反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

私設近現代史略年表の作成と、関心ある事案への解説。国際的地位と国内経済力の大きすぎるギャップに今も無自覚なワシントン軍縮会議のグーグル解説の実例。TPP交渉と日米安保体制を同じテーブルにのせる大嘘。

  参考年表資料 1、井上寿一「政友会と民政党中公新書 2、http://www.geocities.co.jp/since7903/index.html
          <追記>~末尾追加~
アラブ紙「死刑囚の釈放を決断」 日本人人質事件
TBS系(JNN) 1月28日(水)18時14分配信
について。

1900年  内閣 山縣 義和団事件により出兵 
世界史講義録 第110回  義和団事件から日露戦争へ http://www.geocities.jp/timeway/kougi-110.html
政友会結成(総裁伊藤博文) 伊藤内閣成立
 
1901年  内閣 桂太郎 山縣の庇護
 
1903年 西園寺公望 きんもち(元老、キーパーソン)、政友会総裁に就任。「最後の元老」として大正天皇昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。」 伊藤博文の腹心
 
 
1905年  日露講和条約 日比谷焼き打ち暴動→「日比谷焼き打ち事件」が日本を誤らせた? 黒岩比佐子日露戦争 勝利のあとの誤算」 http://pinhukuro.exblog.jp/14083158/
 司馬遼太郎 引用 
「この群衆の熱気が多量にーたとえば参謀本部にー蓄電されて、以後の国家的妄動のエネルギーになったように思えてならない。
むろん、戦争の実相を明かさなかった政府の秘密主義にも原因はある。また煽るのみで、真実を知ろうとしなかった新聞にも責任はあった。当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば、以後の日本の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい。」
 
1906年  内閣 西園寺 南満州鉄道設立
 
1909年  内閣  桂太郎  伊藤博文 ハルピンで暗殺
 
1910年  同上  大逆事件の検挙始まる  日韓併合=植民地
招待席・主権在民史料隅谷三喜男 事件と時代状況の詳細な論文 
W。読む価値なし!
 
1912年  内閣 桂 大正改変
 
1914年  内閣 山本  原敬政友会総裁就任 第一次世界大戦はじまる~18年 主戦場は欧州 日本軍は漁夫の利 後々「悪影響」が出る。
 
1915年  内閣 大隈重信 対華21カ条要求→公文書に見る日本の歩みhttp://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/t04_1915_01.html
 
1916年  内閣 寺内 大戦景気はじまる
 
1917年 ロシア革命 金輸出禁止(金本位制停止)
 
米価の暴騰 社会不安 シベリア出兵 炭坑への飛び火 騒動の発生地域・参加人員と軍隊出動、検挙者の処遇 
 
 
1920年 国際連盟発足 戦後恐慌始まる。
 
1921年 原敬暗殺  ワシントン会議~22年で4カ国条約に調印http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E3%82%AB%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E7%B4%84
 
「結果的に1921年に「四カ国条約」が締結され、満期の来た日英同盟は更新されなかった。これは二国間同盟に基礎を置く排他的敵対的な安全保障体制から多国間安全保障体制への発展であるとして「発展的解消」とも言われる。 日本は同盟国がない状態になったが、日英同盟において対米戦は参戦条項の適用外であり、対米関係において参戦を義務付けられた同盟国は元々存在しない状態ではあった」。
 
   
 
           <条約の内容>
建造中の艦船を全て廃艦とした上で
米及び英・日・仏及び伊の保有艦の総排水量比率を米英5:日本3:仏伊1.75と定めた。
          <保有比率> 
W。解説をよく読むと、最初の書き出しと最後の英国海軍大佐の言葉を引用した結論が真逆であり、論旨が一貫していないことが分かる。
W。当時の日本の国際的地位(完全な経済力の伴わない軍事的背伸び)と国内経済力列国最低の工業生産値2,3ポイント。第一次世界大戦以降、戦争形態は総力戦の時代に突入しているが、傍観して漁夫の利を得た日本にその実体験はなかった。日本軍隊の戦略、戦術、装備はあくまでも中国大陸の限定戦争向きであった>の大きすぎるギャップ、という戦前日本の最大の矛盾にいまだに注目しないで、枝葉末節にこだわっている。
 
