反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第2回。ロシア政治経済を探索する。マーシャル、ゴールドマン「強奪されたロシア経済」を検討材料にして、大前研一著「ロシアショック」から参考資料を列記。

 
 反俗日記 2015/3/22(日) 午後 1:59
 タイトル
「第一回。反俗日記2015/3/13(金) の問題意識を継続して、冷戦体制とその後から現状までのロシアの政治経済を探索。」の冒頭の問題意識にそって、大きな図書館から専門書を多数、借り出してきて、重要個所にタブを貼りながら、ザット目を通した。その間に、今までいつかはやろうと思って、6年間放置状態の約900のブログ記事整理やPCに取り込んだ情報の整理をしていた。加えて、オンラインショップからウイルス対策ソフトを買い込んだところ、実にばかばかしい、勘違いから、自分でトラブルを作ってしまった。
 最初からやっておけばいいものを、今頃、散乱状態に不便を感じて手を出したから、膨大な整理作業は単純作業だがなかなか終わらない重労働だった。記事の方はいまだに目標とするイラナイところは削り、情報として純化する、ところまで至っていない。
 
 
 
 
 そんなこんなで、顔面と目に帯状疱疹を発症し、本の内容を再構成するところまで至っていない。
完治した今は、最低限、タブを張り付けたところをもう一度読み直さなければ、まとまった想念がわいてこない。
が、体調が万全であったとしても、自分の設定した構成内容でまとめ上げることは至難の業である。
 
 そこで、この間にタブを張ったところを重点にして数冊の本を順次、点検していくことにした。

         「強奪されたロシア経済」マーシャル、ゴールドマン。
 
  略歴 ウィキペディア
 「1930年、ロシアから移住したユダヤ系の家庭に生まれる。
1952年ペンシルベニア大学ウォートン・スクール修了、ハーバード大学大学院で修士号(1956年)、博士号(スラヴ研究、1961年)を取得。1958年からウェルズリー大学で教鞭をとった。1977年よりモスクワ大学客員教授。1976年から2006年までハーバード大学ロシア・ユーラシア研究所(デイヴィス・センター)副所長を務める。
冷戦期からロシアでのフィールドワークを行ない、政財界・官界とも幅広く接触、研究と各種マスコミにおける時事評論の両面で活躍した。1991年、アメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選出される。」
 
W。図書館から借りだした本の中では唯一の外国人の著者である。この略歴の中に記されていないが、別な本では、プーチン大統領の経済顧問に就任した、しるされており、本の内容を読むと、ロシアの経済改革と担当責任者とも交流があるようだ。その豊富な現地での実体験がこの分厚い本の全編に挙げられている事実関係にリアリティーを持たしている。
 
 
 
 そのほかの日本人学者の本はすべてソ連、ロシア専門家のもので、理論的体裁は整っているが、リアルな側面に対して踏み込み不足が付きまとっている。
分析対象がカオス状態であれば、理論的体裁だけでは、割り切れるはずがないのだ。リアルな政治情勢に言及する必要は生まれてくる。
もっといえば、日本人ソ連ロシア専門家は、ソ連邦崩壊から、エリツィンプーチン時代に至るまで、ロシアでは重要視されず、引き起こされた情勢に対して理論的整合性を与える評論をしてきた、というのがありのままの現実であろう。その意味でどの著作にも食い足りなさを感じる。
 大前研一のロシア市場でカネ儲けしよう、的観点の著作「ロシアショック」に挙げられた多くのグラフ、や論評の方が、使える。
 
 
 アメリカ人の学者連中は体制崩壊後の混乱期にIMFの介入とともに、経済顧問に就任して、短期間の固有セクターの私有化を、ロシア人の当該専門家とともに推し進め、実質的にオリガルヒ(金融寡頭支配者)の国有財産の強奪を引き起こし、その後プーチン時代の一部オリガルヒの排除の紆余曲折を経て今日に至っている

