ラジオの毎週欠かさず聴いている番組恒例の最期のパーソナリティのお勧め曲(ラブレター)はコレクションから選曲されたトミーフラナガンの「枯葉」だった。
Autumn Leaves/The Super Jazz Trio/Tommy Flanagan
*ながら族でボリュームを絞っているので、演奏が終末に向かうあたりで、ピアノ演奏が中断し、ベースとドラムの低音、小ボリューム演奏が続いていくと、終いには音が途絶えたようで、一瞬、放送事故かな、と勘違いした。
改めて聴きなおしてみると、枯葉が舞って、振り積もり、やがて静寂のときを迎えると、解釈する企画の意図はわからないでもない。又あの軽快なピアノ演奏とベースとドラムのコンビネーションのまま、ジ、エンドを迎えるというのも芸がなさ過ぎる。
そういうことで、わからないでもないが、ジャズ全般は何となく聴ける音楽ジャンルではあるけれども、距離感のあるものにとっては、あのベースとドラムはかなり高めのハードルになってしまう。
もっとも今のAMラジオでまともに聴ける音楽番組はジャズのかかるものしか存在しない。FMラジオも番組表を見る限り、自分の音楽趣味から縁遠い。昔はAMラジオに、モット気の効いた音楽番組があって、ヨーロッパを含めた最新のものから、過去に遡ったものまで効かせてくれて、そこで音楽世界が広がった。
プロの屈指の売れっ子作曲家が選曲して解説してくれるのだから、楽譜も読めないミュージシャンや音楽評論家モドキがパーソナリティーを勤めている番組とはレベルが違う。ハンクウィリアムスの個性、カントリーミュージックの音楽的特徴から、背景まで眼に見えるように解説してくれた。
だから、中学生にも新鮮だったわけだ。
ネットではユーチューブを筆頭にいくらでも自己選択の範囲を広げられて、個人的にはどうってことはないのだが、そういう選択肢から縁遠い人たちは、そのままの音楽環境に放置されているわけで、自分では意識しないうちに音の情操面からも、偏狭にこり固められている、のが現状じゃないだろうか。
そんな一方向的感性の人が層を成していくとどうしても、ギスギス社会の巨大な発信源のような状態になってしまうのでは。
アメリカでは各音楽ジャンル専門のラジオ局が一杯あって、ネット配信をしている局も多数ある。
カントリーミュージックの趣味があるものは、数十局のラジオ専門放送の番組を一日中聴ける。以前はイロイロ、好みの曲のラインアップを自分で作って、聴いていたが、いつの間にか音は悪くても画像の出るユーチューブ二
転向してしまったが、局媒体として選択肢が多様にあることは間違いない。
それだったら、同じピアノのビルエバンスの「枯葉」はどうだろうかと調べてみた。
こういうことになっている。
Autumn Leaves/Bill Evans Trio (1960) :Public domain
*ちょっとなぁ~と想ってしまう。角がたっている。どういうイメージなのか理解しかねる。
ビルエバンスはやはり他も聴いてみたがコレがしっくりする。
↓
Bill Evans Trio - Some Day My Prince Will Come - 19 Mar 65 (9 of 11) 「いつか王子様が」
Notes:
"Some Day My Prince Will Come" was written by Larry Morey (lyrics) & Frank Churchill (music) for the 1937 Walt Disney animated film SNOW WHITE AND THE SEVEN DWARFS.
"Some Day My Prince Will Come" was written by Larry Morey (lyrics) & Frank Churchill (music) for the 1937 Walt Disney animated film SNOW WHITE AND THE SEVEN DWARFS.
