反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

冬枯れしない鉢植え「雑草」<セイバンモロコシ>と<チカラシバ>は生物として普遍的存在。落馬事故とJRA中央競馬の抱える根本矛盾。

昨年の初秋、公園から採取してきて、鉢植えにした<セイバンモコロシ>と<チカラシバ>は20115年3月1日になっても、枯れないで、ナントカ葉の緑を保っている。ウォーキングの道すがら、採取した所に群生していた元根たちは、冬の到来とともに完全な枯れ草状態となってしまい、やがて、草刈り機の餌食になって地上から影も形も消えうせた。
 
 
 大事に育ててきたつもりだ。個形肥料をまいたは鉢の表土が乾いていたら、丁寧に水をやり、冬の夜と日中の寒い日は室内に入れてやる。時々じっと見つめると不思議に愛着がわいてきて心がなごむ。不思議な<カレラ>!面白い。
 
 
イメージ 1 当初、<セイバンモロコシ>を採取してきたとき、てっきりオギ(ススキとそっくり、荻原のオギ)のつもりでいた。
ところが、晩秋になるのに、いつまでたっても穂先の状態がススキのようにならないのでなんだか変だぞ、と調べてみると、同じイネ科の植物でも、地中海原産の戦争前後に日本に渡来した嫌われモノの有害雑草<セイバンモロコシ>であることが判明した。
 
 ネット上の<セイバンモロコシ>に関する記事を読むと、ロクな事が書いていない。
葉っぱはシアン系の毒素を含んでおり、家畜に与えると中毒症状を引き起こす、とか諸々~。
シアン系毒素はナチスアウシュビッツユダヤ人をガス室で大量虐殺した毒ガス。
 
 
 JRA中央競馬会のレース中のサラブレッドが前足を開放骨折したとき、すぐに事故現場に馬運車が駆け付け、観客席側から見えない様に天幕を張って、当の競走馬を瞬時に薬殺し、馬運車にリフトして、何ごともなかったのように去っていく。翌日の新聞のレース結果の最後に、<競争中止予後不良>などと記されている。
その前は、ハッキリと<薬殺>と記すこともあったように記憶している。動物愛護の機運の高まりから、そこまであからさまにしてはまずいとしたのだろう。
今はそういう事故はまず見かけることはない。坂路、プール調教など、トレーニング設備の向上、調教技術の進歩、何よりも冬枯れの堅い野芝のコースが、寒さに強い芝で覆われてクッション性を増したことが大きい。
なお、JRA競馬については、著名騎手が自分を死に至たらしめていので、後に、きっちりとJRA国営競馬の大きな枠組みの事実を記す。

 <セイバンモロコシ>の有害雑草の記事の中で、さりげなく事実を記した記事に出会った。
セイバンモロコシ イネ科モロコシ属。
  全文引用
イメージ 2「8月の中旬ぐらいから,出勤している南環状線の道路脇には,セイバンモロコシが群生していた。
盛夏を待ちに待っていたとばかりに,茎から枝分かれした稲穂が夏の日差しを受けながら,存在感を示している。花序の小枝は,同じ節から数本が輪生して横に広がっていて,稲穂は茶褐色がかった色をしていた。背丈が2m近くもあり,ススキに似た強い印象を与える。

地中海沿岸原産の多年草である。名前は,「西蕃」が西域の蛮族あるいはチベット,西洋の意味で,中国の西域(西アジア)の方から伝来したモロコシということに由来している。←W。この指摘は、調べた限りの記事にはなかった。戦争前後に渡来した(1943年との指摘もある)ということから、中国大陸経由で伝播したものとの仮定が濃厚。実に正確な指摘である。
 
 
 イメージ 3モロコシと言うとトウモロコシをイメージするが,アフリカ原産の雑穀で,アフリカでは米のように炊いて食べる他,粉にして調理する重要な穀物のようだ。←W。確かに穂先をじっと見つめると、イネの穂のミニチュア版である。北アフリカも地中海地域である。。半乾燥地帯の原産の<セイバンモロコシ>の驚くべき吸水力にはそのたびごとに、目を見張る、想いがする。生命力の極めて旺盛な植物である。だから、大事にしてやると冬枯れの季節にも耐えることができる。ま、しかし、一般的に有史以来の人類の基本食料となったイネ科の植物はバラエティーに富んで、頑健ということが第一条件、そして、高エネルギー源になる。なお、ムギも日本ではイネ科の植物とされているようだ。
もともと自然に存在した、イネ科の植物のそういった属性に定住生活を営むようになった人類が自然と安定的食糧源とするようになった。