W。この大きなギャップはどう埋め合わされたのか。答えは極めて単純、重税と日清、日露、第一次世界大戦の従来レールに乗った、戦争による超過利潤獲得と国内経済浮揚。
政党政治はこの大枠の中で蠢いていただけだった。軍隊は、人減らし合理化、装備の近代化を実行したが、基本的に軍事費の削減ではなかった。国家財政に占める軍事費の減少は、一般予算が膨張した結果である。

>(1)条約締結時点での戦艦保有は、英30隻、米20隻、日11隻、建造中のもの英4隻、米15隻、日4隻であり、日本は英国の6割にも満たなかった
W。対英経済力は過大に見積もっても2割5分。覇権国家英国の潜在的経済力の違いを含めると。問題にならない。したがって、そのような表現は、当時の日本国内の感情をストレートに表現したものであっも、温故知新の立場にかけている。
艦艇の保有比率に関しては、英:米:日:仏:伊がそれぞれ、5:5:3:1.75:1.75の割り当てとなったが、日本は対米7割を主張。日本は自国防衛のためこれを主張したが(W、その自国防衛の自国とはどこからどこまでなのか?、米英とも受け入れなかった。~
 
(2)米英の同比率は大戦後のイギリスの地位の転落と、アメリカの向上を反映している。ラッセル・グレンフェル英国海軍大佐は、最も利益を得た国を日本、最も犠牲を払った国をイギリスと評し、本軍縮条約を『大英帝国凋落の象徴』と位置づけている。」
 
W。冷戦構造の最大の受益者は日本であった(西ドイツとの対比をしてみれば実感する)。敗戦後の対処の違いは積もり積もって今現在に至る。もっとも、ドイツは二回も世界戦争に敗戦している。
日本にはごいつにとってのフランスのようなお互いを補い合うパートナーが地域にいなかった。
もちろん環境も大きく異なっている。
しかし、安保体制のぬるま湯につかりっぱなしだったのも事実。
戦前の経済力との比較で、ここまで大きく発展してきたのは、東アジアと東南アジアの冷戦体制と戦争のおかげも大いにあるだろう。GHQによる戦後改革によって、戦前の経済発展の足かせになっていた半封建的事物が取り払われたことも、寄与した。アジア諸国の多くは冷戦の最前線であり、朝鮮半島では太平洋戦争の5~6倍の爆薬が使用された。
戦後の支配層はGHQと日米安保体制の大枠によって培養された。
しかし、今後の日本の進路の途上で、今度は多くの国民が<敗戦>するのである。
戦後の蓄財?は、排外主義に夢中になっている間に、気がつけば日米支配層の下に、移転していた。
そのためにアベ等は一所懸命奮闘中なのである。
 

1923年 内閣 山本  関東大震災
 
大原社会問題研究所 法政大学
■論 文
日本共産党「22年綱領草案」 問題再考 黒川 伊織
 
          4 「1924年2月の日本共産党綱領草案」  
 
「日本資本主義が世界資本主義の重要な一要素であること,
および日本が地理的に東洋のより弱小な国家の中心に位置していることがその理由である。←W。日本の地政学的位置の確認。当時の東アジア情勢を抑える意味で重要だ。今とまるっきり異なっている。
関東大震災を契機とする日本資本主義の後退と、英米資本主義の介入。
とくに1923年9月の大地震は,日本資本主義への深刻な打撃であった。
英米資本家は,すでに日本を彼らの植民地にしようとしはじめており,現在日本を資本の輸出先として好ましい市場とみなしている。←W。ここも今に通じる部分がある。
*その一方で,日本ブルジョアジーは資本を集中し,国家資本主義を採用し(W、ここは今と違うが国家経済依存する潜在的要求はあり、自民党の大きな支持基盤である。),あるいは労働者をより苛烈に搾取することによって,以前の地位を回復することを目論んでいる。
  
