反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ジャイアンツのエースM、バムガーナー(ワイルドカード9回まで)とドジャースのエースクリスカーショウの動画。「馬に乗った水夫」ジャックロンドン伝記について→ジャックファン自認の村上春樹の手練手管の世界。

 まず、時間不足で、冒頭に米Yue tubekから探してきた動画を挙げる。
ピッツバーグ、パイレーツの本拠地でのジャイアンツ戦のワイルドカードである。
ジャイアンツの先発はマディソン・バンガーナー(1989年~)。彼の投球の短いものに適当なものがなかった。試合終了までアップされているようだが、まだ、序盤しか視聴していない。
コマーシャルタイムを飛ばして視聴できるようにアップされている。
MLB 2014 NL Wild Card 01.10.2014 San Francisco Giants VS Pittsburgh Pirates。 http://www.youtube.com/watch?v=xQenBKBYwAU
*動画をしばらくみて、一発で解った、バンガーナーの投げ方は、中日 ドラゴンズの岩瀬とそっくりで、肩の稼動域が広く取れる天性のもの。真似しようとしてもできない。日本で言えばスライダーが武器。アメリカではスライダーという表現はなく、投手に順の大きな曲がり球は、全部、ブレイキングボール。
 この投手は日本的に言えば、カーブ投手だが、ストレートも常時150キロ近辺を投げられる。コントロールが良い。頭脳的ピッチングに見える。スタミナ豊富(ワールドシリーズ進出のために15回を投げている、完投勝利も4回ある。)24歳の若さもあるが、既に大投手の域に達している。
 ただし、捕手との18,44M、イニング数は投げる人間にとって絶対的限界はある。
両投手のピッチングを見て、日本の超一流投手(現時点では岩隅、ダルビッシュ、田中)と大きな差異はないと想った。
ここが野球を分業的団体競技にしている所以である。単純な肉体的運動能力のゲームへの貫徹性に大きな限界を生み出す、のはバットグラブ、硬球を媒介とする細かい技術的様相が巧妙に加味されたスポーツの特性である。運動能力に付随した天性の才能が基礎的要素をなす。しかし、現状の野球は、高度化して、運動能力(主として瞬発力、柔軟対応性、性格)に決定的分岐を見極める時代にに到達している。
 現在のスカウトは個々を見極めなければならい。
Better Ace: Kershaw or Bumgarner? http://www.youtube.com/watch?v=sVw6Y0fkf-8
同じナリーグ西海岸のドジャースのクリスカーショウとジャイアンツのバムガーナーの比較を議論しているようだ。投球動画はない。面倒なので省略しても良い。
 
Scully calls every out of Kershaw's no-no http://www.youtube.com/watch?v=xxspKrnpMFE
コレがリスカーショーの投球
ドジャースタジアムの空席、目立ち過ぎ。以前のドジャースの人気を知るものには感慨深いものがある。名オーナーだったオマリー家が手放して以降、パッとしない。まだ、キチンと視聴していない。



  アービングストーンの「馬に乗って水夫」が書店の店頭に出たのは、1970年代後半だった。そのとき、パラパラとめくって、面白い本だな、と思ったが、買わなかった。彼の代表作は既に眼と通していたし、一貫して社会主義者であったことも知っていたので、ジャックロンドンは興味深い人物であった。
 
 今回読んだのは、2006年に同じ早川書房からリメイク版だった。
この本の最後に小さい文字で「本書は1977年、早川書房文庫NFより刊行された作品を<修整>、再編集したものです。」と記されている。
 うろ覚えの記憶を辿ると、文庫とあるが、冒頭にジャックの写真を配したところや版自体の大きさは再版と変わらない。ただし、貴重な写真が追加されているようだ。
~ソノーマ傾向を見下ろす全焼した<狼城>の丘の上からの全景写真~
(最晩年、大金を投じて完成させた邸宅だったが、完成、直前に原因不明の失火で全焼。その後数年して、自殺)~ネットで調べると、現在、この城跡はモニュメントとして保存されているようだ。先走っていえば、ジャックロンドンファンで誕生日が同じという、カリフォルニア在住の村上春樹は、当然、当地を訪れているだろう。
~死の数日前、友人と並ぶのジャックの全身写真~
(体にフィットしたシャツの胸部から腹部にかけての盛り上がりはどう見ても異様だが、ウエストはそんなにたるんでいない、顔は明らかに急激に体重を落とした跡である皮膚のタルミがある。元気な時のジャックはアーネストヘミングウエイなど問題にならないマッチョで、無駄肉がない閉まった身体をしていた。
日露戦争に従軍した際、平壌で官憲にパスポートを見せている写真。頬はこけて、くわえタバコ。廃人同然の姿で仁川に上陸したと注釈。
 