W!「大事にしてやると冬枯れの季節にも耐えることができる」は、どうやら独りよがりの勘違い、のようだ,
と探索してみた。
(むぎ)とは、コムギオオムギライムギエンバクなどの、外見の類似したイネ科穀物の総称である。
英語には、多くの種類を総称した日本語の「ムギ」に相当する表現はなく、種類によってbarley(大麦)、wheat(小麦)などと使い分けられている。←ここまでは理解した。問題はそのあとだ。
二年草であることから、去年草(こぞくさ)という異称がある。
 
    二年生植物 引用
二年生植物(にねんせいしょくぶつ、biennial plant)は、1回の生活環を完了するのに2年を要する植物のことである。二年草二年生草本、とも言う。一年生植物多年生植物などに比べて、二年生植物となるものは非常に少ない。」
    概要
二年生植物は、1年目にはなどの栄養器官を形成して、そのまま休眠して越冬する。そして2年目の春、あるいは夏に開花し、種子を生産して枯れ、生活環を終える。」
多くの二年生植物は、1年目には茎が短く(W、鉢植えの茎は約150センチ。2年目だ)葉はロゼット状(W。タンポポの葉。違う!典型的なイネ科の葉だ。)になっているが、→2年目には茎が伸長し、薹(とう)が立つ。また二年生植物の開花には、通常春化(一度低温期間を経験すること)が必要となる」(W。イネの穂の極小の花の状態でアル!)
 
*「園芸や農業の分野においては、ある植物が一年生、二年生、あるいは多年生のどの生活環をとるかは、生育環境や栽培目的などによって異なってくる。」
 
W。ナルホド。二年生植物が生育環境によって、多年生にもなる、ということか!地球上の生物のなかで植物次元が一番、普遍的存在ではないかと、<彼ら>を育てながら感じたことが度々だった。知識がないのでこの想いを定義できないが。
 
「また栽培する際の条件が悪いと、本来二年生となる植物が1年で生活環を終える(越冬できない)などといった場合もあり、逆に生育環境が良好であった場合には、本来一年生であった植物が、二年生あるいは多年生のような生活環をとることもある」。←W。そういうことだったのか!やはり、マーカー部分の直感は当たっていたのだ
しかし、このわたしめ、より彼らの方が、もともと生物の存在として普遍的であったのだ
*主体的な移動性が希薄だから、人類一般に発生した強烈な突然変異性はない代わりに、その場、その場の持続的種保存の対応力は抜きんでている。
環境があれば、それに相応できる。持続的に!人類に果たして、そのような超基本属性を備わっていののであろうか!?産業革命以降の人類の傾向をみると大いなる疑問である。

 9月も中旬を過ぎると,セイバンモロコシの稲穂が涼しくなっていく秋風に吹かれる光景が,ススキのような秋の風物詩にも思える。夏の雑草の中でも,一際,背丈が高く堂々としたセイバンモロコシは力強くて,夏の男の生きざまのようなものを感じさせてくれる。

 
 
  <チカラシバ>も公園の元根は枯れ果てて、影も形も地上では見あらないが、鉢植えの葉は緑を保っていイメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この植物にも、独特の個性がある。
鉢植えしてからしばらく様子を観察していたが、まったく環境の変化に動じない。まったくウンもスンも応答なし。感心して記事に書いた。そのご、かなり経ってから、密集していた極細の葉が、残バラ髪の状態でバラけて、伸びだし、やがて穂先をつけるようになったが、どうもその穂先の様子がネット上の<チカラシバ>とまるっきり違うんだな、コレが~。
どうした事なんだろう、と検索してみても、オギと<セイバンモロコシ>の勘違いのような事態は今のところ発見できない。チカラシバ>と別種なのか、それとも、過保護な育て方をしているために、特徴のあるイガイガの穂先の必要がなくなったのか。鉢植えの身で、あきらめちまったのか?つまり過保護に育てたために、毒気を抜いてしまったのか。

JRA中央競馬会の著名騎手後藤浩輝さんがなくなった。2月28日自宅で発見された。
テレビを視聴する機会は基本的にプロ野球と競馬だけという現状。プロ野球は時間が長すぎるし、勝った負けたがあるし、中継時間に長すぎて、付き合いきれないが、その点競馬中継は、40数分で終わるので、大きなレースはたいてい視聴して、楽しんでいる。スポーツ新聞を買ってきて予想することもある。
馬券は買わないことに決めている。
 
