反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

安岡章太郎の世界。村上春樹「ねじまき鳥のクロニクル」。

図書館から15冊、気の赴くままに適当に借り出してきた。半分ほどは返して、後の半分は手元において、暇を見つけてじっくり読んででいると不思議にも、日中戦争、太平洋戦争と敗戦の時代にまつわる状況、事象が詰め込まれたものが重なっていた。
丁度、NHkデジタルアーカイブ 兵士たちの戦争に関連した内容を記事にしている最中で、様々な角度から状況膨らませていく上で都合がよかった。
 
 小説は2冊、暇つぶしで読んでみようと借り出した。
ひとつは、若いころ、一番、インパクトを受けて、日本の小説の中で最高のものとさえした安岡章太郎の「ガラスの靴」を何十年かぶりで今読んでどういう感想を持つか、確かめてみようと想った。
 
もうひとつは村上春樹「ねじまき鳥のクロニクル」(W。 年代記編年史.、【語源】ギリシャ語「時間[年代]に関する」の意。
 
 高校3年の夏までに、一気にまとめて小説世界を確認して、夏以降とその後の予定では、そういうアイマイ世界とは、途絶しようと区切りのつもりだった。集英社刊の小豆色のカバーの日本文学全集だったと想う。その後、小説は暇つぶしでたまに読む程度で、教養として読むべき日本の小説も素通りしている状態だから、小説の読書体験は狭く、「ガラスの靴」が日本最高の小説とするのも、独りよがりである、のはわかっている。

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   ココからは村上春樹「ねじまき鳥のクロニクル」に言及するが、具体的な該当箇所を引用しない。
>その筋の雑誌のカタログのように生活様式の事細かなファション、何処か外国小説の物まね風の筆致の風景描写をふんだんに盛り込みながら物語を進行させていくのもファション小説の重要な要素。
例えば、晴れた日の東京の郊外住宅街の地面に織り成す影の描写は明らかにコーネルウールリッジ=ウィリアムアイリッシュの「黒衣の花嫁」のぞくっとする場面の描写のパクリだろう。村上は連続シーンで二回も詳しく使用している。こういう描写を文学的とうっとりするヒトとわざとらしいとするものでは彼の小説の特徴に対する90度以上違った評価だから決定的である。
黒澤明羅生門の山中の犯行シーンの光と影のコントラストも有名である。
基本的に空気の湿っている日本では、太陽光線の鮮明に織り成す光と影のコントラストができる日は1年中で限られた日々であって、日常的に目にできるものではない。自分の記憶では、そういう時は1年で数えるほどしかなくうっとりする。
が、それをあえて出現させてくどくどとかいていく、行があったら、簡潔に本題を前に進めていってもいいはずだ。
クロニクルの象徴であるねじまき鳥を登場させるシーンだから詳しく書く必要があったのか。しかし、そんな象徴は舞台回しとしてわざわざ登場させなくても、普通の人物構成の綾で過去への回想は可能だ。
物語をワザと思わせぶりに、神秘化している。
 
本題が思わせぶりで中身は大してないから、そういう一見文学風な描写を積み重ねていく必要が生まれてくる。その描写の先に登場した女が、高校1、2年生のとてもその年齢とは想われない村上好みの会話からファションから何から何まで人工的大人の女ではどうしようもない。人物像の実感を出すために、サモサモ的なイロンナ細工をしているが、ことごとくファションに流れて不自然で、この少女はますます実在性から遠ざかっていく。
 
その他の部分もにたようなもので、コレは一体小説なのか、各章の寄せ集めの長編詩なのか、ファションカタログの寄せ集めなのか?見方によれば、村上春樹好みの登場人物1,2、3、風景までもそこ数えられる変形「私」「小説」「評論」ともいえる。
各章の前後のつながりもいい加減なところがあるが、そんなのは、前記のスタイルを押し通しているので、余り関係がないみたいだ。村上愛読者になるためには、そういうことは気にしていられないようだ。
 
