反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

白井聡「永続敗戦論」~「戦後デモクラシーをごっこ」に対置する極限状態における真面目、一所懸命、命がけは個々人の戦いの根拠、価値判断の基準になるのか~混乱を極める中東は、その類に満ち溢れている。

  白井聡「永続敗戦論~戦後日本の核心~」を読みこんだ。
意見の隔たりはある。
 
 戦後民主主義に対する評価の違い。コレが決定的な相違である。
戦後民主主義とは、日本国憲法状況と言い換えてもよい。このように云いかえるのは、ドイツ革命を敗北させた主要勢力の妥協の産物であるワイマール憲法状況)帝国時代からの旧勢力~軍、ユンカー、金融資本、キリスト教会、社会民主主義勢力~)という内外の政治経済軍事的枠組みを念頭に置いてのものである。
 
 
>この想定は、日本国憲法状況という政治経済軍事体制を分かり易くするための一つのモデルケースとして、ワイマール憲法状況を<対照>として取り扱っているのあって、1920年代後半から1930年代の時代状況を今とこれからの日本に二重写しするつもりは毛頭ない。
ここのところをしっかり見極めないと、永遠の狼がやってくる少年になってしまって、目の前の時代状況へのリアルな感覚を放棄することにつながり、一部の人に対する危機感をあおることに終始することになる。
 
日本国憲法状況とワイマール憲法状況を、モデルケースとして、大きな時代状況から引きはがして、比較する、と戦後民主主義日本国憲法状況の変転を、核心において、つかみやすいのである。
 
典型例その1。
ヒットラーナチス党はワイマール憲法にはらまれていた、~伝統の地方分権=権力の分散、決定の遅れと社会主義条項~煎じつめると労働組合の経営参加の可能性。議会多数派を通じた社会主義への道という理解もあったが、小党分立でお題目~への対抗措置としての大統領の非常事態権限を拡大解釈して、国民投票など政治宣伝を駆使して、ナチス党の独裁に至ったが、その政治過程において、新しい第三帝国憲法なるものは、作らず、憲法はワイマール憲法のままだった。つまり、熱狂の渦の中で、大がかりな解釈改憲の中からナチス党の独裁政治が出現したのである。ドイツ国社会主義労働党ナチスは広範な政治層をその体制にのみこむために、ワイマール憲法の飾りは捨ている必要がなった。
 
アベ集団自衛権閣議決定→安保法制の改定は1960年日米安全保障条約改定のまえがき部分で明記されている。
    

例その2。
(W。1960年改定首相岸信介日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約  外務省HP
 
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
両国が国際連合憲章に定めるW→個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よつて、次のとおり協定する。
 
第十条:
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、(W。1970年。60年改定安保自動延長)いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する
W。以下の各条項の今回取り上げる集団自衛権問題と日本国憲法状況をクローズアップするために省略する。

(W。日米安全保障条約(旧)(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
[場所] サンフランシスコ
[年月日] 1951年9月8日作成,1952年4月28日発効
 
日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない
 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国がW→個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 これらの権利の行使として、W→日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する
 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する
 よつて、両国は、次のとおり協定した。
 
第一条
 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

W。「戦後日本史の正体」など一部で改めて確認されている岸信介首相の評価は51年安保第一条の撤廃
=内乱事態への米軍介入と、第十条、両政府の片方の通告による1年後の条約破棄によるものである。
 
W。上記の日米両安保条約におけるマーカー部分に立ち入って比較しないと、集団自衛権問題と日本国憲法状況の関係をクローズアップし、白井との戦後民主主義をめぐる相違を明らかにできない。
 
あまりにも時間不足。細かい検討は次回する。究極のところ、安保体制の世界化状況=安保で最初からうたわれている集団自衛権の行使=解釈官憲に対して、さらに憲法改定まで進むかもしれない状況に対して、何を根拠に皆で戦うか、ということに尽きる。
白井は大江健三郎など知識人が壇上に立った十万人集会を無前提に評価しているようだが、相手だけではなしにことら側にも大きな問題があることに気付いていない。
震災と事故発生当初に大集会とデモは企画されるべきだった。コレが一番肝心なところだ。それができなかったのはなぜなのか?ここに政治思想的な問題ははらまれていないのか?
 
