「半植民地」国家についていえば、それらは、自然と社会のすべての分野に見うけられるあの過渡的形態の一例をしめしている。
金融資本は、あらゆる経済関係とあらゆる国際関係において、きわめて大きな、決定的ともいえるほどの力であるから、それは、完全な政治的独立を享有している国家をさえ従属させる能力があるし、実際にも従属させている。
だが、いうまでもなく、金融資本に最大の「便宜」と最大の利益をあたえるのは、従属する国と民族との政治的独立の喪失と結びついているような従属である。半植民地はこの点での「中間物」として典型的である。これらの半従属諸国をめぐる闘争が、残りの世界がすでに分割されてしまった金融資本の時代にとくに激化せずにおかなかったのも、当然である。
最新の資本主義の基本的特質は、巨大企業家たちの独占団体の支配ということである。このような独占体は、すべての原料資源を一手ににぎっているときに最も強固である。そして国際的資本家団体が、対抗者から競争のあらゆる可能性をうばうために、たとえば、鉄鉱山や油田その他を買いしめるために、どんなに熱心に努力しているかは、すでにわれわれが見たとおりである。
自由市場はますます過去のものとなりつつあり、独占的なシンジケートやトラストは日ごとに自由市場を狭めている。そして農業の条件の「たんなる」改善というのは、つきつめれば、大衆の状態を改善し、賃金を引き上げ、利潤を減少させることである。
金融資本は、自由ではなく支配を欲する」とヒルファディングは正当にも述べている。
生活が複雑になり、生活難が増大して、これが労働大衆だけでなく中産階級をも圧迫するようになるため、すべての旧文明諸国で『焦慮、憤怒、憎悪が蓄積されて、これが社会の平穏を脅かしている。ある一定の階級的軌道からほとばしりでるエネルギーは、行き場を見つけなければならない。国内で爆発しないように、そのエネルギーは国外で発散させられなければならない』」
★ 七 資本主義の特殊の段階としての帝国主義
つぎの五つの基本的標識をふくむような、帝国主義の定義をあたえなければならない。
(一)生産と資本との集積が、経済生活で決定的な役割を演ずる独占をつくりだすほどに高い発展段階に達したこと。
(二)銀行資本と産業資本が融合し、この「金融資本」を基礎にして金融寡頭制がつくりだされたこと。
(三)商品の輸出とは異なる資本の輸出がとくに重要な意義を獲得しつつあること。
(四)世界を分割する資本家の国際的独占団体が形成されつつあること。
(五)最大の資本主義列強による地球の領土的分割が完了していること。
帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成されて、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である。
帝国主義にとって特徴的なのは、まさに産業資本ではなく、金融資本である。
フランスで、産業資本が弱まったのに、まさに金融資本がとくに急速に発展したため、前世紀の八〇年代に併合(植民)政策が極度に先鋭化したのも、げっして偶然ではない。
また帝国主義にとって特徴的なのは、まさに、農業地域だけでなく最も工業的な地域をも併合しようという志向である
われわれは、資本主義の高度に発展した(交通機関も貿易も工業も大いに発展した)三つの地域、すなわち中央ヨーロッパ地域、イギリス地域、アメリカ地域を見る。これらの地域には世界を支配している三つの国家、ドイツ、イギリス、合衆国がある。
それらのあいだの帝国主義的競争と闘争は、ドイツがとるにたりない地域とわずかな植民地しかもっていないことから、極度に先鋭化している。
「中央ヨーロッパ」ができあがるのはなお将来のことであって、それが生まれるのは死にものぐるいの闘争のうちにである。
W。二つの世界戦争ののちにEU結成。1916年、チュ-リッヒのレーニンの予言であった。しかし、40年程度の後のことを見通していたのだから大予言とういうほどでもない。
戦争と動乱の20世紀の初頭にリアリストであり続けた。
W。以下一気に地政学的見地を披露。ホットな歴史の流れを大づかみにする政治感覚がある。
いまのところ、全ヨーロッパの特徴は政治的細分状態である。イギリス地域とアメリカ地域では、これと反対に、政治的集中度が非常に高い。
しかし、前者は広大な植民地をもっているのに後者はとるにたりない植民地しかもっていないという大きな不均衡がある。W。この不均衡に着目して、世界覇権の逆転を示唆している!
ところで植民地では資本主義は発展しはじめたばかりである。南アメリカをめざす闘争はますます激化している。
二つの地域は資本主義の発展の微弱な地域で、これはロシア地域と東アジア地域である。
前者では人口の密度がきわめて低く、後者ではきわめて高い。
また前者では政治的集中度が大きいが、後者ではそれが欠けている。中国の分割はやっとはじまったばかりである。そして中国をめぐる日本、合衆国、その他のあいだの闘争は、しだいにますます激化している。
この現実――経済的および政治的諸条件がこのように非常に多様であり、さまざまな国の成長速度その他に極度の不均衡があり、帝国主義諸国家のあいだに凶暴な闘争がおこなわれているというこの現実――を、「平和な」超帝国主義というカウツキーのばかげきったおとぎ話と対比してみたまえ。
>金融資本およびトラストは、世界経済のさまざまな部分の成長速度の相違を弱めるものではなく、むしろ強めるものである。
>ところで、力関係が変化した場合、資本主義のもとでは、矛盾の解決は力による以外になににもとめえようか?
世界経済全体における資本主義と金融資本との成長速度の相違についてのきわめて精密な資料を、われわれは鉄道統計のうちに見いだす。
周知のように、四つか五つの最大の資本主義国家の金融資本が、この地域で全面的に君臨し支配している。
金融資本が植民地や海外のとくに有利な企業から取りたてる貢物が増大している。
この「雑物」の分配にあたって、異常に大きな部分が、生産力の発展速度の点でかならずしも第一位を占めていない国々の手に落ちている。
このように、鉄道の全延長の約八〇%が五つの最大の強国に集積されている。しかしこれらの鉄道の所有の集積、金融資本の集積は、これよりずっといちじるしい。
なぜなら、アメリカ、ロシアその他の鉄道の大量の株式や社債が、たとえばイギリスとフランスの百万長者の手にあるからである。
イギリスはその植民地のおかげで「その」鉄道網を一〇万キロメートル増加させたが、これはドイツの増加の四倍にあたる。ところが周知のように、この期間におけるドイツの生産力の発展は、とくに石炭業と製鉄業の発展は、フランスやロシアはいうまでもなく、イギリスとくらべてさえ、比較にならないくらい急速であった。
一八九二年には銑鉄の生産高はイギリスの六八〇万トンにたいしてドイツは四九〇万トンであったが、一九一二年にはもはや九〇〇万トンにたいして一七六〇万トンであって、イギリスより圧倒的に優位にある!
そこでたずねるが、資本主義の基礎上では、一方における生産力の発展および資本の蓄積と、他方における金融資本のための植民地および「勢力範囲」の分割とのあいだの不均衡を除去するのに、いったい戦争以外にどんな手段がありえようか?