それらをチラつかせながら、重大な観念がやがて出現しそうな気配を匂わせながら、最後まで引っ張って結局、そのままにおわるのではないか。一冊目を読んで結論を出すのは早いが、最初からコレだけ小説の素材が散らかっていると、回収作業には大掛かりな仕掛けが必要となり、トータルしてに小説としての現実性があるかどうかという問題が出てくる。高い金を払ってまで読む小説ではない。
 
また、小説全体に作家のトレンド追求を心がけている意図に反して、えも云われない不潔感コテコテ感が漂うのは、どうしたことか。エロチックなシーンは即物的でゲテモノ的で、小説としても、お目にかかれないシロモノである。猥雑でもなんでもなくて、グロテスクなだけだ。
シーンそのものの描き方も問題あるが、その前後の処理が上手くいっていないから、即物感、唐突感が生まれる。描く意図が解らない。コレも良かれと想ってのファションなのか。コテコテの関西人の趣味だ。
 
ねじまき鳥の年代記の末尾にノモンハン事変に関する9点もの参考文献が載っている。おそらく研究者以外のものが集められる最高の資料で、是非読んでみたいものが複数含まれているが、それでいてノモンハン、満蒙国境地位地について、アレだけの平凡なことしか物語れないのはどうしたことか。
小説をひねり出すとは如何に難しい作業なのかわかった。コレは実感だ
 
間宮元少尉の回想する物語にリアリズムを感じない。トンでもいない拷問シーンなのに場面描写がことごとく軽量な風景的描写に終わっている。また、そういう異常事態の人間心理の動きは実に在り来たり極まりない。
 
ノモンハン事変を語る間宮少尉登場まで引っ張っていく筋道も不自然極まりない。
どうして主人公の30歳の失業中の男の妻の父親の通産省エリート官僚が満蒙国境を越えて侵入する特務を担っていた田口元伍長の占い師をしているという、うらぶれた居宅に、通うことを結婚の条件にしたのか小説のなかでは全く言及されていない。二冊目で説明されても、この不自然なギャップは大き過ぎる。
だから、この素材の散らかり方は大仕掛けがないと物語の中では収集できない。しなくてもいいというならば、小説の範疇からはみ出している。
もっとも、小説として自分の尺度から図って未熟過ぎて、馬鹿馬鹿しくて2冊目を読む意欲が湧かない。
 
 なお、ねじまき鳥のクロニクルのプロットは百田尚樹永遠の0」が拝借している。
主人公にクロニクルをめくらせるために、<適当な切っ掛け>で、たどり着いた、ノモンハン事変ー満蒙国境の間宮中尉は、百田尚樹の特攻隊とゼロ戦の関連人物というわけである。
元ネタがろくでもないもであれば、それを真似たものは、普通はそれ以下ということになる。
                      以上、「ねじまき鳥クロニクル年代記)」
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 さて、そこで、数十年ぶりに安岡章太郎「ガラスの靴」を読んでみようと思ったきっかけはNHK教育ラジオがアトランダムにやっている文学アーカイブ安岡章太郎のインタビューで生の声を聞いて意外に思ったせいかもしれない。「ガラスの靴」から受ける印象ではもっと、くぐもった声でぼそぼそ語る人想像していたが実に力強い声質で、てきぱきとしてよくしゃべった。
92歳、老衰で亡くなったというのも、病弱ものを題材にして、実際に少なくとも1945年~1950年まで脊髄カリエスでほとんど、寝たきりだったので、失礼ながら、意外だった。
やはり、安岡のように生まれ付いて特殊才能が備わった人が極限体験をすると普通に終わらないようである。
 
さらに、おかしなことがあるもので、前に「ガラスの靴」を読んだのは文庫本で、「悪い仲間」と「陰気な愉しみ」が所収されいて、大した作品とは想わなかったが、今回は全集でそのほかの小説や「アメリカ感情旅行」(岩波文庫で出版されていたはず)を偶然に読み直して、日本の作家では稀有の筆力、多彩な要素を持つ作家だと、今頃感心した。完全に独自の境地を切り開いた大家である。