白井が「永続敗戦論」で<実践的必要に駆られて>描き上げたテーマについて、結論を先に挙げる。
 
白井の論法の欠陥は次のところに象徴されている。丁寧に引用する。
 
鳩山首相が基地の県外移設という沖縄の意思を尊重しようとしたものの、その不可能性にぶち当たって挫折した、という事態に他ならない。~~
国民の要望と米国の要望とのどちらかをとり、どちらかを捨てなければならないという二者択一を迫られた場合後者を取らざる得ない、という客観的な構造に他ならない。~~
~この政権交代は実質的な政権交代でない限りおいて許容されうるものである。~
>コレは驚くべきことだろうか?断じてそうではない。
かかる政治のあり方は、戦後の東アジアにおける親米諸国の政治史と比較するならば、何ら異様なものでない。~
ーがそれらは、それらの地域が冷戦構造における真の最前線にあったがゆえに、政治権力、体制にデモクラシーの外皮をまとわせる余裕など、いささかも存在しなかったからだ
*すなわち、戦後日本においてデモクラシーの外皮を身にまとう政体がとにもかくにも成立可能であった。
*(とくに55年体制~W?このような用語の使用法は間違い、日本的コーポラリズムが機能していた~においては親共産主義勢力~W?~どこが?が国会における不動の第二勢力を占めた~W。ではイタリアはどうなの?~)のは、日本が真の冷戦の最前線でなかったため、
>>少々「デモクラシーごっこを享受させるに足るだけの地政学的余裕が生じたからに他ならない。
この構図に当てはまらない、云いかえれば、戦略的重要性から冷戦の真の最前線として位置づけられたのが沖縄であり、ゆえにかの地では暴力的支配が返還以前はもちろん返還後も日常的に横行してきた。
日本の本土からみると沖縄のあり方は特殊で例外的なものに映ずるが、東アジアの親米諸国一般という観点からすれば、日本の本土こそ特殊であり、沖縄のケースこそ一般性を体現するものに他ならない」。
 
こういう図式が実感がわかないのであれば
>>仮に朝鮮戦争において北側が完全勝利を収めていたとすればW?内田樹流あり得ない歴史のIF 
日本本土が享受してきた地政学的余裕は一切消滅し、本土が冷戦の本当の最前線に位置づけられることとなる。~
軍国主義を復活させることや議会制民主主義を破壊することは大規模な抵抗を生じさせたに違いない。~
日本の生態にデモクラシーの外皮を纏わせることと、~そのどちらが米国の政策にとって、上位を占めたのだろうか。
 
ブルースカミングスは「朝鮮半島がすべて共産化したと仮定すれば、日本の戦後民主主義が生き続けられたかどうかも疑わしい」と述べているが、これこそが我々が見ないで済ませようとしてきた~W?あり得ない歴史のIF仮定をしておいて、見ないで済ませてきたはナイ。無理強いをしてはいけない~(そして沖縄だけに直視させてきた)事柄に他ならない。
 
>我々が見ようとしようがしまいが、一般的な権力構造は現実に存在する。~W。歴史の対するIFでは説得力を持たないので今度は、国家権力論安保体制論に横滑り~
故に日本の政治がデモクラシーごっこの領分を越えるかのごとき動きを見せたとき権力の婦人がいかなるものであるのかが、改めて承知されたのである。」
 
W。白井の云わんとする真意はわかる。私も現実にこの種の論法をよく使ってきた。しかしそれでも、他方で、現実に既に実行された歴史に対する、清算をすること直結することも知っている。いや体験し、体感していると言っていい。思い切って総括的にいえば、戦後民主主義を超えるわれらの戦いは、それを政治目標にしたわけではなかったが結果的に、全部瓦解してきた。これが現実であった。
どうしてなんだろうか?政治理論と戦い方が間違っていたからだ。戦後民主主義日本国憲法状況をないがしろにしすぐてきたからだ。
 