 先走って指摘すると、資源エネルギー金融など重要基幹を支配するオリガルヒ(金融寡頭支配者)の経済体制と権力機構を強権的に再編したプーチン体制の合体寡頭支配を先に挙げた記事の文学者島田雅彦のように国家資本主義と、規定しても、上からラベルを張り付けたようなもので、中身の実態を適切に云い現わしたものとはならない、と考える。
 煎じつめると高度に発展したした金融資本主義は、国家をも、ますます己の利害貫徹の道具にしていくわけで、その意味で現象的には世界の資本主義は全て国家資本主義的様相を色濃く呈していくのである。
 しかし他方で、EUや米国、日本(以上の3タイプにも違いがある)とも違うタイプの経済社会構造にあるのは間違いなく、将来の世界の進展において、強さと弱さを兼ね備えることになっていく。
たしかに、この二つのタイプの違い大きく、世界金融資本主義の不均等発展によって、世界市場の相克の源となりえるが、それは東、西の旧来の呼称をあてはめることはできない
互いの金融寡頭支配層の利害はリンクされ過ぎている。
例え、ロシアや中国の政治集団が除去されたにしても、中身の変化は、よりアメリカタイプに近づくだけになるだろう。世界金融資本の下僕になり下がっているといっても過言でない民主主義自由制度によって、金融寡頭支配層の収奪の自由が確保されるだけになるだろう

    さて、具体的に「強奪されたロシア経済」を検討していく。
 
1、タイトル「強奪されたロシア経済」の原題はThe Piratization of Russia~Russian reform goes away
著者の指摘している最大の眼目<ロシアの民営化>ではなく、<ロシア国有企業の私有化が、<ショック療法>を称する、短期間の資本と労働の市場化によって、引き起こされた、というところにある
1970年代のチリアジェンデ政権崩壊以降やアルゼンチンの経済危機に対するフリードマン的経済政策が、ほぼそのまま、ソ連邦崩壊後のロシアで実行された。
 
 
 
 
 急激な国有企業の株式化、従業員配布はハイパーインフレのなかで、株券を買い占める企業長、経営幹部、党政府の高官、旧体制では周辺や地下に潜っていた闇経済のマフィアの三つのタイプの金融寡頭支配者の台頭をもたらした。株券を配られた大多数の者は簡単に手放した。
この時期に既に、政府の法制は、党政府高官、経営幹部を将来の資本家に据える想定の下に編成されたが、カオスの中でマフィア的連中も台頭し、国営企業の私物化を図った。
この一連の過程は、表向きは合法であった。
同時に、長期にわたる社会経済大混乱の中で、ロシアから子会社などを使った膨大な資本逃避のルートが以上の者どもによってシステム化した。その際の膨大な資本逃避の直接のルートが、キプロスなどのタックスヘイブンであった。
 
 為政者は何とバカなことをしでかしたものだと思えるが、全部、事実である。
だからこそ、ソ連邦崩壊後10数年たって大統領に就任したプーチンは強権的な権力基盤を固め、マスコミ資本を強化し、政治に野心を抱く一部の金融寡頭支配者を強権を使って、追放するしかなかった
そして、プーチン体制に恭順を示す強奪金融寡頭支配者と共存、利用関係になった
もはや上記で指摘した範囲内でも、ソ連邦崩壊後の急速な国有企業の私有化戦略は、ロシアに巨大な人的物的時間的損失をもたらしたことが分かる。

   (A)参考資料。ロシア各地の特徴(大前研一「ロシアショック」より)
我々が一般的にシベリアと思っている地域は、日本の国土の45倍のロシアを三分割した、中央地域であり、極東地域は極東というには広大すぎる、東側の地域である。
 
イ、欧州ロシア(経済中心地)  人口の73%(1億超え)GDPの66%。~オランダ病~資源関連で価値が上がったルーブルによって、国内製造業の対外競争力の低下、国内市場における外資シェア高い。
 
ロ、シベリア(資源産出地域) ウラル地域(代表はチュメニ油田、昔と変わっていないなぁ~)原油70%。 天然ガス90%  石炭80%
>~シベリアの呪い~領土の大きさと気候のコストが市場の競争に取り負荷になる。
 
