反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

野坂昭如著「火垂(ほた)るの墓」~文体の解説とポイント抜書き~直近、9月2日にYue Tubeに野坂昭如 『火垂るの墓』 (朗読:橋爪功)【1/8】 アップ。

             トルストイ 『アンナ・カレーニナ
「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」。
「英訳(1901年)“Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.”
「中国語の訳、幸福的家庭都是相似的,不幸的家庭各有各的不幸」
                              幸福な家庭と不幸な家庭  西村 徹


 

 野坂昭如 「火垂(ほた)るの墓」 コレクション全20巻【戦争×(と)文学】集英社2012年発行 現代編、近代編、地域編、<テーマ編>~銃後の生活と軍隊の諸相~NO15 戦時下の青春 <解説>浅田次郎 収録  
 
ポイント抜書き W、物語は結末のシーンを冒頭に配している他は時系列に進行している。神戸大空襲で罹災(りさい)し母を失った(海軍士官の父は戦場で行方不明)兄清太、幼い妹節子の動向にスポットライトを当てる形で進行している中編小説。
独特の文体を柔軟に駆使することで、読者にピュアな形で、物語全編に一貫する切迫した状況への緊張感を持続させ、臨場感あふれるシーンを持続的に提示している。
が、その効果はそればかりでない。
 
 見逃されがちだが、臨場感あふれる切迫シーンによる読み手にもたらされたピュアな緊張感は、戯作文調によって、緩和されているのである。
 
 さらに、数点のテクニックが発揮されている。
無駄な描写を省いた乾いた戯作文で、罹災した清太、節子の動向、及び周囲の事象を次々に挙げていることによって、文節をを丹念に追っていく読み手を圧倒していく。罹災状況の事細かな事象、物象、心象の連続的提起に読者は圧倒される
 地元言葉(関西弁、厳密には兵庫県南部、)が、戯作文の描く肝心なシーンに適切に【埋め込むこと】によって、読み手は想像の中で、現場にリアルに立ち会っているような錯覚を起させる。
関西弁の会話は小説によくある単独で抜書きされていない、ましてや会話の連続で物語を進行させるようなことは一切なく、あくまでも戯作文中に、必要な時だけ適切に【埋め込まれている】のである。 
 作者は戯作調の文体を柔軟に駆使することによって、簡潔な客観描写に徹しているが心象風景を描かなければならない場面では、知らず知らずの内に、清太の眼、心、体に乗り移っているよおうである。
野坂の実体験は清太に投影されている。
ココが圧巻で、他の解釈を一切許さない鬼気迫る如きシーンを生み出して読者の感涙を搾り取る


  なお、直近、9月2日にYue Tubeに
野坂昭如火垂るの墓』 (朗読:橋爪功)【1/8】
野坂昭如火垂るの墓』 (朗読:橋爪功)【2/8】が


 (W、フィードバックされた結末のシーンから小説は始まる。)
(清太は)「酷い下痢が続いて駅の便所を往復し、一度しゃがむと立ち上がるにも足がよろめき、取っ手のもげたドアに体を押し付けるようにして立ち、歩くには片手で壁を頼る、こうなると風船のしぼむようなもので、柱に背をもたせ掛けたまま腰を浮かすこともできなくなり、だが下痢は容赦なく襲い掛かって、見る見るうちにしりの周囲を黄色く染め、慌てた清太はむしょうに恥ずかしくて、逃げ出すにも体は動かず、せめてその色を隠そうと、せめてその上の僅かな砂やほこりを掌でかき寄せ上におおい、だが手の届く範囲は知れたもので、
人は見れば気のふれた浮浪児の、自ら垂れ流した糞とたわむれる姿と思ったかも知れぬ。
 
 最早飢えはなく、乾きもない、重たげに首を胸に落としこみ、「ワァ、きたない」「死んどんのやろか」
アメリカ軍がもう直ぐ来るいうのに恥やで、駅にこんなんおったら」、耳だけが生きていて、様々な物音を聞き分け、
~ 駅員の乱暴にバケツを放り出した音、(W、清太は)「今何日なんやろ」なんにちなんや、どれくらいたてんやろ、気づくと目の前にコンクリートの床があって、だが自分の座っている時のままの姿でくの字になり横倒しになったとは気づかず、床のかすかなほこりの、清太の弱い呼吸につれてふるえるのをひたとみつめつつ、何日なんやろな、何日やろか、とそれのみ考えつつ、清太は死んだ。
 
