反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

中国網日本語版(チャイナネット)」2014年。第一次世界大戦、新興ドイツと既存の大国の対立の教訓。アジアインフラ投資銀行、朝鮮中央日報日本語版記事~アジア開発銀行の融資を受けた側の見解と実情~

  中国の現状関連資料集。 マーカー部分に注目。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年6月27日 (田文林 中国現代国際関係研究院副研究員)
(1)第一次世界大戦100周年 教訓を忘れてはならない
「アジア太平洋の地政学的環境は日増しに敏感かつ複雑になっている。
W。良くまとまった情勢認識。太平洋と東アジアの新興と既存の二極の利害関係。韓国筋にも二極状況認識が多い。バブル崩壊金融危機後の米国EUの金融帝国主義の侵略性強化への目配りがない、ところが最大の欠陥。ここではソレがDの「日本軍国主義復活の加速化」に置き換わっている。Dはあくまでも対米従属覇権
A、これは中国という新興の大国と米国という既存の大国の対立、
B、釣魚島を巡る中日の地域の秩序・主導権の争奪、
C、不確定性の高い朝鮮半島情勢によるものだ
D、特に日本の軍国主義はこのほど復活を加速しており、地域全体の巨大な火薬庫になっている。
西側メディアは、現在のアジア太平洋は1914年の第一次世界大戦前の欧州のようで、いつでも小規模な事件により偶発的な武力衝突が発生し、全面戦争に突入する可能性があると指摘した。現在のアジア太平洋は確かに、表面的にはかつての欧州に酷似している。ドイツとフランスはかつて宿敵同士であったが、現在は中日の対立が激化している。当時はヨーロッパ大陸の外に英国があったが、現在は太平洋の向こう側に米国がある。」
 
「アジアは欧州と同じ轍を踏むだろうか。
これは中米がいかに「新興の大国、既存の大国」という矛盾を処理するかにかかってくる。既存の大国は一般的に、新興の大国の台頭を受け入れたがらない。ゆえに権力が移り変わる時期は、往々にして戦争が発生しやすい時期になる。
 しかし歴史を単純に比較することはできない
中日の対立は、独仏の複製ではない。米国も当時の英国のように、アジアで「対岸のバランサー」としての力を自由に発揮することはできない。中米は互いに最大の貿易相手国で、かつ互いに壊滅的な能力を持つ核兵器大国である。ゆえに戦争の手段により「台頭と既存」の矛盾を解決する利益が不足しており、大規模な戦争による犠牲を受け入れることもできない。
 「新興の大国は台頭を実現すると同時に、世界大戦を回避しなければならない。」
 
中国の対外戦略の最も重要な任務は、自国のボトムラインと限度を把握することだ。東アジアの主体国である中国は、地域内でより大きな影響力を発揮する理由と能力を持つ。釣魚島問題は中国の利益のボトムラインイメージ 1関わるため、一歩も譲歩できない。また東アジアは米国の核心的な利益がある場所でもなく、米国が投入できる力にも限りがある朝鮮戦争ベトナム戦争の教訓は、中米の軍事力に大きな開きがあった当時でも、米国が勝利することは困難であったことを教えてくれる。ましてや今の中国の軍事力は、当時の比ではないのだからなおさらだ。
ゆえに中米の東アジアでの協力の可能性は、衝突の可能性を上回る。中米はいずれも第二次世界大戦戦勝国であり、極東の国際秩序の受益者であるため、両国は日本の軍国主義復活の抑制に対して共同の責任を持っている。←W。中国のボトムラインと限度から出てくる戦略は、日本孤立化。
日本メディアが今年米国で実施した世論調査によると、中国を「米国のアジアにおける最も重要なパートナー」とする回答者が最も多かった。これは双方の衝突・対抗しない新型大国関係が、完全に可能であることを意味している。自国の領土さえ守れず、自宅の玄関(第一列島線)さえ出られないならば、中国は米国のパートナーとしては不適格であり、日本の軍国主義勢力を抑制することも不可能になる。中国は世界で謙虚な姿勢を維持しなければならず、永遠に覇を唱えてはならない。中国は陸と海が複合した国であるため、陸と海を同時に管理し、そこから利益を得ている。しかし中国は、ユーラシア大陸の中心に向かい全面的に「西進」し、世界的な海洋国になることもできない。大国の生存の道は、バランスを把握し程をわきまえることだ。←W。アジアインフラ投資銀行は最初、国内中西部、内陸部開発政策から、シルクロード鄭和の遠征にイメージが膨らんでいった。
AIIB(アジアインフラ投資銀行)の背景については、韓国中央日報日本語版の次の解説記事が、ネット上で一番、事実上日本主導のアジア開発銀行によって、融資を受けてきた側の実情を踏まえたAIIB参加の動機を語っている。
【コラム】「他人のお金で北のインフラを構築しよう」=韓国(1)2014年07月25日10時55分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]「世の中に無料はない。耳が傾いた朴槿恵(パク・クネ)大統領の「統一大チャンス論」も例外でない。何よりも、統一後に北朝鮮に新しく構築するインフラ費用が非常に大きい。なら、莫大な統一費用を減らす方法はないだろうか。こういう時に重要なのが先賢の知恵だ。すでに1990年、故南悳祐(ナム・ドクウ)元首相が妙策を出した。他人のお金を使うというものだ。「北東アジア開発銀行(NEADB)」というものを作り、外国資本で北朝鮮のインフラを構築しようというアイデアだった。20余年後の今年3月、朴大統領がドレスデンで明らかにした案もここから出てきた。こうした中、中国が「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」を推進するとして韓国の参加を要請し、賛否論争が激しい。AIIBとは、アジアのインフラ投資支援のために中国が来年発足させるという地域開発銀行だ。当初500億ドルを出すと話していた中国は、最近、1000億ドルを出すと主張し、規模を膨らませた。