 そこで、まず順番として「ガラスの靴」を取り上げ、次にユーモラスな短編をどんなものか引用する。

最後に他の作家評論家の安岡章太郎評を肝心なところを引用する。自分自身、ココまでの評価をする能力がない。(エラーにより消失のため時間不足で再現できず中止)
また、ネットでは安岡の代表作といわれている「海辺(かいへん)の光景」の評が載っているが、読んでなくてアレコレ云う間違いを承知で言えば、難しく考え過ぎじゃないかと思う。


この小説が、特定条件下のメルヘンチックな恋愛小説として完成された世界を提示している、とうろ覚えで総括していたが、、若い男と女の情念、欲望、関係性に裏打ちされた今でもポップとして通用するようなリアルな事象を根底にすえていることがよく解った。新たな発見である。
この短編小説は実際に何処にでもありそうな若い男と女の恋愛世界と架空のメルヘンチックな世界を絶妙に橋渡しして独特の小説世界を提示している。 
 
確かにタイトルの「ガラスの靴」はシンデレラ姫物語のをもじったものとおもうが、先にあげた、占領軍将校の接収家屋の留守番という特殊な限定のある場所とその条件下の恋愛、という軽い意味で使用されているのであって、小説世界はアレコレ難しく深読みしすることを許さないほどリアル、かメルヘンチックな、完璧な独立した世界を読者に提示している。一貫した伏線は恋愛中の若い生身の男女の欲望と相手に対して微妙に揺れる不信感である。コレによって小説に実在感を持たせている。文章スタイルに何の無理も無駄もなく,作家の作意さえ感じさせない。具体的な事実の簡潔な記述を先に進めることで、シーンごとの全体像を読者に浮かび上がらせる
 
     アレコレ深読み典型の参考資料  キビシイ批判を展開したがコレもエラー消失
「そこには確固とした敗戦というまなざしがある(W?)のであり、主人公は新しいアメリカという(権威=『第二の父』のもとで敗戦国民としての屈辱感を全面的に抱いていることが解る。
そこには江藤淳が1970年代の論考で、対米依存型の日本社会をごっこの世界」と捉えた事態が<私>のレベルで演じられていることが解る。」
W。この論文を読んでいると、途中で、頭が混乱してくる。以前、理研ー小保方のSTAP細胞大発見のネイチャー論文解説プレスリリースを読んでいる途中と同じ気分だ。
論理の飛躍はありすぎて、大き過ぎて、しかも自己の抽象的判断基準に「ガラスの靴」の適当と想われる箇所を無理やり当てはめるので、付いていけない。アジテーションを読まされているみたいだ。
それに本人は評論家の理屈を借りて、自分の意見を述べているようだが、実際にそれをどこまで咀嚼できているのか、何処まで自分の書いたことに自信を持っているのかも怪しい。
 ただし、この女性が提起している政治的背景を解りやすく説明してあげるのはかなり難しい。日本のリアルな政治思想のあり方に直結するものだからだ。自分の現状の立ち位置をハッキリさせて、その根幹を全面展開しなければ、説明したことにならない。
 
 しかし、イロイロ難解な概念が渦巻き十分整理が付いていない状態に思えるこのヒトをすっ飛ばして江藤淳を批判したほうが良い。 
最もこのヒトの使用するイロイロな概念は元からして、厳密な定義の試練を潜り抜けたものではなく、使い手の文脈の中で恣意的に使用されるムード的用語でもあるようだ。
 
 一応、この記事を書く前に調べておいた関連記事の中で、上記の女性の問題意識に近い形の江藤淳安岡章太郎「海辺の光景」評論記事への批判を挙げておく。
 
 村田久芳の文芸評論『安岡章太郎論」②「海辺の光景へ、海辺の光景から』 
この論者はよく解っているが、結局、江藤淳の抱く「絶対的」価値観は戦前の価値観をいいとこ取りの言説なのだからそれを批判するためには庶民や市民のリアルな生き様、生活を対峙させることになると示している。
が、江藤も死ぬ間際の小説(ともいえないシロモノだが)読む限り、綺麗ごとの言説の裏側で、単純素朴な、昔の資産家であり、名誉もあった我が家の敗戦による没落感=喪失感を大きなモチベーションになっているとしか想われない記述がある。
 
