統一大当たり論と進歩の議題 ~(通卷164号)
金昌洙 コリア研究院研究室長。民族和解協力汎国民協議会政策室長、青瓦台NSC政策調整室局長、民主平和統一諮問会議専門委員歴任。著書として『天安艦外交の沈没』(共著)等がある。
金昌洙 コリア研究院研究室長。民族和解協力汎国民協議会政策室長、青瓦台NSC政策調整室局長、民主平和統一諮問会議専門委員歴任。著書として『天安艦外交の沈没』(共著)等がある。
W。東アジア情勢の認識の一助として、第一回目として、この論文を挙げた。基本的にマーカー強調部分だけで、韓半島を巡る大まかな情勢がイメージできると想う。
隣の国のことであるし、解らない点がおおいので、あまり出すぎた口は慎みたいが、この論文の不足点を考えることも大切で、日本政治地図が透けて見える素材だ。
1)東アジア情勢に関わる6カ国協議の構成国との関係のなかで韓国の立場の位置づけはどうなのか?
この季刊紙の東アジア政治情勢の基本認識は米中二極体制で一貫しており、日本の通常の情勢認識とはズレが大きい。この点について、先験事項のように語っており、論証過程がない。
地政学的立ち位置によって、見える景色が違うわけだから、情勢認識も違ってきて当然だが、日本より試練を体験してきた視点を知りたい。
2)東アジア政治軍事経済を制動する、米国、日本、中国の基本動向の分析は?この季刊紙の関連論文に一貫して不足しているところだ。
以上、1)2)によって、やはり実際問題として従属論とかが必要になるんじゃないか。しかし、この論旨の枠内では無理。
*韓国の政治経済軍事の最大の特性は戦後の圧縮した歩ということになるのでは?コレは日本と別格のキビシイ歴史環境であった。韓国民主化は戦いによって勝ち取ったものである。ただし、米国の意向は無視できない。
現段階の到達点は、そこから発展した社会経済は早くも成熟期の段階に達し社会経済が苦難で過酷であった韓国史の推移を踏まえて、流動的段階を終えて、固定的段階に達していることである。
パク、ウネ大統領の統一大当たり論(大儲け論)とこの論文の最後の南北連合論は韓国政治の中心軸のあり様を照らし出している。論理の筋道と実際の情勢とも遊離している部分が多い、と見る。
この情勢認識への違和感は、日本政治に対する我々の想いと政治の相克の中心軸に対する外部の視点からの、違和感と同じ次元になったのだ。韓半島の情勢は自分たちの政治経済軍事を映し出す鏡のようになってきた現実がある。
3)>>A、「保守派の核心利益の分断体制の維持
>>B、さらに、アメリカのアジア回帰政策は実質的には分断体制の維持」
の原因は、日米中露の基本動向に主導要因があるはずで、それに従属して、「保守派の核心利益の分断体制の維持」の国内体制が出来ているのではないか?
4)朴大統領の統一大当たり論は少なくとも3)>A、>B、に主導された国内向けの政権維持のための口先だけの目暗まし、とみえるが、それが「一種のオフサイドプレー」になって進歩政策に深く入り込むようになった」という政治構図に注目する。
統一大当たり論と進歩の議題
進歩勢力は、これまで平和の定着を通して統一に向かう「過程としての統一」を主唱し、準備してきた。これに対し、朴大統領の統一大当たり論は準備や過程を省略したまま、結果だけをもってバラ色の青写真を提示していると批判された。また、2012年の大統領選挙を控えていた当時、朴槿恵候補は「経済民主化」と「福祉」議題を掲げていたが、選挙後それを見捨ててしまったことに対するデジャビュー(W。仏語、既視感→「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感」)のせいか、6・4地方選挙のためのものではないかという疑いも提起された。
統一大当たり論は様々な限界を指摘されたが、統一に対する世論の関心を呼び起こしたという肯定的な効果も上げた。統一にかかる費用だけではなく、統一がもたらす便益という、より大きな魅力があることも知らせたのである。これによって、長く萎縮していた統一論議が活性化される兆しを見せ始めたのである。ちょうど北朝鮮もこれに応えるかのように、年初から南北関係の改善に対する意向を表し、南北高位級の接触と離散家族の対面が実現したりもした。
統一大当たり論→統一準備委員会→ドレスデン提案へ滞りなく走ってきた統一ドライブは、
A、結局韓米合同軍事訓練、B、*アメリカのアジア回帰政策(Pivot to Asia)、