1977年版ではアービングストーンの独自のジャックロンドン論は削除されて、ページ数はかなり少なくなって、伝記モノとして、読みやすくなっていた、と記憶している。
賢明な選択だった、と想う。多発する思わず筆が先走っている部分は、今回読んでいても疲れる。今回の復刻版は前回、削除した部分を載せたものに違いない。
しかし、婚外子、ジャックへの「父親」の天才肌の遺伝的影響を過大視するアービングストーン説はともかくも、
<ジャックの社会主義の実態に踏み込んだところ>は、正確なジャックロンドン論として重要な部分である。
あとがきの評者(明治大学助教授、大矢健)によれば、ジャックと社会主義及びアービングストーンの「馬に乗った水夫」(Sailor on Horseback)の関係は次のようであるが、自分は異論がある。そのようにきっぱりと二つに分けられるものでなく、ストーンの描くジャックにとっての社会主義にリアルなところがあって、非常に参考になる。
この点において、論者は当時のアメリカの社会主義の現状と限界をキチンと俎上にあげて、ジャックロンドン論を展開していない。
 引用。あとがき。
「二人目の妻チャーミアンは伝記執筆をストーンに依頼した。~ところが後にチャーミアンはストーンが信頼できない人物と見ると、~それまで反目していた先妻との娘ジョウンを応援する。社会評論的な伝記の執筆を助けることにしたのである。(W。ジャック関連の手持ちの資料を預けた)
幸いなことに、これが契機となり、娘が父と当時の社会とのかかわりを弔意深く掘り下げた名作『ロンドンとその時代』が誕生した。(W。おそらくその後のロンドン論の必須文献だろう)。作家ロンドンというより社会主義者としてのロンドンだ。(W。多分、この著作の中にも、ロンドンの社会主義の限界というか当時のアメリカの社会主義受容の限界が赤裸々になっていただろうが、原文に眼を通しているはずの、この評者は十分理解できていない。正確に言えば、冷戦体制崩壊以降の風潮に乗って、理解するつもりが最初からないのだ)
 しかし、ジョウンが重視しない点をストーンは書いた。
社会がしいた困難や、あるべき社会の姿より、個人主義者の個人のドラマがフィーチャーされる。(W。社会主義というか、当時のヨーロッパの一般的に社会民主主義はあるべき姿を描くというよりも<ニューフロンティアの北アメリカ大陸では社会主義活動の地政学的限界があった>、モット社会運動的政治改良的なリアル政治課題にと直面した。言い換えると、アメリカと違って社会条件に恵まれていた、政治活動の大衆的基盤があった)
社会は背景に退く(W?。ジョウンの著作は第一次大戦と1917年ロシア革命という世界情勢を背景にアメリ社会主義の限界が混合されたものと想われる)
私生児としての出生(W、ストーンは過大視)、貧困と暴力のあふれる少年時代(W。ストーンではリアル描写が少な過ぎるようにおもえる。牡蠣の密漁の大泥棒の帝王少年の世界への踏み込み不足におもえる。)
船乗りとしての経験、二度の結婚の経過、狼城の建設とその焼失(W。ここはリアルで素晴らしい)自殺による他界など、議論を呼ばざる得ない点を大胆な筆致で活写したのである。
W。基本的にアーネスト、ヘミングウェイの自殺の動機は位相は同じとみる。<健康不安、作家的モチベーションの低下、才能の枯渇。マッチョな肉体と精神の均衡の破綻、徹底した行動主義によって根底に横たわる虚無感を払拭する精神構造>、もっとも誰だって死を目指して生きているのだ。前途に横たわる事実は絶対的なものだから、死ぬために生きている、とも言える。