 ま、現実利害面では、いろいろなタイプが枠内に存在する。
国家、民族、家族 会社の倫理など「絶対的な批評の概念」に寄りかかれば、後は切って捨てるだけで楽なもの、大して考える必要が無くなる。
 
 僕の相手の悦子は「ガラスの靴」を脱稿する前に書かれた初めての小説「ジングルベル」の僕の恋愛の恋愛相手の光子を昇華し造形したもので、光子は安岡の実際の恋愛相手像が刻まれているとおもう。その関係は実話に近いものがある、と見ている。
戦時体制に青春時代を奪われた作者等の年代の遅れたがゆえの純化し、一面で敗戦による開放感からの奔放な恋愛体験に基づいている。(W,なお、安岡の見合い結婚した相手の名前も光子。この女性は安岡の翻訳係嘱託で勤めたレナウン<安岡の小説に寄れば、当時はメリヤス問屋>の後の経営者の縁戚。安岡は92歳老衰で亡くなるまで強運の人であった。肺結核によって、病院に収容された2日後に満州の所属部隊はレイテに派遣され結果、全滅。ただし安岡の強運には本人の意外なほどの意志力、積極性がある。ペンを握らせたらまさしく天才である。)
 
 引用、岡章太郎全集、講談社 昭和46年発行。Ⅶ(7、最終刊) 「アメリカ感情旅行」。自筆による年譜より
 
昭和24年(1949年)2月。29歳。 W.中国革命、朝鮮情勢緊迫 いわゆる逆コースの時代に突入。
カリエスの悪化激しく、留守番の仕事を父(W、元陸軍南方方面軍、獣医部長陸軍少将、戦犯公職追放中)に変わってもらい、家に帰って寝る。
12月ごろから体力やや回復、枕元に原稿用紙を置いて『ジングルベル』をかいた
 
昭和25年(1950年) 30歳。
前年暮から続けていた「陰気な愉しみ」「ガラスの靴」等々を書く。アチコチ就職口を探したが問題にしてくれるところ無し。
 
昭和26年(1951年) 31歳。~W、朝鮮戦争特需景気
1月からレナウン研究室で、翻訳係の嘱託になった。
復刊した三田文学』6月号に(ガラスの靴が)発表されると、芥川賞候補になったが、自分としては暗い部屋から旧に表通りに引っ張り出された様で、目がくらくらして何も書けず。「三田文学」に『ジングルベル』を発表。
 
昭和27年(1952年) 32歳。
第三の新人』とこの年暮辺りから呼ばれ始めた(W.有名文芸評論家の命名。文芸的存在が認知される)
「文学界」11月号に『愛玩』を発表(元少将で、復員後、仕事を諦め引きこもり状態の父親が手を出したアンゴラウサギ飼育して毛を売る商売が、破綻してハムソーセージの材料として掛け目で二束三文で売り飛ばされるまでの生活逼迫家庭の顛末をあけすけユーモラスに綴ったもの)小説家として守備範囲が広い。
 
昭和28年(1953年) 33歳。
レナウンをやめ、創作に専念。「陰気な愉しみ」「悪い仲間」で第二十九回芥川賞を受賞。
(W。友人の作家近藤啓太郎「安岡の落第は学生のころだろう。お前は文壇に出てからは全然優等生じゃないか
第三の新人吉行淳之介庄野潤三小島信夫三浦朱門らの中では最も早く、文壇で地位を確立した。年譜からも解るように、本格的デビュー以前に目立った習作もないのに、ナゼカ熟練した文芸技術を身につけていた。小学生のころ、真面目な作文の時間に面白おかしい話を作って、叱られる。)
 
