな自己満足と馬鹿にするのはよしましょう」
【W。銀座のフルーツパーラーで、明らかに労働者のおかみさんが三人】
「かいていて思い出したのは、いつかわたしが銀座で見かけた一寓話だが、そこは大きいフルーツパーラーで、どんな珍奇な高価な果物でもある店へ、明らかに労働者のおかみさん風の三人、銘々ねんねこに赤ん坊を背負って入って来た。場所は、いやにプチブルジョア的な空気に満たされいるのをその三人、傍若無人に打つ破りながら、ジャミトースト(W、ジャム)に牛乳、ケーキにソーダ水なぞを飲んだ挙句、まだ贅沢がしたりないといいいたげに、次は何を食おうかと相談していたが、ちょいとねえさんと女給さんを呼んで、ちょいとねんさん、ここんち、何か水菓子あるのかしらと、たづねたもんだ。
と、女給仕はハァここはフルーツパーラーでございますからと答えたので、自分たちの領分を侵されたように、彼女たちに目を潜めていたお客たちが、ワァと笑い出した。~~その通り何もおかしくはない。」
「こんな連中が、今年の夏、鎌倉は客種が悪くなっったとか、貸し別荘なぞも軍需景気の諸国たちに占領されて、せっかくの享楽地が面白くなくなったと不平を言ったのだろう」
【工場地の飲食店の繁盛】
「汁粉もあればライスカレーもできる、シナそばにラムネもあるし、夏場には氷やトコロテンも売るといった風の、赤い暖簾がかかった店では、老若男女混雑して、このときに食わねばと、大急ぎで詰め込んでいる光景が観取できる。
いづれ、三河島で名代の千軒長屋をつぶしたあとまで、工場を広げた日本鉄建へんの職工さんだろう。夕方なぞ、工場帰りに、値段の張ったとんかつを5つも6つも、つまりは家族の数だけお惣菜用に買い求めていくのも多い。」
「だが、コレばかりの贅沢を、軍需景気のなんのと驚くのはお愛嬌ものだ。(W、貧者に生活習慣として抜けきれない、エンゲル係数という事実がある。性欲も同類。貯金をした結果、インフレと戦争で無価値同然の事実もある)もっともその上には戦争による犠牲が横たわっていた。)
今日、どんなどけちな鉄工所でも、高い賃金を取っている熟練工でも、安く働いている少年工でも平均した労務員は、その主人のために、一切の入費を差っぴいて、最低15円がとこは稼ぎ出しているそうだが、こうした側にこそ、大工場なればなるほど、所謂、軍需景気はあるわけだ」
「この夏ごろ、『戦争成金絶対許さず』と書いた日本主義団体の立てカンバンやポスターの類を、場末のあちらこちらで読んで、同感を禁じえなかったのに、近頃は余り見かけない。この際もう一度叫んでほしんだ」
【場末を遊興で徘徊する高村光太郎(と想われる)のリアルな姿が活写されているが省略】
ただし、この場合、軍需戦争景気に主導された重化学化という産業構造の大転換期に丁度ぶち当たっていた、という歴史的事実を抜きに語れないのであって、一般論として、金融財政拡大政策によって、日本の1930年代初頭から、日中戦争の始まった1937年ごろまでの持続的景気拡大が達成できるとは想われない。
だから、内外の経済構造と循環の全く違う現状の日本に通用しないが、一部特定産業部門がコレによって儲かることは確かである。こういった政策の採用は資本家階層内の力関係によって決定されるが、戦後史を見渡すと、こういった政策を継続してきたアメリカ経済の後退を見ても、世界動乱の再現でもない限り、経済効率への手かせ足かせになるようだ。日本経済の戦前の軍需と民需の不均衡と異常な戦後成長を見ても、軍需依存には必ず破綻が待っている。
したがって、真に戦争拡大の時系列にそって、中国大陸の戦線から検討することで、1930年代の政治軍事過程の実情に近き、そのことによって、現在との比較と教訓が生み出される。
他方で、真珠湾攻撃以降のアメリカ軍は当時、世界の工業生産値の49%も占めていた大陸国家の軍隊である。しかも、ヨーロッパとアジア大陸、太平洋の世界戦争の主戦場から、二つの大洋を隔てた大陸国家であるという地政学的優位性を持っている。
この両者の大きな違いを混同すると、数回前の記事で取り上げた38式歩兵銃を歩兵の日常的な携帯武器として対米戦線に送り出すような愚を実質的に擁護するような呆れたYAHOO知恵袋回答になる。
こういうクロをしろと言いくるめるような、独りよがりなマニアックな世界が積み重なっていくところに、大きなほころびが出現するのではないか。戦前とは違った、大きなほころびが生まれるルートであろう。
現状も続いている小保方晴子と理研騒動などは、日本の支配的機構に一種の動脈硬化現象が生じている典型と見る。38式歩兵銃マニアの嗤える言説がYAHOO知恵袋でよくできました、の回答となっていることを最大拡張したのが小保方現象である、と見ている。
ピーターブルマーという人は戦後の日本の神話は経済と科学技術への信仰だったと看過しているが、理研ー小保方騒動のあれしきの簡単なことが始末できない、不可思議な現状を見ると、その一角は溶解中であるように思える。