 2006年「馬に乗って水夫」のほとんど30年ぶりの全面復刻版は、ジャックロンドン再評価の動きが起こっているわけでもく、どうしてなのか?ことである。
 
 回答はあとがきの解説の冒頭にある。
題して~熱狂の唯物論の辿りついたところ~明治大学助教授、大矢健
W。村上春樹が冒頭いきなり出てくる。
「ジャックロンドンと誕生日が同じでファンでもある村上春樹は(W。よくこういう言い方に出くわすが実にチマチマしている。)、『ダンス、ダンス、ダンス』の僕に次のように語らせている。」(W。このタイトル自体、ビートルズの村上の小説のタイトル<ノルウェーの森>のパクリ、と同様にビーチボーイズからのパクリ。~1964年Dance, Dance, Dance (US #8 /UK #24)。ビーチボーイズの好きな楽曲の ベストスリーに入る~Dance, Dance, Dance by the Beach Boys http://www.youtube.com/watch?v=XkW4Egnk23k
 村上春樹『ダンス、ダンス、ダンス』
>『函館駅の駅の近くの書店で買ってジャックロンドンの伝記を読んだ。ジャックトンドンの波乱万丈の生涯に比べれば、僕の人生なんて、平穏さのものに見えた。~伝記とはそういうものなのだ』
 大矢健
   ↓
「村上はこの作品で、我々が好むと好まざるに関わらず、生きなければならない、高度資本主義社会の核心に迫っている」
W。「好むと好まざるに関わらず、生きなければならない」ってどういう意味?
不幸にもそんな「余裕ある」次元で生きるということをいまだかつてなかった。
村上春樹愛読者にはこの手の「余裕のある」人が多いと見る。チョロイ作り事丸出しとしか思えないその世界を受け入れられる条件だ。わたしは春樹世界を垣間見せられたところで、何らワクワクしない
「僕の人生なんて、平穏さのものに見えた」というが「波乱万丈に」する機会は自分の意思で、いくらでもあったはずだし。やろうとしないだけだった。
 
 さらに云わせてもらえば、高度資本主義社会は何時の時期から始まって、何時まで続きっぱなしなんだ! 高度資本主義社会などとっくに終わっている、今はグローバル資本主義の時代なんだよ。
 
 ということで、この大学の先生の~熱狂の唯物論の辿りついたところ~などと題する唯物論に絡めての解説のは、いいたいことをズバリ直截に切り込む視点にかけており、論旨の上滑り感がある。
しかし、次のように云えば、見も蓋もない。文学解説は難しいが、自分の知っている限り、現状、流行している文学評論は、自分たちで咀嚼していない理屈を使って素材を評論するから、観念の弩壷にはまっているようにみえる。
 
 ジャックロンドン(1876年~1916年)の時代のアメリカの社会主義者は極少派で、ヨーロッパのように大衆的活動の社会的条件は乏しく、一部知識人の小さな政治サークル、小集会による理論の啓蒙普及に留まっていた。日本でもこの時期は位相はほぼ同じで、アナーキストの方が多数派だった。形勢が一挙に逆転する一大契機は1917年ロシア革命だった。
ロンドンの娘ジョウンの「ロンドンとその時代」も、アメリカ限定の時代背景が大きく作用してだろうが、仕方のないことだ。
 したがって、ジャックロンドンは社会主義観は社会主義政党の具体的実践の前進と影響力の駆使、拡大という活動主体の積極的な生きた契機を欠いており、一部知識人のマルクス的理論の矮小化した法則的理会の啓蒙普及、社会と経済の必然の機械の様な法則理解にとどまっていた。
 コレは当時のアメリカ社会という限定(地政学的意味も大きい)の下では仕方がなかった。もっともその後、ズット基本的にそういう状態であったが。戦前の日本も例外ではない。
 
