反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

通称「大阪都構想の問題点」1大阪府は都になれない2、特別区は戦時法制の一つ3、東京ではある種のドーナッツ現象が4現状の大阪*区に公選区長と区議がいるに等しい5末端でいがみ合いが始まる6市民権がなくなる

 「大阪市の廃止し5特別区に分割し、財源権限を大阪府に吸い上げる協定書をめぐる住民投票」に対する独自の意見を箇条書きする。

*まず、傑作動画を。
大阪の他の地方にない精神風土が良くあらわれている。何か元禄時代井原西鶴の世界が今に継承されているような錯覚にとらわれる。 
不正義、不合理の象徴「いしん」政治の混乱の分かり易さに対して、対抗するある意味で有能な人が自民党に結集する不可逆性が発生している。「いしん」政治パフォーマンスの行き着くところである。
2015/05/12 【大阪】大阪都構想住民投票Q&A」の会(動画)
 
>ある「有名」作家の講演の発言よれば、橋下徹の絶版本を含めた全ての本を読んだ結論では「橋下徹は自分の支持者を心の奥底でバカにしているはずだ」ということであった。
>コレを平たく言えば、この動画のような大阪の風土を破壊している自分を自覚して、より攻撃的になっているということである。
>「父殺し、家殺し」(藤井聡教授)を敢えて実行してしまう自分を自覚している、ということか
橋下ファン=信者はこのような深層心理にまで、想い致すことはできない。だから、橋下自身に低次元と見下され、既定の政治財産視されているのである
>もっと卑近に言い換えることはできるが止めておく。多くの人はわかっていても口にしない慎みがある。民主政はその意味で機能している。
いづれにしても<愚民政治>そのものの構図がそこにある。江戸末期の飢餓の充満した大阪に、特殊に扇動された一部民衆には、今のような事態は出現した。大阪以外では発生しなかった現象といえる。今は結果的に中央政治に利用されている。
>橋下「いしん」はそれもわかってやっているのだからたちが悪い。ココまでその政治本質を絞り込めば、支持者は橋下信者に限定されてくる
他の人たちは、よくわかっていないで勘違いをしているのである。
*その人たちは小沢一郎に淡い期待を抱いた人たちと同じ、気持を味わうだろう
橋下「いしん」は本物の政治の試練を味わいたくないから、大阪にしがみつくしかない。
コレは大阪の悲劇である
>取り憑いた疫病神はお払いしなければならない。

 
)「大阪府大阪都になれません」
橋下「いしん」は「大阪府大阪都になれない」事実を隠し、大ウソのアドバルーン挙げて、有権者が思わず、東京一極集中の「繁栄」を想い浮かべ、大阪都になれば、繁栄するかのように錯覚するシンボル操作をしている。
自治体法を改正しなければならない。コレがまず一つ。
第二。都(みやこ)は天皇の宮城(皇居、御所)を意味する。象徴天皇制を謳った現、日本国憲法1条~8条の観点からも、都は天皇の都の(みやこ=皇居、御所)存在しているところは唯一つ、の意味と云える。
第三。まして、自民党憲法改正草案の冒頭に何と記されているか。彼等にとって、国の形の根幹にかかわる問題である。(ココで個人としての評価はしない)
A、2004年自民党憲法改正草案
前文
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。~以下省略。
第1章
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 
B、2012年自民党憲法改正草案
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
第1章
天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 
>つまり、日本国憲法及び自民党の云う国の形、あるいは日本国憲法論議の整合性の観点から、「大阪府大阪都」になることは論外のことである。
>したがって、橋下「いしん」掲げる「大阪都構想」は、あくまでも大衆意識を巧みに操る大仕掛けのマジックにすぎない。
実態は、大阪府の市町村のなかで大阪市だけの財源権限を大幅に大阪府に吸い上げ、その差配の下に置くことにすぎない。
 
大阪府に権限財源を集中し、効率的に運用できると仮定しても、関西圏4つの政令指定都市京都市大阪市堺市、神戸市)のうち、大阪市に隣接する堺市有権者の圧倒的多数が拒否して離脱している事実こそが、通称「大阪都構想」の核心の破たんを意味している。
現地調査の結果、堺市民が通称「大阪都構想」を今後、支持する可能性は見し出すことはできなかった。
この意味からも、「実態は、大阪府の市町村のなかで大阪市だけの財源権限を大幅に大阪府に吸い上げ、その差配の下に置くことにすぎない」。
 
2、東京都制(23特別区制度)は「大東亜戦争(太平洋戦争)下におけるいわゆる戦時法制の一つである」ウィキペディア東京都制」引用。
A,国家総動員法1938年昭和13年)第1次近衛内閣によって第73議会に提出され、制定された法律。総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。1945年の敗戦によって名目を失い~。
>戦争における勝利は国力の全てを軍需へ注ぎ込み、国家が「総力戦体制」をとることが必須であるという認識が広まっていた。日中戦争の激化に伴い、当時の日本経済では中国で活動する大軍の需要を平時の経済状態のままで満たすことが出来なくなっていたため、経済の戦時体制化が急務であった。つまり、平時における計画経済統制経済)体制を施行した法律。
 
