1、関西広域連合
設立日 2010年
2、大阪府庁舎移転問題
W。当地の実情を知っている大阪庶民の常識。こんな交通不便な辺鄙な所に建て替えなどが問題にされている大阪府庁を移転しようとした。背景には2007年民主党などが支持した平松大阪市長誕生、自民党、参議院選挙敗北→自公政権から民主党への政権交代に駆け上がる空気感。→2009年総選挙で自公政権は野党に。問題の辺鄙な埋め立て地の超高層ビルはバブル時代の大阪市建設。
軽はずみな暴走はこのころから→地元自民党との対立。
「ものすごく辺鄙(へんぴ)なところにあって、大阪の中心部、梅田などキタとか心斎橋・難波などミナミからとてつもなく離れていることがおわかりになるでしょう」
「3年前にこの計画が出てきたときからわかっていたことばかりなんですが、まず、ここに大阪府全職員が毎日通勤するだけでもたいへんですよ。府庁舎移転断念で一番喜んでいるのは、職員の方々だと思いますね。
その金銭的時間的体力的ロスたるや、たいへんなものがあります。それも結局は大阪府民の税金負担です。咲洲庁舎という名前になって先行してここで働かされていた2000人は通いにくくて怒ってたでしょう。
ここまで行かなければいけない大阪府民・事業者もたいへんでしたよ。府庁移転断念で、ここでサービスを受けなければいけないはずだった大阪府民も大喜び。」
その金銭的時間的体力的ロスたるや、たいへんなものがあります。それも結局は大阪府民の税金負担です。咲洲庁舎という名前になって先行してここで働かされていた2000人は通いにくくて怒ってたでしょう。
ここまで行かなければいけない大阪府民・事業者もたいへんでしたよ。府庁移転断念で、ここでサービスを受けなければいけないはずだった大阪府民も大喜び。」
W。こういうところは過去の記事で全部指摘している。常識で考えるとすぐわかることである。職員の通勤費用は自己負担なのかな?
NAVER引用
(1)2009年1/10)【府庁舎(WYC)移転条例提出「1回目」】したけど議会で反対されました
「2009年3月議会に、橋下知事は、府庁舎をWTCへ移転する為の条例案と、WTCを買い取る予算案を提出しました。…結局、両方とも、賛成少数により、否決されました。…」
「2009年3月議会に、橋下知事は、府庁舎をWTCへ移転する為の条例案と、WTCを買い取る予算案を提出しました。…結局、両方とも、賛成少数により、否決されました。…」
(3)3/10)【府庁舎(WYC)移転条例提出「2回目」】で買取案だけ強引に通しました。
(4)5/10)【府庁舎移転問題により「自民党・維新の会」結成】
「この府庁舎移転を巡る知事vs府議会の対立は・抗争は、思わぬ結果をもたらすことになりました。自民党の若手府議会議員ら六人(W松井現府知事ら)が、自民党大坂府議団から離脱して、「自民党・維新の会」を正式に結成しました。…」
その後、自民、維新の会の対立は、民主党政権交代、自公野党でさらに深まる。
地元自民党国会議員の演説の説明では、府庁移転の大失政が明らかになって以降、都構想を前面に押し出すようになった。
元々、「大阪都構想」は太田房江元知事時代に論議されだした事案、関西広域連合の結成は2010年だが、それ以前からあった、道州制論議の中から出てきたもの。道州制を前提とした論議であるので、道州制実現の暁には大阪都は消滅する経過措置の意味合いがあった。
そのような事情から、地元自民党の府庁移転問題の大失政から目をそらすための、本能的反応として、都構想に前のめりになりだしたという指摘は、的を射ている。
>元々、次々に政治シンボルを挙げて、マスコミを通じた発信を繰り返し、激しく動き回り、大衆の耳目を引く劇場型政治で、確かに執拗なこだわりはあるが、深い政治思考には至らず、対向者対抗物の演出を前提とした地方政治の長として全体を統率できない不適格政治体質。
むき出しの政治野心や例えようのない欲望の実現のために地方政界をかき回し道具にしていると、あからさまに感じるものが、強固な反対派を対極に立場を超えて結集する基本政治構図が出現させる政治体質を持っている。混乱が続いて、大切な時間が無駄に過ぎていく。
堺市は、交通の便に恵まれている。全国的見ても稀有なケース。
南海高野線堺東駅すぐにある市庁舎は21階の屋上に展望階を配した高層塔と、区役所を兼ねる本庁塔が隣接している。総床面積は大阪市役所本庁よりも広いかもしれない。館内は事務手続きで来た人々、屋上展望階目当ての観光客、地下と屋上の喫茶ラウンジでの暇つぶしらしき人たちで、役所の建物とは思えないほどにぎわっている。
