反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第一回。反俗日記2015/3/13(金) の問題意識を継続して、冷戦体制とその後から現状までのロシアの政治経済を探索。

反俗日記2015/3/13(金)
の問題意識を継続するために、冷戦体制とその後から現状までのロシアの政治経済を探索することにした。
 
具体的な素材はこの帝国主義論の第3回掲載にさしはさんだ、島田雅彦徒然草inUSA」であった。
こういう見方はもっともらしいが、ロシア中国がたどった歴史の現実とそれを引き継がざるえない現状とは大きくかけ離れていると、思われる。
「ロシアの場合は、ソ連崩壊直後、エリツィン時代に未曾有の経済危機に陥った。 
>連邦崩壊時、イギリス人資本家が暗躍し、続々と出現していた新興企業の株を買収し、その会社の株価を吊り上げて一気に大金持ちになるという新興財閥をたくさん生みだした。
その新興財閥を背後から操るという形で、イギリスはロシアの資本主義の陰の人形遣い、支配者になろうとした。W。背後で操るロスチャイルド?ロシア人の国営企業の私物化。
エリツィンは裏で糸を引く、アングロサクソンの陰謀に気付きW。レーニン帝国主義論」を読むと、陰謀でも何でもなく、国際金融資本の普通の振る舞いにしか思えない)
 イギリスに買われてしまう前にロシアの企業をもう一度ロシアのものにしようと動き出してKGB出身だったプーチンに権力を禅譲し、イギリスの息のかかったロシアの独占資本を国有化するという方法に打って出た」。
 
「ロシアと中国では、修正社会主義が当然のように今も通用し、そうした活動によって富の蓄積をしていった」。
「~大きな政府による干渉を嫌い、あくまで市場原理主義に基づいた自由競争を信奉するアングロサクソンとは別の経済観がここにある」。
「~(しかし)世界恐慌に突入した現状では、国家が経済に介入しない限り、つまりはかつての社会主義的な政策でも取らない限り、救われようがない。
資本主義の自由競争と市場を過剰に信用することで政府の役割を小さくした手法はすべて裏目に出て、今一度大きな政府を取り戻さなければいけない状態だ。」
W。そのあと、ブッシュ政権クリントン政権時代の自由放任とは言い難い、政府の経済過程への介入の実態を挙げている。
W。グローバル金融経済帝国主義の経済低成長、寄生性の深化する先進諸国において、その無政府的蠢動にたいして、「国家の経済への介入」の根拠である財源、権限は、ますます乏しくなってきている。
W。そうした金融帝国主義経済への規制は、全く逆方向の制度政策に流れている政府自ら率先して、行うはずがなく、金融帝国主義の<低強度戦争>の地球規模のばらまき、という焼き畑農業的世界資本蓄積過程は、地球的人類的制約を極めるまで、継続されていく。その間にソレを規制する力は二つの世界戦争の発火点は先進ヨーロッパであった、という厳しい歴史的事実を弁えた世界の民衆の間からしか湧きあがってこない!
 世界戦争が発生する条件はないが、低強度戦争状態は世界中で進展する。しかも先進国政府は世界中に低強度戦争状態をまき散らす趨勢にある金融帝国主義への規制とは逆方向の政策をとり続ける。
後で取り上げる大前研一の基本的な政治思想は、EUのような広域経済圏構想の進展によって、何とかなるような楽観論の立場に無理やり立とうとしているが、EU自体が金融帝国主義的な振る舞いの基盤となっているのは紛れもない事実で、そうした最中に圏内中央の政治経済は矛盾を深めている

 まず最初に、大前研一の「ロシアショック」2008年発行、講談社、を一読した。
ロシア理解のための事実関係の指摘がたくさん載っているので後で、引用する。
その前に、肝心の日本のTPP問題に対する大前の見解を確認する必要があった。他所の地域や国のことよりもまず、足元の問題でどういう見解を持っているのか確認しておきたかった。

 大前の「ロシアショック」は米国バブル崩壊直後の状況を受けて、アザトクその対極として、プーチンロシアの市場としての可能性を大げさに押し出しているようである。
 
ゴルバチョフエリツィンは政治バカで資本主義化の手順を完全に間違って社会経済の大混乱を引き起こしたという見方には同意する。
ただし、ソ連は中国のような、「孤立」政治経済圏ではなく、東欧地域との政治軍事経済有機的関係を抱え込んでおり、形の上では、西側との対峙の歴史があり、したがって、その広域圏に責任を持たざる得ない、という立場から、中国の鄧小平路線のような、国家権力の独裁を維持して、経済資本主義化を実現できる政治環境が、当時、リアルにあったかどうかの問題がある。
ただし、こういったリアルな生きた政治の問題に関して実情を全く知らないので、判断できない。
 