すでに歴史上にあった事実を消しゴムで消して、書き直すことで、派手にこれをやるのは間違いである。
白井の歴史上あり得ないIFを前提に議論しているところは間違っている、それを基にした「デモクラシーごっこ」などと日本国民の歩んできた歴史を切り取る事は今後必要性が増していくグローバル金融経済に対する日本国民の戦いの利益にもならない。
 
また、時代の限界、白井の強調する地政学的限界、限定というのは、東アジアの東端の島国であるという日本歴史に一貫して通じるテーマでもある。
日本人であるということはなかなか日本を超えられないし、超える必要もないと考える。現実問題として、特に。
くわえて、その時代に生きる人はその時代の限界を超えられない、残念ながら。コレが簡単にできたら、歴史学はただの事実の順列記でいい。歴史の対する解釈は必要だし、歴史的事実の選択もいる。
 
ただし、戦前の日本の政治経済軍事体制のごとき大きな構造的欠陥を抱えたものは、地政学的時代的限界を
それ自身が分不相応にも越えていく存在だったので、普遍的に越えなければならない体制だった。
それを米軍事力の日本軍壊滅の中で達成されるしかなかった、という事実は、肯定的に受け止める。1930年代から、崩壊の方向に向かって直進していたともいえる。
そのような経過の政治状況で生み出された戦後民主主義日本国憲法状況は、デモクラシーごっこ、と片付けてしまう、白井のわかった風な議論の途中において結果において、具体的にどんな実践が可能なのだろうか?コレは政治思想の課題でもあるが、実行力の問題である。
 
後者はさておき、前者の課題を考えてみると、白井の議論の行き着くところは、東アジアの歴史観の獲得して、その立場から日本の政治経済軍事に対面することである。この方向に賛成する。
しかし、その一環としての戦後史の総括の日本国民にかかわる部分が「デモクラシーごっこ」ではどうしようもないだろう。
 
>「ごっこ」というからには。「真面目」「本気」「真剣」果ては「命がけ」の状況が反措定される。事実白井は、本の最後にその種の言説しか対置できていない。
 引用  第3章 戦後の国体としての永続敗戦 何が勝利してきたのか?
W。近衛文麿上奏文を分析して~
「河原宏は戦争終結の英断の本質を『革命よりも敗戦がまし』という選択としてとらえている。
本土決戦の準備段階で、大本営は軍っを二つに分けることを決めていたという。本土内で連絡が途絶され、東市的な式が不可能になると予測されたからである。
もはやいかなる中央からの命令もなく、各部隊の独自の判断で戦闘行動を決定するという状況が予想された。
『それは組織的な<国体>の否定、つまり革命に通じてしまう。天皇制支配者層が本土決戦に器具にsたのもこの点にあった」。
 
仮に本土決戦が決行されていたならば、さらなる原子爆弾の投下が行われ、と方のない人命が更にうすなわれ、それでもなお戦闘をやめ命令を発する主体もなくなる以上、非組織的なゲリラ闘争は際限なく続き、北から侵入してきたソ連は~。
>その場合、今この原稿を書いている私も、読者の、その疎もこの世にyまれでることがなかったかもしれない
~河原宏
『日本人が国民的に体験しそこなったのは、各人は自らの命をかけても守るべきものを見出し、そのために戦うと自主的に決めること、同様に個人が自己の命をかけても戦わないと自主的に決意することの意味を体験することだった。
>近衛らが、革命よりも敗戦がましし、という形で、何としても避けようとした<革命>とは究極のところ各人が自主的に決意と判断によって、行動するに至る状況だったのではないか」
 
>この時、河原の言う『自らの命をかけて守るべきもの』とは、押しきせの<国体>の観念ではありえない。~坂口安吾堕落論の中で天皇の戦争中止命令がなければ、日本人の多くは<国体>の観念のためにバッタバtッタと泥人形のように本土決戦によって倒れていただろう、としている。それまでの南方方面での戦いや各種の特攻隊あるいは民間人の現状から、その想定は間違っていなかった。これも命を懸けた戦いであった。~
 