彼は日露戦争に特別派遣記者として従軍し、来日して、こっそり朝鮮半島の戦場に赴き、報道しようとしたが現地で拘束されたこともあった。少なくとも、アメリカの一般的社会主義者よりも、視野は広く、経験も豊富だっただろう。
自殺する直前に始まった第一次大戦にいたるヨーロッパの社会状況を踏まえ、直感的に社会主義者とその党にとって、切迫する政治課題を掴んでいたのだが、遠く離れたアメリカの社会主義の現状には切迫感はなかったし、政治課題を遂行する大衆的基盤もなかった。(二度のオークランド市長選挑戦は惨敗であった)
ジャックロンドンは自殺する直前に、所属してきたアメリカ人民党への脱退宣言のなかで、暴力的な階層激突が始まっているとしているとして、アメリ社会主義の上記の限界について触れている。
コレは政治的な分類でいえば、急進主義に該当するが、時代的限界性を取り除くと、世界状況に対する間違った判断だとは想われない。
ただし、そうした戦争と革命という時代認識をすればするほど、自分の足元を見ると苛立ちと、政治的無力感を感じたのではないか?もう理想社会の理念を解き続けること、政治や経済の解釈を施す啓蒙活動が、イコール社会主義の活動の時代ではなくなったのだ。帝国主義の世界規模での相克という世界情勢の規定要因はそのように作用した。
とはいってもベストセラー作家で、身内に膨大な出費を抱える、ロンドンに社会改革家として前に踏み出す、政治基盤も思想体系もなかった。彼の社会主義は知識人の講壇マルクス主義であり、小さいながらも、従来の所属していた組織から離脱して、彼の限界を少しでも補填する友を失うと、全くの無力だった。
切迫する時代状況と組織を離脱した彼のなしうることの開きは余りにも大き過ぎて、ソレは無力感となって現れた。
 このような観点に立てば、思想的な脱出口は限られてくる。
激動情勢を社会変革の一大契機の時期と、積極的に開き治ることだ。
が、ソレはできない。この時代の社会主義社会民主主義は社会変革の実行的なプロセスを提示する必要に迫られていた。国内にその条件がないときは、世界が変わっていく一部としての自国という見方が必要だった。
コレは基本的に革命の理論の領域も問題だった。ジャックロンドンの説いた社会主義社会民主主義)とは、ストーンの「馬に乗った水夫」に、はっきりと示されている。アノ時代状況に相応しい、革命理論とその実践を欠落した啓蒙思想としての社会主義、世の中の森羅万象を解読する法則としての社会主義であり、コレは人間の認識の変革の同心円的拡張に社会主義の実現を見る激動する世界情勢に適応するものでなかった。
ロンドンの伝記を書いたストーンは、以上のような限界に直接的に言及しなかっただけで、ロンドンの日常生活をリアル描くことで、間接的に読者に伝えている。
「馬に乗った水夫」のジャックロンドン伝記としての記述方法は、当時としては不満であったかもしれないが、現代的では普通、個人の問題を社会の問題に換言しすぎない、こういう方法を採用する。
そうであるならば、読者は、そこから社会状況を汲み取る必要がある。著作の内容においてできなければ、別途に情報収集すればいいだけのことで、比較的手間もかからずできる。


ジャックロンドンのいわゆる唯物論とは、端的に言えば、単調平板な機械的唯物論ということになり、そうした思想が作品に大きな限界をもたらしたことは避けがたかったが、逆に言えば、それが「野生の叫び」「白い牙」などの作品の魅力になっているのではないか?


当時の彼は短編作家としても名を成したそうである。
W。彼のアラスカ均衡堀の体験が生かされている。
ジャックロンドンは9キロの難所として有名な岩だらけの坂を70kgに荷物のバックを担ぎ、往復して、自分たちの金鉱堀の道具、長期間の食料を全部運び上げた。ヒマラヤ登山のシェルパ顔負けである。 
    火を起こす 原題 To Build a Fire 作者ジャック・ロンドン~翻訳者枯葉~


 
 ということで、「馬に乗った水夫」の2006年リメイクは超ベストセラー作家、村上春樹の「ダンス、ダンス、ダンス」とやらの一節に刺激されているところが大きい。もしかしたら、復刻には村上が一枚かんでいるのかもしれない。