ハ、極東(低開発地域) じんこうGDPともに全体の5%未満。石炭木材の産出量も全体の10%~13%。
 
W。トータルして、まだ開発の途上にある国。
 
 
   (B)参考資料 2007年 ロシア下院、政党別得票率 
W。第一党から第三党の並びは2015年時点でも変わらない、と確認している。
統一ロシアプーチン党)          64,3%
ロシア共産党                 11,57%
ロシア自由民主党(ジルノフスキー)   8、14%
公正ロシア(欧米流資本主義政党)    7,74%
その他                      8、25% 
 
   (C)W。一見するとロシアの国家行政機構はアメリカ大統領の権限を強化したもの、とフランス大統領首相          制をミックスしたもの。
 
   (D)大学専門学校進学率は異常に高い。ブラジル中国の3倍。W。日本と同じていどか。
   
    世界の科学研究者数の地域別構成(1990年当時)W。崩壊後の大混乱でかなり流出傾向
ソ連    32,4%    
アジア   22,8%
欧州    20,9%
北米    17,8%
 
 
  
 
    ロシアから海外移住の研究者の年間流出数
2003年 
ドイツ     3,7万人
イスラエル  0,3万人
米国      0,2万人
 
    (E)ロシア国民の所得分布
約1600億円      60人     人口比        GDP比 16%
570万円        211万人   1,5%        20%          
 
260万円        788万人   5,5%        34%    人口比上位7%の所得はGDP70%
 
13,2万円       1億3100万人 93%         30%
         
 
    国籍別富豪ランキング
米国    469人
ロシア    87人 W。1998年とルーブル危機を契機に減少しているがそれでも今も多い。国家資本主義?
ドイツ    59人
インド    53人
中国     42人
トルコ    35人
英国     35人
香港     26人 W。本土42人+香港26人=68人おそらく現状では世界第二位。国家資本主義?
カナダ    25人
日本     24人
 
W。国家資本主義とは上記のような格差を示すものなのか?
島田雅彦の世界資本主義タイプの分類の中身が問われると、主張してきた根拠は、こういう現実にある。政治支配集団の勢力が後退しても、これらの者どもの収奪システムは増強する傾向に陥るという見方が、正確であると考える。彼らにとって、プーチン体制だろうが共産党体制だろうが、さらにそれらの勢力が後退して以降も身分は安定している。
従って国家資本主義などという分類は中身を問わず上にレッテルと貼っただけのムード的指摘である。
>要は、(E)ロシア国民の所得分布。13,2万円       1億3100万人93%         30%の問題である。中国も同じである。
>これからの金融帝国主義の相克の時代には、国対国の争闘に目を奪われるのは、古い政治習慣である。
>エマニュエルトッドの「帝国以後」の世界観は破棄した。
 
     (F)ロシアと日本の家計支出構成比
ロシア      消費       69,6%
日本       消費       39,1%
ロシア      基礎生活費   11,0% 
    
日本       基礎生活費   21,2%
ロシア          税金   13% (W。一律13%に決定。人口7%の上位所得分布GDP比70%の消費
日本           税金   17,6%
ロシア          貯蓄    8,0%
日本           貯蓄    17,8%
ロシア          利払い   2,3% 
日本           利払い   5,8%
 
大前に云わせるとこういうことである。
「一方、ロシアでは一律13%のフラットタックスのおかげで、高額所得者の可処分所得は非常に高い。
 
W。積極的な要因で導入されたというよりも資本逃避、闇経済を表面化し税収を増やす苦肉の策。所得上位の7%がGDPの70%を占めその部分の消費意欲は旺盛になるのは当たり前である。
しかしプーチン体制は人口比7%以外の圧倒的多数派の依拠しなければならない。ここにロシア政治の矛盾が出現し、プーチン政治を解くカギがある。東欧の例を当てはめると、ソ連では民衆の不平不満は国家主義に収れんされていくだろう。それは世界情勢の一方の激動要因に連動するだろう!
 
