反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

マイケル、ハート、 アントニオネグリ「叛逆~マルチチュードの民主主義宣言~NHKブックス2013年3月25日刊、を引用し検討する。

  叛逆~マルチチュードの民主主義宣言。
   解説より、引用。
「Declaration(宣言) Argo Navis(イタリア語?ラテン語の宣言?) Author Services(自主出版) 2012
本書は~~の全訳である。原書は、アマゾン、キャンドル用の電子書籍として2012年5月に自主出版されて、その冒頭の部分が『ジャコバン』誌のホームページに掲載された小冊子の紙書籍版に当たる」
 
 「叛逆~」は2010年末からの2011年の世界的な大衆行動の高揚の現場に寄り添い、そこに彼等が「帝国」以降の哲学的思想書で述べてきたことの具現を見て、ソレまでの彼等の難解な思想政治哲学領域から大きく現実に踏み込んで、解りやすく現状の世界状況の認識を解き、その中で最大限の矛盾を犠牲的に転嫁されるが故に潜在的<主体構成力>を秘めたマルチチュードの四つの具体像を明らかにしている。
            ↓
(1)、借金を背負わされた者  (2)メディアに繋ぎとめられた者 (3)セキュリティーに縛り付けられたもの
(4)代表された者
 以下、要点マークをしたところを順次、書き写しながら検討して行きたい。
  
             第1章 危機が生み出した主体形象
     その(1)、借金を背負わされた者(主体の形象)
イ、負債の効果 ロ、主体が破壊される ハ、負債の基づく搾取 ニ、金融をとおした支配
W。ハ、ニ、で金融による新しい収奪形態を描き出しているが、金融支配の実態に鋭く切り込んだ指摘とは言えず、文脈は一貫してアイマイで、何となく、そうなのか、という程度である。
 
         ハ負債に基づく搾取
「かつて大量の賃金労働者がいた。今では不安定労働者の大群がいる。~W、ここでネグリマルクス的資本と労働力商品の労働の市場での交換の一見平等に見える見せ掛けを持ち出し~最早(現状は)平等ではなく、<債権者と債務者という階層関係として設定される>
 
W。金融寡頭制支配収奪の強化⇔不安定労働者の大群(負債に基づく搾取の拡大)
*基本的に資本と労働力商品との関係は隷属関係である(賃金奴隷制マルクス以外)。この関係
が「平等」にみえたのは、前近代的体制と戦ったブルジョアイデオロギーの発生上の都合と、その後の労働者たちの戦いによって獲得された権利であったが(主としてヨーロッパ史)、歴史の流れが逆行的に発展(螺旋階段状の発展)する中で、新しい賃金奴隷制時代が出現してきた
>ただし、<負債に基づく搾取>は特殊である。
W。以下の記述は以前からブログで事あるごとに使っているフレーズ。「市場原理主義の見えない服従の檻」のネグリ的表現におもえる。
 
「だが資本と労働との関係は大きく変化した。資本主義的生産の重心はもはや工場の中にあるのではなく、工場の壁の外に流れ出た。社会が一つの工場になったのだ。
>というよりもむしろ、資本主義的生産が社会全体を管理下におくほどに拡大したのである
資本はますますわたしたちの生産能力、わたしたちの身体、精神、コミュニケーション能力、知性、創造力、等々を全面的に搾取するようになっている。つまりわたしたちに生そのものが働かされるようになっているのだ。」
>(W、「主としてレントを通じて富を蓄積する」の概念規定は本文と訳者の長い解説を読んでも要領得ず!)
            ↓
「資本と労働者のあいだの主要な関わり方も変化している。W要約→今日の資本家は、資本の直接的生産関係における利潤ではなく、主として(?)レントを通じて富を蓄積する、としている。
     ネグリの<レント>の簡単な説明
「ここでいう<レント>は、多くの場合、金融の形をとり、金融機関を解して保証される。~今日の搾取は、主として交換ではなく、負債に基づいている。言い換えるなら、今日の搾取は、99%の人々が1%の富裕層に~仕事、カネ、服従を負うという形で~従属しているという事実に基づいているのだ。
 
     *翻訳者の<レント>説明
(W。決定的なキーワードに、長々と書いても冒頭、以上の説明ができないとは呆れる。)
<レント>とは元々地代や不労所得を意味する語である。しかしネグリとハートはコレを、生政治的生(Wこの意味も不明)に基づく新たな資本主義の中で働く、<共~コモン~>の捕獲装置として捉えなおそうと試みている。」
冗談ぽく言えば、「市場原理主義服従の檻」という常套句の<見えない服従の檻に相当>するのが<借金の連鎖拡大装置>としてのレントなのか?
 