*~昭和20年9月21日の深夜で、おっかなびっくり白みだらけのせいたの着衣を調べた駅員は、腹巻の中に小さなドロップの缶を見つけ出し、蓋を開けようとしたが、錆び付いて動かず「なんやこれ」「ほっとけ、ほっとけ捨てとったらええねん」 ムシロもかけられず、区役所から引き取りに来るまでそのままの清太の死体の横の、幼い浮浪児のうつむいた顔を覗き込んでいた一人が言い、
ドロップの缶もてあましたように振ると、カラカラと鳴り、駅員はモーションつけて駅前の焼け跡、既に夏草しげく生えたあたりの暗がりへ放り投げ、落ちた拍子に蓋が取れて、白い粉がこぼれ、ちいさい骨のかけらが三つころげ、草に宿っていた蛍おどろいて二十三十あわただしく点滅しながらとびかい、やがて静まる。
 
 白い骨は清太の妹、節子、8月22日西宮満池谷、横穴防空壕の中で死に、死病の名は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るようにみまかったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死。


       W、以降、罹災の時系列にそって物語りはすすむ。
6月5日のB29、350機の編隊による空襲を受け~~病身の母に代わって節子を背負い、父は海軍大尉で巡洋艦に乗り込んだまま音信なく~(W,清太は)まず母を町内会で設置した消防署裏の、コンクリートで固めたそれへ避難させ~
 W、以下B29350機の大空襲のリアルな情景描写が以降、<。>なしの、<、>のみで、一気にほぼ2ページ続く。想えばB29超大型爆撃機、350機編隊による炎上破壊の罹災の現場は息も付かせない阿鼻叫喚だった。


~清太は西に歩いて、石屋川のかわどこの、昭和13年の水害以後に段になったその上段のところに身を隠した、覆いはないが、とにかく穴に潜んでいれば心強く、腰を下ろすと激しい動悸、のどが乾き、
ほとんど省みることもなかった節子を、おぶい紐から解いて抱き下ろそうとすると、それだけで足ががくがく崩れそうになり、だが節子は泣きもせず、ちいなかすりの防空頭巾かぶり白いシャツに頭巾とな時もんぺ赤いネルの足袋片方だけ黒塗りの大事にしていた下駄はいて、手に人形と母の古い大きながま口をシッカリ抱える。
 
~「お母ちゃんどこいった?」「防空壕にいてるよ、消防署の裏の防空壕は250キロの直撃弾かて大丈夫いうとったもん、心配ないわ」自分に言い聞かせるように云ったが、時折堤防の松並木越しに見透かす阪神川の一体、只真っ赤に揺れ動いていて、
「(Wお母ちゃんは)きっと石屋川二本松のねき(付近)に来てるわ、もうちょっと休んでからいこ」あの焔からは逃げ延びたはずと、考えを変え、「体なんともないか節子」「下駄一つあらんようになった」「兄ちゃん買うたるよ、もっとええのん」「うちもお金持っているねん」がま口みせ「これあけて」頑丈な口金外すと1銭5銭玉三つ四つあって、他に鹿の子のオジャミ、赤黄青のおはじき~
 
「お家焼けてしもたん?」「そうらしいわ」「どないするのん?」「お父ちゃん仇とってくれるて」見当違いの答えだったが清太にもこの先どうなるかわからず、ようやく爆音遠ざかりやがて5分ほど夕立のような雨が降って、その黒いしみを見ると、「ああこれが空襲の後で降るというやつか」恐怖感ようやく薄らぎ、立ち上がって浮いを眺めると、~
「よっしゃおんぶし」節子を堤防に座らせ、清太が背を向けるとのしかかってきて、逃げるときはまるで覚えのなかったのにずしりと重く、草の根を頼りに堤防をはいづり廻る。
~節子の背中にひしひしとしがみつくのがわかったから、「えらいきれいさっぱりしてしもたなあ、みてみい、アレが公会堂や、兄ちゃんと雑炊いたべたやろ」話かけても返事がない。


二本松に~たどりついたものの、母の姿なく、みな川床をのぞきこんでいるからみると、うつむいたたり大の字になったりして窒息の死体が五つ水のかれた砂の上にいて、清太は既にソレが母でないかと確かめる気持ちがある。
~いったん壕が火に取り囲まれたら、多分そこが母の終焉の場所となろう、一散に逃げ出した自分を清太は責めたが、しかしたどりついていてもどうなろうか、「節子と一緒に逃げて頂戴、お母ちゃんは自分一人なんとでもします、あんたら二人無事にいきてもらわな、お父ちゃんに申し訳ない、わかったね。」冗談のようにいっていた。


~「清太さん、お母さんにあいはった?」向かいの家の嫁ぎ遅れた娘に声かけられ~行列のしりに並んだところで「はよいったげな、怪我しはったのよ」すいませんけど節子を頼むと云うより先に娘は「うちみたげる、怖かったねえ節ちゃん、泣かんかった?」日ごろ親しくもしてないのに、いやに優しいのは母の状態のよほど悪いと知ってのことか、~~町内会長の大林さんが「清太くん探していたんや元気やった?」膿盆のガーゼのなかからリング切られたヒスイの指輪を取り出し「これお母さんのや」確かに見覚えある。