   村上春樹の小説に対する批判の定番は次のものだ。
日本戦後文学言説とアジア的視角: 歴史的想像力と資本主義的想像力 2012/01/09 15:13
特輯_東アジア地域文学は可能であるか
安天(アン・チョン) 東京大学大学院総合文化研究科博士課程。日本現代文学および批評研究。主な評論に「現代日本の新しい『階級』をめぐる知的地形図」「柄谷行人現代日本」などがある。
 
「 3.資本主義的想像力――村上春樹の偏在性/差異性戦略~W。大江健三郎との対比や日本のサブカルチャーの東アジアへの影響慮が祭儀に出てきて面白い~
>>村上春樹は戦後日本社会における「東アジアの不在」を示す模範的事例である

1990年代以降、彼は東アジアのみならず世界で最も人口に膾炙する作家の一人となった。
***彼は孤独な個人が世界に直接結びつけられるような叙事コードを確立した。
***【個人と世界を媒介していた中間項である地域共同体、社会、国家などを経由せず】に、すなわち【日本的文脈を飛び越えて直接に世界と接続する通路をつくった】のである。
これが彼の小説が世界各国で広く読まれている理由の一つだろう。
***このような叙事コードの特性を重視する批評家・東浩紀は、村上春樹ゼロ年代以降、日本で膾炙している【「セカイ系」の叙事パターンの先駆者】と評してもいる 。
*** しかし【セカイ系は、現代日本に特有の創作文法のなかで個人と世界が直結されてしまうような世界を描写】しており、【あくまで日本社会の内部で構築された「想像力の環境」に依存して生産され流通した】。
                            ↓ ↑
>>>1)しかしながら、村上春樹の小説作法は彼が意図的に日本的なるものを排除する過程を経て獲得されたものである。
                             ↓
>>>2)彼は伝統的な日本文学の重力から抜け出そうと努力し、その結果、よく知られているように、彼の小説はむしろアメリカ現代小説の重力圏内にある
>>>3)江藤が戦後日本の近代化と高度成長を日本的なるものの喪失および「アメリカ化」と捉えたことを思い起こすなら、
日本経済の絶頂期に日本的なるものを排除しこれをアメリカ的なるものに代替しようとした村上春樹は、当時の日本が直面していた現実に最も敏感に反応したのだといえる
                             ↓
>>>(4)そして江藤が【「アメリカ化」と呼んでいた運動が「世界化」されたことにより、村上春樹の感性もまた「世界化」】されていった。
 このように政治的観点からの村上春樹批判を一旦カッコに括ろうと提案した福嶋は、村上春樹の小説にしばしば登場する商品や音楽などについて次のように述べる。
 
