反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第2回。ハート、 ネグリ「叛逆~マルチチュードの民主主義宣言~4つの主体形象、その3、メディアに縛り付けられた者。その4、セキュリティーに縛り付けられた者。

                    病弊した4つの主体とその反転(W,メインテーマ)
 2011年に勃発したrぷ総サイクルが孕む欲望とその成果~(について)~それらの運動が立ち上がった一般的な社会的政治的諸条件を吟味することから始める。
 >ここでの議論のポイントは、現在の社会的政治的危機の文脈の中で、どのような主体が生産されているのか、ということだ。
その支配的な形態として主に4つの主体形象ー1、借金を背負わされた者、2、メディアに繋ぎとめられた者、3、セキュリティーに縛り付けられたもの者、4、そして代表された者ーを取り上げる。
~W、前々回の記事の続き~
 
                第1章 危機が生み出した主体形象
          3、メディアに縛り付けられたもの
    <そこに一緒にいるということ
マルクスから見て農民たちにかけている情報とコミュニケーションを、~~プロレタリアたちにははあって農民にはない、最も重要なコミュにケーションは、プロレタリアたちが工場の中で物理的、身体的に協力し合って、共に働いているということである。
階級と政治的行動の基盤は、主に情報の流通を解して形成されるわけでもなければ、観念を解して形成されるわけですらない。そうではなくてその基盤は、むしろ政治的情動の構築を介して形成されるのであり、そしてこの政治的情動の構築に必要なのは<身体的近接性>に他ならないのだ。
>2011年の泊り込み抗議と占拠(W、スペイン、マドリード)は、コミュニケーションに関するこの真を再発するものだった。
フェイスブックツイッター、インターネット、その他のコミュニケーションのメカニズムは確かに役立つが、これらはどれも、身体的に一緒にいることや現場で交わされる身体的なコミュニケーションに取って代わることはできない。
>そしてこうしたコミュニケーションこそが、集合的な政治的知性と行動の基盤なのである。
~占拠闘争に参加した人々は、そこに一緒に存在すことを通して、新たな政治的情動を創出する能力を経験した。
W、一見して、古めかしい指摘に終わっているように見えるが、世の大勢にNOを突きつける抗議行動の古くて新しい真理である。人類は太古から類的存在として進化してきた。社会意識は類的存在意識から始まり、人間的共同体意識の中で発達してきた。人間共同体から個々人の自律性が本格的に目的意識的に発揮されだした歴史は近代もずっと後だった。それでも社会運動という次元では、<階級と政治的行動の基盤は~そこに一緒に存在すことを通して、新たな政治的情動を創出する能力を経験>という真理が貫かれる。
 参考資料 痛ましい限り!
決死の刃を自分に向けてはいけない。が、どうしてそうなるかという答えは、「叛乱~」のなかにある。それは真理の次元ともいえる。
 
        4、セキュリティーに縛り付けられたもの>
    監視し、監視される
 セキュリティーに縛り付けられたものは例外状態の中で行き、育つようなタイプの生き物である。
例外状態においては、法の支配や、人々の連合から生じる伝統的な習慣及び紐帯(ちゅうたい)の通常の機能は、包括的な権力によって、一時的に停止される。
今日、世界に一部地域では例外状態は低強度の戦争状態のことさすが、地域によってはかなり高強度の戦争状態を指すこともる。
例外状態を人間社会のいかなる自然な状態とも混同してはならないし、(ホッブス的状況想定)また例外状態を近代国家の本質として、或いは権力の近代的形象にすべてが向かう終局点として思い描いてもならない
例外的状態とは、圧制の一形態に他ならずあらゆる圧制がそうである様に、ひとえにわたしたちの自発的隷従上に存在するものなのだ。
 
     <監獄が膨張する>
 アメリカ合衆国の囚人人口は、戦後最も少なかった1970年代初頭以来、5倍以上に増加している。アメリカ合衆国は世界のどの国よりも高い割合で自国の人間を収監しているのだ。(W、もともと数が多過ぎる。現状230万人 名古屋市の人口220万人よりも多い。世界の囚人人口の40%は米国。獄産体制である。既に記事にした。)
それがいかに人種的区分けに即しているか~。
ラテンアメリカ系米国人白人のほとんど2倍の割合で収監されており、アフリカ系はほぼ6倍の割合で収監されている。死刑囚監房に入っている人種の不均衡はさらに甚だしい。
例えば米国の20代の黒人男性のうち8人に1人は刑務所か監獄に入っている。
今日、矯正管理下(W、未決監獄、刑務所、執行猶予中、労役所など)にあるアフリカ系アメリカ人の数は、アレクザンダーに指摘によれば、19世紀半ば、(W,南北戦争アメリカ市民戦争1960年)の奴隷の数よりも多いという
 