目を引く点は、この銀行の青写真がNEADBと非常に似ているという点だ。うまくやれば、他人のお金で北朝鮮側を開発するという希望が実現するかもしれない。間違いなく朴槿恵政権としても参加したいはずだ。しかしそうするには、韓国のAIIB加盟を遠慮なく防ごうとする米国の立場が大きな負担となる。

世の中にはAIIBのような開発銀行はかなりある世界銀行(IBRD)を筆頭に欧州開発銀行(EBRD)、中南米開発銀行(IDB)、アフリカ開発銀行(AfDB)、そしてアジア開発銀行(ADB)などだ。このため「アジアにはADBがあるから、これを拡充すればよい」という声も出ている
> しかしこれは実情を知らない言葉だ。今はましになったが、ADBは日本が自国の都合に合わせて設けた機構だ。60年代初め、日本の企業家を中心にアジア、特に東南アジア支援のために作られたのがADBだ。
当初、米国はADB設立に反対した。米国主導のIBRDと競争することになるという理由だった。しかしベトナム戦争が不利になると、ADB支持に立場を変えた。共産主義の拡散を防ぐため、東南アジアでの経済開発が切実になったからだ。こうした理由からADBの2大出資国の米国は日本の独走を黙認してきた。66年の設立以来、総裁9人全員が日本人という事実がこれを物語っている。それもすべて官僚出身、または政府と関係が深い人物だ。このため日本政府と無関係であるはずがなかった。2010年、中国がADB総裁を狙ったことがあった。しかし日本が結局、水面下のロビー活動で抑え込んだ。寄与金をより多く出すという中国側の要求もずっと黙殺されている。ADB内での中国の発言権が強まるのを恐れた日本の牽制のためだ。         
ADBが日本の独壇場となって生じた副作用も少なくなかった。何よりもADBの資金が特定国に偏った。67-72年は全体支援金の78.5%が韓国・タイ・インドネシア・マレーシア・フィリピンの5カ国に集まった。すべて日本の主な投資国だった。工事の受注も日本が圧倒的に多かった。同じ期間、全体事業費の41.7%を日本が占めた。このため「ADBは日本政府の下部機関か」という声まで出てきた。実際、研究の結果、日本の海外借款(ODA)とADBの支援パターンが似ていることが確認された。
さらに重要なのは、アジアのインフラ投資需要に比べ、現在のADB資金供給能力は非常に不足しているという点だ。アジア太平洋地域のインフラ投資需要は年間7000億ドル規模を超える。これに対し、IBRDとADBが可能な支援は5%にもならない。AIIBのような第3の開発銀行がいくつか追加で誕生しても足りない状況だ。

たとえAIIBが中国の主導で運営されても、これに反対する名分が弱まらざるをえないのが実情だ。表向きの言葉とはいえ、中尾武彦ADB総裁が「AIIB設立を歓迎する」と述べる背景だ。米国が選んだキム・ヨンIBRD総裁までがAIIB支持を宣言した。

