反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

69年アポロ月面着陸成功中継映像はスタンリーキューブリックの脚本監督作品。日本では未だに<信じている>人々の群れが圧倒的に存在。この現象に一番分かり易い過去の歴史にさえ決着つけきれない体質をみる。

不健康体だから、<運動療法>が必要なのであって、健康体を維持できている方々は、なにも、こうした時間と手間のかかることはやる必要はない。趣味でやっている方は別として、そんな時間があればもっと他にやることが一杯あるはずだ。
ということで、IWJ代表の岩上安見さんには、<運動療法>を勧める。傾向的にも<運動療法>が似合っている、とみた。体調が落ち着いてきたら、是非始められるとよい。
結局、多忙な業務と内外情報の渦中から、幽体離脱する方途が絶対に必要になったと、今回の突然の疾病を総括すべきであって、過密スケジュールの一部を犠牲にしてでも、<運動療法>を始めることが、長い目で見たら、現在の業務を長続きさせることにつながる、のではないだろうか。
専門医も、最終的に<運動療法>を勧めるはず。それをしない医者は?のつく医者。
 
また、多種類の薬を服用して身体のバランスを保つのは、できるだけ避けた方がいい。
多種類の薬になる原因ははっきりしている。
イ、のパターン。
効き目の強いA薬→毒性が強い→その毒性を中和するために→B薬服用。
ロ、のパターン。
A薬+B薬=ミックスすることで、効力を発揮する。
ハ、のパターン
精神安定剤系の薬、睡眠導入剤系の薬の常用。コレラの薬は、ハッキリとした神経系の伝達反応をブロックする性質を有するので、常用を中断、もしくは中止すると、精神に混乱を引き起こす必然性がある。
 
病院の薬剤科で、コンビニ袋一杯のごとく薬を処方されている方々のかなりの部分は、イ、ロ、ハのパターンに該当する。
 
ということでどうしても<運動療法>に行き着く訳である。


人類は月に行っていないということだった。イロイロ丁寧な検証はあるが、現在の科学水準からしても、人類は月面に降り立つことは物理的に絶対に不可能。
 
更にとどめはコレだ。世紀のヤラセにGOサインを出した若き日のラムズフェルド大統領顧問(後にブッシュ政権時代の国防長官時代に9,11事態が発生)キッシンジャーらの生々しい証言である。
 
アポロ計画は捏造だった ニュースの真相 
 
YouTube動画、アポロねつ造。キッシンジャーラムズフェルド インタビュー発言
 https://www.youtube.com/watch?v=7RDqQTy0To0&feature=player_embedded
 
2009/05/14 にアップロード
照明器具が落ちて来る映像で、アポロ11号のアームストロング船長が言ったとされる有­名な言葉、「That's one small step for a man, one giant leap for mankind.(これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ­)」 が言われているようです。照明器具が落ちて来たので、"leap f.. " と言ったところで止まっちゃいましたが(笑)
 
W。撮り直ししたんだね。ということは、中継映像はスタンリーキューブリック脚本監督は間違いないが、主演のはずのアームストロングは、この時点で、地球を周回していたのか?副島隆彦説では、打ち上げまで偽物だったということだが。そういえば、第一回目の成功の当時、カプセル地球表面帰還の映像はなかったように思う。
その後の立て続けに成功した6回は月面着陸は<写真>のみ。<映像>は海上などへの帰還ばかりだった。
当たり前だ。6回の成功の度に、スタンリーキューブリック脚本監督の中継映像を垂れ流すことはできない。
大ウソは一回に限る。事情を知っているソ連も騒ぎだす。
 
この映像は、テレ朝番組で放映されたモノの録画で、元ネタは「アルテ社というテレビ局の制作である。このアルテ社はドイツ政府とフランス政府が共同で出資して作っているテレビ放送会社であり、日本のNHKの教育番組のような感じの放送局」~副島隆彦~であった。
月面捏造映像はスタンリー、キューブリック監督のチームによるロンドンでの「2001年宇宙の旅」(W。1968年4月公開)のまだ壊されていない撮影セットを使って」撮影された。~副島隆彦
スタンリー・キューブリック監督の奥さんのクリスチャン・キューブリックがはっきりと証言していた。
 「夫の遺品の書類の中からNASAのトップ・シークレットの書類として、夫が月面着陸の二人の飛行士の様子を、ロンドンの撮影所で撮ることを要請されて実行した」という内容の証言だった。
 
