反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

最終回。J.A.ホブソン再評価 松  永  友  有  『明大商学論叢』第82巻第3号~EU結成に行き着く経済思想だが、現状それがEU金融帝国主義に転回!~

以上のケインの見解は説得的であり,妥当と思われる。
しかし,これのみでは,ホブソンが殊更に一本の論文を著して資本輸出擁護論を説かねばならなかった理由が明らかでない。
その理由を知るためには,論文が発表された1911年当時のより具体的な政治状況を知る必要がある。
*すなわち,自由党によって<急進主義的政策が急ピッチで展開<されていた当時,<野党の保守党は資本逃避>批判を説いてこれに対抗した。
自由党の急進主義政策による収奪に怯える上層所得階層が資産を投資という形で海外に逃避させる結果,国内産業へ投下するための資本の不足が惹起されているというのである
*これは表面的には国内市場重視論を建前とする議論であるが,ホブソンはこれに対し,所得再分配を正当化するために反論せねばならない。
実際,同論文は,保守党系金融誌『バンカーズ・マガジン』等が展開する資本逃避批判に逐一反論する形式をとっているのである。
 
 
以上のことから,ホブソンの資本輸出擁護論は,それ自体自己目的的ではなく,いわば,ためにする議論であったことがわかる。
彼の最大の目的はあくまで自らの「過小消費説」の実践である所得再分配政策の擁護にあったのであり,
そのために,保守党が展開する国内市場重視論は論破されねばならなかったのである。
すなわち,資本の流出による経済衰退という論点が捨てられたことは事実であるが,
このことは,所得再分配による国内市場の拡大,というホブソンの国内市場を重視する立論の基礎が揺らいだことを意味するわけでは決してなかったのである。
 
このことは,彼が同時期に発表した大著『産業組織』によっても明らかである。
彼は同書において失業問題の原因を究明するが,得られた結論は従来と全く変わらない。
すなわち,「全産業組織が,消費を生産が上回るという普遍的な傾向を修正しない限り,どのような失業対策も効果がない。」
>貧困階級の過小消費と富裕階級の過剰貯蓄を産み出している所得の不均衡を解消しない限り失業問題の解決はない
というこの「過小消費説」は,自由党内閣によってそれが実践に移されているが故に,尚一層その正当性を弁じられねばならなかったのである。
 
 また,ホブソンが資本輸出擁護に転じたことは,資本輸出の主体たる金融利害の支持に回ったことを意味するわけでもなければ,
生産者国家」の堅持という思想が失われたことを意味するわけでもない。
彼は自由党の再度の勝利に終わった1910年1月総選挙の直後に著した論文「総選挙:社会学的解釈」において次のように論じている。
選挙結果を分析した結果,イングランド北部は自由党,南部は保守党という色分けが明瞭に浮かび上がる。
そして,「北部と南部は,ある種の経済的区分に対応している。製造業及び炭鉱業という生産的大産業はほとんど北部に集中している一方,
南部はより農業的であり,その製造業は小規模で組織化されておらず,多くの行楽地や住宅地を含んでいる。」
すなわち,「産業的イギリスは自由党系であり,田園的・宅地的イギリスは保守党系であるという言葉は,事実的に正しい。」
「選挙地図が実質的に正確な表現を与えているように,二つのイングランドは,生産者のイングランドと消費者のイングランドとして描かれよう。
一方のイングランドにおいては,富裕階級がその富や余暇や影響力から文明の表面的性質を形成し,人々の習慣や感情や意見を決定する。
他方のイングランドにおいては,職人や工場従業員や炭鉱夫等といった協同的な大衆によって遂行される組織的な大産業の構造や活動が支配的現実であり力である。
・…南部で生活する人々のほとんども生活のために働かねばならないが,その仕事の多くは,金利生活者の意思と要求によって緊密にかつ意識的にさえ支配されている。
そして,金利生活者の威信は,有益な産業に対しても民主主義に対しても等しく敵対的な習慣や思想や感情を押しつけるのである。」
 