>それは各人における極限状態の中で自らの核心としてつかみとられるものだ。
W。堀田善衛は「方丈記私記」のなかで、東京大空襲で膨大な死傷者を出した直後の下町に昭和天皇が視察に訪れるた時の、住民とのシーンにたまたま遭遇した体験を描いている。
富岡八幡宮付近の住民は身内に多数の焼死者を出し、家財産をすべて失ったにもかかわらず、天皇の前に跪き口々に申し訳ありません、わたしたちのい不注意でこんな不始末をしでかしましたと、謝る光景を見て、堀田はがく然とする。
戦争によってみんな真っ平らになったところから再出発するのだ、と漠然とした想念が、見事に打ち砕かれた瞬間で、何としても生きぬかなけれなならないと決意したと書き記している。
 
W。命がけの極限状態を設定があれば、政治イデオロギー的に目の前が開けてくるというのは、堀田善衛のような、極限状態の中で、方丈記レーニン座右の銘にするようにして、死ぬことばかりを考えていたものに限られていくるのではないだろうか?そういう課題を常日頃深めて設定していないものにとって、極限体験は、自己保存の動物本能に従うことにすぎない。あるいは、流布されているイデオロギーに準じて、葛藤しながら死を選択する。
何よりも真面目一生懸命命がけを価値判断の機銃とするがごとく優先し、多くの人に問いかけるのは間違っている。それは思想の域に達していない。
それは極論すると、今の中東の混乱の中で現地で戦っている人たちが、この日本にいる人たちよりも何事かを見出しているという思考パターンに通じるものではないか。
これから先に実態の乏しくなる一方のイスラム国に世界から参戦する者たちは、果たして、真面目に一生懸命命がけで生きるために、わざわざ当地まで出かけて行っているのだろうか?
その程度の考えだと、参戦しないだろう。
 
 >本書の帯にある内田樹の推薦文。
「今の政治をめぐる言説、特に日米、日中、日韓、日ロ関係をめぐる外交にかかわる本質的な欺瞞性を若い世代もちゃんと感じとってくれれていると知って、ホッとしました」。
W。そうは思わないなぁ~。堅いことを云うようだが、しかるべき云良いも悪いも含めて、リアルな戦いの継承ができていない、表だって、伝える人物が内田樹や笠井何とか、のような歴史清算主義者ばかりだから、伝えるべきものが伝わっていない。
 
   <追記>
極限体験から得られた、想いはロクなものでない、と割り切った方がいい。どちらかといえば、動物次元の反応に終始する場合が多い。人間は偉大な存在ではない。
 
中東情勢を想うとき、<鉄と火の暴風雨>が吹き荒れている最中、その後の片側だけの利益に基づくあまりに人道に反する不公平!不条理が眼前にある時に、極小限定の覚めた個々がどう実感し、どう決断し、どう行動するかは、日本列島原住民のじぶんにははかりしれない。
当地の多くの人には決断の機会が何度となく訪れるただろうが、これも稀有なときである
過去の歴史において、こんな状況では思い切って幽体離脱した人々の中に実用的知性が見出せた。
であればという問題も生じるが、
こうした無理強いを強いる<戦争の親玉>のごとき国際政治が過去現在において、当地で繰り広げられてきた。
現状将来、グローバル資本制の増殖性システムの問題に究極は絞り上げられると考える。
冷戦時代に先行していたレバノン政治分立情勢の現状とその「終息形態」が、紛争当地に訪れていないのは、<あぶら>ぎったグローバル資本制の増殖性システムを自身が、排除できない故である。
 
 
     参考資料
イメージ 1W。思想信仰は自由だが、この風景はとてもじゃないが、石油を大増産している国のものとは思えない。何かが、クルッテいる。この人たちは、本国人ではないと思う。移民出稼ぎ。
【女性による車の運転や近親者による付き添いなしでの外出は禁止
 