ウィキペディア引用
日本での公開は1950年9月。日本の戦時体制、戦後の状態から、タイムラグが生じているのだろうが、この初公開は朝鮮戦争勃発直後である。ウォルト・ディズニーの政治傾向から、この公開以降のディズニーモノの政治意図を憶測するのは、間違いといえない。
今のディズニー傾向は、複雑な政治経済社会状況の中で<癒し>のばを求めて、昔とは随分、趣が違って結構、複雑な物語になっているらしい。
大人の映画も<癒し>傾向のものが多いが、この前のモントリオール映画祭で受賞した吉永小百合さんプロデュース主演の映画もストーりーやネットのプロモーションを見る限り、大人も子供と同じような次元で<癒し>を求めているとしか思えない。
ことも世界が大人に近づいて、大人のエンターティメントは、子供の世界に接近している。
現実があくせくするとそうなるのだろう。
よ~く考えると、物語の中で実際は血がタラタラ流れて不思議でない残酷モノが多い。
物語の展開は、同じグリム兄弟の収録した中世初期のドイツ系ゲルマン民話の特徴がでており、「シンデレラ」物語と同工異曲。
徹底的に不幸な境遇に落とし込められた清く美しいお姫様が、清く正しい王子様に奇跡的に救済されて、ハッピーエンドに至る。善と悪の二項対立が徹底しているところは日本の中世説話と違う。移動距離の短かったドイツ系ゲルマン民族に刻印された封建制とキリスト教神話の合体した状態を至上の価値とするものだ。
共に学者をしていたグリム兄弟は中世封建王の圧制に抗議すると、大学の職を追われ、領主の保護を受けられないと宣言される。
そうすると、法治外の存在に置かれるわけで、暴力世界に晒され実際にどうなっても、文句が言えない存在にされる。
領主の権力外にでることは、暴力の常態化した社会では生命と財産の危険に直接、身をさらすこと。
そうすると必然的に「国家」(領主)は領民や市民個々のセキュリティーを守る側面が重視される。
日本も領主保護の側面はあったが、ココまで極端ではない。
確かに良いことなのだが、裏返してみると、国家は口先ではなんと言おうが、市民個々のセキュリティーを蔑ろにする体質がある。
実際に兵士を爆弾、鉄砲玉の代わりにしたり、市民住民を盾にしている。
イザという時には国民個々を犠牲にする日本歴史の支配層の精神は変わっていない。
世界の経済大国に上り詰めるまでのバランスシートに溜まった負債は、日本国民の負債にされ、支払いが求められる、ようにされている。どんな言葉を使っても、コレがこの先の真相で、日本の政治図の大方はそののためにシフトしている。
このアカラサマナ現実がわかっているから、日本支配層にインクルードされるために、日本国民はあくせくしている。ソレが真相というものではないのか?
東アジアの歴史全般にそういう傾向がある。民主でないといえばそれまでなのだが。民主主義の発祥といわれるギリシア、アテネ、市民が自ら武装した重装密集歩兵集団とチュニスの丘の兵士たちでもある市民議会を民主主義の原点に考えるとよく解る。勿論、それらの根底には奴隷制度という働くものを、力で押さえ込む世界がある。
さらに、元々済んでいたドナウ河の東側からの移動距離の短かったドイツ系ゲルマン民族には、元々刻印されていた封建的主従関係と契約重視社会が同時にあった。
戦争途中でも契約義務を果たすとさっさと引き上げる。
後に、ドイツオーストリア地方の諸侯は全体の王をくじ引きで決めたりしている。
スパルタは滅びるまで、必ず二人の王がいた。一方の王は重装歩兵密集縦隊の最右翼という左に構える盾の保護がない位置で勇敢に戦うことを、その地位のもたらす最大の誇りとしていたから、戦死する危険性が高く、その場合、もう一人の王が自動的に就任できる。
アテネのデモス(市民身分)の確定には居住地で区割りすると地縁血縁集団同士が一塊になって、お互い揉め事を起すので、所属地域をくじ引きで決めた。
日本の古代中世の歴史では考えられない、合理主義、暴力的原始世界が神様信仰の裏側に共存する摩訶不思議。少なくとも十字軍の遠征が終わるまでの中世ヨーロッパはイスラムや中国よりもはるかに後進地域だった
ソレが反転していったのは、やはり外部世界への拡張が物的な基礎になったという以外にあるまいが、内部にも、反転勃興(古代ギリシア~ローマ帝国の歴史の流れから見ると勃興である)の大きな物的精神的材料はあった。
この再勃興の概念は中国にも適用できる。日本の官僚も報告書でこの概念を適応している。12億の人間集団が、比較的住みやすい、と古代からされてきた大陸地域に永住し、長い歴史を刻んできた。
近代史に突入してから後れを取ったが、清朝時代を人口扶養力は世界一だった。
ただし、西洋文明と違った道を歩んできた欠陥は19世紀初頭からの西洋との接触で、広大な地域の諸民族を束ねる王朝国家の致命的欠陥に転化した。
その後、20世紀中盤以降の数十年間は一種の壮大な実験国家の道を歩んでいたようなものと考える。戦争、内乱的事態もあった。
しかし、グローバル資本制の資本の移動の自由を背景に、資本の論理を優先していくと、必然的に経済力が高まっていくのは、水が高いところから低いところに流れるように、当たり前の事態であり、それは外部から押しとどめることができない。
中国と共に繁栄する道しか日本の繁栄はない。日本資本主義は背を向けては成り立っていかない。
仕組まれた選択肢のない道は歩むべきでない。近隣諸国と対立を常態化する国の政策的選択肢は先細って行くしかない。日本近代史がそれを指し示している。
日米同盟?敗戦国家の脆弱性を抱える日本に世界はそんな甘くできていない。
日本国民があがなうのだ。日本支配層はそういう日本国民多数を収奪するがわに廻るだけだ。
コレがグローバル資本制の内実である。
This is the third incarnation of Bill Evans' great '60s piano trios, playing at a very high level.