韓国が注目すべきもう一つの点は、現ADBでは北朝鮮内のインフラ投資ができないということだ。ADBの支援を受けようとすれば、国際基準に合わせて各種経済統計を公開しなければならない。“秘密の王国”北朝鮮としては実現できないことだ。北朝鮮が1993年以来、繰り返しADB加盟を推進してきたが、いつも門前払いされる理由の一つだ。韓国が全面的に北朝鮮の加盟を後押ししても同じだ。このためAIIBが設立され、難しい条件なく北朝鮮内のインフラに投資すれば、これほど有難いことはない。

AIIBが発足し、北朝鮮内インフラ投資が可能になれば、どの国より韓国企業が先に駆けつけなければならない。統一後、道路・通信・電力網などの互換問題などを考慮すると、韓国企業が引き受けるのが絶対に正しい。

いろいろ考慮すると、AIIB参加による実益が莫大なら、米国の反対を押し切っても加わるべきではないだろうか。もう韓国も国益がかかることは自主的に判断する状況になった。米国の反対がAIIB参加の最大変数になるべきではないということだ。尻尾が胴体を揺さぶることがあってはならない。中国の専横が心配されるため、いっそのこと米国のAIIB参加を誘導するのが上策ではないだろうか。

ナム・ジョンホ国際選任記者  

   反俗日記4月23日(木)作成記事。 上記の参考資料を調べる前に「感」に頼って、作成途上で行き詰ったが、独自の視点は捨て難い。中央日報日本語版の視点と近い内容である。冷戦体制下のアジアの平和と戦争、日本の経済発展及び米国との関連の視座による、アジアインフラ投資銀行、出現に至る日本政治の問題点を明らかにしている。勘違いが相当あるが、基本的な視点は間違っていない。日本政府はアジア開発銀行をもっと有効活用できる立場にあったができなかった。
 
2015/4/21(火) の記載内容については疑問点が多すぎる。その中でも大きな疑問点は
アジアインフラ投資銀行の出現にいたる」経緯。
次のような解説は漠然としたもので納得できない。調べてみる。
2015/4/21(火)記事引用。
「2015.03.23  
アジアインフラ投資銀行に日本が参加するメリットについて 瀬口 清之
1.アジアインフラ投資銀行(AIIB)が設立された背景

中国経済は「新常態」の基本方針の下、内需主導型W?の中高速成長を保っています。内需拡大や都市化の進展に伴い労働需給が逼迫し、賃金水準が上昇し、労働集約型産業の輸出競争力が低下する一方、輸入の増大が続きます。
こうした状況の下で、中国が今後中長期的にマクロ経済の良好な状態を維持するには、輸出を伸ばし、経常収支が慢性的な赤字状態に陥ることを防ぎ、通貨価値を安定させることが必要です。

世界の中で米国と中国以外の国々は経済規模がそれほど大きくないため既存の輸出を伸ばすことによって経常収支の安定を保つことが可能です。   
*しかし、中国は米国同様、経済規模が非常に大きく、既存の輸出を伸ばすだけでは十分な輸出先の確保が難しいことが懸念されます。

*そこで中国は、周辺地域のアジアにおけるインフラ建設促進によって新たな需要を掘り起こし、中長期的に安定的な輸出の伸びを保ち、経常収支が慢性赤字に陥らないようにすることが必要です。そのためには海と陸のシルクロード構想とAIIBを一体として活用することが中国にとって非常に重要な政策です。」 
 
   
   
   
  W。2015/4/21(火
記事の(3)農村と都市の戸籍規制=(巨大な労働力市場の問題~農村⇔都市の潜在的流動的過剰労働力調整)の視点から考えてみる。
>戸籍規制の緩和は困難→と、なれば、中西部、内陸部の巨大開発を進展させるしかない。この視点に立った、当局内論議が7~8年前からすすめられていた。コレがアジアインフラ投資銀行の前身。
  
