EU関連記事をまとめる
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国英: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)のグレートブリテンのウェールズと並ぶ構成員スコットランドの「独立」投票
資料1。最近の記事2014/9/16(火) 午後 9:18の中程、 <以下の政治論議は試論>
資料2。MikSの浅横日記 製造業を見捨てたイギリスの現状 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-11-19 スコットランド、ニューカッスルの工業地域の現状報告。
この記事の本文はガーディアン紙の署名記事の翻訳である。
資料3。 英国>「スコットランド優遇しすぎる」の不満噴出
9、ドイツ統一の脅威から、91年EU通貨統合合意へ。英ポンド不参加の独仏主導の2012年財政規律強化の新条約合意へ。国内域内、経済停滞から脱出不可能な先進国支配層は金融寡頭支配強化によって国民収奪。 8、記事をスリムにした記事。
W。光景が何となく浮かんでくるような大好きな詩
出征 向井孝 1947年作。
しいんとあかるい夏空の下を、 みんな汗をふきながら
ぞろぞろつづいていった。
横むいてしゃべったり、追い越して話しかけながら、小旗を
持った近所のおかみさんたちや子供たちががやがやと後につらなった
赤だすきをかけた夫が、子供を抱き会社の人と話をかわしながら
先頭をあるいていた。
列の中ほどで誰かがとんきょうもない声で、軍歌を大声で歌い出してはやめたあと
ほこっぽいやけあとみちを、じりじりと朝日に照らされて、みんな黙りこんですすんだ。
すれちがう出勤時のひとたちが、おおいそぎで追い越しては、振り向いて見送った。
駅に着くと、しばらく夫を取り囲んで、誰彼となく手を握り、かたをたたいてあいさつをかわした。
やがてみんな進軍歌を歌い、何度も繰り返して万歳を一斉に叫んだ。
いつまでも汽車が来ず、てもちぶたさで柵に腰かけたり、座り込んでしゃべっていた。
再びよってきて、もう一度万歳をさけび、ちりじりになって、ばらばらになって帰りだした。
自分と子供だけがプラットホームに入り、やっと入ってきて発っていく汽車の姿をみえなくなるまで見送った。
子供の手を引いて駅を出てくると、あたりに人影はなく、かすかに明るい空のどこかで
警報が鳴っているようだった。
影一つない焼け野原を横切り、かわききったやけあとみちを、ひっそり我が家にもどってきた。
戸をあけるとバラックの中はしいんと静まり返っていた。
子供の服をきかえさせ、台所におりて、ゴクゴク水を飲み、しばらく敷居に腰をおろしていた。
ひるじたくのコンロの火をおこしかけらがら、気づくと、子供はどこかに遊びにでかけて
もう自分ひとりぽっちになっていた。
【改題WACWAC】 思いを込めて書いた。
>空襲で焼け野が原にになった都会では子供を持つ男も戦争に駆り出された。1922年生まれの向井さんは敗戦時、兵隊にとられるかどうかのギリギリの年代だったが、もう社会意識を持つには十分な年だった。
敗戦の色濃くなった都会の焼け野が原で出征兵士を見送る町内会の人々の様子をジット頭に焼き付けていたのだろうか。
事実と風景を淡々と時系列で描写することで、当時の庶民の日常の在り様をリアルに浮かび上がらせている
出征兵士を送り出す町内会の人々。
もう何度も繰り返しているうちに恒例のセレモニーになっているが、周囲が焼け野が原になっている中ではマスコミや軍部の戦争報道は庶民の間では信憑性をなくしているようだ。
この辺の庶民の日常の雰囲気は野坂昭如が「アドリブ自叙伝」の中で見事に描き出している。
だからこの出征兵士を見送る行進に、ただただ、大勢に従わざる得ない庶民の無気力感が漂っている。
が、出勤途中の人たちが出征兵士を見送る行進に振り向いている様に敗色濃い中でも、戦時下の市民社会の在り様がうかがせる。
ここを描くことで出征兵士を出した家庭と取り巻く町内会。
さらにその向こう側の他人の市民社会の存在を描いて作品の厚みを持たせている。
結局、子を持つ妻だけがホームに入って出征する夫の汽車を見送った。ホームを出てくると町内の人たちは跡形もなくいなくなっていた。
そして、バラックの我が家に帰って、からの一連の描写は圧巻である。
子供は無邪気に外に遊びに行って、一人ぽつねんと残された空間に妻、女の究極の孤独を見る。
この詩の出だしから漂う虚無の匂いはここでひとりの女に極められた。
ここから始まるのが真の意味の個人だと想う。
しかし敗色濃い昭和の戦時下だからこそ、こういう究極があり得たのじゃないか?