ジャズバージョンの「枯葉」では昔、フルート演奏のものを聴いて、枯葉の季節感が出ていたことを思い出した。
テンポが悪過ぎるものばかりで省略。
脱線していないが、単調で飽きてくる感がある。 Eddie Higgins 知らない人だった。 My favorite Jazz~ Live in Korea~
Eddie Higgins Trio - Autumn leaves
ラッパ系ギター系主体のジャズは好みではないので省略
ということで、門外漢にとって、オスカーピーターソンが一番安心して聴ける。邪魔にならない。華麗なテクニックでサラッと流している。元々、カナダ人。その特徴が出ている。
The Oscar Peterson Trio - A Jazz Portrait of Frank Sinatra [Full Album]
Personnel:
Oscar Peterson - Piano
Ray Brown - Bass
Ed Thigpen - Drums
Year: 1959
Released 14 September, 2004
Track Listing:
01. You Make Me Feel So Young - 0:00
02. Come Dance With Me - 2:41
03. Learnin' the Blues - 5:04
04. Witchcraft - 8:46
05. (Love is) The Tender Trap - 12:00
06. Saturday Night (is the Loneliest Night of the Week) - 14:44
07. Just in Time - 17:42
08. It Happened in Monterey - 19:36
09. I Get a Kick Out of You - 22:34
10. All of Me - 25:37
11. The Birth of the Blues - 29:03
Oscar Peterson - Piano
Ray Brown - Bass
Ed Thigpen - Drums
Year: 1959
Released 14 September, 2004
Track Listing:
01. You Make Me Feel So Young - 0:00
02. Come Dance With Me - 2:41
03. Learnin' the Blues - 5:04
04. Witchcraft - 8:46
05. (Love is) The Tender Trap - 12:00
06. Saturday Night (is the Loneliest Night of the Week) - 14:44
07. Just in Time - 17:42
08. It Happened in Monterey - 19:36
09. I Get a Kick Out of You - 22:34
10. All of Me - 25:37
11. The Birth of the Blues - 29:03
2014年の夏は初夏の台風上陸、その後の各地の豪雨と、天候不順なまま終わった。その反動で、9月になれば残暑になると何となく予想していたら、即刻、秋雨前線の気圧配置になっているようで、晴れの日が続ず、よく雨が降る。こういう状態を異常気象とみなしているのか、さっそくNHKは地球温暖化をテーマに東大の当該関連
とりあえず、ナショナルジオグラフィックで、宇宙、地球、大自然、動植物の歴史を、感覚的に会得したい。
元来、知識と教養に大きな疑問を抱き続けてきて、拙いながら、今頃、日記で間違ったことを書きつつく、学んでいるつもりだ。
2014/6/20(金) 午後 3:13 http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/25863324.html 反俗日記
「修正!ビックバン後の宇宙の構造。細胞の構造→遺伝子の二重の螺旋階発見スキャンダル。日本列島の土台は付加体。プレート移動と日本列島形成(中央構造線)と人類の進化。」
<追記>この動画を視聴する度に、この人が気になっていた。スタジオ、録音のライブ感覚ジャズっぽく、肩の力が抜けているようでいて、女性ジャズシンガーとして誇りと職業意識をもって、屹立しビルエバンスとコンビネーションをしていこうとする意思がヒシヒシと伝わってくる。
Monica Zetterlund with Bill Evans Trio "Waltz for Debby"
Monica Zetterlund という名前のニュアンスからドイツ人と思っていたが、今回、唄う言葉に注意すると、ドイツ語ではないな、Recorded in Copenhagen Oct. 1966。 ココを見てデンマーク語で唄っているのかな、と今回は見直した。
調べてみるとこういうことだった。
調べてみるとこういうことだった。
「スウェーデンのVärmland地方にある、Hagforsという小さな町で生まれる。幼い頃から、ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルド、そして特にサラ・ヴォーンを聴いて育つ。ラジオやレコードからジャズを学び始めるが、最初は英語が分からないまま、メロディ、リズムやフィーリングを真似ていたという。」