~W。大多数の農民が望むのは大都市の都市戸籍である。農村と都市の二重戸籍を一定期間許可するなどの方策が検討されているが実現は厳しいようだ。戸籍制限を緩和すると、「内需拡大や都市化の進展に伴い労働需給が逼迫し、賃金水準が上昇し、労働集約型産業の輸出競争力が低下」は物理的にある程度解消するが、先行発展した沿岸部の大都市には深刻な治安問題。さらに工業、農業の極端な発展不均衡のジレンマ。と、なれば、中西部、内陸部の巨大開発を進展させるしかない。この視点に立った、当局内論議アジアインフラ投資銀行の前身である~IWJAIIBへの参加 「好きかどうか」ではなく「ニーズがあるかどうか」で判断を~岩上安身による経済評論家・宋文洲氏インタビュー
>W。
1)先行発展した沿岸部を中心に過剰資本状態、過剰生産状態が既に派生しており、それを解消するはけ口は、<規模の経済>の巨大な中国では、まず開発途上の中西部内陸部の巨大開発に求められた。
2)それを多国間の出資を前提とする共同ODA的なインフラ開発にまでイメージを膨らませたアイデア、と解釈する。
3)中国の経済発展と並行する米国債購入は世界情勢の現状と今後の推移から限界点に達しており、投資の大きな受け皿が必要となってきた。

4)AIIB出現の経緯については、日本政府の対アジア政策、アジア開発銀行の経過を振り返らなければ、現実味を持って理解できない。
時間不足で途中までしか回顧できなかったが、結論は次の通りだ。
イ、日本当局は経済余力のあった時期にIMF世界銀行の体制のアジア版として設定されたアジア開発銀行の戦略的展望を示すことができず、有効に機能させることができなかった。
 アジア開発銀行を有効活用させる代わりに、日本一国へのモノ、カネ、の循環であるODA援助に置き換え、アジア共同利益の場を設定できなかった。
 大々的にODA援助実行したり、米国資産を買う余地があるのならば、アジア開発銀行という大きな器を機能させるべきだった。そのほうが、その時に損をしたり摩擦が生じても、遥かにその後の日本の政治経済への先行投資になった。

ロ、だだし、日本政府が仮にそうした戦略を実行しようとしても、アジアレベルの賛同者は限定されてくる。
どうしてだろうか?
ニ、世界戦争の決定的敗戦国は、戦略レベルの提案をする立場にない。日本、ドイツ、イタリアの世界戦争への歴史過程のあり様とその敗北は、単なる歴史過程と軍事敗北ではない。
第二次世界戦争は、本当の意味での世界戦争であり、そこにおける敗北者は、道徳的政治イデオロギー的な意味でも、敗北者である。ある特定の強烈な道徳的政治イデオロギー的な基準の軍事強制力を持った提出とその完全否定であり、その意味での徹底敗北である。
したがって、そうした基本立場にある国の政府が、率先して広域レベルでの戦略=普遍的な基準を打ち出しても、ドイツにおけるフランスのような相当な立場で担保するアジアのパートナー不在の日本には、戦略的な提案権は、あらかじめ決定的に欠落している。

 
ホ、敗戦によって、道徳的政治イデオロギー的軍事的政治的にも自律性を喪失した日本政府は、下記において記述した日本経済の歩みに引きずれれて、汲々とした対米対応に追われ、アジア開発銀行に関係各国を巻き込む、余地も能力も最初からなく、次第に従属覇権の道に凝り固まっていった。
• その延長線上の歪な進展が、現状と今後に露出していく。

ヘ、この過程は、共通利害の立場に立つグローバル資本支配層とそれが支配の道具とする国と国の問題というよりも、その国の支配層と国民の問題である。国の自律性や独立性のような、完全敗北日本の現状を無視した架空の想定から考えるのではなく、戦後日本の与えられた条件から、考え直すべきである。
>かつての日本支配層が、アジア開発銀行の機能するために当座の経済的損失を選択肢なかったのは、かれらが日本国民の多くの当面の利害をインクルードしてきたからだともいえる。ODAによって、日本一国の政府投資と企業の当面の利益の循環を優先したのであり、アジア開発銀行の共同利益の場を機能させようとすれば日本の過剰出費によって、この関係は変更を余儀なくされ、結果的に、日本国民の当面の利益になはならなかった。
そには当面の企業と国民の利益を追い求めるか、将来に向けて当面の利益を犠牲にして、戦後世界体制と齟齬をきたすリスクのある投資するかの問題がはらまれていた。アジア開発銀行に日本のODAのような機能を持たせることは、日本側の一方的な出資になる。同時に世界戦争の完全敗戦国日本の戦略性の発揮と見られ、覇権への野望として疑われる。完全敗戦国日本がコレを払しょくする余地は完全になかったとは言えない。流れに抗する、努力が日本政治に足りなかったのではないか。
>そうすると逆説的にはなるが、アジア開発銀行よりもODA援助の一国主義的利害を追い求めた日本政府は
当面の情勢と国民の利害に真正直に反応してきた、となる。
>地域覇権国家ですらないのに、アジアインフラ投資銀行を世界に提案する中国政府と大多数の国民の利害のかい離は、元から大きかったから、中国側の過剰出資のリスクのあるアジアインフラ投資銀行が提案できるのである。
日本政府的発想からは、アジアインフラ投資銀行の提案は出てこない。
>当面の利害と長期の利害は違ってくる場合がある。また当面の企業や国民のニーズに即反応することが、最終的に良い結果を生まない場合が多すぎる。
ト、もちろん、アジアインフラ投資銀行の背景には先進国経済の低成長高インフレ高失業、特にバブル崩壊、欧州金融危機後、露骨になった米国の経済後退と一国利害の追及、新興国経済の比重増大という基本トレンドがある。