そこでスタンリーキューブリックなる人物をウィキペディアで検索してみると、スタジオ撮影を多用する名手である。技巧派監督にはこういう人が多い。キッシンジャーラムズフェルド等が大ウソ映像を要請するには、文字通り<最適の条件>を備えた監督だった、と以下のウィキペディアから解る。
つまり、アポロ月面着陸成功は、アメリカのキューブリックのような異能変種も存在する映画界の底力と、権限の集中したトップによる大衆操作を常用する政治の合作だった。 
 
手法・演出
「よく動くカメラ、大画面で深い奥行きの出る広角レンズの使用。~自然光を模した照明も特徴~。
 
>ロケが必要な映画なども、~あまり遠くでロケをすることはなく、ベトナム戦争映画フルメタル・ジャケット』のフエのシーンもロンドン近辺の工場跡を使い、輸入してきたヤシを植えて撮影し、ニューヨークが舞台の『アイズ ワイド シャット』もその多くを大規模なスタジオ撮影でこなしている。」
 
       影響
 
「写真雑誌の見習いカメラマン時代に数多くの映画を観て過ごし、セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテインチャールズ・チャップリンから影響を受ける。」
 
W。チャップリン映画は、全面的に拒否しているので一切見たことはないが、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」は世界映画史の残る名画。有名なシーンはウクライナオデッサウクライナは古くはルーシの時代から、ロシアの要所である)の港に開けた大階段の上から、軍隊に狙撃され逃げまどう群衆シーン。階段下に逃げまどう群衆のなかで、乳児を乗せた乳母車が母親の手を離れて、階段下に次第に加速しながら、落ちていくスリリングなシーンが印象的である。特撮。「戦艦ポチョムキン」の水兵たちが反乱するシーンはスタジオ撮影である。最後のシーン。黒海に浮かぶ戦艦ポチョムキンのマストに赤旗が翻る反乱勝利の全景シーンも特撮である。
 
 W。ラムズフェルド等が、キューブリックに目を付けたのは、如何にうってつけであったのか、次の経歴を見ればわかる。
 
      姿勢
 「キューブリックは映画スパルタカス』1960年の大成功をきっかけに有名監督になるが、その後のインタビューで「私の意見はカーク・ダグラス(=製作責任者)にとって多くの意見の一つに過ぎなかった」と述べるなどして、最終決定権が監督ではなくスタジオやプロデューサーが握るハリウッド・メジャーの製作システムにあるとして、これを度々批判している。W。作品の中で、スパルタカスが映画らしい映画じゃないのか?
 >これに懲りて、以降の作品では製作も自身が行うようになりアメリカの映画システムと決別してイギリスへ渡り、アメリカの会社の資本のもとで独自に映画製作を続けることになる。『博士の異常な愛情』(1964年)以後は他人の脚本で映画作りをすることはなかった。」
 
      人物
 「自身は飛行機の免許を持ち操縦経験もあったが、操縦中に事故を起こしかけた経験と、墜落事故に巻き込まれた知人のカメラマンの焼け焦げたカメラを見て以来、ジェット機の旅行を極度に嫌ったため、プロモーションなどでの来日経験はなく、カンヌなどの映画祭に出席したという記録もない。」
 
仕事以外では自宅を一歩も出ない引篭もり人生」というのは多少誇張された表現だが、執筆を依頼した脚本家(殆どは作家を本業にしている)や脚本を読んで欲しい映画会社の重役、デニス・ミューレンジェームズ・キャメロンなど視覚効果についてのアドバイスを求めた映画人を、わざわざロンドン郊外の邸宅に招いたのは事実である。また行きつけの文房具店があり、カードの名前で店員に気付かれて話し掛けられる事がないように、現金で購入していたというドキュメンタリー映画スタンリー・キューブリックの箱」)。」
 