いづれにしても混乱は避けがたかっただろうが、手順を完全に誤ったことは確かで、その渦中で、とんでもない人的物的国富がロスした。内戦があったわけではないのに、混乱の時期に平均寿命さえ低下している。大前は「ロシアショック」のなかでその具体例をあげ、中国型の対応が可能であれば、中国よりも経済発展していただろうと予測している。冷戦体制時代のソ連と中国の経済格差からいえば当然の予測である。

この問題系をもっと突き詰めて考えていくと、ソ連邦崩壊の大混乱とロスを発生させたソ連共産党の指導部には、なぜ?旧来の社会経済機構の中核であった国家権力の問題を蔑にした政治路線の選択をしたのか、という政治思想分野での問題が、問われて当然である。
これは、ロシア革命型の政治思想はヨーロッパ社会主義の中でどのような系譜にあって、どの立ち位置にあるかという根本問題を抱えている。というのは本質上、資本主義政府は自生する経済に基づく政策限定責任政府であり、
社会主義政府は過渡的な経済体制を主導するのだから、権限を大きくするしかないという問題が内在しているが、その場合、政策次元の問題だけでなく、政治イデオロギーが問われてくる。
 
>危機的情勢のただなかで、国家権力の問題を政治の中心に据えるのは、あたり前ことである。
>政治とは権力の分配である、とイギリス政治の学者の見解だが、危機的状況において分配できる条件がなければ、その時点では厳しい選択になるが、後のことを考えて独占(挙国一致という形もある)を選択するしかない。もともと独裁権力の場合は、ただその独裁権力の実際の発動の決定的なとき、やり方程度だけが問題になる。
上記のような観点に立てば、ゴルバチョフは最初から間違った判断をして状況を収拾のつかないところまで自ら押しやった、といえる。
民衆の立場に立って考えても、実際に大部分の人たちは大被害を受けているのだから、上記の問題意識は間違いとは言えない。
ゴルバチョフは欧米日本で評価は高いが、ソ連邦崩壊の大混乱の中でロシア国民の信頼を完全に失って、支持率1%以下になった。完全な失脚である。短期間のうちにロシアの多くは国民はゴルバチョフ同調から、政治指導力に完全なONを突き付けているが、基本的な問題の所在は、資本主義化の手順の問題、つまり当時のソ連共産党の政治路線の問題である。

  その1。スターリン主義体制の冷戦体制下の「平和ボケ」=社会民主主義浸透
一言でいえば、ロシア革命後、70数年後のスターリン主義官僚組織に社会民主主義的政治観が長い年月をかけて徐々に浸透していった、とみる。
それは、現実に独裁的権力を維持している以上、外面の内外強硬路線の現実とは大きな矛盾はなかった。つまり、ソ連共産党と東欧体制の冷戦体制の「平和」の城壁のど真ん中で安住し、政治感覚がなし崩し的にボケてきたのである。

  その2。共産主義社会民主党の関係
もともと、ボリシエビキとメンシェビキはロシア社会民主労働党の指導部が20世紀初頭に組織問題で分裂した際の、多数派と少数派の意味であり、マルクス以後のヨーロッパ社会主義運動の視点からみると、イギリス改良主義型フランス労働者自主管理評議会型など多様な要素があったの中のマルクス社会民主主義グループであったドイツ社会民主党の系譜の「最左派」という政治的立ち位置があった。
レーニンの「帝国主義論」を読んでいてハッと気づくのは、そこに一切の政策制度論議は小市民的小ブルジョア的発想として排除されているということである。
もっともなことである。
第一次世界大戦に至る、ロシアの政治主体や、ツアーり官僚の専制の基本対峙の状況において、下から政策論議を挙げていくような環境はなかった。
政治のが流れは、新しい民主憲法を形作り、新しい国の形を作るあげるという方向に流れていった。そのような状況の中で政策論議の入り込む余地がない。大戦の前線もこう着状況が続き、大損害が出ている。
 
    
            時間不足で、ココまで中止して、次回は大前研一の「TPPに対する見解」に移る。