   B、東京23特別区設置、昭和18年6月(1948年前後)の戦局。 太平洋戦争の年表引用。
昭和17年(1942年)
4月1日 南樺太を内地に編入
6月5日-7日 ミッドウェー海戦で日本軍敗北。ここで日本の空母である、赤城加賀蒼龍飛龍が失われる。
1943年(昭和18年
10月21日 東京明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催(学徒出陣のはじまり)。
 
3)東京23特別区自主行政はできず、末端業務に追われている。大阪市のやっていたことを、わざわざ、大阪府に一元化する(一元化するのであれば堺市も参加する必要があるのではないか?)のは、地方自治の必要性、実務性と時代の流れに逆行するものである。
また、広域圏構想(3重統治機構のフランスでもEU圏への対応を前提に州の統合が議論されている)にとって、大阪都構想は阻害要因となる。
 
財政力指数。数値の大きいほど財政力がある 対象813市区
2位 東京都武蔵野市
4位 東京都港区
8位 東京都調布市
13位東京都府中市
14位東京都立川市
17位東京都多摩市
19位東京都三鷹市
>W。首都東京一極集中(外国からの一極集中もある)のもたらす恩恵を受けて、郊外多摩地区各都市が大きな財源を得て、財政事情が良いことが分かる。
   ↓
「東京都とこれら多摩・島しょ部の市町村との関係は、都制度のもとにありながら一般の道府県・市町村の関係と同じ、《基本型》一般制度が適用される。」
 
W。調べてみなければ断言できないが、東京都では、ある種のドーナッツ現象が進行している。一極集中の「繁栄」が、この現実を覆い隠している。
 W。東京23特別区が自主財源を今よりももっと持っていたら、東京と日本は少しは良い方に変わっていた可能性が強い
特に文化芸術方面に「繁栄」の富が分配され、もっと豊かで多重的な文化を東京は全国に発信していただろう。日本の政治文化芸術情報の大発信源において制度的に戦前の中央集権体制が残っていた弊害は大きい。GHQ占領統治にはその方が便利だったという側面があり、23特別区制度はそのまま温存された。
 
4)東京23特別区は医療福祉介護教育の末端業務サービスに追われていおり、そこに自主的な独自行政、地方自治があるとは、決して思われない
権限と財源の多くを都に吸い上げられ、再分配を受ける身であるのだから、当然のことである。区議会議員の活動も特別区の財源権限が限られているのだから、末端業務サービス関連の立法、行政の監視に限定される。
そういった実体は一極集中の「繁栄」によって、覆い隠されている。
>再分配率が低くても、絶対量が大きく、末端行政サービスの仕事量は多い。事情を知らないものには、大きなことをやっているような錯覚が生まれる。
この辺の事情は、>財政力指数4位 東京都港区を見ればよくわかる。ココは日本一平均年収の多いところ。
港区以外の特別区はどこも上位入選していない。
 
大阪市を5つに分割し、区長と区議を公選する状況の基本的なイメージは、今の大阪市、**区に公選区長と区議がいるものと、ほぼ同じ様相になるだろう
それは、今の東京都と23特別区の関係とは様相が別になる。なぜならば、大阪には全国と世界からの一極集中の恩恵は望めないからだ。
 
5)そうすると、財源権限も限定された状態の公選区長と区議の政治活動の向うところは、必ず、医療福祉介護教育現場への重箱を隅をつつくような介入となる。
大阪の市長任命の公募区長や学校長が低次元の問題を次々と引き起こしている根本原因の一つはここにある。本来、淡々と専門業務を遂行すべき人たちが、現場にとって有害な過剰パフォーマンスに走る。
 
6)大阪市を廃止すると住民は市民でなくなる
先に示したように都民(みやこの民)にもなれない。大阪府と云う名前は基本的に一広域行政単位にすぎない。府民であることによって一個人に何かの権限が生じる訳ではない
したがって、あくまでも住民一個人の権限は5つに分割された末端行政単位の区民であることによって生じる市民でない住民一個人の権限の在り所の特別区の権限財源が大阪市廃止分割によって、減少するのだから、
住民一個人の権限も公選区長区議の権限縮小を通じて、実際には縮小しているのである
 