競馬予想には、過去ー現在ー将来を一つの視点で貫く方法論がある。コレは、社会経済情勢の認識に適応できるもの、と常々意識している。予想、予言的部分を含まない社会経済評論は駄目なんだ。自分の基本的な価値観としては。
 
後藤浩輝さんがなくなったことはJRA中央競馬会の事実上の国営競馬の根本的誤りから発生したモノと、云う視点も成り立つ。
1、下級競争条件においても高額賞金~2、25%以上の博打のテラ銭~3、博打、調教施設、マスコミ環境のJRA独占的地位保障(地方競馬切り捨て)。
 
単体の売上はひところより低迷して、2兆円余りだと想定するが、馬産地の生産育成、マスコミ情報関連、毎年の施設人員維持管理費、施設増設建設土木事業など諸々を含めると、大変なカネが動いていることが分かる。
これらの頂点で施設所有権、競馬法の法的根拠において、一括管理するのが、JRA中央競馬会である。直接の監督官庁農水省であり、直近まで農水次官を務めあげた官僚の大一番の天下り先だった。
 
それら、JRAギャンブル官僚、職員どもは、ある意味では、地方自治体の役人とは格段にふんぞり返っている。
ギャンブル官僚ともなれば、中央官庁の官僚よりも横柄なところがある、のではないか。ファンの馬券購入費というあやふやカネに完全依存しているにもかかわらず、表に一切出てこないで、物事、ルールを一方的に決めて、そんな競馬行政に微塵の疑問も感じていないようだ。
結局、根底に博打という事実があるので、弱みを見せると、自らの特殊特権的な立場が破綻をきたすことになるのが分かって、中央官僚にもないような偉そうなそぶりをしているのだろう。
>ただし、そうするだけの絶大なる?物的根拠もあるのだ。
25%天引きの博打のテラ銭は、の一部、といっても毎年2000億円ほど、は農水省特別会計に上納されてされ、以前調べたところでは集として全国の畜産事業費に支出され、トンネル団体なども含めて、複数の関連団体を通じて資金回転している仕組みが出来上がっている。
 
1~3までの構造に付着する人間たちを自ら競馬サークルと称している。分かり易く言えば競馬村である。
なくなった後藤浩輝さんが大手芸能プリダクションに所属して、タレントまがいの活動をしてしまうのも、こういったJRAとマスコミの競馬村という特殊なつながりによるものであろう。プロ野球やJリーグのサッカー選手は現役中にそういった行動は団体の縛りがあって、できないと思う。それが許され、さらには奨励されるような事態は、競馬村の特殊な大枠を前提としなければ考えられない。
しかし、そういった状況は、事と場合よれば、イレギュラーな事態を個人が招く原因にもなると想定できる。後藤さんの場合が、コレが最悪の形をとって噴出した。発信情報、TV出演も含めた露出した個人と、実情が甚だしくかい離する場合があり、溝は簡単に埋められない場合がある。
完全なスポーツ選手としてみた場合、このような状況を自ら設定することが極めて例外的で、不利なことである。
一番最後に首位打者を争っていたときの、イチロー選手は日本のマスコミ取材をオープンにしたが、そういったプレシャーの掛け方は今までしたことがなかったと明言していた。
 
注意深く見ると、この競馬村に肝心の馬の生産者や馬主、まして競馬村を存立させている資金提供者たるファンは含まれていない。外からのJRA参入を規制したうえでの中途半端な国内市場の競馬自由化の頃からか、カネ、チカラ、アタマを駆使して急速に競馬界のガリバーになった社台グループが競馬サークルに深く食い込むようになったが、基本の原型にはそれは含まれていなかった。
>ここに2JRA中央競馬の本質がある。
 
こういった「国営」競馬システムを採用している競馬開催国は世界中どこにも存在しない。敗戦直後は、中央競馬地方競馬の垣根はなく、地元の競馬場もたくさんあった。多分、敗戦後の国家の財源不足によって、25%などという例外的な高額のテレ銭と国営競馬に転じたのだろう。
この事態は米国競馬やヨーロッパ競馬に近い。ただし、欧米流では、競馬の開催者は<私的>機関である。競馬発祥の地イギリスに至っては、ギャンブル相場師(ブックメーカー)が勝手にオッズを設定して、馬券を販売している。もちろん税金は払ってのことである。
馬主は最初は貴族だけであった。次に富裕層のステータスになった。
そもそも、欧米の馬主は最低でも数人の共同馬主であり(二人だけまで?)、日本のような馬主権(株)を多数に分割して(会員制馬主クラブと称して)切り売りするような行為は禁止されている。馬主のステータスが崩れるからだ。
>そうすると、日本のJRA競馬は国営株式資本主義競馬のような奇妙奇天烈な、例外的な状態にあるといわねばならない。
 