    
 
W.関東大震災関連~上記の政治嗅覚は、今からみても先見性がある。
米国バブル崩壊世界同時不況ー欧州金融危機民主党政権交代、東日本大震災福島原発事故は日本政治史経済史の大きな曲がり角と位置付ける
 

 なお、白井聡の永続敗戦論~戦後史の核心~の基調は従来からあった日米安保体制論の枠組みの中におさまるものだが、日本の対米従属関係を強調している部分は、上記の激増情勢をメルクマールとする、日本の急激な後退に幻惑された面が強く、従属を強めながら、同時に覇権を求めている両面が、十分捉えられていない。←従属覇権。動画の解説を聞いた限りだが。
そんなにいくつもの賞を受賞するほどのものか、実物を検討してみる必要はある。
 
 たとえば、中国や朝鮮半島からみると、日米安保体制下の日本の軍事力、経済力、政治路線は十分脅威であり、覇権を求めていると受け止められても仕方がない。
例。尖閣は中国の軍事正面である。約300km。日本本土。沖縄本島。南西諸島の距離関係の中に問題が内在している。
鹿児島の日本本土から沖縄までの距離は意外に遠い。700キロ程度か。沖縄本島から、石垣島までは約200キロ。石垣島から尖閣までは250キロ 東京から小笠諸島まではほぼ真南に1000キロ。
ということは中国本土から尖閣の距離は、東京から新幹線で浜松辺りになる。
台湾もすぐ近くにある。だから軍事正面なのである。ここのところを実感しなければ、この問題の所在を中国側から見たことにならない。もちろん、中国近代史の問題も深くかかわっている。これは韓国の反日感情とほぼ位相は同じである。
 
限定された材料、それ自身の中に問題をひそんでいる。日本の施政権下の尖閣当地に安保条約が適応されるかどうかなどという議論の枠組みは、尖閣当地という限定された素材、それ自身の中に潜んでいる課題を直視して、この問題に対処するという原点を踏まえていない視点である。
 
 だから、日米安保の抑止力云々、あるいは事が起きたら、アメリカ軍が参戦してくれるかどうかなどという、本質的に流動的で、場違いの問題を持ち出し、限定材料それ自身の中に潜んでいる問題を蔑にする議論に飛躍する。
このような課題の設定こそが典型的な従属しつつ覇権を求める姿勢である。
 
果てはいつの間にやら、TPP交渉(これもいつの間にやらTPPの一側面でしかない農業5品目~ここにも細目を設けて偽りのわなを仕掛けているが~に限定されている。)と尖閣も課題をリンクさせて、同じテーブルの取引材料にしている。
 
 この二つは本質的に別個の課題である。一方は本質的に恣意性、流動性を持つ政治軍事課題である。実際に安保条約の当該条文はあいまいである。安保条約にアメリカ軍の動向を細目規定でしばりつける条項はない。

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
「TREATY OF MUTUAL COOPERATION AND SECURITY BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA」
昭和三十五年六月二十三日、条約第六号
1960(昭35)・1・19 ワシントンで署名、
http://www5b.biglobe.ne.jp/~USPinfom/anpo1.htm
 
      <前文>
両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。
第五条:
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。W.ここがいつも問題にされている。数種類の解釈が可能。
第六条:
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される
 
W.集団自衛権とは、日米安保軍事態勢の世界的国内的拡張であるから、<上記マーカー部分は文字どおりに解釈>される。例。沖縄普天間基地移設、辺野古海上基地移転問題。日米安保体制の究極の実体は在日米軍基地である。
 
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
W.1952年から、現在どのように変化しているのか、わからない。
 
第十条:
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する
W,日米安全保障条約は日米にわたる両支配者の支配体制になっているのだから、安保条約破棄を通告する政府が出現する可能性は、日本側においては、少なくとも持続的大衆蜂起の組織的定着をバックにした政府の通告によるしかない。←ピープルズ革命。例フィリピン