また、住居費や光熱費が安く基本生活費が低くてすむため、低中間層(W?わずか7%弱が中間層と云えるのか)の年収でも(W。ロシアでは高額である)上層中間層の可処分所得がある。
 だから日本では想像もつかない程、個人に購買力がある。しかも貯金もないのにモノを買う。明日の方が収入が上がる、生活が良くなると思っているから、将来に対する備えをしないのだ(W備えをしないも何も元々上位7%には可処分所得が多い!)。
 また男性の平均寿命が59歳なので定年よりも短い。つまり老後の蓄えがまりいらない、という発想なのである。」
<売り手が強いクレジット社会>省略W。消費者保護がなく、差押えの自由権が野放し。」
 
 
    個人向けローン残高(2005年 億ドル)
中国    2640
インド    920
ブラジル  840
ロシア    360
 
   (F)ロシアの相手国別直接投資残高 2007年末残高 億ドル) 
W。タックスヘイブンと直接つながった資金ルートが完成している。先に挙げた13%一律税制を採用しなければ、闇の資金ルートを表面化できない事情がある。
また、資源金融エネルギー兵器航空宇宙産業を基幹産業として、直接的な人的支配をしなければならない事情もこの数値からわかる。それは国家資本主義などという整合性のある構造ではない。
 
キプロス(W。タックスヘイブン。経済危機の時の査察でロシアマネーが表面化した)
354,2億ドル
 
オランダ(W。この国も似たようなもの)  352,5億ドル
 
ドイツ          44,9億ドル
 
英国領バージン諸島 36,4億ドル
 
スイス          34,4億ドル
 
米国           28,8億ドル
 
フランス         16,2億ドル
 
英国           15,5億ドル
 
      
 
     ロシアメーカーの家電シェア(2005年)
テレビ  韓国 サムソン   16%
     
      韓国 LG      10%
    
 
 
      仏            8%
      オランダ フィリップ 7%
 
冷蔵庫  伊          30%
       露          20%
       露          13%
       韓国         7%
       韓国          7%
 
洗濯機  伊          24%
      不明外国メーカー 21%
       韓国        16%
       韓国        12%
       独          11%
W。低価格帯のメーカー商品がうれている。中国も同様だが、国内の製品市場の外国企業の占有率は高い。
中国輸出額の40%半ばは中国内の外国企業者である。
 

       「強奪されたロシア経済」
W。エリツィンの下で経済改革を担当した二人の人物は、ソ連時代の最終局面から、大学の内外で在野でアメリカ流の経済学を研究講座を開いていたものであり、行政実務経験はなかった。万巻のそのたぐいの書を読んでも、観念的であり、政治経済混乱のまっただ中で、政策的ジグザグを繰り返した。ここも大きなポイントである。彼らと直接議論する間柄のマーシャルゴールドマンの指摘するところである。
ソ連時代の指導層は長い冷戦=デタントの時代に、波風の立たないソ連中央のヒエラルキーの中にいて、ボケてしまっていた。こうした指摘はどこにもないが事実だろう。人民にもそういうことが云える。情報閉鎖社会、一方向の情報洪水社会は人間の政治的文化的感性を退化させる。
 
    引用。 第4章 壊れたら修理せよ 
 <ゆっくり進んだ中国ポーランド
 W。この程度のことは当たり前のことなのだが、周りが見えていなかったというしかない。
 
「改革担当者たちがそれぞれ自分の立場を正当化する気持ちはわかるが、彼らは今なお、経済改革が失敗したもう一つの原因がよくわかっていない様に見える。
 >それはロシア国民大衆にはショック療法を受け入れてついていく気がなかった、という事実である。市場経済への転換をめぐる国民の気持ちが割れている以上、ショック療法は政治的に見れば、現実性がなかった
 >ロシアの文化的伝統を考慮に入れた、違う手法をとっていたら、機能不全をもっとわずかなものに抑えて成果が上がっていたかもしれない。中国やポーランドのやり方を見ているとそう思わされる。
 
 中国ではロシアと違い、鄧小平の云う意思を一つまた一つとおいて川を渡る流儀で穏歩前進した。中国人は農村部には契約責任請負制を導入して、効果的に人民公社を解体させて、革命前の家族経営を復活させた。個人には個人企業や協同組合を作ってよいことになったーだけでなく奨励された。
>中国政府は最初は企業が雇える人間の数を制限しておいて、ゆっくりと制限を撤廃した。外国企業との合弁会社を作ることを許し、沿岸部には経済特区をつくった。
>一部の価格がこれもゆっくりと、価格上昇が早すぎると、ときとして元に戻しながら自由化された。
 