アジアインフラ投資銀行のアイデアと政治センスはアジア開発銀行を有効に機能できず、ODAに現をぬかしてきた日本当局よりも遥かに良い。しかし今とこれからの世界において、金融帝国主義の相克の激流の一環を形成し、その中にのみ込まれていき、何の実効性もないままに終わるだろう。
参加表明国の多くは、中国の過剰出費にただ乗りして、一儲けしようという思惑がはっきりしている。またトロイの木馬となって中国市場攻略に利用しようという魂胆の特定の国も垣間見える。
それならば、日本が逆流にに抗してアジア開発銀行にODA機能を持たせることも可能だったのではないか?
戦後世界経済秩序であったブレントンウッズ体制は、ベトナム戦争最中の1971年、ドルー金リンク制の停止~為替変動相場制へのなし崩し的移行によって、約40年前に崩壊しているが、コレを裏返すと、冷戦体制を前提として世界基軸通貨の地位にとどまり続けた米国=ドルの垂れ流しの「自由放任」経済体制と戦争体制を容認するものであった。この時点の米国政治イデオロギーと行動は冷戦体制に一方の守護者に留まっており、ドル垂れ流し容認を米国一国のレント獲得に利用する枠組み=米国市場原理基準の世界への強制ではなかった。

他方、日本経済は1971年→オイルショック→1980第二次オイルショック1985年プラザ合意→1990年バブル崩壊の経済推移の中で、戦前的官僚主導の産業構造の優位性、労使一体化の合理化推進力によって世界第二位のGDPの位置を固めた。
•さらに加えて、ユーラシア大陸の東端、周囲を大海に囲まれ、広大な太平洋側から地球プレートが沈み込む<付加体列島>日本はその特殊な地政学的位置=一国平和環境に<恵まれて>冷戦体制下の平和と戦争の事態から<最大の利得=特殊従属覇権レント>を引き出すことができた。

第二次世界大戦後の冷戦体制下の最大の戦争は二つの局地戦に限定される。
朝鮮戦争。1950年6月25日→1953年7月27日。
•戦争の実態については、ウィキペディアの上品で詳しい記述よりも、写真で見る朝鮮戦争の様子。今も続く韓国と北朝鮮の戦争NAVERのあからさまな写真と記事に、全貌が網羅されている。
ベトナム戦争。1961年→1975年4月30日
http://www12.plala.or.jp/rekisi/betonamusennsou.html