W。「スパルタカス」1960年以降、ロンドンに住居、仕事の拠点を移したキューブリックとハリウッド映画業界とのつながりは映画製作の業務だけにがぎられおり、日常的な人間交流はなかった。
 
またロンドンの私生活も公にすることはなかった。
 
>ただし、アポロ月面着陸映像によって、あまりにも大きな秘密を個人に抱え込み過ぎたため、日常生活でも警戒心を維持する必要に迫られいただろう。
このヒトがしゃべり出すとアポロ計画というアメリカ国家の威信をかけた大事業の大ウソが明るみに出る。まさに世界的な政治問題化する。
 
キューブリックには恐怖感に付きまとわれていた。
 
W。興味深い記述がウィキペディアの冒頭に載っている。
 
スタンリー・キューブリック(1928年7月26日 - 1999年3月7日)は(W。ユダヤ人)、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン生まれの映画監督。のちにイギリスに移住した。イギリス・ハートフォードシャー自宅で心臓発作で息を引きとったとされるが、正式な死因は明らかにされていない。 キューブリックの死は監督作品「アイズ ワイド シャット」の試写会5日後の事だった」。
 
W。61歳の若さで亡くなっている。
この種の大事の度ごとに、キーパーソンは心臓発作で息を引きとったとされるが、正式な死因は明らかにされていない>
月面着陸成功させた宇宙飛行士たちはその後、NASAから離れた。
 
W。監督の作品に対する姿勢はいわゆる完全主義者であった。
 
つまり、
アポロ11号   1969年  7月16日  <月面着陸>
 ニール・アームストロング
 成功 - 史上初の有人月面着陸。着陸地点の周辺を歩行により探査』の映像は、
 
>スタンリーキューブリックの製作、監督、脚本の、世界中にテレビ中継された世界映画史上において空前絶後の作品として鑑賞することができる。
 エンターテイメントの作品の系譜であり、科学の世界ではあり得ない現象の連続は、当たり前こと。彼の脚本には、そこまでの細かい配慮を施す見地はなかった。撮り終えたばかりの2001年宇宙の旅 (1968年4月公開)の科学的知識の延長線上のエンタメ映像であった。
 
しかし、さすがに最大の見せ場のセりフはびっしりと決まっている。
「'm going to step off the LM now.
これより着陸船から足を踏み降ろす。
That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
 

しかし、当時は世界中の人は偽物と指摘していなかった。アポロ11号に続く6回の成功の報道は、全部、カプセルが帰還したときの写真ばかりで、映像ドキュメンタリーはアポロ11号のみであった。
 
>人間はこの目、この耳で実際に認識した感覚を、脳裏に焼き付けてしまう動物本能から離脱することは不可能である。
 
嘘をつくならできるだけ大きなウソを!コレはヒットラーの専売特許ではない。
 
アポロ11号月面着陸成功の世界テレビ中継当時、誰もが本物の出来事と脳裏に焼き付けていた。
 
その当時は、そういった巨大なイベント類に無感動、無関心で、地球上のことに絶大なる関心を振り向けていることが、大ウソの世界に巻き込まれない唯一の見地だった。
 
1969年のアメリカはベトナム戦争の泥沼に深くはまりこんでおり、アメリカ国内はもとより、世界中で反戦運動が沸き起こっていた。
 
ラムズフェルドがインタビューでいう「私は今でもあの決定は正しいと思っています。アメリカの強さを認めさせるためにも~」は、そういう時代のアメリカ内外を取り巻く情勢に照らし合わせるとよくわかる。
 
現状の日本の多くのその方面の解説は、ケネディーによるアポロ計画の出発点から、説き起こしているのみだが、片手落ちも良いところであり、歴史の修正である。
 
そもそもケネディーのいう米ソのミサイルギャップなどなかった、というのが今では通説となっているようである。
You Tubeケネディー関連のアメリカ製ドキュメントにもはっきりと語られておりケネディーの大統領選挙出馬用の誇大宣伝とのことである。
 