だが、中国もポーランドも即時の私有化ーは強行しなかった。
*私有化は、中国人がポーランド人と同様、ゆっくりと行動した領域の一つである。
*採算の取れないでいる国有工場で多数の労働者を解雇したりすれば、社会不安が巻き起こる。それを恐れた中国人は、そうした工場には1990年の後半まで補助金を注入してテコ入れし続けたのである。
*ロシアのような性急な私有化をしなかったので、ポーランドでも中国でもロシア型のスキャンダルは起きなかった。
*両国はゆっくりと改革を推し進めることで市場制度の成長を即し、それが潜在しているオリガルヒ(金融寡頭支配者)体制の力をそいだのである。
>依然として続いている中国共産党一党独裁と地方の共産党幹部の腐敗が諸々のひずみと弊害を生んできたことは否定しようがない。
だが、中国に非国有セクターがロシアのそれに比べてづっと活力に満ちオリガルヒの支配を受けにくい状態であることもまた事実なのである。
*少なくとも私有化に関する限り、普通の人間に経済的必要に対してロシアの改革よりもずっと敏感に反応する経済を生みだし、普通の人間が一般に必要とするお金や物もロシアの改革よりずっとうまく入手できるようになったのも事実である。

W。前回の記事で指摘した次の直感は、かなりの本を読んだ後の今も、基本的に変えるつもりはない。
「>いづれにしても混乱は避けがたかっただろうが、手順を完全に誤ったことは確かで、その渦中で、とんでもない人的物的国富がロスした。(タックスヘイブンとの直接的な膨大な資金ルートなどあってよい訳がない!プーチン勢力のガスプロムによるエネルギー産業の制覇にもタックスヘイブンからの資金が直接導入されている)
内戦があったわけではないのに、混乱の時期に平均寿命さえ低下している。こんなな改革などあってよい訳がない!誰のための何のための改革なのか!過去に対する弾劾だけではなく、今もその体制が引き継がれていると認識しているから問題にしているのである。欧米日本の金融帝国主義と同じ穴のむじなだ!何ら弁護する余地はない>
大前は「ロシアショック」のなかでその具体例をあげ、中国型の対応が可能であれば、中国よりも経済発展していただろうと予測している。冷戦体制時代のソ連と中国の経済格差からいえば当然の予測である。」
 
「この問題系をもっと突き詰めて考えていくと、ソ連邦崩壊の大混乱とロスを発生させたソ連共産党の指導部には、なぜ?旧来の社会経済機構の中核であった国家権力の問題を蔑にした政治路線の選択をしたのか、という政治思想分野での問題が、問われて当然である。
カオス状態の中から政策選択への間違った圧力が生じる可能性は否定できない
>しかしロシア政治指導部は、ムード的な新思考外交やら、グラスノスチ、無内容で熟考のない綺麗ごとのペレストロイカの掛け声によって、最初から大量の水を盆にひっくり返してしまった。覆水は盆に返らない!

第二次世界大戦後の長期にわたる冷戦とデタントによって、世界戦争のおかげでソ連邦と東欧という領域支配は、中身からかけ離れて、あまりにも巨大に底上げされてしまった。
革命期の不可避的な国内戦争と対外支配と戦争は次元が違う。そこまで近代資本主義、国民国家、成立以降、の歴史を飛躍することはできない。ブレストリトウスク条約を参考にすればわかる。
しかし、言い換えると、それだけ、第一次世界大戦から引き継いだ帝国主義金融資本の矛盾が暴力的に広く深く世界中に浸透し、その裏面として、スターリン主義体制を、分不相応な世界覇権の立場まで押し上げたと、断定できる。
社会主義だのなんだのは呼称の問題であって、あくまでも問題はスターリン主義体制の内実であった。
かなりの本を読んだが、ソ連体制をスターリン主義と簡単ではあるが規定しているのは、マーシャルゴールドマンだけで、他の日本論者は社会主義としている。
わたしの立場からするとソ連型一国社会主義は最初から定義や用語の問題を超えて不成立の宿命を背負っていた。だからこそソ連東欧が崩壊しようが中国が改革開放をしようが、最初からその程度のものとしていたので、ほとんど関心がなかった。当たり前のことがようやく発生したのだ。
 