*「ジングルベル」の光子を展開して昇華したのが「ガラスの靴」の悦子である。
「ジングルベル」ので出し~。から引用。
 
光子からの電話で目を覚ましたときは、前の晩から1戦2時間もかかるへたくそなマージャンを打ち続けて寝たのは昼少し前だった。
「地下鉄の三越前の駅で待っているわ。5時よ、だいじょうぶ?」
うん、 だけど、これから飯も食わなきゃダメなんだ。ここから1時間ぐらいはかかるだろう」
「じゃ、30分ぐらい待ってて上げる。でも5時半過ぎたら、行っちゃうわよ。」
「ああ。」
「ホントよ。」
「わかった。」
W、それで僕は急いで待合の場所の出かけるが、途中で電車事故があって、約束をとっくに過ぎて、駆けつたが姿は無かった。
翌朝の電話の会話。
 
「ゆうべは~」といいかけると、光子はおっかぶせるように
「地下鉄が故障でこられなかったわね。」
「うん、  いや東横線も1時間以上遅れたんだ。」
「あたし、7時過ぎまで待っててあげたのよ。そしたら電車が故障だっていうからもうこないと想って 脱線しちゃわ、あれから。」
「脱線?」
「うん、あなたが来ないでしょう。詰まんないからタバコばかりすっていたの。もうこないと想って帰りかけたら後ろから、男の人が追っかけてきたの。 変な人だな、って想ったけれど」
決まりきった文句で、「あなたのまっていらっしゃる方も、おいでにならなかったんですか。実は私も 」
とその男が呼びかけていうのだ。何となくボンヤリしていたのでいあわれるままにその男にくっ付いていて、それから何処と何処へいったと、方々のダンスホールや喫茶店の名を上げ
「お酒、ずいぶん、のんじゃったわ。なにもわかんなくなって、お家に帰ったら、もう12時よ。」
僕はナゼカほっとした。ソレはある予想が的中したような喜びだった。
「いけないね。そんなことをしては。」
「でもあなたが悪いのよ。そうでしょう。  あなたこれからうちにいらっしゃらない。 だぁれもいないんの、今。アイスクリームを作ったわ。いりゃっしゃいよ。」
「だめなんだ。これから用事があるんだ。」
「そうオ、ジャ、今晩は。  晩ならいいでしょう。アイスクリーム、冷蔵庫に入れとくわね。」
*電話を切って、ボックス席を出ると僕は急に不愉快になった。言葉の意味を了解し、女が僕を裏切ったことはようやくはっきり頭に来た。燃え立ってくる怒りの中で、親父の就職運動なぞは、もう馬鹿馬鹿しくなった。
何がアイスクリームだ。僕はアイスクリームを光子の頭にたたきつけることを想像しながら、これから光子のうちに行ってやろうと、目黒駅へ歩き始めた。
 
>W。以上のような光子の自己完結した世界を持つ人物像は「ガラスの靴」の悦子の原型であるし、「ガラスの靴」の脆くも崩れそうな限定した僕と二人だけの世界に発展し昇華させたものである。
 
   引用、「ガラスの靴」 
ぼくはいった。今日もまた、怠けて遊んでしまい、手のつけられない宿題帳の山を眺めながら、ヒグラシの鳴くのをやりきれなかった、と。すると彼女は突然、きいた。
「あなたヒグラシの鳥って見たことある?」
僕は驚いた。悦子は二十歳なのだ。問い返すと、彼女は口元にあいまいな笑いを浮かべている。そこで僕は説明した。
「ヒグラシって云うのはね、鳥じゃないんだ。ムシだよ。せみの一種だよ。」
悦子は僕の言葉に仰天した。彼女は目を大きく見開いて、-悦子の目は美しかったー「そうオ、あたし、コレくらいの鳥かと想った。」
とてで、大凡黒部西瓜ほどの大きさを示した。~僕は魔法にかかった。ロバみたいな蝶や、犬のようなカマキリ、そんなイメージが一時にどっと僕の現前に押し寄せた。僕はたまらなく愉快になり、大声を上げて笑った。すると彼女は泣き出した。
「あなたのおっしゃることって、嘘ばっかり。だってあたし見たんですもの。 軽井沢で。」
そういって彼女は、僕の方に寄りかかって泣くのだった。
ポロポロ涙が頬を伝って流れている。僕は狼狽した。
「そうだね。軽井沢にいるかもしれない。ほんとは、僕もまだヒグラシなんて見たことがないんだ。」
 