そうすると、ケネディーがぶち上げた60年代までに人間が月に行くというのは、ニクソン政権にはプレッシャーでも何でもなくて、ラムズフェルドの発言にある「アメリカの強さを認めさせる」必要に迫れれて、アメリカお得意のハリウッド映画の手法を安易に思い立った。
 
そして、1975年南ベトナム
 
要人たちは南ベトナム大使館の屋上から、最後の軍用ヘリで脱出するのである。

 
アメリカ帝国主義は張り子のトラだった、とまではいわないが、本人たちの意図するところとは違うアメリカの力を過大視する論調は手を変え品を変え表れてくる。
 
 
>いまだに日本版ウィキペディアでは、堂々とアポロ計画鵜呑みの記事が掲載されている。一言の疑問点も記されていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%A8%88%E7%94%BB
 
ウィキペディアアポロ計画陰謀論では、大ウソという見解に対する、逐一ご丁寧な反論を載せている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%A8%88%E7%94%BB%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AB%96
 
そうあって欲しいではなくて、そうあらねばならないのである。いまや、信じるか信じないかの問題なのだ。
 
スタンリーキューブリックの製作脚本監督の特撮映像である、と割り切ってみると、実にそれらしくみえる。
W。写真の解説には嗤える。
 月面作業の写真は省略した。ウィキペディア アポロ計画を参照。
アポロ11号で、月面に立てた星条旗のかたわらに立つバズ・オルドリン飛行士。布地の中には旗を展開させための水平材が仕込まれているが、完全に展開することができなかったため、あたかも真空中ではためいているように見える。
 
W。スタジオエアコン設備(スタジオは熱気を冷ますために冷房装置が常に作動している)によるもので承知の事実だが、次のフレーズに、ウィキペディアアポロ計画>の解説者の心象風景がうかがえる。当世風で面白い。
 >ちなみにこの写真は、ポルノグラフィティのベストアルバム、「PORNOGRAFFITTI 15th Anniversary "ALL TIME SINGLES"」のジャケットのもとになっている

 >9,11ニューヨーク事態について調べてきた。
 
 月面着陸の撮影をニクソンに進言したドナルド・ラムズフェルドは、9,11の時国防長官であり、その後のアフガン、イラク戦争を主導した。
 
ラムズフェルドは回想録を発表している。幻冬舎真珠湾からバクダッドへ」2012年。タイトルが気になった。
 
そのものズバリ過ぎて、著者本人がそんな衝撃的なタイトルを選択するものだろうか、と。もちろん原タイトルがこれだったら、格好の餌食にしてやろうと。できたら本物を読みたいと、ネット記事を検索してみたが、一番,内容を忠実に記した記事を一読して中止。自己本位、得手勝手な800ページの回想録のようだ。
 原タイトル:KNOWN AND UNKNOWN だった。
参考にしたネット記事ではこのタイトルの翻訳に苦心しているようである。
ふと思いついた。<可知と不可知>が、一番妥当であろう
しかし、原タイトルから想像すると、リアルな政治軍事の現実と政治家の想念の次元の違いは承知していた人物のようだ。アメリカの限界は知っていたというべきか。
 

>9,11ニューヨーク同時多発テロ事件陰謀説ウィキペディアを参照すると、アポロ計画陰謀説の解説文よりもはるかに、公平な見地で記されているように思う。
 
おかしな現象である。
大ウソを主導した首脳たちの告白が日本ではテレビ放映されて公になっているにもかかわらず、いまだにあれこれとこじつけのような弁明を垂れ流し、他方、どのような事実から、検討しても、断定しきれないことに対して、いろいろな見解を公平に記している。
 
どうしたことか。
人間の客観的事態への認識順序としては、まず、はっきりしていることから、けりをつけていき、その次に込み入った事態に対処する。
 
又こうも言える。
 
小林秀雄も指摘するように、歴史的に直近の事態になればなるほど、評価と判断は下し難いが、歴史的時間を経た事態には評価と判断は下しやすい。大きな情勢の諸事情から、そうなるより仕方がなかったと解り易い訳だ。
 