敵が大きな火力で待受け体制をとっているところへの白兵突撃などあり得ない。実質的な集団自殺であり、ノーマン、メイラーの「裸者と死者」でも「群集的な有頂天の激発、まるで部族的な逆上のうちに死んでいったのだ」とか「彼は日本軍の大夜襲の夜、出撃して、川の中で殺されたのだ。彼は、有頂天の無名の人間集団の一分子として、おそらく絶叫しながら倒れたことだろう」と記述されている。
アメリカ側の目から見ると、そうとしか思えないのだ。その戦場のリアルな景色は日本軍とアメリカ軍ではまるっきり違っていた。両方の目線で見た実態が本当の現地の戦局である、とするから、ノーマンメイラーの「裸者と死者」もエマニュエルトッドの「帝国以後」も同時に取り上げ、NHKアーカイブと重ね合わせ、今日的意義を問う。
そういう戦法が空中や海中、海上に転用され実行された事態を「真っ直ぐな心」とだけ著書で総括する現在の政府トップは、彼等を尊重しているのではなく逆に、本質的に愚弄しているように思えてならない。
国体主義者というものは、時代を経ても基本的本性は変わらない。
今日的問題としては、そういう国体の中身、範囲、構成員(物)に戦前、と今現在から将来にかけて、違いがあるだけだ。
十字架を前にして苦吟したイエスキリストは天国に行ってみたら、自分が天国に含まれていないことに気づいた!カミユの「シューシュポスの神話」に確かそういう一説があった。
大勢の国民は守るべき国体に自分たちが日本国民であるからという理由のみで、インクルードされていると勘違いしているが、ほとんどの場合、現国体の側からは、予め決められたインクルードされた員数には入っておらず、単なる予定調和された収奪の対象物に過ぎない。
コレが現国体側と日本国民多数派、グローバル資本制の原理的関係である。
戦前の指導者はズルズルと現状維持のまま、戦域拡大の一途をたどった。物的人的基本条件を無視した極端な精神主義で覆い隠した。コレこそ真の無能、無責任であって、そういった類の最終最大の被害者は国民一人ひとりなのである。同時に無益、無情な被害を海外の現地にもたらした。
A,B、C,の視点に留まったまま、戦争を注解して今現在、新たに何の意味を見出せるのか?
それで、1928年から1929年の世界大恐慌に始まる1930年代史を確認しなおしたところ不思議なことに気づいた。もっとも、普段から知識と教養無さを自覚している者にとって当然といえば当然の結果なのだが、
歴史というものは、学ばなければ、解らないという事実。いや、学ぶというのは、大げさ過ぎる表現で、年代記を順を追って目を通すだけでも、どうしてそうなっていくのか、解る入り口に立っていることになる。
さらに解っていたつもりになっていても、目の前の日常生活に追われる中で、忘れてしまう、というか、フレッシュな歴史感覚は摩滅してしまうという、有りのままの現実に普段、他人が余りやらないネット日記を書き連ねている自分も直面している、と気づいた。
かなり愕然とした。そういう想いも込めて、学ぶ、ということで、一々、戦局を捉えてアレコレいっても今日的な意義はほとんどない、と考えた。
ネットにある毛沢東選集から関連事項を引っ張り出してきたのは、イロイロナ意図があった。
軍事行動、戦争に対する一つの物差しとしてまとまった記述がある。勿論是非の問題はある。あのような人民戦争という戦法は当時の中国大陸の特殊性でしか採用できないものと考える。民間人の側の多くの犠牲者を予め想定したものである。
ただし、当時の日本軍指導者よりも、戦争指導に関してはるかに明晰であることは、前回に記事で取り上げた山本五十六の対米戦争観を思い起せばわかる。一応、ヨーロッパ戦線との絡みで戦争を企画していると付記しておいたが、山本の云う、連続奇襲戦法によって、アメリカ国民に厭戦気分を充満させ、話し合いのテーブルにつけるなどというのは、どう考えても、戦術の積み重ねでしかなく、明確な戦略とはいえない、とわかる。
ミッドウェー作戦を見ても、実質的にミッドウェー航空基地奇襲攻撃と米主力艦隊誘引撃破の二股をかけた企画をしており、それと自軍兵力の劣勢の見通しとは、戦略的見地に立てば、全く矛盾している訳で、軍人としても、いい加減な人だったとわかる。
また、山本の上司たちの戦略性の欠如が問われなければならない。
同じようなことは次元を違えて、繰り返すのではないかと、想っている。
戦前日本の人的物的実力と不均衡だったのは軍隊膨張だったが、只今現在、明白になってきた不均衡は人的物的条件にそぐわない経済膨張である。
ノーマンメイラー「裸者と死者」より。
「>アメリカ軍は、結局、進駐するだろう。
>だが二十年か三十年かすると、国は又、おそらく元通りになるだろう。
>そして人々は彼等の技巧的な、抽象的な、わだちの中で生き、又新しいヒステリックな自己犠牲のための精髄を作り始めるだろう。」