近辺で一番高い建物の21F屋上の展望階の四方からは六甲山系、生駒山系、葛城金剛山系、紀州山系に囲まれた平野部が一望できる。不思議な目の錯覚なのだが、中世に栄えた旧堺港の内側に広がるようにみえる大坂湾が狭く見える。港の向こう側には大きな六甲山系のはずれの海峡の横に、淡路島の大きな島影が横たわっており、この港が、どうして中世の貿易で栄えたのか、なんとなくわかるような気がする。外に向けて開かれた気分にさせたのだろう。
うっそうとした巨木の緑をたたえた仁徳天皇稜が巨大に眼下に迫ってくる。そのほかの古墳によって一体が古墳群であると解る。ここは日本古代から人間の営みのあった地である。展望ラウンジと喫茶スペースはウィークデーにもかかわらず、人のにぎわいがある。シルバー世代の女性の仲間連れが多い。ボランティアの観光案内のおばちゃんと同年輩の観光客が展望ビューとまったく無関係な通院する病院の話をしていた。和気あいあいのんびりムードが漂っている。写真パチパチのヒトはまったくと言っていいほど見受けられない。
旧堺港方面に500Mほど進むと、大阪市から南に通じる中世から江戸時代に遡る歴史街道、紀州街道と交差する。紀州街道の現在は、片側4車線、真中を大阪天王寺発の路面電車が走っており完全に大阪和歌山間の主要一般国道に変貌している。左折し街道を南に数百メート下ると、与謝野晶子実家跡があると路上地図で説明されているので進むが一向にそれらしきものはない。十字路に突きあたりそうになると、歩道の脇に与謝野晶子出生の地などという記念碑があり、説明文がある。
実家跡は戦後の高度経済成長期の紀州街道大拡張工事に引っかかったとあり、昔の紀州街道沿いの風景が描かれたた記念碑が添えられている。明治大正昭和初期のこの大町付近は分限者の住む町だった。与謝野晶子の実家は菓子商を営んでいた。晶子は与謝野鉄幹と結婚したから与謝野姓を名乗るようになったのであり、旧姓鳳(ホウ)**という珍しい名字であった。しかし、<千>利休といい鳳(ホウ)といい、この堺は中世に外国に開かれた特殊な地、そういう名字もありの土地柄だったのであろうか。
てっきり実家跡が少しは保存されているものと思っていたものにとって、少肩透かしを食わされたような気分になった。跡でボランティアの説明でわかったのは、堺市街は空襲によって全焼したとのことである。軍需工場があったのである。そういえば、在日、民団元幹部の波乱万丈の回顧録(共産党系の民族運動で治安維持法にとわれ長期拘留)には、青春時代、堺の学校に通い、堺の工場ではらいていたと記されていたことを思い出した。
晶子実家跡から数百メートル港寄りに大阪朝鮮学園があると路上地図に記されている。
記念碑に刻まれている詩は有名な「きみしにたもうなかれ~」とは全く無関係なものであり、元々晶子に関心がなかったものとしてはあっという間に堺の晶子に興味がなくなった。
この調子では千利休屋敷跡や千晶の杜も期待できないな、と割り切って十字路に進むと、交差した道路の右向こう側にガラス張りのこじゃれ中規模の建物が見え、日の丸が掲揚されている。遠目には一見、洒落た企業の本社社屋のようで、人だかりがしており、それが千晶の杜であった。全く興味を覚えず、無視して、脇にある千利休屋敷跡と称するほとんど何もない周囲をそれらしき塀で囲われた空き地の間口と、奥行きを入念に目測する。間口12~13M、奥行き。詫びの利休であったにしても、当時一種のフィクサーであった訳で、屋敷はこんな狭いはずがないとタカをくくって、訳のわからない井戸のような展示物に近づくと人のよさそうなボランティアが寄り添ってきて、解説をするので、聴きながらそれとなく短く感想を述べると、言葉を濁しながら、ココを千利休の屋敷跡にいるというようなことを述べた。ハッキリ言えば、屋敷跡はどこにあるのか分からないということである。
展示物も利休とは直接関係がない。
しかし、それでよいではないか、とおもった。今から500年も前のことである。その間にいろいろなことがあり過ぎた。千利休は日本歴史の小さなエピソードにすぎないが、物語性があるのでさんざん取り上げられてきたのである。堺が最も繁栄し異彩をはなって来たころのことである。今、堺市と市民が誇りに思い、何とか形に残し復元しようとする心は貴重であり、立派である。
そういう観点から、千利休や晶子には元々、個人的にも、興味なく、千晶の杜はでっちあげだとさえ笑いながら云ったが、こういう観光スポットを作り上げた行政は大したものだと。