ウィキペディアの二つの事態への解説記事は、そんな基本的な方法論さえ無視している。
 
>だから、日本歴史の過去の亡霊が、大事な時に限って、社会の表層によみがえってくる。
 丸山真男の難しすぎる<古層>論のメインテーマであると解釈するが、ネット時代の代表格の上記グーグル、ウィキペディアにその証拠物件を発見した次第である。
そうあって欲しいではなくて、そうあらねばならないのである。いまや、信じるか信じないかの問題なのだ。
 

ウィキペディアの陰謀説の解説によれば、9.11事態は1、公式な見解、2、見逃し説、3、自作自演説に分類できるらしく、3の見解が「現在では見逃し説に代わる陰謀説の主流となっている。映画『ルース・チェンジ』ではこの説が取り上げられている。」ということだが、1~3説の各論点を取り上げていくとそれぞれに大きな矛盾がある
 
3、自作自演説についていえば、
アメリカの当局がそこまで、謀略を実行できる状態にそれまであったのか、そして現にあるのか、という核心の問題がある。
 
月面着陸に成功したと、特撮するのと次元が全く異なる民間人の数千人の命が一瞬にして失われることを想定しなけらばならない、軍事作戦に当局が踏み込む状況にあったのか、どうかだ。
 
もしそれが事実ならば、アメリカ政府の自爆特攻のごとき軍事作戦であるが、米軍の歴史的戦闘にそういった次元のものは一切見出せない。また、アメリカの戦争思想にそういったものはない。
 
時間不足で結論だけを記す。先に記したフレーズを自作自演論者に再び投げ返す。
 
アメリカ帝国主義は張り子のトラだった、とまではいわないが本人たちの意図するところとは違うアメリカの力を過大視する論調は手を変え品を変え表れてくる
 
更に、先に記したアポロ計画の解説は歴史を捻じ曲げているという箇所を再び記す。
 
「嘘をつくならできるだけ大きなウソを!コレはヒットラーの専売特許ではない。

アポロ11号月面着陸成功の世界テレビ中継当時、誰もが本物の出来事と脳裏に焼き付けていた。

その当時は、そういった巨大なイベント類に無感動、無関心で、地球上のことに絶大なる関心を振り向けていることが、大ウソの世界に巻き込まれない唯一の見地だった。

1969年のアメリカはベトナム戦争の泥沼に深くはまりこんでおり、アメリカ国内はもとより、世界中で反戦運動が沸き起こっていた。

ラムズフェルドがインタビューでいう「私は今でもあの決定は正しいと思っています。アメリカの強さを認めさせるためにも~」は、そういう時代のアメリカ内外を取り巻く情勢に照らし合わせるとよくわかる。

現状の日本の多くのその方面の解説は、ケネディーによるアポロ計画の出発点から、説き起こしているのみだが、片手落ちも良いところであり、歴史の修正である。
そもそもケネディーのいう米ソのミサイルギャップなどなかった、というのが今では通説となっているようである。
You Tubeケネディー関連のアメリカ製ドキュメントにもはっきりと語られており、ケネディーの大統領選挙出馬用の誇大宣伝とのことである。

そうすると、ケネディーがぶち上げた60年代までに人間が月に行くというのは、ニクソン政権にはプレッシャーでも何でもなくて、ラムズフェルドの発言にある「アメリカの強さを認めさせる」必要に迫れれて、アメリカお得意のハリウッド映画の手法を安易に思い立った。

そして、1975年南ベトナム

要人たちは南ベトナム大使館の屋上から、最後の軍用ヘリで脱出するのである。

ラムズフェルド回顧録原タイトル:KNOWN AND UNKNOWN を「真珠湾からバクダッドへ」2012年幻冬舎
ネーミングしてしまう心根と9,11ニューヨーク事態、自作自演説を主張する<心根>には共通するものがある。
アメリカ万能論である。