このようにホブソンは,再び関税改革を争点として戦われた1910年1月総選挙において,自由党を支持する生産的な北部と保守党を支持する非生産的な南部との対立が浮き彫りになったとみなした。
もちろん彼は産業的北部を代表する自由党を支持するのである。
ここで当然疑問とされるべきは,保守党が掲げた関税改革による保護主義は,本来「生産者」の利害を擁護す
るものであったのではないか,という点である。これに彼は次のように答える。
現代においてはいかなる政府も公共支出の絶え間ない増加を止めることは出来ない。
そして現代の保守主義は,教訓だか啓蒙だかによって,困窮した利害を補助するための大規模かつ高価な政策や,慈善的かつ治安上の考慮が要求するような『社会改革』を受け入れるに至っている。
(したがって,)
より多くの貨幣が見出されねばならない
間接税によって,人々の総体は各自の割り当てを最もよく払わせられる
同時に,保守主義の支持者であるような実業利害にとって有利な間接税が選好されるのは必然なのである。」

 要するに,保護主義は租税負担を国民全般に転嫁するために富裕な金利生活者が用いる隠れ蓑に過ぎないというのである。
これは『帝国主義論』でも示された論点だが,シティの金融利害が圧倒的に保守党支持に回っていた当時の政治状況を振り返った場合,このようなホブソンの認識は的を射たものであったと言える。
そして,ランカシャー綿業を中心とする北部の輸出産業が未曾有の繁栄を謳歌していた当時においては,
自由貿易主義の下で「生産者国家」としてのイギリスは最も良く維持され得る,と彼は判断したのである

しかし,本来は国内市場重視論者である彼が,輸出産業の繁栄に期待するという構図は,彼の解き難いジレンマを露呈するものでもあった。

      V.第一次大戦
 1914年には大戦が勃発し,
翌年には自由党と保守党の連立内閣が成立,さらにその翌年には政変により少数派自由党と保守党,労働党からなるロイド・ジョージ連立内閣が成立した。
 大戦への参戦に反対していたホブソンは,戦時内閣の保護貿易政策導入を直接の契機として自由党を離れ,独立労働党に加わることとなった。
 
 このような環境の激変が彼の対外的な見方にどのような変化をもだらしたか,1916年の著書『新保護主義』とその翌年の著書『戦後の民主主義』に基づいて検討しよう。
 まず『新保護主義』において彼は次のように述べる。
戦時内閣が導入しようとしている「新保護主義」は「馬鹿馬鹿しさの混合」であるばかりでなく,「犯罪」でさえある。
「文明全体の潮流が世界中の人々の利害と行動を通商の一層の相互依存によって緊密に統合しようとしている一方,この提案はその動きの逆転を狙っているのだ。」
 
 
彼が保護主義の元凶とみなしたのは,やはり投資にかかわる金融利害である。
*それというのも,「西洋先進諸国における資本家の貯蓄から流れ出す広範かつ野蛮な奔流,資本輸出こそ現代における新しい支配的なファクターなのだ」からだ。
 同様な議論は,翌年著された『戦後の民主主義』でも見られる。
本書の中で彼は大戦の要因を,世界的規模での過剰貯蓄・過小消費から生じた貿易圧力及び海外投資圧力に求めている。
すなわち,「世界市場が支えている海外貿易や輸出産業の利得はあまりに不平等に分配されており,新興国家の人々が得る利益はあまりにも僅少なので,輸出商品の全体量を消費のために購入することが等しく不可能となっていることが明らかになっている。」
彼は,「貿易業関係者の利害は対外政策においてますます大きな役割を果たしている」とみなすが,
結局のところ,貿易業者が海外市場にもっている利害は投資業者のそれほどは大きくない。」
なぜなら,「貿易業者は一つの市場で商品を売れなくても(他で)それを売ることが出来る」一方で,
「資本を投資する人々は外国でそうはいかない」からである。
*つまり,帝国主義の発現たる大戦の最大の元凶は金融利害なのであり,各国政府はその「政治的代弁人」に過ぎないというのである。
 こうして,彼は海外投資に対して批判的な,世紀転換期の立場に回帰するが,この期に至っても,彼の自由貿易主義は微動だにしていないことは注目に値する。
輸出産業に対する厳しい態度が自由貿易主義の放棄に直結しないことも,世紀転換期と同様である。
それというのも,保護主義者こそ,「帝国市場」という名の海外市場重視論を説く真正の帝国主義者である,と彼がみなしたからである。
国内市場重視と自由貿易主義の擁護を同時に説く,という彼の逆説的スタンスは,帝国主義==保護主義=海外市場重視論という彼独特の把握によって正当化された。

>>それに加えて,彼自身の「過小消費説」もまた,自由貿易政策=直接税中心体系,保護貿易政策=間接税中心体系,という認識によって,自由貿易政策を支持したのだと言えよう。
しかし大戦は,世界規模で「過小消費」が問題となっているという,新たな視点を彼の理論に付け加えることとなった。
      