C、ドレスデン構想に対する北朝鮮の反発、D、セウォル号惨事という構造的・状況的制約に閉じ込められた。
>ドレスデン演説の直前に開かれたハーグ核安保首脳会談で、オバマ大統領は葛藤する日韓首脳を招聘し、3国首脳会談(3.26)を開催した。
A、結局韓米合同軍事訓練、B、*アメリカのアジア回帰政策(Pivot to Asia)、
C、ドレスデン構想に対する北朝鮮の反発、D、セウォル号惨事という構造的・状況的制約に閉じ込められた。
>ドレスデン演説の直前に開かれたハーグ核安保首脳会談で、オバマ大統領は葛藤する日韓首脳を招聘し、3国首脳会談(3.26)を開催した。
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*韓半島の緊張状態はこれに対する必要条件のようになっている。
*アメリカのこのような政策は北東アジア状況を息苦しくさせている。
北朝鮮は祖国平和統一委員会(祖平統)声明で韓米首脳会談の結果を猛烈に非難しながら、朴槿恵大統領が「体制対決妄想」だけをしているので、「北南関係において期待できることが何もない」と主張した 。北朝鮮は国防委員会と外務省の声明を出し続け、アメリカに対しても強烈に批判し、核実験とミサイル発射というカードを使う意思を表した。
このような緊張の悪循環は今後統一大当たり論とドレスデン演説を座礁させるに十分である。たとえ調律を試みるとしても、アメリカのアジア回帰政策のため、簡単にはできない7。これが、まさに統一大当たり論が進歩陣営の議題の中へ果敢に入り込めない構造的制約なのである。
実際、朴槿恵大統領はメルケル(A. Merkel)首相に「今年がベルリンの壁の崩壊25周年になる年だが、今回の訪問で統一ドイツの姿を見ながら、統一韓国のビジョンを立ててみたい」と述べた。メルケル首相は、このような朴槿恵大統領に対して「まったく違う生活をしてきた人々を開かれた心で接し、その人々の話に耳を傾けること」が統一過程において最も必要なことであると話した。
相手に対する尊重と共存の知恵が盛り込まれたメルケル首相の発言に対して、朴槿恵大統領がドイツ式吸収統一をモデルにしたいと答えた形になった。
相手に対する尊重と共存の知恵が盛り込まれたメルケル首相の発言に対して、朴槿恵大統領がドイツ式吸収統一をモデルにしたいと答えた形になった。
**統一大当たり論を具体化した朴大統領のドレスデン演説は、明確な限界を持っている。
第一に、平和的統一過程を提示していない。
韓国政府の公式な統一方案は「和解協力?南北連合?統一」という3段階過程を経ることである。国民も大体急速な統一よりは平和的方法による漸進的統一を希望している。
第一に、平和的統一過程を提示していない。
韓国政府の公式な統一方案は「和解協力?南北連合?統一」という3段階過程を経ることである。国民も大体急速な統一よりは平和的方法による漸進的統一を希望している。
大統領が統一大当たりを言いながら、平和的過程による統一を明らかにしないということは矛盾する態度である。平和的過程によって行われる交流や協力が大当たりであり、これを経ない一方的な吸収統一は災いになるからである。
第二に、平和体制に対するビジョンがない。
問題解決の能動的な意志は見られず、北朝鮮に核放棄を求めることに止まっている。また北東アジア多国間安保体制を言っているが、韓半島平和体制は依然として禁忌語である。韓半島平和体制に対する論議なしに北朝鮮の核廃棄や北東アジア多国間安保体制を言うのは「縁木求魚」である。
問題解決の能動的な意志は見られず、北朝鮮に核放棄を求めることに止まっている。また北東アジア多国間安保体制を言っているが、韓半島平和体制は依然として禁忌語である。韓半島平和体制に対する論議なしに北朝鮮の核廃棄や北東アジア多国間安保体制を言うのは「縁木求魚」である。
第三に
北朝鮮も分断体制の構成員として朴槿恵政権の政策や性格を分析しながら、それに合わせる形としての対韓政策を展開している。「揺れる分断体制」の中で北朝鮮政権も体制維持を図っているという事実を、朴槿恵政権はあまりにも疎かにとらえている。
北朝鮮も分断体制の構成員として朴槿恵政権の政策や性格を分析しながら、それに合わせる形としての対韓政策を展開している。「揺れる分断体制」の中で北朝鮮政権も体制維持を図っているという事実を、朴槿恵政権はあまりにも疎かにとらえている。
分断体制の再安定化を試みる保守勢力