変革を求める動き】
今回、サウジアラビア、特に女性の権利を話題にしたのは、次の記事を見たからです。
****「好きな相手と結婚できない」サウジ女性たちの闘い*****
イスラムの教えと部族の伝統との相克
今年7月、メディナの裁判所は、同僚の外科医との結婚を「違う部族の出身者」との理由で父親が認めなかったことを不服とした女性医師(42)の訴えを却下した。裁判所は父親の言い分を正当と見なし、「違う部族の者と結婚して父親に逆らおうとしている」と女性を非難した。
「不幸なことにサウジアラビア社会には奇妙なパラドックスが存在します。わずか10歳の少女を結婚させることが可能な一方で、大人の女性たちが筋の通らない理由で結婚を妨害されているのです」
 
****サウジアラビア:スーパーのレジ係に女性 国内で大議論****
【宗教的見解と民衆の生活の乖離】
こうした状況については“近年では宗教指導者たちが示す宗教的見解と民衆の生活の乖離が進み、国民が宗教的な指導に従わなくなってきており、宗教指導者がハラーム(禁忌)であるとファトワー(宗教見解)を出した物の多くを民衆が利用していることが珍しくなくなった。代表的な物としてポケモン、バレンタインデー、クリスマスなどがある。
 
【テロ温床への政府の危機感】
。 現在ではモスクで行われるウラマーの説法でもファトワーでも他国への侵略やテロを正当化するような発言をすれば公職追放などの厳しい処罰を受けるようになり、ワッハーブ派の唱えるジハードを主張すればサウジアラビア政府から弾圧されるという状況に追い込まれている。 また、西洋的人権擁護や女性の権利擁護など本来のワッハーブ派の主張と相容れない法制度が次々と施行され、反対すれば弾圧されるという状況になっている。” 【ウィキペディア】と
>W。中近東考古学者によれば
古代アッシリアでは従順こそが最高の美徳。従順なる生活とは最良の生活であった。
古代アッシリアの中心はニネヴァ→現在のイラククルド人自治区の「首都」アルニバである。古代アッシリア帝国はあまりの圧政によって滅びた、とされる。
 
イラク侵略戦争と米軍駐留とそれへの激しい抵抗の結果、米軍の一時的撤退後、イラクは分断され、北部のクルド人自治区の石油利権は欧米の手に落ちた。しかしながら、イラクにおける、あまりの米軍の武力圧政が除去されて以降、フセイン政権スンニ派排除のクルド人武装勢力大統領とシーア派首相の過疎支配権力のリアル希薄空間がイラク国の広い地域にわたって、が生じたと考える。
対米国内戦闘によって、、現在のイスラム国の骨格が形成された
その意味で骨格は、フセイン時代の行政経験、その後の国内戦闘で経験を積んで強固であり、再度米軍部隊が出てきて鎮圧すれば、強烈な対米憎悪を再生産する。コレへの恐怖心が米国にある。
疎も観点からオバマはできるだけ多くの国を巻き込み、矢面に立たせたい。
ウクライナ情勢をにらみつつ欧米支持の下、対シリア内戦に投入された反政府兵力が、一転、この権力希薄地域に戦争方向を転じた。
そうすると、米軍ーオバマはもう一度、ウクライナ情勢を横にらみにして、ウクライナ介入強化、中東回帰を行わざる得なくなり(へーゲル国防長官解任は介入強化の形式的くぎり)その際に、対イスラム国へ戦闘を肩代わりしてくれる幅広いう軍事同盟を結成し、パルチザン戦闘部隊にすぎないイスラム国への攻撃というテント村劇場効果を狙って各国をオーバーランさせ、その勢いで、本丸のウクライナ内戦介入国家群として一体感を持たせたいのである。
パッパラー、アベはこれに大喜びで乗る。なにしろ相手(米国)の懐深く飛び込んで、米軍意思を忖度し、率先して実行することで国体護持の、対米交渉カードにするという転倒した自国民日米共同収奪の国体神経の持ち主である。
 
 米当局の動きの軌道を見ていると、戦前の日本軍部と政党政治のような感がある
底なし沼。目的は<結果的に>地政学上の勢力図の拡張とグローバル資本の利益に置かれている様子だ。
それが自国の多くの人々の利益につながる保証は何もなく、グローバル資本の基本矛盾の拡大に結果するその次の物語はない。
>我々はこうした政治軍事の時代的過程を促進させるべきである。