 
       VI.1920年
 大戦は北部の輸出産業に対して壊滅的な損害を与える結果となった。そのため1920年代を通じて,イギリスは厳しい不況に陥ることとなったのである。
 19世紀末「大不況」以来久々にイギリスを訪れた本格的な不況は,ホブソンの思想にいかなる影響を及ぼしただろうか。
 
 1922年の『新産業秩序へのインセンティヴ』において,彼は次のように論じる。
「資本と労働のそれぞれの側における合同運動の急増,協同組合運動の力量,国家の財政上のニーズと要求,産業争議の頻発と過激化,これらにより多くの人々は産業のラディカルな再編が必要となっていることを認識するに至った。
…・我が国に生育しつつある新秩序は,国家社会主義サンディカリズム,ギルド社会主義のいずれでもなく,産業の状況によって変化する,これらと他のスキームとの混合である。
しかし,それはある共同の目的を体現している。
すなわち,(1)無制限の不当利得の禁止,(2)雇用主寡頭制という政府形態の変換,(3)生産物を平等かつ平
和な手続きによって産業に関連する諸集団に配分する方法(の導入)。」
 
ホブソンによれば,この「新秩序」は,「旧秩序」を擁護する勢力の抵抗を排して構築されねばならない。
すなわち,「各章を通じて私の目的は,これらの,そしてその他の目的の合理性を究明することであり,とりわけ今日の産業においてはどの程度まで私的かつ個人的な利害が経済的であり,そしてどの程度までその個人的利得はより広範で信頼できる魅力をもったインセンティヴによって代替され得るかを考察することにある。
インセンティヴに関するこのような考察は,産業のコントロールという問題を伴う。
したがって,労働者や雇用主,資本家,消費者,そして国家が各々の利害を擁護し推進するために産業政府において演じるべき役割についても考察せざるを得ない。」
                                      
 
 
本書において明らかなように,
*彼は大戦以後のイギリスにおけるいわゆる「組織資本主義」化の傾向を看取し,その傾向を望ましいものとみなした。
*戦前においては,彼は国家に主に財政を通じての所得再分配を期待していたが,
*戦後にはこの「組織資本主義」化の傾向を反映して,国家にはるかに大きな役割を期待するに至っている
**既に引用部からも明らかなように,彼は「産業政府」という名の下に,<一種のコーポラティズム体制の構築>を図ったのだと言えよう。
具体的には,彼は,「代議政府が経営する国有産業と,自動的競争,もしくは利益分配制,協同(計画)によって動かされる民間産業から構成され,労働者や消費者の一次的利益を擁護するための規定を伴う産業組織」を想定していた。
 同様な議論は,産業争議の深刻化に際して1927年に著された『産業平和の条件』でも展開されている。
本書においては,次の権能をもつ「産業政府」が要求される。
 生活を維持するに足る賃金を労働者に保障する。
若干の主要な独占企業の機能を掌握し,支配する。
地代や超過利潤,相続財産についてでき得る限り多くの部分を公的歳入や共同体のサーヴィスのために徴収する。
 
 
*以上のように,ホブソンの「過小消費説」は,戦後不況の中で,産業活動全般への国家の介入を通じてその実現を追求されることとなった
「過小消費説」の内容自体は変わらないものの,その実現手段は多様化されたのである。
こうして,「過小消費説」が維持される一方,大戦の経験と戦後不況は彼の対外的な見方を大きく変化させることとなった。
 
 『産業平和の条件』において彼は次のように論じる。
外国との競争に直面する輸出産業においては,賃金の引き上げは困難である。外国との競争に関しては,四通りの対策が存在する。
一つは輸出産業の賃金引き下げを容認するレッセ・フェール政策だが,この方法は文明社会の基準に反するので排されねばならない。
第二は,苦汗労働なしには耐え得ないような輸出産業は消滅するに任せ,失業者が他の職業に移動することを補助する方法である。
これには次のような難点がある。
不況の際には失業者が新たな職を得ることは難しいし,失業保険による莫大な公共支出は,失業者を遊ばせて彼らの士気を低下させるために用いられることになる。
そこで残る方法は,輸出産業への補助金か保護関税のどちらかということになる
しかし関税の利益は好況時より不況時により少なく,その上イギリス市場から閉め出された外国商品との海外市場をめぐる競争は,一層厳しさを増すであろう。
したがって,最も健全な方法は補助金ということになる。
 こうして,この時期においても,ホブソンは自由貿易主義を堅持するが,保護主義への攻撃的姿勢はかなり後退している。
さらに,ただ単に自由貿易政策によって問題が解決するともみなされていない。
 