1961年。ケネディー4000人軍事顧問団ベトナム派兵。
キューバ危機。1962年10月14日から28日までの14日間。
トンキン湾事件1964年。
朝鮮戦争。1950年6月25日→1953年7月27日特需の期間中、後方兵站基地としてフル稼働した日本(敢えて国民を含む意味で日本とした)は戦前最盛期の生産力水準(推定1936年~1937,8年ごろ←金融緩和財政拡張と政争体制、一時的な経済膨張のリアルな連動=アベノミクスへの視点という意味でココもしっかり押さえる必要がある。)に回復した。
ベトナム戦争。1961年→1975年4月30日の長い期間は、日本の高度経済成長期間とぴったりと重なる。
ベトナム戦争朝鮮戦争の結果の南北分断、中国の存在、原材料の低価格調達環境は日本の内需拡大型高度経済成長に最適な特殊環境を提供した。
•>内需拡大型高度経済成長末期から始まった、国内の過剰生産、過剰資本状態は主として東南ジアへの集中豪雨的工業製品輸出に振り向けられた。
•結果的に、米国のベトナム戦争は高度経済成長がもたらした過剰生産のはけ口の市場を確保したことになった。(オートバイ輸出が最高級品であった、と記憶している。日本の自動車は、燃費などが問題にされていなかったこの時点で世界市場でシェアを獲得するまでに至らなかった。)
田中角栄首相の東南アジア歴訪最中のインドネシアジャカルタでは、反日暴動が発生した。
• 付加体列島日本経済は、冷戦体制の枠組みのもたらす特殊平和環境によって、日本歴史上なかった民需経済発展を謳歌すると同時に、上記のような悲惨極まりないアジアの長期にわたる巨大な戦争特需を甘受したのであった。
•この特殊過剰利得=レントは対米従属覇権利得=経済合理性の観点だけでは絶対に説明できない利得であるが、「冷戦体制を前提として世界基軸通貨の地位にとどまり続けた米国=ドルの垂れ流しの「自由放任」経済体制」及び戦争経済体制と表裏一体のものであった。
•しかし、冷戦体制の一方の守護者であり続けることができた米国の基本動向は、日本経済にとって、最大限に有利に作用した。米国社会経済にはまだこの時点で第二次世界大戦において獲得した過剰利得の余力があった。
•第一次オイルショックを経て1970年代中期から、1980年前後の第二次オイルショックの期間、世界経済は低経済成長と高インフレの同時進行するスタグフレーションに陥り、日本経済は官僚主導型経済、と労使協調による全社会的合理化によって、乗り切ったが、この時期の国内低消費による自動車家電工業製品の過剰生産のはけ口は米国市場への集中豪雨的輸出攻勢になった。この時期に国内過剰資本を集約した官民の大量の米国債購入が始まった。
•日本は冷戦体制のおかげで、特殊な経済発展のレント=経済外の利得を獲得できたといっても過言でない。

   
参考資料  http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/4966/keizai2.htm

赤字国債の発行。1975年 参照。建設国債ではない財政赤字補てんのための特例法案による国債発行。

キーワード
第二次円高    1977年
減量経営      1977年
集中豪雨的輸出  1977年
黒字減らし      1977年
日米半導体戦争   1978年
第二次オイルショック 1979年