1)1987年6月抗争によって形成された「87年体制」は、「分断体制を浸食し、不安定化すると同時に、その発展方向の選択や調整が分断体制によって深刻に制約される」体制と規定される。
*朴正熙・全斗煥体制において抑圧された統一運動も6月抗争の翌年である1988年から再び噴出され始めた。6月抗争以後、統一運動が持続性を持ったのは87年体制を支える民主主義力量のためであった。
白楽晴は「1987年を起点として分断体制が固着段階から動揺段階へ入った」と言いながら、これを「揺れる分断体制」と命名し、「分断体制の固く維持されていた状況に合わせた体制運営及び発展模型が、これ以上通用しないようになったことによる一層本質的な危機」と、これを説明した。
2)揺れる分断体制を再安定化しようとする保守勢力の試みは、2000年6・15共同宣言以後本格化した。政府の対北朝鮮政策に対して「一方的な支援」だの「従属的」だのといった政略的批判が相次ぎ、反対勢力に従北のわなをかぶせるやり方が、マッカーシー(J. R. McCarthy)狂風のように民主主義を脅威した。
**北朝鮮の核問題が長期化すると、北朝鮮による脅威を日常化し、北朝鮮に対する不信情緒を高めた。
**北朝鮮の政策が韓国社会の進歩的発展に反するという判断も増えた。
**北朝鮮の核問題が長期化すると、北朝鮮による脅威を日常化し、北朝鮮に対する不信情緒を高めた。
**北朝鮮の政策が韓国社会の進歩的発展に反するという判断も増えた。
*このような一連の現象は、固着した分断体制が不安定になり、発生したものである。
>これは、金鍾曄が提起した<「分断体制動揺期には平和の可能性及び事例と、緊張の可能性及び事例が同時に増大し、両者が複雑に絡み合う過程を経験するように」>なるという論理で説明することができる。
>これは、金鍾曄が提起した<「分断体制動揺期には平和の可能性及び事例と、緊張の可能性及び事例が同時に増大し、両者が複雑に絡み合う過程を経験するように」>なるという論理で説明することができる。
3)ところが、このような状況は、本質的に分断以後の統一論議を主導してきた進歩勢力が李明博政権の成立と民主主義の萎縮以後、統一論議を引っ張っていく力を消尽したという内部的問題から生じるといえる。
*分断体制が揺れる状況において、分断体制を克服するための進歩的努力と分断体制を再安定化しようとする守旧的試みとが衝突する中、進歩陣営の力量が消尽することによって分断体制は揺れ動くが、統一運動は弱化する逆説的現象が発生したのである。
*分断体制が揺れる状況において、分断体制を克服するための進歩的努力と分断体制を再安定化しようとする守旧的試みとが衝突する中、進歩陣営の力量が消尽することによって分断体制は揺れ動くが、統一運動は弱化する逆説的現象が発生したのである。
4)6月抗争以後再活性化した統一運動内部の限界と進歩陣営の分断体制に対する不確実な認識の結果である。
白楽晴はかつて進歩陣営内部の3つの問題点を指摘した。
第一は、分断体制が介入されていない社会や社会理論を標準とし、民主化運動や統一運動の担当勢力を設定しようとする態度、
第二は、北朝鮮社会の成就と問題点を分断体制と関係づけて考えない態度、
第三は、韓国社会に対して分断体制が強要する隷属性にのみ注目し、自律性の相対的増大の可能性を看過する態度である 。統一運動は90年代以降発展していったが、進歩陣営はこのような問題点を克服できておらず、日常において多様に提起される個別議題を統一問題と結合させて分断体制の克服運動へ発展させていく力量もなかったため、守旧勢力の分断体制の再安定化戦略に対する進歩陣営の対応は漸次無気力になった。
白楽晴はかつて進歩陣営内部の3つの問題点を指摘した。
第一は、分断体制が介入されていない社会や社会理論を標準とし、民主化運動や統一運動の担当勢力を設定しようとする態度、
第二は、北朝鮮社会の成就と問題点を分断体制と関係づけて考えない態度、
第三は、韓国社会に対して分断体制が強要する隷属性にのみ注目し、自律性の相対的増大の可能性を看過する態度である 。統一運動は90年代以降発展していったが、進歩陣営はこのような問題点を克服できておらず、日常において多様に提起される個別議題を統一問題と結合させて分断体制の克服運動へ発展させていく力量もなかったため、守旧勢力の分断体制の再安定化戦略に対する進歩陣営の対応は漸次無気力になった。
結論
このような状況により、朴槿恵大統領の統一大当たり論が「一種のオフサイドプレー」になって進歩政策に深く入り込むようになったのである。