しかも米国の意思決定は主体的に行われる性質のものである。TPPの交渉は実物リアルな制度の問題である
>この次元の違う二つの領域を、同じテーブルの交渉材料にしているとは、TPP交渉の実態を日米安保体制によって覆い隠す、日米両政府の利害の一致した大きなごまかしが隠されている。
本質的にあいまいで、即効性に薄い日本の安全保障問題を持ち出すことで、経済と制度の具体的な実利問題による実害を受ける国民の憤慨を押しとどめる狙いがある。
 
冷戦構造崩壊以降、20年以上経過して、東アジア情勢もまるっきり変わっている。
中国と韓国は冷戦時代から大きく様変わりした。両国は大きな市場と経済力があり、日本と世界の経済にリンクされている。
にもかかわらず、日本政府は新冷戦構造とでもいうべき世界的軍事態勢ががっちり固まることを、最大の軍事目的にしているとしか言いようのない政治姿勢を取り続けているように見える。
アベの中東訪問、二億ドル援助もこの政治路線。
 
どうしたことか?
全部が目くらましである。
5年後10年後、して振り返ると、確かにそうだったのかと、わかるはずである。その間に中国共産党が中国人民の中に、メルトダウンしようが、北朝鮮がどうなろうが、新冷戦構造構築の画策は<全部が目くらまし>と言い切ることができる。そこまで想定して、情勢の推移を見きっているつもりだ。
中国の現体制が崩壊しても、そのことによって、日本は何の利得も得ることはないであろう。むしろ反日感情が高まるだけで、いろいろ窮屈な思いをするだろう。
 
経済と金融のグローバル化=無政府化の中で、国民経済の後退による財源不足もあり、政府の社会保障や経済の分野の政策的選択肢は狭められている。そこで国内治安対策や軍事国防分野政権の力を発揮できる数少ない分野になっている。
この分野の政治軍事問題をいつも低強度状態にしておき、政府の仕事を国民にアッピールして人心収攬し、実際の狙いは、日米のグローバル資本階層に最大の利潤を確保したい、という共通の利害に基づいて行動している
両政府は、Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan テリトリー問題など国民が、動物的に敏感に反応する分野を低強度戦争状態にしておき、真の目的である日米両支配層による両国民への強収奪の道筋が見えないように覆い隠す
低強度戦争状態の中の『平和』を維持することが、ボーダレスな巨額資金の投資を富の『源泉』とするグローバル支配層にとって最大の利益に直結する。
アメリカの現状はコレである。
アベが戦争のできる日本にしようとしているとするならば、そいういう目的のためである。日本をアメリカ社会構造にすることなのだが、収奪と富の海外流失によって日本国民経済が次第に痩せてくると、その政治過程は日本においては政治の暴走を必然化する訳だから、日本は事実上、イスラエル的国になろう。
 
>>結局は戦前の最大の矛盾、国際的地位と国内経済力のギャップ(軍部の暴走や民間政治基盤の乏しい政党政治のだらしなさの根源)、日中戦争拡大から、太平洋戦争突入をもたらしたが、日本戦後史では、冷戦体制下に急伸長した日本資本の経済力と日米安保体制のギャップに転化し、日本国民が形成してきた富の収奪に行き着くしかない。
 
他方、中国支配層にとっても、このような日米両政府の基本動向は、もともと、支配機構と人民の遊離の二元的本質のある中国史の延長線上で、急速な資本主義化を進めきた結果、積もり積もった矛盾を排外的に処理する格好の材料である。
たがいに対峙するとされる双方の利害はすり合わせの状態にある。もちろんその際のズレは絶えず生じる。
>ただし、近代国家形成の遅れた中国の愛国排外主義は日本と違って、支配体制を動揺させる要素を強く含むものである。
 

         <追記>
 予想は、ドン、ピシャだった。 
よくわからいことは、トピックであっても書かないことにしている。それまで調べてきた蓄積がないから、改めて調べる時間がない。この日記は時事報道を追うものではない、個人的な勉強の場を自己規律から公開するのが趣旨だ。もちろん脱線はいつものことだが。
 