市行政は巨大古墳と付属する公園に付け加えて、もう一つの観光スポットを創造した。ガイドは現市長がいなければ、千晶の杜はなかった。公約で実現したと云った。
仁徳天皇稜ー市庁舎ー、千晶の杜ー旧堺港を結ぶ観光ラインで訪れるひとは堺の空間で一日過ごせるようにできているのだ。行政に知恵がある。
そこで橋下、住民投票の話題を振ると、ガイドさんは嗤っていた。お互い嗤った。
千晶の杜は入り口だけだ無料なのでいってくださいよ、というのでいってみると、少ない展示物から結構広い優良スペースの館内の展示物の仕掛けの苦労がうかがわれた。
千晶の杜館にぴったりと寄り添て、かなりの客でにぎわう大きなテラス付きスターバックのその奥に大きな和食レストランチェーン海の花があった。駐車場は市営スターバック合わせて、200台以上であった。
千晶の杜館の建設と同時に呼び込んだものであろう。ここに公営施設を孤立させない知恵を感じる。
帰路、駅前の近くの大通り、大通りに女性市会議員の看板が出ていた。建物の間口が15メートル3階建て、地元保守系金持ち有力者の威光をバックにした議員かと検索してみると、こういうこと。
「今日は午前10時から肢体不自由児者父母の会の総会、
11時半から地域親睦会、午後2時から堺市健康づくり
推進市民会議の企画委員会、夜も一つ会合があります。
11時半から地域親睦会、午後2時から堺市健康づくり
推進市民会議の企画委員会、夜も一つ会合があります。
都構想の住民投票について、大半の人が中身が
わからないままであるにもかかわらず、
賛成という人は、中身はどうでもいい、何か変えてくれそうだから。
わからないままであるにもかかわらず、
賛成という人は、中身はどうでもいい、何か変えてくれそうだから。
反対派は、とんでもないデタラメな構想で、
大変なことになる、と詳細な反対根拠を一生懸命説明しています。
何が変えられるのか、なにをどう変えてほしいのか、は
ファジーなままの今回の住民投票は、
まず大阪市だけで投票、というのがおかしい。
堺市民の皆さんからは、なんで?私達に投票権がないの?
という質問が寄せられています。
大変なことになる、と詳細な反対根拠を一生懸命説明しています。
何が変えられるのか、なにをどう変えてほしいのか、は
ファジーなままの今回の住民投票は、
まず大阪市だけで投票、というのがおかしい。
堺市民の皆さんからは、なんで?私達に投票権がないの?
という質問が寄せられています。
冷静な直視をすれば、本当に杜撰で危険な都構想。
けれどいわゆるポピュリズムの根っこにある、
政治への不信と閉塞感について、
現職議員は、しっかりと見極めて、
普段の着実な政策を上手にアピールすることや
改革を急ぐことが求められる。堺市議会においては、
すでにその動きが、ソレイユ堺で始まっています。
けれどいわゆるポピュリズムの根っこにある、
政治への不信と閉塞感について、
現職議員は、しっかりと見極めて、
普段の着実な政策を上手にアピールすることや
改革を急ぐことが求められる。堺市議会においては、
すでにその動きが、ソレイユ堺で始まっています。
皆様におかれましては、東北、ネパールや箱根の大涌谷を
心にとどめながら、小さくても行動ができる今日でありますように。
心にとどめながら、小さくても行動ができる今日でありますように。
<<マイペース 5月7日|
<<マイペース 5月7日|
ということで、大阪で面積、人口、財源、権限の大阪市に次ぐ大きな自治体が大阪都構想に今後、実質的に参加不可能であるとすれば、この構想は、大阪市だけを廃止し、特別区に分割し財源と権限を大阪都なるもの(大阪府は大阪都になれない)に一元的に移譲する異常行政が出現する構造をはらんでいることが分かる。
前回の記事の中で示した次の事実は、大阪都構想は大阪市壊しになって、結果的に大阪府の核である大阪市の衰退と府下全域の衰退を招くことを意味していると解る。なぜならば、大阪は東京都のような首都でないし、一極集中の恩恵を全く受けておらず、財源には大きな限界がある。
結論的にいえば、メリットよりもデメリットばかり目立つ大阪都構想は大間違い。整合性がない。
橋下「いしん」の主張している程度の改革であれば、大混乱を招く制度改革ではなくて政策展開でできる。
>大阪府は都になれませんという直接の政治的な意味は自治体法を改正しなければならないということだが、>実際のところ、それは自民党の党是のど真ん中を否定することにつながるもの。
>彼等にとって明治維新とは天皇の京都から江戸への転居と同義であり、日本国の形、そのもの。