今現在は、こういうルートでの個の露出の道は完全に閉ざされている。
成人の個はマスメディアに見事に根こそぎ、かっさらわれている。
それがこの間の政治のザワメキ、「根拠なき熱狂」に表現されている。
思考上の本物の出現しない時代になった。
小説や詩が死んだのは環境の所為だけではない。
本当の突き詰めた個の存在がない時代だ。溶融している個に思想も小説も詩もいりこむ余地はない。
そういうレベルでは人間の進歩は停滞している。
また、ここに描かれているのはいつの時代にも通じる日本庶民の普遍的姿だと感じる。
そういう姿を映像化する成瀬巳喜男愛好家の自分がいる。
<酔って死んじゃあ、男じゃねぇ!> 国定忠治
W、載っていたブログ記事は捜しても見当たらなかった。貴重。
~刑場に引き出される前の役人とのやり取り~
「忠治よ!おまえも年貢の納め時だなぁ。手も足も利かなくんなっちまってざまぁねぇやあな」
「うるせぇ、こちとら、伊達や酔狂で、博徒をやってんだよ!小役人が偉そうな口を利くんじゃねぇやい」
「はは、普通は伊達や酔狂ではやらねぇというんじゃねぇのか?全く学がない奴はやだねぇ」
「だから、おめぇら、小役人は出世しねぇのよ。 まぁおいらの気持ちは大樹さま程じゃねぇとわかんねぇかもな
「盗人猛々しいとはお前の事だ。よりによって公家様の名をかたるとはいい度胸だ。な~んて、言っても、お前も今日限りだせいぜいほざくんだな。」
「けっ」
「ほら最期の酒だ。もう一杯いくか。」
「じょうだんじゃねぇや。 こちとら男を看板にいきてきたんだ。 磔が怖くてよ、酒を何杯もかっくらって
酔っちまったらどうすんだい。酔って死んじゃ、男じゃねぇ!、てっよ」
A)橋下圧勝は長期経済停滞の世界先進国における金融寡頭制への富と権力集中、民主主義制度の形骸化の日本版。
2011/11/28(月) 午後 2:02 歴史を近世大阪に遡って、橋下徹政治の根底的批判を試みた。日本の現状における、地方財源大幅委譲に疑問を投げかけている。
B)どうして、大阪都構想(大阪市人口267万人)があるのに、神奈川都構想(横浜市人口370万人)愛知都構想(名古屋人口230万人)がないの?道州制、金融寡頭支配を画策するの詐欺師橋下徹と後押しをするモノ。
未だに旧石器時代の寒冷で過酷な環境に基本設計が定まった身体構造を引きずった人類はその後の気候温暖化、急激な社会変動、価値観多様化などの周辺環境変化に対応するには基本設計が余りに古過ぎる。
>W。この学説は間違いだった。「考古学上の実証によって、稲作開始から、急激な人口増は朝鮮半島から大量の渡来人の日本列島への定住と云うよりも、稲作技術と文化を主体的に取り込んだ縄文人の急速な変身があった、と。」
しかし、この遺跡発掘調査の結果は事実である。4万年前のヨーロッパのネアンデルタール人の滅亡。6万年前に、アフリカを出だ現生人類がヨーロッパに到着した頃、ネアンデルタール人の一部は現生人類と交雑しながら、多様性に欠ける生態から滅びていった。縄文人は弥生人と交雑し同化しながら、衰退し居住地を追われていった。狩猟、漁労、採集生活と稲作定住生活を家族、生活共同体を基準として比較すると、生産性の差異は余りにも大き過ぎる。前者は後者に即時代替が利かないが、稲作定住生活は狩猟、漁労、採集生活も同時にできる。
「大きな堀で囲まれた稲作弥生人の環濠集落のたった1キロ程、離れた処では狩猟、漁労、採集を糧にする縄文人の生活が共存していた。