アラブのことは理解しかねる、イスラム教を知りたいと本に目を通したが、失礼極まりないが、他の世界宗教に比べて、一番新しいだけに、人造的なにおいが一番した。エマニュエル、トッドが「帝国以後」で展開しているイスラム感のままだ。
他の世界宗教のようにさまざまな解釈の仕方はできないほど宗教哲学の部分は少なく、合理的な戒律主義に純化されていると感じた。それ故に大衆化しやすいし、政治のアイテムになり易い。
 
 
前回の記事の追記で実は、レーニンに絡めて、イスラムの今回のような事件の根拠を書いてみたが、やはり何も知らないからうまく行かなかった。
そこでのテーマは極限状態におかれた精神依存の戦いには<力>の思想が、不可欠になってしまうという、厳しい現実である。
手段も選ばなくなるが、ギリギリのところでの政治を駆使する余地は、指導者の如何によって、ギリギリの条件よりも逆に広がる可能性もある。この辺が妙な所だ。
 
それと何となく、察知している中東情勢。アベ政権の現状と方向(米戦略)を感覚的にブレンドして、後藤さんは解放されると、予想していた。
 
イスラム国とやらの、直接的当事者の思惑、実情を超えたアラブ中東情勢における客観的立ち位置という大事な側面を見逃せない。
この組織は、北朝鮮が、アメリカの東アジア分断支配のアイテムになりがちな側面と、同じ位相を持っている、と直感した。
低強度戦争状態を維持する対シリア(かつてはレバノン国内の政治情勢の大きな規定要因として中東では大きな存在だったがイスラム国の存在によって弱体化できた)、対イラク現政権(イスラム国の存在によって対米依存を維持するしかない)、もちろんイスラエル(米国のけん制によってイスラム国はアラブを分断する要因になる)のアイテムとしては、利用できる存在である。
 
 今やイスラム国はテロとの戦いの手頃な(テント村小劇場程度の世界発信はできる)象徴のような存在になっている。
 イスラム国に目の前の敵との戦術的な戦い以外に戦略性はなく、アメリカーイスラエルに直接的な脅威感は薄い。
イスラム国はアメリカ中東戦略にとって、戦術的な過激性に比べて戦略的な脅威性はアメリカーイスラエルにとって、この地域の低強度戦争戦略内におさまる存在である。
よって、イスラム国は、アメリカやEUの中東分断支配に泳がされいるような存在である。
 
今、サウジアラビア原油大増産は、ウクライナ問題をふところに抱えるロシアの石油輸出に打撃を与えている。この面からもシリア内のイスラム国の存在は温存しなければならない。
 最後に交換要員のいるヨルダンは以前から「親米」国家である。
 
 順を追って書き出せば上記のようになるが、感覚として、前からアベの中東訪問の納得しきれぬ不可解さから、釈放劇のシナリオを想定していたが、ヨルダンと耳にしたとたん、釈放される、と確信に変わった。
 
 
結局、大昔のハイジャックの頻発していた時代状況とそれの鎮静化の条件に思いを巡らせると、こういった事件は、グローバル資本制による世界経済のはこうがなくならない限り、沈静化しない、というよりもグローバル支配層の世界政治の推進翼としてなくてはならない、存在なのである。
 
 
 
 日本の原油輸入先は中東に一極依存してしてきた。アメリカは中東地域を低強度戦争状態に置いたまま、
支配をすることで、日本のエネルギー源を抑えることができる。
>集団自衛権行使を含めると一個三重ぐらいの効果がある
 
アメリカのイラク撤退後、大前研一の本によれば原油とインフラは、アメリカ資本が抑えているようである。
 
 
>政治思想による世界戦略的発想が衰退すれば、後に残るのは、一国的利害の複雑な絡み合いである。
>そのようなときに善と悪、二つの大きく異なった世界戦略同士の争闘の構図は成立しない。
>複雑といえば、複雑なな絵図になるが、利害関係に収れんして割り切って考えると、簡単な図式が見えていく。