「共演者は、ルイ・アームストロング、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツ、スティーブ・キューン、クインシー・ジョーンズなどの国際的なジャズ音楽家のほか、Georg Riedel、Egil Johansen、Arne Domnérus、Svend Asmussen、Jan Johanssonといった北欧のジャズメンなど。穏当で、はかなげで、詩的といった、彼女ならではのサウンドを引き出し、北欧ジャズの顔と言える存在となった。」
「1964年にビル・エヴァンスと録音したジャズアルバム「ワルツ・フォー・デビィ」が高い評価を受け、彼女自身も「自分のベスト」と語る出来で、誇りにしていた。」
W。そうするとユーにアップされているこの動画は、その生録風景ということになる。
「多くの若いスウェーデン人シンガーから理想的人物と目され、北欧に巨大なファン層を持つ。スウェーデン人女性シンガーでは最高の一人であり、彼女のジャズレコーディングは世界レベルに達しているとされる。
酷い脊柱側彎症のため、1999年に引退を余儀なくされた。1997年には、長期にわたる最後のオフィシャルツアーを行った。その最終公演はスウェーデンのハルツフレッド・フェステヴァルで、通常はロックやパンクバンドが出演する音楽フェスティバルだったにもかかわらず、若いロックオーディエンスにもモニカは愛された。晩年は、車椅子の生活を余儀なくされた。
2005年の5月12日、ストックホルムの自宅マンションにて発生した火災で、悲劇的な死を遂げる。」
W。全く知らなかった。
それで
2014年、世界的ジャズシンガー、モニカ・ゼタールンドの半生描いたスウェーデン映画11月公開
シネマトゥデイ 8月12日(火)6時0分配信。
「世界的なジャズシンガー、モニカ・ゼタールンドの半生を描いた映画『ストックホルムでワルツを』が11月より日本公開されることが決まった。スウェーデンのアカデミー賞にあたるゴールデン・ビートル賞で最多11部門にノミネートされ、監督賞、主演女優賞、最優秀助演男優賞、最優秀衣装賞の4部門で受賞、人口約950万人のスウェーデンで50万人以上の観客を虜にし、熱い感動の涙を流させた話題作がついに日本に上陸する。
モニカ・ゼタールンドは、モダンジャズ全盛期の1961年に、英語ではなく母国語でジャズを歌う画期的な試みによってスターダムにのし上がり、巨匠ビル・エヴァンスとの共演により国際的な名声を築いた世界有数の歌姫。本作は、シングルマザーの電話交換手だったモニカが、父との確執や理想の母親になれない自身への葛藤など多くの試練にさらされながらも、自分にしか歌えない歌を追求し、歌手として頂点を極めるまでの波乱に富んだ数年間に焦点を絞ったサクセスストーリーだ。(W.ナルホド、そういう背景がこの動画に醸しだされていたからズット気になっていたのか?)モニカには、シンガーソングライターのエッダ・マグナソンがふんしている。
モニカ・ゼタールンドは、モダンジャズ全盛期の1961年に、英語ではなく母国語でジャズを歌う画期的な試みによってスターダムにのし上がり、巨匠ビル・エヴァンスとの共演により国際的な名声を築いた世界有数の歌姫。本作は、シングルマザーの電話交換手だったモニカが、父との確執や理想の母親になれない自身への葛藤など多くの試練にさらされながらも、自分にしか歌えない歌を追求し、歌手として頂点を極めるまでの波乱に富んだ数年間に焦点を絞ったサクセスストーリーだ。(W.ナルホド、そういう背景がこの動画に醸しだされていたからズット気になっていたのか?)モニカには、シンガーソングライターのエッダ・マグナソンがふんしている。
世界で初めてスウェーデン語でジャズを歌ったモニカの代表作「歩いて帰ろう」や彼女の名前を世界に知らしめた「ワルツ・フォー・デビー」をはじめ、ドラマを鮮やかに彩るジャズの名曲の数々は必聴。
W。イロイロ彼女の唄を聴いてみたが、次の理由はハッキリした。
「スウェーデン代表として参加した1963年のユーロビジョン・ソング・コンテストでは、ジャズバラード「En gång i Stockholm (Winter City)」を歌ったが、最後まで歌い終えたものの、主に曲のジャンルがコンペティションにふさわしくないという理由で零点となってしまうが、スウェーデンではヒットした。」
彼女の唄、選曲は、ジャズとポピュラーミュージックの中間のようである。
正直、世界に名の知られているジャズを唄う女性歌手と比べるとキビシイものがあると感じた!
が、世の中には与り知らない世界が一杯あるが、日本の音楽シーンはいかにも狭過ぎる。
邪魔している究極のところは日本語という特殊言語かな?メロディーラインとリズムが一体化できない、ばかりでなく、表音言語でないから、音で韻を踏めない。コレ致命的。
カントリーミュージックのスタンダードナンバーの歌詞を見るとものの見事に韻を踏んでいる。
そうすると聴くほうにスムーズに歌詞が伝わる。
Coal Miner’s Daughter(歌詞) 作詞作曲 ロレッタ、リン
小節で区切られる最後に韻を踏んでいる