村上は、一般的には「均質化」をもたらすと言われるグローバル資本主義を、巧妙に利用している。
同じ「モノ」(規格品)が大量に流布し、しかもそれが場に応じて微妙に異なる意味を吹きこまれていくこと村上春樹はこのモノの遍在性と差異性を手がかりにして、主人公や読者を居ながらにして別の力場へと誘導してしく。
W。ビートル「ノルウェイの森」。ビーチボーイズ「ダンスダンスダンス」アザトイ商売人。その感覚は突出している。
彼の言葉に付け加えるならば、どの国に行ってもマクドナルドがあり、同じ映画を見ることができ、インターネットで同じ情報に接することができる(遍在性)<W。規格品)が大量に流布という意味でのモノの普遍性であり、生の人間的普遍性ではない。>
このように世界の大都市は場所の固有性をだんだん失っていくが、他方で人々は同じマクドナルド、同じ映画、同じ情報に触れつつもみんながそれぞれ別の経験をする(差異性)<W。ちょっとした差異性、こだわり?誕生日がジャックロンドンと同じだった。馬鹿馬鹿しい!>その体験は各自に固有で、ほんの少しずつ違う意味をもつ遍在性は、人間の記憶という観点から見るなら、あくまでも「意味記憶」の領域で生じる事態だ。しかしその均質化にもかかわらず、人々は遍在するそれらの対象に対してそれぞれ固有の記憶を作りだしていく。福嶋のいう差異性とは、この「エピソード記憶」の次元で現れる差異性だといえる。
福嶋は村上春樹が好んで使用するものに「現世から脱落しかかっているモノ」と「同時代から少しずれた過去」を挙げている。
 村上春樹は自らの作品の中に読者個々人の記憶を引き出すための設定や舞台装置をちりばめることによって、読者が自身の記憶に埋め込まれている感情や物語を小説世界にオーバーラップさせる余地をつくっているのである。
***このように、福嶋は「自分の経験を投射しやすい環境」を読者に提供しようとする村上春樹の戦略を読み取った。これは現代社会の質的変化にうまく適応した執筆戦略だといえる。
***かつては「計算可能性」の範囲を最大限拡大していくことで、世界を透明で予測可能なものにするためのシステム設計が重視された。
***しかし今は高度情報社会に生きる個人が因果関係の全体を把握することはそもそも不可能であるという現実を認めざるをえない。
***とすれば、システムの設計も根本的に変えねばならない。
***もはや計算可能性のみならず「計算不可能性」まで考慮したシステム設計が要求される
***【読者ひとりひとりのエピソード記憶こそまさに、この計算不可能性の領域である】。
村上春樹の小説から福嶋が読み取った「差異性」は、この計算不可能性を考慮した舞台装置だといえる。
**そしてこの<舞台装置はグローバル資本主義システムが全世界に撒きちらしたモノや情報であるがゆえに>、<既存のローカルな文化圏(たとえば東アジア)に関係なく、グローバリズムの影響圏に包摂された社会のメンバーであれば誰でも潜在的村上春樹の読者となる可能性を内包>することになる。
     
     とするならば、新進世代はもっと広い地平、もっと深い現実認識に到達したのだろうか?
>>>日本社会の内部のみに目を向けるならば、彼らは現実をより広い視野で、より深い位相まで捉えることに成功したといえる。
しかしそれはどこまでも日本内部に限定してのことである。
新しい世代の思考は、むしろ日本社会に埋没して日本という特殊な文化・情報の生態系内部に閉じこもった自己言及的批評言説を生産している
それだけに新人批評家のなかで、日本の外部に積極的な関心を見せている福嶋はかなり例外的な存在であり、中国文学研究者でもある彼は脱理念化・脱歴史化された現在の日本の若手批評家のなかでも珍しく「東アジア」に注目している。
>>福嶋は東が『ゲーム的リアリズムの誕生』9 で示した、小説をめぐる「想像力の環境」を分析する批評方式を補完・発展させ、この方法論を日本のみならず中華圏の現代文学の読解に適用している。
>>ここで注意すべきは、福嶋が論じる「中華圏の現代文学」は、日本のライトノベルに該当する、マンガ・アニメーション・ゲーム 10などの影響下で成長した文学を指すものであって、<伝統的な文芸誌に掲載されるような文学ではない点>である。
福嶋が自ら提示した概念枠組みと論理構造で日本、中国、台湾の文学を論じることができるようになったのは、日本のACGが中国と台湾の若者層のあいだで「想像力の環境」になったからである。
すなわち東アジアに日本のサブカルチャーが広まっているからこそ、日本のライトノベルと中国や台湾の類似した文学ジャンルが比較可能になったのである。
もし韓国でもこのようなジャンルが広く読まれるなら、福嶋の分析枠組みを変形させて韓国の文学現象を東アジアという地平で論じることも充分可能だろう。
また、福嶋の分析枠組みが有効で説得力もあるとすれば、これは文学がもはや文学という世界で自己完結的に存在するのではないことを意味し、したがって文学の枠組みで読み取ることのできる領域は、今後さらに狭まっていくともいえる。
 文学も合わせたメディアミックス的な「想像力の環境」を包括的に分析する地平に立ってこそ、文学と他のジャンルとの分節形態も視野に収めることができるし、大衆文化の相互浸透が急速に進んでいる東アジア圏域を「想像力の環境」という視点から見ることのできる可能性もまた開かれていくだろう 。11