中国と日本、「一国中心主義」を克服すべき
中日争い、得したのはアメリ
「漁夫の利」と言う故事があるが、釣魚島衝突事件の争いの中で最も得した第三者は誰だったのか?日本が抑圧的な態度を貫き、強行策を取るなか、中国の抵抗はことごとく空振りに終わっている。しかし、両国の首脳がアメリカに集まった途端、事態は手のひらを返したように一変した。正にアメリカの指導力の表れである。W。尖閣諸島問題の政治的解決という日中政府間の条文明記されていない日中間の暗黙の了解事項=日本の実効支配中の問題を、民間中国船長逮捕ー拘禁ー起訴の流れ、という日本国内法の問題に、変えてしまった驚くべき管直人内閣(2010年(平成22年6月8日から9月17日菅改造内閣が発足原発事故~。いったい何があったのか?管直人、前原ら関係者の事実問題を明らかにすることが、百の説法よりも、国民のためになる。きっちりやらないから、その後の民主党は駄目なんだ。鍛えられていない愛国主義は、歴史的過失を招く、という典型。
2010年9月7日 - 中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突。2010年9月9日 - 石垣海上保安部が船長を、公務執行妨害容疑那覇地検石垣支部に送検。2010年9月16日 - 前原誠司国土交通相石垣海上保安部に行き、巡視船艇の係留所を視察。W。グローバル時代の政治家失格!
2010年9月19日 - 石垣簡易裁判所逮捕された中国人船長の拘置期間を10日間延長し、20日から29日までとする。 2010年9月20日 - 19日から20日にかけて中国政府が日本に対する複数の報復措置を実行する。 2010年9月22日 - 早朝、中国首相から釈放要請があり、同日午前、検察首脳会議を24日に行うことが決定された。 2011年1月21日 - 那覇地検は中国人船長に対し公務執行妨害罪の不起訴処分を下す。 2010年9月25日 - 未明に中国のチャーター機石垣空港から出国し、中国人船長は中国福建省福州の空港へと送還された。
W。以上、典型的な外交と近現代史音痴、素人政治家の振る舞い、と云えるが、それだけなのか?前原ら確信犯がいた。もっとも幼稚な対米従属覇権主義者にすぎないが。 2011年2月12日 - 中国外務省海上保安庁が行った船長に対する損害賠償請求について、「船長への損害賠償請求権はいっさいない」と発表した。 2011年4月18日 - ジャーナリスト山際澄夫らによる審査の申し立てを受け、那覇検察審査会が中国人船長ついて公務執行妨害罪で起訴相当議決を下す。 2011年6月22日 - 那覇検察審査会は中国人船長について外国人漁業規制法違反、建造物損壊罪漁業法違反(立入検査忌避罪)で起訴相当議決を下す。 2011年6月28日 - 那覇地検は中国人船長について公務執行妨害罪等で再び不起訴処分を下す。
中国船長、尖閣拘禁問題。コレは鳩山政権の普天間基地県外移設問題にも云える。また、尖閣諸島は中国大陸から、約300キロ、東京から新幹線で名古屋付近で中国の軍事正面に当たる。この方面の地図を参照して、日本列島、沖縄本島、鹿児島、東京の位置を距離を測るすべし。近代以前は、この領海は鎖国清朝中国の覇権の及ぶ領域。日本人の多くは今日生き期間中に江戸末期からの近現代史を単独で、学ぶ機会がない。韓国高校教科書には近現代史がある(各項目に違った意見を討論をするように配慮されている)。故に司馬遼太郎のごとき近現代史歴史観が大手を振ってまかり通る。もっとも司馬の司馬は司馬遷の司馬に遼に及ばない、という意味。日本の近代史を2000年以上前の古代中国の司馬遷のつもりで物語られると、迷惑も甚だしい。彼の西洋史への独自性は一種のアジア史観であリ、それゆえの普遍性はある。
釣魚島衝突事件は日本の言う「法での解決」も中国の求める「政治的解決」も中途半端なまま終わっているしかし、ニューヨークでの「アメリカ的解決」は成功したこれによって、中日はともに高い代償を払うことになった。アメリカは対日・対中外交において大きな貸しを作ったのだ。
中日は「一国中心主義」を克服すべきだ
アメリカが仕掛けた冷戦という落とし穴を上手く交わし中日両国は東アジアの主体性を前提とした政治体制を築いていく必要がある。両国は理性ある経験を生かし、公正で見識のある現代文明の観点から、この構造上の対立を解決していくべきだ。「勇気を持って正しい歴史を再認識」しなくてはいけないし、釣魚島問題でも、中日両国は「一国中心主義」という自国の利だけを追求するのではなく、地域全体が利益を得られるような共同の認識を持たなくてはいけない。」
もしも、「東アジア共同体」を作り、全体的な外交強化に取り組んでいくという、地域全体を視野に入れた政治的な責任感を、日本が持っているなら、「中日和平友好条約」に違反した武力で争いを解決する行為は、直ちにやめるべきである。この領土問題を争いで解決するのではなく、もっと合理的に管理と開発ができる方法を中日はともに模索し、「中日不戦共同体の構築」と言う政治的にも経済的にも両国の得になるような道を選ぶべきである。この考え方は、鄧小平氏が唱えていた「争いは置いといて、改革・開放の道をともに歩もう」という国際政治哲学の考え方とも一致している。
総じて言えば、東アジア国家の政治的尊厳と民族利益の実現は、東アジア<国家>が政治的な主体として目覚めるかどうか(W。?<国家は目覚めない><主体でもない>)にかかっている。目覚める為には、歴史の経験から学び、現実の教訓をしっかり心に刻む必要がある。日本には2つの選択肢がある。心から「東アジア共同体」の構築を望み協力するか、引き続きアメリカに迎合し、東アジアの冷戦時代を受け入れるかである。日本がどちらを選んでも中国は冷戦政治の最大の被害者として、グローバル主義と地域主義が合わさった政治のなかでまだまだ力不足な国として、改革をするという決意を持って、制度と政策を練り、心の準備をしておかなくてはいけない
(著者:劉建平 中国伝媒大学国際伝播研究センター学者)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年9月30日W、民主党政権時。東アジア共同体小泉政権時代からの対アジアの完全に腰の引けた提案。