「ガラスの靴」解説  阿部昭 1934年生まれ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%98%AD
W。不必要に社会的背景に立ち入らず、作品自体を見据える視座があるという意味では適切なところもある。
ただし、時代背景を考慮にいえれなさす過ぎる欠点もある。
 
「およそ優れた処女作は、シンデレラが舞踏会に置き忘れた靴のようなのかもしれない。『ガラスの靴という題名が象徴的にひびくのは、コレが一個の題名というよりは、あらゆる哀切可憐な青春小説の代名詞のように聴こえるからだ。
 
実際、今『ガラスの靴』を取り出してみても、少しも古びていないどころか、これほど完璧な処女作をもってデビューした作者はほかに思い浮かべることができない。
~安岡自身も、コレが文字通り‘ガラスの靴‘であったことを立証するかのように二度とこの種の作品を書かなかった。
「ジングルベル」の光子や、「ハウスガード」に出てくるメードのチャコちゃんにも、あの忘れがたい悦子の面影をみいだしかもしれない。だが、前者はむしろ「ガラスの靴」を生み出す筆ならしのようにも見え、
後者は名作を数年後になぞった二番煎じのように見えないでもないのである。
 
W。戦時体制に青春を奪われ、出征し病魔に苦しんだ遅過ぎた青春を謳歌した一こまを切り取って、小説に昇華した完璧な青春処女作だった。
 
    阿部昭 
「コレは要するに、~ほかならぬ安岡章太郎自身にとって‘ラディケ‘だったということであろう。つまりどの作家にも一生に只一度だけ書きえる作品があるということだ。コレを書いた氏が17歳でなく30歳だったというようなことは取るに足らない。-年齢は問題でにならない。」
W。安岡の青春に「ガラスの靴」を書ける時代状況に日本は無かった。
 
 <死にそかない、生きそこなう>
「氏のシャンソン癖についていとこと。執念で覚えこんだらしいいフランス語の台詞を止め処なく追っていくので(開高自身が)根負けしている。落第生、浪人(W、3年も)、学生時代イツ赤紙が来るかと覚えつつ、只、喫茶店に入り浸って、アリジゴクの斜面がズルズル落ち込んでいくだけのような毎日を覚えこんでいたので、その怨念が未だに木霊しているのであるらしい。」
 
「何一つ信じなれない戦争にしゃにむに散れていかれて古兵に殴られたり、蹴られたりして挙句は犬のように死んでいくしかないと感じていた氏の世代の青春は、外人部隊のそれに擬されてもさほど無理はないと想われる。
(W。安岡の場合、大学学徒の特権である幹部候補生試験にも不合格だったというのだから、複雑な立場である。まして父親は東京帝国大学出身の陸軍将校である)」
 
「氏の所属している隊は満州に駐屯していて、ソレがフィリピンのレイテ島に移されて、一平残らず全滅してしまったらしいのだが、氏は偶々一日違いで移動しなくても済んだ。
胸の病気がその日に発熱してくれなかったらどうなっていた解らない。(W、小説によると41度の発熱に襲われた)つまり氏は<死にぞこない>、なのである。それの一人の人間としての意識は氏の深部にひとつの核を作っていることであろうと想われる。
*安岡氏は変なずうずうしさと酷いはにかみに二極の間を往復している人物のようである。」
 