よく、70年も持ちこたえたものだと感心する。資本主義の矛盾の発展の裏側には多くのもう一つの道が過去も今もあり続ける、という人類史的証明のようなものだ。
実際のところ、ソ連東欧崩壊、中国の改革開放以前の東側の世界の圧力は、西側資本主義に修正の圧力となって、結果的に多くの国民の生活労働条件の改善に寄与していたと、認めなければならない。
日本の敗戦後の資本主義の発展と国民生活の向上もこの面から見直すこともできる。
1990年代初頭の冷戦体制崩壊以降急に日本資本主義の成長条件は失われた。コレは偶然の産物であるはずがない。
ソ連東欧中国のスターリン主義体制があったから、それに対抗して、アングロサクソン資本主義流の無機質な金融資本的暴虐は抑制され、日本資本主義はそのはざまで成長条件を確保し続けてきた、という一面は否定しがたい。
>そして、ソ連東欧中国の特殊歴史的な資本主義化によって、世界資本主義は、再び三度、世界金融帝国主義時代を突き進んでいる。新しくもあり古くもある歴史の扉が開かれた。
世界金融帝国主義の時代状況を西側だの東側だのこだわりを未だに持って認識するのではなく、統一的に理解したいと指向したい。

「これは、ロシア革命型の政治思想はヨーロッパ社会主義の中でどのような系譜にあって、どの立ち位置にあるかという根本問題を抱えている。というのは本質上、資本主義政府は自生する経済に基づく政策限定責任政府であり、
社会主義政府は過渡的な経済体制を主導するのだから、権限を大きくするしかないという問題が内在しているが、その場合、政策次元の問題だけではなく、政治イデオロギーの在り方が状況を大きく左右するということだ。
ソ連共産党指導部のこの肝心のところをしっかりとつかまず、長期にわたる人民支配と冷戦デタントの中でのヒエラルキーに安住して、すっかり思考能力を失ってしまった。そいう意味でスターリン主義の一国社会主義の弊害がつもりにつもって肝心な時に、全面開化した。それは世界とソ連邦の実情とかけ離れたものであった。
>危機的情勢のただなかで、国家権力の問題を政治の中心に据えるのは、あたり前ことである。
ソ連指導部は自らこれを手放している。しかも、自己の能力を過信して、ショック療法で移行できると空想してい資本主義のその時点の世界金融資本主導の到達点を見ていなかった。短期間に私有化を強行すると金融資本のカオスが発生する必然があったが、それさえ見抜くことができなかった。
確かに、国有企業の株券を買い占めた原資の出所は、どの本にも記されていないが、ハイパーインフレルーブルの価値が極端に下落しているのだから、かなりの部分は外国からもたらされたと考える方が正解である。
それで企業を買収し、タックスヘイブンに逃避のルートを開いたと考えた方が分かり易い。
そのような角度からの研究者はどこにも見当たらない。

>政治とは権力の分配である、とイギリス政治の学者の見解だが、危機的状況において分配できる条件がなければ、その時点では厳しい選択になるが、後のことを考えて政治権力の独占(挙国一致という形もある)を敢然と選択するしかない。もともと独裁権力の場合は、ただその独裁権力の実際の発動の決定的なとき、やり方程度だけが問題になる。ソ連中国のようなスターリン主義体制は所与の条件であるのだから、そのような選択肢しかなかった。
>上記のような観点に立てば、ゴルバチョフは最初から間違った判断をして状況を収拾のつかないところまで自ら押しやった、といえる。いってみれば、ゴルバチョフの場合は原発安全神話と似たような次元でことは進んだ。
民衆の立場に立って考えても、実際に大部分の人たちは大被害を受けているのだから、上記の問題意識は間違いとは言えない。
ゴルバチョフは欧米日本で評価は高いが、ソ連邦崩壊の大混乱の中でロシア国民の信頼を完全に失って、支持率1%以下になった。完全な失脚である。短期間のうちにロシアの多くは国民はゴルバチョフ同調から、政治指導力に完全なONを突き付けているが、基本的な問題の所在は、資本主義化の手順の問題、つまり当時のソ連共産党の政治路線の問題である。