>二つの目の都を大阪にするなど自民党が、存在している限りあり得ない。
*戦後、共産党は憲法を守れとことある度に主張している。言い換えると憲法1~8条の象徴天皇制を絶対に守ると云っているようなものだ。
この党派の原理原則も大阪都はあり得ないのである。
コレが日本の国家権力の裏側のもう一つ真実。
*大阪都構想のアドバルーンを上げ続け政治シンボル操作の具にしてきた橋下「いしん」は、日本政治の肝心なことが分かっていなかったのである。
大阪で自民党と共産党が橋下「いしん」の強固な反対派となる裏側のもう一つの真実が、根本的な政治感覚としてわかってなかったのである。
ようやく気付いたようで、最近では大阪都構想のキャッチフレーズは慎むようになっているが、所詮政治的未熟者であることには間違いない。
<追記>
橋下「いしん」を相手にしていると、小保方晴子ー理研STAP細胞大発見騒動を相手にしているような錯覚に捕らわれる。振り返ってみると、熱心に書いた割にほとんど確たる成果は得られなかった。熱心に書いた、事のほとんどは、真実のあまりのもあっけらかんとした内容の詐欺行為故に、無意味だった。相手にした自分への忸怩たる思いが、記事を振り返ってみてした。
いい加減に切り上げた人が正しかったともおもった。
橋下「いしん」を相手にすることも同じである。
小保方理研騒動は検証可能な科学の次元のことである。
橋下「いしん」の大阪市の財源権限の府一元構想の最大の問題点は、検証できないグレイゾーンを含む。コレが社会科学の厄介なところだ。しかし、論証の限りのおいて、それは検証してはいけない次元にあると云わねばならない。そこが今の先進の知恵であり英知である。
一端、実現の途に就けば、取り換しのつかないところに立ち至るからだ。
それでいいのかと問う。
橋下「いしん」的なものは、自分の対極に位置する存在である。それは小市民の反革命運動そのものに映じ共感するところが、何もない。衆を頼んで身を呈するところない下世話で卑怯な輩の蠢きである。
彼らは世が世であれば、ムッソリーニのファシズム運動やナチズム運動であり、それをそっくりそのまま、今の日本に適応した実践主体である。いつの時代にもああした政治実践主体は、ヒトの心をつかむに巧妙だった。
アレらとその付属物の拡大は日本の衰退に近付く。しかし、彼らは完全な日本支配層の付属物である。
付属物にすぎない橋下「いしん」を正面から相手にする無駄を知らねばならない。
>しかし、本当に問題にしているのはその先のことである。
アベ等日本支配層の問題の焦点もそこにある。
だから只今現在、高等戦術を駆使して橋下等の蠢きを、選挙結果のいかんにかかわらず、今後の政治過程において、最大限利用するために、検定中なのである。
コレが住民投票の向こう側にある明け透けの現実である。
**この戦いは長い目で見て、自民党の強化に終わるだろう。
実際に、分かり易いダメ対象の橋下「いしん」と自民転向の松井を筆頭とするボンクラ政治家に対抗心を燃やす、フレッシュで有能な人材に入れ替わりつつある。
橋下等はその軍門の下への下り方に関して争っているのであり、云わば、自分たちの今後の在り方をめぐって自己との戦っている。
云わば首長権限と議会決定権を旨い出汁に大阪市民を人質に支配層の政治に対して分け前を要求するチンケナ条件闘争をおこなっているのである。
以上が住民投票の本質である。
橋下「いしん」はあまりにもお粗末すぎる。
しかし、それが増殖した構造が厳として存在する。橋下等のまたたく間と云っていいの増殖は大阪発のマスコミの力を借りてモノのである。橋下等は話題を終始一貫して提供し続け、マスコミは問わず語りに、橋下「いしん」的改革を落とし所としてきたのである(種まきジャーナルしかり)。
その根底にはマスコミの庶民を自称する拝金主義、がある。資本制社会の権威と秩序はカネに還元された資本制市民社会の「平等」感覚の言葉だけの幻想に還元される。情緒優先に落着するおしゃべり社会が常態化される。この大阪発の卑俗二流マスコミの醸し出す独特の雰囲気が「いしん」橋下の増殖の根源である。本当の構造改革すべき問題点(資本過多故のおバカ外注)→橋下報道過多)はここにある。しかし、永遠に不可能である。
大坂の歴史風土は真っ当に政治を語るために決定的に欠けているモノが多すぎる。
拝金主義を基準に政治を語っても、グローバル資本の大きな蠢動を前に、大きな限界が生じる。拝金主義をどこまで立ち切れるか否かが、議論のスタートラインである。