それだけではない。
>「>何かどこかを刺激されて、感情を高ぶらせている人たちの中身を観察すると、
所謂、保守主義者の冷静、客観性も持ち合わせておらず、伝統主義者の日本の伝統美への理解にも随分乏しい様に想われる。
>何か、日本人であると云う事よりも、もっと根っこにある処の存在を刺激され、発情しているとしか思われない。
>だから、本質的に日本国家や日本民族を口では語っても、それはあくまでも、根深いところにある抑えがたい発情への口実に過ぎないと想われる。
そういう人たちが人類のオゾマシイ暗部から浮上してきて跳梁跋扈する政治経済環境が歴史を振り返ると繰り返されてきた。
歴史を遡れば、過去を遡ればさかのぼるほど、野蛮に至る人類の道がハッキリと刻印されている。
>そして、長い氷河期の間に人類はこの野蛮性に磨きをかけて、希少な動植物を必死で狩猟採取することで生き延びてきた。」
W.糖尿病になりやすい体質の日本人、アセトアルデヒト脱水酵素の多少、有無多少まで調べて、「保守的、伝統的な政治傾向と云うよりも、もっと、根深い遺伝子的要素によって、国家問題や民族問題、領土問題にナィーブに過剰反応してしまう民族的体質にあると云わねばならぬ。」「>この民族の政治のかじ取りは大変だと想う」「だからダメだとは云わないが、進む方向の修正は決して効かないと感じる。」と強引に結論付けているが、こんなことをかいた記憶がない。下戸、糖尿病の患者さんが日本人に多いことは、前から知っていて、氷河期云々から、フトひらめいて調べて、強引に結論に持って言ったのだろう。以前よく投稿していた言論サイトの常連女性論者の印象的なコメントにも影響されている。
地政学上の日本列島の特殊性は絶対的事実だが、付け加えて、「面白い視点」である。実際に自分から見ると病的なまでに国家問題や民族問題、領土問題にナィーブに過剰反応してしまう御人は多い。ジャパンハンドラーのアーミテージさんも頭を抱え込んでいるようだ。(2012年、アーミテージ論文では対中包囲網?ということで、日韓両国は適度に(ココが曲者、余り仲良くされては米国のハブ的官制高地の立場が危うくなる)仲良くやろう、という戦略が打ち出されている。ソレで直近のヘイト、デモ規制が飛び出したというわけだ。この論文では、フクシマ原発事故の際、第七艦隊が北海道駐屯の自衛隊を被災地に運んだことを例に挙げて、集団自衛権合法化を催促している。)
自公政権ー日本支配層の戦略的方向性はジャパンハンドラーの報告書などに示されたレールの上を脱線もなく走るようにできている。
したがって、日本側がアイマイなぼかしで政治方向を語るところを、アメリカ当局はあけすけな物言いで語るので、彼等の節目節目の対日方針を検討したほうが、これからの日本政治のベクトルが解る。
*アーミテージ報告書は→(再掲)2013/02/03 【IWJブログ】CSIS「第3次アーミテージレポート」全文翻訳掲載 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/56226
日本人は食事で採るエネルギーを少しでも多く脂肪として蓄え様とする遺伝子を欧米人より多く持つと云われている。氷河期の過酷な環境の下でユーラシア大陸からアメリカ大陸、日本にたどりついた人々が身につけたのが<倹約遺伝子>」←W。こんな遺伝子あるのか?仮説だろう。特定できれば科学的に操作できるはずだ。眉唾物の仮説とすれば、「 」内の全文も仮説!