Loretta Lynn - Coal Miner's Daughter
Well, I was born a coal miner’s daughter
In a cabin on a hill in Butcher Holler
We were poor but we had love
That’s the one thing my Daddy made sure of
He shoveled coal to make a poor man’s dollar
In a cabin on a hill in Butcher Holler
We were poor but we had love
That’s the one thing my Daddy made sure of
He shoveled coal to make a poor man’s dollar
My daddy worked all night in the Van Lear coal mine
All day long in the field hoeing corn
Mama rocked the baby at night
Read the Bible by a coal oil light
And everything would start all over come break of morn
All day long in the field hoeing corn
Mama rocked the baby at night
Read the Bible by a coal oil light
And everything would start all over come break of morn
Daddy loved and raised eight kids on a coal miner’s pay
Mama scrubbed our clothes on a washboard every day
I’ve seen her fingers bleed
To complain there was no need
She’d smile in Mama’s understanding way
Mama scrubbed our clothes on a washboard every day
I’ve seen her fingers bleed
To complain there was no need
She’d smile in Mama’s understanding way
In the summertime we didn’t have shoes to wear
But in the wintertime we’d all get a brand new pair
From a mail-order catalogue, money made by selling a hog
Daddy always seemed to get the money somewhere
But in the wintertime we’d all get a brand new pair
From a mail-order catalogue, money made by selling a hog
Daddy always seemed to get the money somewhere
I’m proud to be a coal miner’s daughter
I remember well, the well where I drew water
The work we done was hard
At night we’d sleep, cause we were tired
I never thought I’d ever leave Butcher Holler
I remember well, the well where I drew water
The work we done was hard
At night we’d sleep, cause we were tired
I never thought I’d ever leave Butcher Holler
Well a lot of things have changed, since way back when
And it’s so good to be back home again
Not much left but the floor
Nothing lives here anymore
Just a memory of a coal miner’s daughter
And it’s so good to be back home again
Not much left but the floor
Nothing lives here anymore
Just a memory of a coal miner’s daughter
漢字検定などは世界の言葉の流れに対する逆流以外の何モノでもない。
日本語は孤立難解な言語なのだからナントカ解りやすくしないといけない。
音楽シーンでは、この難点をナントカしようと思って、訳のわからないみっともない日本語になる。