 江の『万延元年のフットボールは、
日本がアメリカを経由して東アジアに達する道を示した例外的な傑作である。
彼は沈黙のなかに隠されていた二つの時代にわたる被抑圧者の歴史が互いに共鳴して姿を現す瞬間をつうじて、東アジアと日本が交差する歴史的想像力を形象化した
1980年代になって脱植民地主義に立脚した東アジアの連帯が一部の文学関係者の課題として浮上したものの、東アジアではなくアメリカを注視した村上春樹が広く読まれるようになった。
日本の文脈を意図的に排除した村上春樹は、
アメリカ的生活様式の世界化とともに資本主義の特定の発展段階と連動して広く読まれる小説家としての立場を確固たるものとした。
***彼はとりわけ東アジア圏で多くの読者を獲得しているが、
***これについて東アジアが類似した発展段階にあるからなのか、
***あるいは別の理由があるのかを明らかにすることは、今後の東アジア文学を論じるさいに意味ある作業となると思われる。(W。東アジア圏は、普遍性を構築していく途上にあるが、同時に、強調されてきた閉じられた差異性は閉塞感を生み出し、そこに押し込められた欲求はアメリカ的生活様式の世界化に収斂される傾向になる。逃げずにアジアにキチンと向き合うことである。村上春樹は日本文学、文化に連綿と続く、逃亡系知識系列の真っ只中にある。アノ高度経済成長時代の上澄みをすくい取ったのが村上春樹の世界の根幹をなしている。プラス、アメリカ基準の世界化と結果するグローバリズムへの文学的技術による対応である)


 1980年代から日本では近代文学の死が言われ始め、近代文学の代わりに多様なジャンルの文学やライトノベルが新たな批評言説の場に浮上した。
>その後これら二つのあいだに対話がなされることはほとんどなく、今は各自の道を歩んでいる。
>>後者の場合、そのような作品をつくりだす「想像力の環境」が日本のサブカルチャーに依存し過ぎており、そういった文化が浸透した領域でのみ有効な言説として機能するという限界がある。
>>したがって東アジア各国の青少年層が好む消費コンテンツとしての小説を対象に独自の読解を試みている福嶋の議論は、日本発の「東アジア文学言説」の芽となる可能性をもっているが、
>>これが成功するかはやはり日本のサブカルチャーの浸透力に大きく左右されると思われる。
 ゼロ年代に入って東アジアの文化的相互浸透が進展したことで、韓国や中国の小説が紹介されつつあるが、まだ「一つの流れになっている」とまでは言いがたいのが現状である。したがって、冒頭で述べたように、日本における「東アジア文学」はまだ観念としてしか存在していないのである。


      自分の行く先々で村上春樹の足跡がべったりついている。
 かなり前に本屋の洋物小説の戸棚でレイモンド、カーヴァーという作家を手にして、良い感じだなぁ~と想えば、村上春樹の十八番で、一連の短編集の翻訳をしている。
 ただし、研究評論書にでている春樹訳と別の翻訳家の訳を比較したものでは
春樹翻訳文は完全に村上春樹小説の軟弱風文体に意訳され、
別訳は少し文体は硬いが、カーヴァーのザラザラした雰囲気を伝えている
村上春樹の解説に寄れば、ザラザラ感は日本人には、あわないということで、自分の文体に修整しているようなのだ。  
 自分としては、両者を比較して、別約の方がしっくりした。      
村上は、徹底した日本の外志向だったらから、逆に日本を他人事としてよく解っているのではないか?
が、日本の在住する条件ではグローバリズムの反面として浮上する日本を内部に取り込混ざる得ない。この汚染を排除する道は、日本を徹底的に排除した物理的な環境を整えるしかなかった。
バブル経済真っ盛りの時に日本脱出をしたことは、彼の世界にとって、先見の明がある。
彼は関西人的利害損得に聡いリアリストである。評論を読む、そういう図太い目で見るかというほど、強かであるが、極めて皮相な視点でしか評論できていないことに気づく。
彼の描く物語の難解性とは、素材として、無思想、皮相な世界観ゆえに、難解な素材を選ばなければならない都合による。