いづれにしてもこの社会経済に特徴的に出現している現象傾向を自分たちの政治思想の核心として描き出そう出そうとしているが、簡潔明瞭な概念が見つかっていない。
彼等の本質は社会作家としての築き上げてきた自分たちの政治思想体系に拘って、その道の専門家の言説を再構成して導入することを怠っている、から、こういうアイマイなフレーズに終始することになる。この方面の彼等の言説よりも最新のグローバル金融資本の基礎理論を読んだほうが解りやすいこうな気がする。
もっとも、現状、実証主義に最大限の比重が置かれているので、そういった理論書は、ありそうでないのが現実。
ネグリの経済分析?程度では余計なに混乱を招くようですっきりしない。スーザン、ジョージを参考にしたほうが、解り易いのではないか?
グリーンピースATTACなどで貧困・開発問題に取り組み、現在、民間シンクタンクトランスナショナル研究所フェロー
国際通貨基金世界銀行が進める構造調整政策や、近年の新自由主義グローバリゼーションに対する鋭い批判で知られる」
 
       ニ、金融を通した支配
「わたしたちが見てきた搾取から負債への変容は、資本主義的生産の変容に対応している。~
マルクス的概念を使ってレント捕獲装置を説明しようとしているが要領を得ず。
  そこでイメージとしては次のようになる。
レントを手に入れるものは、富の生産の現場から離れたところに位置しており、そのための残酷な現実や生産的労働の暴力、そしてレントを生み出す際に自らが引き起こす苦痛を感知できなくなっている。
ウォール街からは価値生産を行う労働者一人ひとりの苦痛はみえない。なぜならその価値は、膨大なマルチチュードの搾取に基づいているからである。
こうした搾取の現実の一切は、金融による人々の生のコントロールを通して目立たなくされ、消し去られてしまう傾向にある。
 貧者の新たな形象が出現しつつあり、そこには失業者や、非正規のパートタイム労働に従事する不安定労働者ばかりか、安定した賃金労働者や、いわゆるミドルクラスのうち貧困化した階層も含まれる。彼等の貧困を特徴付けているのは負債の鎖(W、レント装置?)である。
 借金を背負わされていることは今日ますます一般化しており、それは、過去を彷彿させる隷属関係の回帰を示唆している。」


      (2)メディアに繋ぎとめられた者 
  イ、コミュケーションの量と質
情報抑圧や過疎状態を指摘して~~「けれどもの私たちが関心を寄せるのは情報、コミュニケーション、表現の過剰によって押さえ込まれている主体である。~~   
ジルドゥルーズはこう説明する『そこで問題になっているくるのは、最早人々に考えを述べてもらうことではなく、』~『押さえつけようとしている力は、人々が考えを述べることを妨げるのではなく、逆に考えを述べることを要する
>>今求められているのは、いうべきことが何もないという喜び、そして何も言わずにすませる権利です。コレこそ、少しはいうに値する、元々稀な、或いは稀になったものが形成されるための条件なのですから。』
ドゥルーズが指摘しているコミュニケーションが過剰であるという問題は~~
ピノサが強調した政治的な逆説を想起しているように思われる。
すなわち、ときに人々はあたかもそれが救いであるかのように、自分の隷属を求めて戦うという逆接のことである
>~わたしたちに必要なのは、情報やコミュニケーションではなく、思考に必要な沈黙である、とドゥルーズにとって、目的は現実に沈黙することではなく、言うに値する何かを持つことなのだ。
 
     ロ、メディアに注意を奪われる
「従って労働者は、疎外されているというより、メディアに繋ぎとめられていると考えた方が適切だろう。疎外された労働者の意識が分離或いは分断されているのに対して、メディアに繋ぎとめられている労働者の意識はウェブの中に組み込まれ、もしくは吸収されているメディアに繋ぎとめられたものの意識は、実際には引き裂かれているのではなく【断片化され拡散させられているのだ】
 さらにメディアは実際に人々を受動的にさせているわけではない。むしろ絶えず人々に参加を即し、好きなものを選択し、自分の意見を述べ、自分の人生を語るように呼びかける。メディアは常にあなたの好き嫌いに応答し、それに引き換えあなたも常にメディアに注意を払う。
 従って、メディアに繋ぎとめられたものとは、逆説的なことではあるが、能動的でも受動的でもなく、むしろ絶え間なくメディアに注意を奪われた主体に他ならない。
 
    ハ、生きた情報死んだ情報
借金を背負わされたものの中に人間の生産力が隠されているようにメディアに繋ぎとめられたものの中には、曖昧にされ、潜在力を奪われた人間に知性が存在する
或いはメディアに繋ぎとめられたものは死んだ情報で満たされており、生きた情報を創出するわたしたちの力を(自ら)疎外しているといった方がよいのかもしれない。」
                                           次回に続く