「(シャンソンは)なかなかいいのだけれど、とてもここで字に書くわけには行かない性質のものである。
それを図々しい、やけくその大声で歌った後、こちらが台詞に感心して誰が造ったのだろうと訪ねると、不意に氏ははにかんで、おれだよ、と小声で答える。
満州の一兵卒時代に隊の伍長に殴られたり、蹴飛ばされたりの毎日、拳骨の下を這い回りながら、思いつめた挙句氏は猥歌を作ったものでるらしい。
追い詰められた鼠が爪もなく牙もないので、だいたい、いじめられるままに歌を作ったのであるらしい。
ユーモアは弱者の最後の武器である
この種のユーモアとこの種の武器の使いかたは作品の中でしばしば氏が抜群の冴えを見せるところである。
時には只その武器だけで一編を組み立てることもあるようだ。
 
W。安岡章太郎全集Ⅲ所収の作品の中でユーモア先行の作品をあげると、
「宿題」  教育ママの母親の勧めで受験勉強の熱心な小学校に転校した安岡だったが、夏休みの宿題を全部サボって残してしまった。~迷シーン。
 
 母親が、いっぺんに僕以上の厭世観に取り付かれた。泣き出している母親を見て僕はどうしていいかわからなかった。
「お前も死になさい。あたしも死ぬから。」というのを聞いて僕もそれでいいと想った。しかし、ガス管をもってこいといったくせに、僕が台所にそれをとりに行こうとすると、いきなり僕を引きずって机の前に座らせ自分の鉛筆を持って帳面にしがみついた。
もうこうなったら仕方がない。僕と母は片っ端方帳面を汚すことに根注し始めた。1分間も休むj暇は無かった。
腕が重い棒みたいになって指から鉛筆が転がり落ちそうになる頃、僕は宿題のやり方がだんだんわかってきた。迷わないでかけるようになった。
算術は答えだけを書くことにした。23桁の物凄い掛け算も、数字だけ書けば1分間で7題もできた。
応用問題の鶴亀算は、問題を読まないでつる1匹、カメ3匹と書けばそれでも済んだ。どうせ考えて答えも違えるくらいなら同じことだ。
僕が素晴らしい速さで片付け始めると、母は競争心を感じた。
「北海道の主なる海産物を9種類アゲヨ。ソシテソノ産地ト1年間ノ収穫高ヲ書ケ」という問にぶつかってかんしゃくを起こしながら
「コンブまぐろ、かつお~」などと大きな字で書き始めるのだ。」
知らないうちにあかるくなった。あんなに大冒険と想っていたテツもやってみるとはかないものだった。それよりも明日がそのまま消えて今日になってしまったことが、なんだかだまされたようだ。
   
剣舞も生活困窮に至った陸軍元少将安岡一家総出の怪しい醤油密造の話。
原料は水、塩、粗製味の素、それに醤油の色をつけるためのカラメルソース。この醤油はよく売れて、近所のヒトは云うまでもなく、1升ビンをリュックサックに入れて電車に乗って買いに来る人さえも現れた。
そこで最初は樽でやっていたが間に合わず、湯船に水と塩その他を入れてるようになった。
味がいいというので、たいして疑り深くないヒトたちは、その液をオサシミや漬物にかけて食べるらしかった。
~父も母も、目が何処か犯罪人めいてきて、目玉の中にもう一つ目玉があるような変な光方をするようになり、それがしかも絶えず、キョロキョロ動いている。~しょせん、僕等にはこういう生活は向いていなかったのだろう。
 ある日とうとうやってはならないことをやってしまった。
 
たまたま、カラメルソースが品切れで休んでいる時、やってきたお客さんに、水と塩と味の素だけの醤油を渡してしまったのである。
無色透明なビンを渡されて怪訝な顔つきをしている何処かの女中さんらしきその人に、
「どうせ色はあってもなくても同じものですかえら。」と言い添えた。なぜそんなことをやってしまったのだろうか。
いやわせた親子三人、誰一人編だなと気づかないのであった。
それ以来ばったりとお客さんが来なくなった。早くも近所中に僕の家の醤油のイカサマが知れ渡っているのであった。そして僕等が門から外に出ると、どうしたことか、人々は皆、いぜんよりもかえって丁寧にお辞儀をするのであった。