しかし、上述したように、統一大当たり論が果敢に推進されると期待できない理由は、
>>A、「保守派の核心利益が、分断体制の維持がなければ、なかなか守られにくいからである」。
>>B、さらに、アメリカのアジア回帰政策が統一大当たり論に対してリップサービスをするだけで、実質的には分断体制の維持を必要とするという構造的制約も存在する。
このような状況により、朴槿恵大統領の統一大当たり論が「一種のオフサイドプレー」になって進歩政策に深く入り込むようになったのである。
しかし、上述したように、統一大当たり論が果敢に推進されると期待できない理由は、
>>A、「保守派の核心利益が、分断体制の維持がなければ、なかなか守られにくいからである」。
>>B、さらに、アメリカのアジア回帰政策が統一大当たり論に対してリップサービスをするだけで、実質的には分断体制の維持を必要とするという構造的制約も存在する。
市民参加、統一概念の転換から出発
統一大当たり論は分断体制の不安定性を反映する。李明博政府の対北朝鮮政策を継承すれば、分断体制の不安定性がもたらす矛盾がいっそう深まるので、それとは違う政策を展開したいという判断から出発したのである。
**分断体制は南北の敵対的相互依存を本質とするが、
**「統一に対する念願さえ体制維持に巧妙に利用できる柔軟な対応力を持ったもの」だからである。
*しかし、朴政権の統一ドライブが持つ構造的制約のため、互恵的南北関係へ転換することは不確実である。
>白楽晴は<南北連合を1段階統一とすべきであり、和解協力の結果として自然と訪れる南北連合ではなく、積極的な目標としての南北連合を設定>
しなければならないと主張した。また南北連合になれば、「北朝鮮政権としては非核化決断を下し、自らの改革の冒険を敢行する?たとえ完全に安心はできなくても?ある程度の条件が満たされる」ので、南北連合が非核化を可能にさせることであると、南北連合の意味を強調する。
鄭鉉坤も韓半島式南北連合を主張する。「韓半島式南北連合は両国家を重視し、社会体制問題に対しては柔軟に接近」することを意味する。
南北連合によって保障されない交流協力と平和体制構築の試みは成果を上げにくいという判断からである 。
韓半島の固有の分断体制を克服するためには、「一つになる」よりは違いを尊重し、共存を制度化し、この制度の発展過程をまず考えなければならない。
しなければならないと主張した。また南北連合になれば、「北朝鮮政権としては非核化決断を下し、自らの改革の冒険を敢行する?たとえ完全に安心はできなくても?ある程度の条件が満たされる」ので、南北連合が非核化を可能にさせることであると、南北連合の意味を強調する。
鄭鉉坤も韓半島式南北連合を主張する。「韓半島式南北連合は両国家を重視し、社会体制問題に対しては柔軟に接近」することを意味する。
南北連合によって保障されない交流協力と平和体制構築の試みは成果を上げにくいという判断からである 。
韓半島の固有の分断体制を克服するためには、「一つになる」よりは違いを尊重し、共存を制度化し、この制度の発展過程をまず考えなければならない。
すなわち、韓国と北朝鮮の「平和共存」を統一過程の出発としてとらえようということである。平和共存は統一ではないが、韓国と北朝鮮が軍事的脅威を受けず、交流協力を通して経済共同体をつくる状態である。このような状態がまさに統一過程の初期の姿であり、また「事実上の統一」ともいえる。「事実上の統一」が南北関係において交流と協力が活性化することに積極的な意味を付与した概念だとすれば、もう一歩進んで、共存の概念に基づいて南北関係を発展させ、制度化したものが南北連合である。南北連合が、我々が追求する「1段階統一」なのである。
>>歴代政権が継承してきた統一方案である「民族共同体統一方案」 に基づいてみると、我々が現時点で合意し、想像できる統一の形には3つある。
第一に、南北連合、
南北連合を1段階統一と設定しようと主唱した白楽晴は、「統一の最終の姿を前もって決めないことにしようということです。韓国は自由民主的基本秩序に基づいた現行憲法に充実し、北朝鮮もまずはその体制を維持しながら変化するようにしてあげる、緩い結合を推進しようということです。「混合体制」であれ、自由民主主義であれ、最初から統一の前提条件とすることによって、交流協力すらできないようにすることは止めようということなのです」と提案する 。
第三には、北朝鮮の変化と深刻な不安定化に対する対策準備である。