反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

1945年から現在までの日米関係の歴史的経緯を巨大な螺旋階段~日米経済政策一致TPP、集団自衛権と日米安保条約、第二条、第五条。韓国作家、黄晳暎(ファン・ソギョン)、インタビュー。

 続けて過去の記事を扱うということは、背中を前にして、逆方向に足を送り出しているようなもの。公園の遊歩道で時折こういう歩き方をしている人を複数、見かける。恒例になっているので、不思議ともなんとも想わないが、ソレが一つの健康法なのかなと、疑問に想う。自分の知っている限り、そういう健康法の情報に接したことがない。合理的に説明しようがない。試しに、自分も後ろ歩きをしてみるが何となく気持ちが悪い。人間という動物の自然性に反しているのだろうな。
 そういうことで、過去の記事ばかりを読んでいると、何か鬱屈してくる。マズイんじゃないだろうかとやめたくなる。
只今の前向きな成果。たった一つ。
 3、日米安保条約全文の検討。
キーポイントは
第二条。「締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。」
(例えば、NATOにこんな経済政策の縛りがあるだろうか?米韓安保にはこのような条項は明記されているだろう。この条項は現実的には米国の経済政策→日本の経済政策の一方向の対日要求になる必然性が埋め込まれている。
まず最初に、GHQの経済政策であったドッジライン。基幹産業の大合理化首切りだった。コレに対するゼネストGHQによって中止勧告をうけた。
高度経済成長時代は基本的に国内循環で、産業と市場が拡大していたから、日米貿易摩擦は大きな問題にならなかった。前回の記事でも明らかにしたように、日本の経済成長期(安定成長期を含めて)は非常に長い。
プラザ合意バブル崩壊までとすると、30年以上に及ぶ。この世界に類を見ない特殊環境において、日本は歪な形の経済大国?になった。経済成長のお零れが国民各層に広くいき渡って、利益団体系列、新興宗教団体の実体が強化されると同時に、政治的浮遊層が広範に生み出された。
 高度経済成長末期の田中角栄時代に国内市場の消費力に限界が出てきて、過剰生産状態が大きく露呈し、財政出動によって、解消しようとしたが(日本列島改造)、地価急上昇を中心に諸物価の大インフレを引き起こし、結果的に、インドネシアなど東南アジアへの日本製品の集中豪雨的輸出になった。
 丁度そのとき、ベトナムには数十万の(戦争の最盛期だったので、多分50万人の米兵、韓国軍5万人以上)の米兵が送り込まれていた。田中角栄の東南アジア諸国訪問に対して、インドネシア、タイでは大規模な反日暴動が発生し、田中は訪問途中で日本に逃げ帰ってきた。
 中国は文化大革命の最中だった。
 
 以上、このあたりの歴史的経過は、関係各国及びその政治的立場によって、見方は違ってくる。 
極端な例になるが、韓国の立場から見ると、朝鮮戦争を含めて、どう見えるか?当時の若者の多くは徴兵制の韓国ではベトナム戦争の最前線に従軍している。
 
 黄晳暎(ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong)1943年生まれ)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%9A%99%E6%9A%8Eという作家がいる。
「21世紀に入ってからは欧米でも高い評価を受け著作の翻訳が進んでいる。ノーベル文学賞候補として有力視される韓国作家の一人である」ということだが、彼の小説にはベトナム従軍時代を生々しく描いた秀作がある。作家の経歴だけ見ても、日本人には求めてもあり得ない大変な体験をしていることがわかる。
興味本位で手に取った作品の完成度の高さにビックした。このレベルの小説を書ける日本人作家は果たしてどのくらいいるのだろうか。彼の小説のほうが断然面白い。以来、ズット気になる存在だったが読む機会がなかった。
 
 彼の描く、あるシーン(コレはベトナム従軍の小説ではなかったと思う)の独創的でリアルな描写は今でも脳裏に焼きついている。
活字で表したそのシーンとそっくりなシーンを、北野武監督が処女作「その男、凶暴につき」で映像にしている。男、ビートたけしはアップダウンのある長い坂路を望遠カメラのほうに向かって、上半身を上下に露出しながら歩いてくる。この類のシーンは今までの日本映画で一度も見かけなかった。そもそも日本には、平坦地のアップダウンの長い坂路の風景は滅多にないから、そういう斬新なカメラアングルはなかった。上手い映像だなぁ~と感心した。
 
 こんな記事をネットで見つけた。長文の黄晳暎(ファン・ソギョン)インタビューである。
長過ぎて今読めないので、とりあえず載せておく。後でじっくりと。
 
 その後の1985年プラザ合意までの日米経済構造障壁協議を含む日米間の経済摩擦から、TPPに至る道は時間の都合で省略するが、そういった日米経済政策調整関係は、この日米安保条約第2条に埋め込まれる形で集約されている。コレが敗戦という実体の一つの象徴である。
 
第五条。
日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」
 
>コレが後ろを振り返った最大の「発見」である。今のところ。
赤マーカー部分を世界規模に拡張すると、今の安部政権の集団自衛権閣議決定と、今後の関連法制の整備である。
 
>歴史というのは螺旋状に発展するといわれるが、1945年から現在までの日米関係の歴史的経緯を巨大な螺旋階段とすると、間に長い高度経済成長(+安定経済成長)の時期を差し挟み、その後の事態は螺旋階段を登りながら、元に返っているようで、まんざら嘘ではなさそうだ。
 
「現実的には米国の政策→日本の政策の一方向の対日要求になっている。」
 
 この螺旋階段を理解する重要参考資料
2012/10/14(日) 午後 3:36の1960年安保改訂に臨む岸信介の発言に注目
 
アーミテージ報告書は→(再掲)2013/02/03 【IWJブログ】CSIS「第3次アーミテージレポート」全文翻訳掲載 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/56226