~一階のはずれの工作室、ココに重傷者が収容されていて、その皿に危篤に近いものは奥の教師の部屋に寝かされ、母は上半身を包帯でくるみ、両手はバットの如く、顔もぐるぐる巻いて眼と鼻、口の部分だけ黒い穴があけられ鼻の先はテンプラの衣そっくり、僅かに見覚えのあるモンペのいたるところ焼け焦げていて、その下のラクダ色のパッチがのぞく、~
「お母ちゃん」低く呼んでみたが実感湧かず、とにかく節子のこのことが気になって校庭へ出ると、鉄棒のある砂場に娘といて、「わかった?」「はあ」「お気の毒やねえ、何かできることがあったらいうて頂戴、そやカンパンもろた?」首を振ると取ってきて上げると去り~。
節子は砂の中から拾い出したアイスクリームをしゃくる道具を玩具にしている。
「この指輪、財布へ直しとき、なくしたらあかんで」がま口におさめ「お母ちゃんちょっとキイキわるいねん、じきようなるよってな」「どこにおるのん?」「病院や西宮のな。そやから今日は学校へ兄ちゃんと泊まって、明日西宮のおばちゃん知ってるやろ、池のそばの、あしこへ行こ」~
両親揃っている家族に立ち混じれば節子がかわいそうで、というより清太自身泣き出すかも知れず「食べるか」「お母ちゃんとこいきたい」「あすならな、もう遅いやろ」~


~二日目~(母を背負ってはいけず)~六甲道駅近くの人力車を頼み~焼け跡道を走ってつくと危篤で、うごかすことなどかなわず、車夫は手を振って車代を断り帰り、その夕刻、母は火傷による衰弱のため息を引き取った。
 「包帯とって顔みせてもらえませんか」清太の頼みに、白衣を脱ぐと軍医の服装の医者は「見ないほうがいいよ、そのほうがいい」びくとも動かぬ包帯だらけの母の、その包帯に血がにじみ、おびただしいハエが群がって~
~警官が一言づつ遺族に尋ねては何ごとか記録し「六甲の火葬場の庭に穴を掘って焼くよりしゃあない、今日からトラックでは運ばな、なんせこの陽気ではなあ」
 
ある少年は既にしわくちゃのタブロイド版の号外片手に、「すごいなあ350機来襲の六割撃墜やてえ」感嘆していい、清太もまた350機の六割りは二百十機かと、母の死とは縁遠い計算をする。


夜ふけて西宮の家(節子を預けた遠い親戚)にたどり着き「お母ちゃんまだキイキ痛いのん?」「ウン空襲で怪我しはってん」「指輪もうせえへんのかな、節子にくれはったんやろか」骨箱は、違い棚の上の戸袋に隠しだが、ひょっとあの白い骨に指輪をはめたさまを思い浮かべ慌てて打ち消し「それ大事なんやからしもとき」敷布団の上にちょこんと座り、オハジキと指輪で遊ぶ節子にいう。


清太と節子も、海軍大尉の家族で空襲により母を失った気の毒な子供と、コレは恩着せがましい未亡人の吹聴したため同情を引いた。
 夜に入ると、すぐそばの貯水池の食用蛙がブオンブオンと鳴き、そこから流れ出る豊かな流れの、両側に生い茂る草の、葉末に一つずつ平家蛍が点滅し、手を差し伸べればそのまま指の中に光が移り、「ほら、つかまえてみ」節子の掌に与えると、節子は力いっぱい握りから、たちまち潰れて、掌に鼻をさすような生臭い臭いが残る、ぬめるような6月の闇で、西宮とはいっても山際、空襲はまだ他人事のようだった。


~~直ぐ雑炊に戻り不平を漏らすと「清太さんもう大きいねんから、助け合いということ考えてくれな。あんたはお米ちっとも出さんと、それでご飯食べたいいうても、そらいけませんよ、通りません」通るも通らなんも母の着物で物々交換して、娘の弁当下宿人の握り飯うれしそうにつくっときながら、こっちには昼飯に脱脂大豆の入った飯で、一端蘇った米の味に節子は食べたがらず、「そんなことをいうたって、あれはうちのお米やのに」「なんや、そんなら小母さんが、ずるいことをしているというの、えらいことをいうねえ、みなし児二人預かったってそういわれたらせわないわ、よろし、ご飯別々にしましょ、それやったら文句ないでしょ、それでな清太さん、あんたとこ東京にも親戚いてるんでしょ、お母さんの実家でなんやらいう人おってやないの、手紙だしたらどう?」さすが直ぐにでろとはいわなかったが、云いたい放題いいはなち、それも無理はない、ずるずるべったりいついたけれど、元々父の従弟の嫁の実家なので、さらに近い縁戚は神戸にいたが、全て焼け出されいて連絡取れぬだった。
 
~続く~