「獲物が採れず飢餓に陥っても、脂肪と云う蓄積したエネルギーを消費する生理的メカニズムがあったから、人類は長い氷河期を生き延びることができた」
>「その中でもさらに<過酷な飢餓に順応>すべく<接収した栄養を少しでも脂肪に蓄えようとした種族がいた」
W。ココも?
「皮肉なことに、より少量の食糧でも生命維持に足る事になると、摂取した栄養をエネルギーに転化するインスリンの分泌量もより少量で足りる事になり、インスリンの分泌量少ない体質を併せて獲得した」←W。単にハイカロリー高たんぱくの肉主体の食、環境(狩猟、牧畜をやりだしたのはズット後)と雑食性の違いではないか?
>日本人の3人に一人が今や節約遺伝子の持ち主であり、
「さらにブドウ糖を細胞に取り込んでエネルギーに利用するのを助けるインスリンの分ぴ量が欧米人に比べて半分程度しかない」日本人は栄養素から摂取したエネルギー源の糖分が尿に流失してしまう糖尿病になり易い体質を遺伝的に受け継いでいる。←W。養分を吸収する小腸の長さがかなり違うということは関係ないのか?
「欧米人は長い肉食の歴史の中でインスリンを多く分ぴする体質を獲得したが、<日本人は飢餓の時代が長く、食べたモノをエネルギーとして消費せず、脂肪として蓄積する体質>を獲得した。」W?
>今一般的云われているのは日本には四季があって、歴史的に海の幸山の幸に豊富に恵まれていた、と。
コレは「日本人が飢えから解放された、僅かの間に、世界の「経済大国、果ては糖尿病大国」となった今でこそ言えることであって、日本民族の長い歴史に基ずく伝統的な食生活の上に形成されたDNA的体質は変更された訳ではない。
基本的に日本の土壌は火山性の酸性土壌、アルカリ性不足で作物の生育に適さない。牧草を食む牧畜にも不適。カロリーの低い山や海のモノに頼るしかなかった。W。女性投稿者からの受け売りだが事実。
だから、急速な食生活の欧米化によって、高脂肪摂取によって、肥満体になると元々、遺伝的にインスリンの分ぴ量が少ない訳だから、エネルギー源の糖分が尿に流失していまう。W?
>次にアルコールを肝臓でまず最初に分解した際にできる毒素、アセトアルデヒトを無毒化するアセトアルデヒト脱水酵素の多少、有無からみても、日本人、韓国人、中国人は特異な存在である。
アセトアルデキト脱水酵素は元来、人類は全て正常に持っていたが、中国人、日本人、韓国人といったモンゴロイド系の祖先において突然変異によって、肝臓のアルコール分解作用でできた毒素アセトアルデヒトの脱水分解酵素の低下、無が生じた。
ちなみに白人や黒人は100%毒素脱水アセトアルデヒトを有している。
>以上のDNAからみても、日本民族の祖先がこの列島にたどり着き、ここで生活を営んできた人類史的な長い道程において、その過酷な生活環境が民族の体質にまで大きな影響を及ぼしたことが想像できる。
保守的、伝統的な政治傾向と云うよりも、もっと、根深い遺伝子的要素によって、国家問題や民族問題、領土問題にナィーブに過剰反応してしまう民族的体質にあると云わねばならぬ。
大きな視野でとらえられない。結果、民族としての道を踏み外す、危険性といつも隣接している、と云う事だろう。
>まして、この列島は気候と地殻の激烈な変動の凝縮点の如き地点に位置している事が、良きにつけ、悪気につけ、独特の民族性を形成している。
>この民族の政治のかじ取りは大変だと想う。
指導層に、奥深い配慮がいる。それには日本に踏まえた良い意味での日本思想が求められる、と想う。
今、それがどの程度あるかと云えば、指導層においても、国民レベルにおいても、語の真の意味において、不条理的現実だけは一杯ある、現状。
だからダメだとは云わないが、進む方向の修正は決して効かないと感じる。