>イギリス輸出産業の脆弱性が,より深刻な問題を浮き彫りにするからである。
*「人口規模と食糧・原料自給率の低さにより,我が国は完成品の輸出に多くを頼らざるを得ない。
したがって,我が国が購入する商品を生産し,我が国が生産する商品を購入する外国における同程度の生活水準の向上がなければ,我が国の労働者大衆の生活水準を向上させる望みは持ち得ない。
あたかも我が国が自立した経済機構であるかのように,我が国の生活水準を引き上げようとする試みは,単に弱小産業を淘汰するだけであろう。
もし弱小産業をより強力な産業への課税によって得られた補助金によって救済しても,新規貯蓄を海外への投資に追いやるだけであろう。
最終的にそのような政策は国家の解体を促すであろうし,一層多くの富裕者を外国に移住させることであろう。
しかし,たとえ資本輸出の増加が政府の干渉や差別的関税によって防がれたとしても,問題の根源は残る。
もし必要な食糧や原料を得るために外国に輸出せねばならない完成品が,その『コスト』をカバーするに足る価格を保障する市場を十分に発見することが出来ないならば,原料は枯渇し,食料は欠乏する上高価になることであろう。

換言すれば,分配のために得られる実質所得は,我が国の全人口の文明的な生活水準を引き上げたり維持するには不十分なのである。
…・我が国民経済の世界経済への依存はあまりに緊密であるので,我が国の賃金問題は純粋に一国的な方法によって完全に解決することは不可能である。」

 したがって,「輸出産業の保全と進歩にとって第一に必要なことは国際協力であ」り,具体的には,「先進国間における雇用の最低条件の平準化」と,「国際連盟諸国間での賃金に関する協定」が必要である。
 
 
 以上のことから明らかなように,世界規模で「過小消費」が問題となっている,という戦時中の認識は戦後に持ち越され,その上,海外市場に対する見方は根底的な転換を見せている
すなわち,イギリスの国民経済は海外市場から自立した形で存立することは出来ない,という認識が明瞭に打ち出されているが,これは戦前の思想とは明らかに断絶している。
それでは,ホブソンの国民経済主義者としての側面は完全に失われたのだろうか。
これに関しては,次の点に注目すべきであろう。
彼の海外市場重視論への傾斜はやはり,リカード的比較優位論に依拠しているわけではない。
*?各国の国民経済がそれぞれ所得の不均衡を解消することによって自足の方向へ向かうことが期待されているのであり,そのための国際協力が要請されている。
すなわち,「過小消費説」に基づいた国内市場の拡大による国民経済の自足を目指す点では,彼の目的が変化しているわけではない。
しかし,その達成は国際協力なくしては困難であるという。認識が,新たに加わったのである
したがって,この時期においても,国民経済主義と国際主義が同居したホブソンの独特の思想は不変であったと言うことが出来る。

   
 
           Vll.世界恐慌
 1929年,ニューヨーク株式市場における大暴落を契機として始まった世界恐慌はイギリスをも巻き込んだ。
労働党政権は何ら有効な対策をとり得ないまま1931年には倒壊し,保守党を中心とする挙国一致内閣が成立,翌1932年にはイギリス帝国内で保護関税同盟(スターリング・ブロック)が形成される
この激動の時期,晩年のホブソンの思想に何か変化は見られただろうか。
 
 ファシズム諸国の台頭が明らかになった1937年に著された『財産と不正財産』において,ホブソンは次のように論じる。
 ファシストに代表される帝国主義者の不況打開を口実にした侵略願望は,貿易は国旗に従わない,という事実からして的外れである。
 >それにもかかわらず帝国主義が推進される理由は,軍需産業を典型として,帝国主義から利益を得る組織的な経済利害が一部に存在するからである。
 *しかし,従来の自由貿易主義のロジックに暇疵がなかったわけではない。
帝国主義者が唱える保護主義にはそれなりの説得性がある。
なぜなら従来の自由貿易理論は,雇用と資本の利得という観点から見れば,商品間の交換は外国と行うよりも自国内で行った方がよい,というアダム・スミスの説を無視し,保護関税の導入は輸出産業に損失を与えると論じるに留まっていたからである。