    なぜ軍人の地位が向上するのか
ベトナム戦争の末期ベビーキラーと罵られた、といううわさがあった。~。
僅か数十年後に(再び)軍人の地位が国家的崇拝の対象になったというのは驚くべきことである
征服を身に包んだ軍人は民間航空機への搭乗で優先されるし、面識のないものが立ち止まって彼等に声をかけ、その軍務に感謝の念を述べるのも珍しいことではない。
軍服を身にまとった軍人に対する尊敬の念の高まりと、社会全体の軍事化の増大が期をいつにしている。 
グアンタナモ基地(キューバ島内米租借基地~テロリストと目される容疑者が世界中~主として中東~から連行されている)からアブグレイブ刑務所(W、バクダッド西32kmフセイン時代の政治犯刑務所がイラク戦争後米軍に引き継がれ、今日、イラク側に管理権限が移譲され、「バグダード中央刑務所」と名前が変更されている。)にいたるまで、例え実際の拷問ではないにしても、(W?)組織的拷問すれすれのことが日々行われている。  
~ソレにも拘らず、軍人に対する尊敬の念は高まっているのだ。
 収監者数の増大と拡大する軍事化は、どちらもアメリカ社会が先頭にたって進めている流れだが、それは世界中に拡散したセキュリティー体制が最も凝縮された形で明示されたものに過ぎない。
 
*今日なぜ抗した潮流が生じているのか?
新自由主義が要求する労働者の不安定性、柔軟性、可動性、の増大は、原初的な蓄積の新たな段階を特徴付けるものでありそこでは過剰労働人口の多様な階層は作り出されるのだ失業者や潜在的な失業者である貧者は、秩序勢力の側から見れば、そのまま放置しておけば、危険な階級を構成することになる。
 
>それらの形態は、資本主義以前のイングランドで無産者階級や浮浪者階級に向けられた<血の立法>に対してマルクスが評したのと同じ役割を果たしている
<血の立法>は、かつて田舎で暮らしてきた人々都市の中心部での定住型の労働につくことを矯正し、さらに規律と訓練の創出を通じて、未来のプロレタリアたちが賃金労働を、まるでかららが唯一の望みでであり運命であるかのように受け入れるようにした
 
>こうして、セキュリティー体制への参加も、わたしたちの願望や希望だけでなく、=わたしたちの恐れに対する、一種のトレーニングや調教として機能することになったのである。
監獄は、過剰人口を収容する施設として機能する面も有しているが、同時にまた<監獄の外にいる<自由な>住民を脅かし、恐れを吹き込むための見せしめ(レッスン)として機能する面もう有しているのだ。
 
       恐怖という動機
モット恐ろしいのは仕事を失う恐怖であり、失業すれば、生き延びることができなくなるという恐怖である。
立派な労働者にならなければいけない。雇用者に忠実で、ストライキを起すことのない労働者にならなければいけない。さもなくばあなたは仕事を失い借金を返済できなくなるだろう、というわけである。
 
>こうしてセキュリティーに縛り付けられたものが、監視体制の中で監視するもの~監視されるものという二重の役割を受け入れることになる。
>支配権力とその警察に対する恐れは一つの要因ではなるが、より重要かつ効果的なのは、危険な他者や道の脅威に対する恐れ、つまり一般化された社会的恐怖である。
>ある意味では、収監者の方が、収監されていないものよりも抱えている恐怖は少ない。それどころか、例え刑務所というマシーン、看守、その他の収監者から受ける恐怖に直面しようとも、収監者の覚える恐怖は限られたもので、理解可能なものである。
セキュリティー体制の中で収監されていないものの覚える恐怖は、空虚~不明言語~であり、そこではあらゆる種類の恐ろしい幻覚や妄想が出現しうる
 
       代表されたもの
 代表制が実際には民主主義を媒介にする手段ではなく、民主主義を実現する妨げになっているということ、また代表されたものという形象が、そのようにして1、借金を背負わされたもの、2、メディアに繋ぎとめられたもの、3、セキュリティーに縛り付けられたものという他の3つの形象を集約したものかということ、そしてまた同時に代表されたものが、どのような形で従属と腐敗をもたらす最終的な結果を典型的に示しているのか、ということ。
 
                  次回に続く