大衆競馬ではない。
なぜならば、ギャンブル官僚の一方的に取り仕切っている競馬だから。国営統制競馬というべきだろう。
マスコミなど情報媒体は利権につながっているのでその状態を支えているといって過言でない。競馬サークルの完全な一員意識がある。囃したててヨイショするのが主眼で、批判的意見はない。
会員制馬主クラブは、参加者に比較的還元できるものから様々あるが、システムの根本は、生産された馬に比較して、高額なカネを要する馬主の不足を補う手段である。
 
最後にJRA競馬の開催条件の根本的な矛盾点。
地方競馬と切り離されたことによって、実質的に、土日しか競馬開催ができない。
後藤さんにしても、この土日でⅠ0数鞍の騎乗予定があった。騎手の体力はサッカーなどの激しいスポーツとは違って1週間に6日程度の競馬でも耐えられる。
にもかかわらず、2000頭はいるという競走馬の中から選定された出走馬と多くの騎手を最大で3場開催の土日開催日に集中しなければならない。
 
仮に、中央と地方の分割がなければ、馬と騎手が分散するはずである。賞金と下級条件のレベルの低下はしかたがないが、土日開催のレースには、出走手当目当てだけの、参加することに意義がある馬がかなり含まれているのも事実である。また国営統制競馬であることから、5着までの入選馬にまで、かなりの高額の賞金が分散される。
そうすると、必然的に、フルゲート一杯の18頭が常にトラック状のコースを賑わせる、といった事態が生じることにある。
 
後藤さんの頚椎骨折損傷な3度の頚椎へのダメージを負った落馬事故の一つの原因は、多頭数競馬による進路が塞がれることが状態の国への上納金至上主義の身勝手なJRA国営競馬の仕組みによるものである。
他の競馬先進国にはあり得ないシステムの下でレースをしているのは、否定しようのない事実である。競馬サークル故に、この絶対矛盾を内側から指摘できないだけである。
 
最後に、競馬コースの問題。
日本のような、大陸プレートの移動して出来た付加体列島は酸性土壌であり、アルカリ分が少なく、クッション性の豊かな洋芝の生育には適さない。競馬開催の最盛期に雨量の多すぎることも、芝の走路が過ぎ痛んでくる原因となる。
そうする土日競馬開催のローテーションでさえ、走路が痛み続け、掘れ返った個所を、上からたたきつけて補修しなけらばならないから、土壌がパンパンに固まってくる。
芝の土壌が堅すぎるのだから、競走馬の走破時計はべらぼうに速くなるが、それは馬の能力と直結していない。
 
日本のような開催条件ではダート競馬が主流であっていい。地方競馬は事実そうしている。米国などは、その辺のことをわきまえてダート競馬主体である。もっとも日本でいうダートは実質的に砂競馬。米国は本物のダートの競馬。
 
ダート競馬、主体であれば、芝の良いところを走った馬ばかりの上位入選などということもなくなる。
 
JRA競馬の騎手の大事故は他頭数の走破時計の極端に速いパンパンのクッション性の低い芝競馬によるものが多い。
 
後藤さんのたび重なる腰椎への大きなダメージは、JRA国営競馬だからこそありえた事態だと、考えることもできる。
 
後藤さんが一番最初に大きく、決定的なダメージを受けたのは、3歳馬のNHKマイルカップという比較的歴史の浅いレースであったが、できた当初は、3歳馬にしてはとんでもなく速い走破時計の出ることで有名なレースで、勝ち馬のその後は故障したりして大成した馬はいなかった。
1600Mのレースは競走馬のスピードスタミナの標準的な能力を測るレースであるといわれている。レースの展開はあまり関係がない。3歳の若駒を多頭数のゴチャついた馬群で目いっぱい追えば、どういう事態になるか、あらかじめ、開催者はわかろうというものである。直線でスタミナをロスした若駒はまっすぐ走れないというのが前提条件である。それを立てなおしながら馬をまっすぐ走らせるのが騎手の務めといえばそれまでだが、騎手は鞍の下の状態がどうあろうとも、目いっぱい上位を目指す。土日開催だけの中央競馬の騎手は実戦不足で、その技量が蓄積されるはずがないというのが自分の考えである。地方から中央入りした機種がリーディングのトップレベルにすぐ着くのは地方時代の彼らが毎日競馬で馬に乗っていたからである。しかし、やがて中央の土日開催スケジュールにいよって中央の騎手化する。