 しかし,「我が国の輸出産業の損失は国内産業の利益によって償われる」のであり,「対外貿易が国内産業より重要だというのは幻想」である。
 
 
 
 つまり,国内産業の保護という観点から見れば,保護主義には確かに一定の効果を期待し得る。
 しかし,やはり次の理由から保護主義は排されるべきである。
1、まず,不況の際にも保護貿易から利益を得ることが出来る国は,外国の競争者を排することによって国内に一層大規模な生産的雇用を確保し得る国に限られる。
2、さらに,各国が同時に保護貿易を採用している際には,その効果は一層限られる。
3、また,他国の商品を閉め出すために相当高率の関税が必要な際には,高物価が実質賃金を引き下げ,むしろ失業が増加するだろう。
4、その他にも,一旦導入された関税は固定化する傾向があり,不要となった際にも廃止することが困難である。
*したがって,求められるのは,「資本主義の失敗という本質を覆い隠そうとする試み」ではなく,「自国や世界の平和と生産的な繁栄を確保するために必要な政治・経済改革」に取り組むことなのである。
具体的には,所得の不均衡を是正し,一部のキー産業を公有化することによって金権寡頭制を打破する,という自由主義社会主義を調和した改革がなされるべきである
 
 
以上のことから明らかなように,ホブソンは国内産業を重視する立場から保護主義をある程度評価するまでに至っている。
これは,彼の国民経済主義者としての側面を如実に示していると言えよう。
しかしその一方で,同時に本書では,資本不足に苦しむ他国の開発を促すためにも,資本輸出への規制は不要と論じられ,
>?組織的大資本が支配する利己的な国民経済よりも民主的コントロールに服する国際産業の方が望ましい,とも主張されている。
さらに,次のような記述も見られる。
「階級的搾取のみならず,国家的搾取をも非難し,あらゆる財産を人道的サーヴィスの手段という正しい位置に定置するという,共通の国際政策を(各国が)採用する場合にのみ,我々は社会的な理想を達成し得る。」
*すなわち,各国の社会問題は国際的な取り組みによってしか解決されないが,その前提は,各国が独自に所得の不均衡を解消するための社会改革を行うことだとされるのである。
>このように,ホブソンはその最晩年においても,国民経済主義者と国際主義者という二つの顔を持ち続けたのである。

      vm.結び
 最後に,各時期を通じて,ホブソンの経済思想の特質を,国際経済に対する見方を中心にまとめておこう。
 
 
ケインが指摘するように,対外緊張と対外平和の時期に応じて,ホブソンの思想が内向きの性質と外向きの性質を交互に強めていたことは確かである。
しかしながら,本稿を通じて明らかにしてきたように,ホブソンは,必ずしもケインが主張するように,国内の社会改革重視と国際関係重視との間を揺れ動いていたわけではない。
 
 ホブソンにとっては常に,社会改革を通じての国内市場の拡大が最も主要な関心事であった。
しかし,世界的な帝国主義戦争となった
第一次大戦は,世界的規模での所得の不均衡が問題となっていることを彼に認識させた。
 それによりこれ以降は,国際協調がなければ社会問題の一国的解決は困難だというロジックが現れる。
 
 したがって,ボブソンの思想の画期を求めるならば,大戦期が適当ということになろう。
しかし戦後においても,各国内での所得の不均衡の解消を目指すという一国規模での取り組みは大前提だったのである。
そして,自由貿易,資本輸出といった対外的経済政策は常に,国民経済が抱える所得の不均衡という問題の解決に対して,どのように貢献し得るか,という基準によって考察されたと言ってよい
むろん,各時代におけるイギリスの国民経済を取り巻く国際状況が,その判断を左右したのである。
その点で言えば,彼は国民経済主義者であり,経済的ナショナリストであった。
 しかし,次の点にも留意せねばならない。ホブソンは,国民経済への得失を第一に考慮する意味ではナショナリストであったとも言えるが,その国民経済の利益は平和な国際櫨調によって図られねばならないし,図られ得ると考えていた。
その点では,彼はやはり国際平和を希求する国際主義者でもあった。
ホブソンは終生,このようなヤヌスの顔を持ち続けたのである。
ホブソンの経済思想を体系的に理解するためには,この二つの側面を,特に従来の研究では見過ごされてきた国民経済主義者としての側面を知ることが欠かせないであろう。

〈本稿は平成11年度文部省科学研究費補助金(研究奨励費)の成果の一部である。〉