7)大阪市廃止分割特別区設置は民主政の基本原則を否定している。
BC500年ごろの古代ギリシアアテネのクレイテネスの政治改革は、アテナイ地区住民の地縁血縁的氏族の党派的政争による混乱を避けるために、ポリス住民の集住地域を各地に分割し、抽選でボリス市民の所属を決め、コレをデモスとした。つまりデモスはポリス国家アテナイの一個人を氏族集団から抽出し、所属先を明記すると同時に、プリニュスの丘での議会での議決に参加し、議案を提起し採決をはかる権限であった。例えると戸籍にポリス構成員としての権限が与えられていrたようなものだ
デモスをよく民衆と訳されているがとんでもない間違いである
ポリス国家の個々の構成員は議案決定権と提案の提出権を有し、ある場合は、アテナイ戦士として、密集歩兵集団乃戦士と戦艦の乗務員、あるいは戦争の指揮官として、明日は従軍する戦う同志たちとして、生き死にのかかる戦術を討議していたのである。戦闘において、仲間の遺体を置き去りにしたまま帰還したかつての戦場の英雄は掟破りとして処刑された。ソクラテスも密集歩兵縦隊の一員として従軍したが、アテナイ市民の掟を破った罪に問われ死刑が宣告された。
つまり、民主政の原点であるポリスアテネデモスの掟の支配する世界であり、戦う同志たちの民主政でもあった
大阪市を廃止分割して、権限と財源の縮小は、大阪市民として有していた権限を縮小し、片胚、不徹底、極まりない大阪府に移譲することであり、市民としてもモチベーションの発信源と拠り所を解体している。
それはもともと、一政治党派の政治野心を実現するために、過剰で無駄な対立を持ち込み、分断に結果するしかない紙の上や頭の中での想念に堕する運命にある。
住民の足元の地方自治の停滞し混乱が続いたのは当たり前のだった。

    <追記>
通称「大阪都構想」に対するお門違いの標本のような記事を挙げる。
2015年5月12日 (火) 大阪市民が都構想を否決しなければならない理由。
公平を期するために、全文を挙げておく。
 
このヒトは知っている限り、通称「大阪都構想」に一時、賛成の記事を書いていたはずである。
理由ははっきりしている。
当時、民主党を割ろうとしていた小沢一郎が橋下への働き掛けしていた事情を忖度したためである。
 
この場合不適切だから、固有名詞は出さないが、こんな考え方をしていたらダメという見本のような記事である。天下国家、世界を論じる前に足元を見つめ戦うべきには、戦わなければならない、コレが基本である。
 
  「大阪市民が都構想を否決しなければならない理由」
マーカー部分は、センスの問題である。ネバナラナイという言葉は、何気なく使っているのだろうが、不適切である。このヒトも所詮、現時点もこれからも、個人の政治意見を片隅(本人にそんなつもりはないのだろうが)で公表しているにすぎない。このリアルな事情を踏まえるとふさわしくない。己の立場を知らな過ぎる。国政選挙の度ごとの恫喝めいた言説と云い、刺のように引っかかる。
 
大阪都構想の是非と同時に、憲法改定の是非を考察し、どちらに軸を置いて投票するのかを定める必要があるのだ。
二つの問題のうち、圧倒的に重大であるのは後者だ。」
 
大阪都」?構想と憲法改定の是非の重大性の序列をつけ、賛否を決める、という考え方は、反対派陣営に分裂を持ち込むことにつながる。
実際に、大阪では昨年の橋下市長辞職再出馬に対するボイコットで自民党から共産党まで、足並みをそそろえている。もっと遡れば、2013年の堺市長選挙において、全党派は事実上共闘し、現市長を押している。
 
大阪都構想の是非と同時に、憲法改定の是非を考察し、どちらに軸を置いて投票するのかを定める」
「二つの問題のうち、圧倒的に重大であるのは後者だ。」などという空気は、全くない。
 
こんな形式的な対応をしていたら住民の共感を呼び、その心を一点に集中し徹底拡大し相手を倒すパワーは生まれない。オール沖縄の戦いにも同じことが云える。
運動で相手を倒す呼び掛けには具体的実物的な提示がまず必要で、啓蒙は後から付いてくる。
橋下「いしん」の増殖と出鱈目政治も、この法則に徹底的に従ったものである。大阪都構想推進を掲げる「いしん」との戦いに憲法改定の是非など持ち出したら、陣営の共闘はない。
 
 多くの市民に不利益が及ぶと判断し、実務的にも問題があるとしたから、各党派は議会の討議を尽くした結果拒絶した。
それが急きょ住民投票という形で急浮上したので、一致して戦っている。
その際、憲法改定に重心を置いて投票行動をするなどということは、個々人が心の中で考えれば良いことで、公然化する必要は全くない。分断を持ち込むことである。
 
抽象的政治区分でいえば、最小限政綱と最大限政綱の区別の問題。ここがハッキリとしていなければ、政治混乱が常に発生する。
敢えて言えば、小沢等一党には、このような意識はなかった。だから、政党を立ち上げてはつぶし、くっついたり離れたり、の繰り返しで今日に至っている。
 
このヒトの数回前の記事にはイロイロ政党情勢の分析を披歴した挙句の結論が「民主党をつぶさなければならない」などと云うものがあった。こんな重大な戦術なのに(コレは基本的に戦略)その説明は何にもなかった。
このヒトは、<政治分野>でイロイロ偉そうなことを書いている割に分かっているのかなと常に疑惑を持っている。(経済財政は専門家)
 
憲法改定に賛成ならば大阪都構想に賛成票を投じるのもよいだろう
しかし、日本を再び戦争国家に転落させることは、体を張ってでも阻止しなければならないと考える主権者は、地を這ってでも今回の住民投票に参加して、都構想反対の一票を投じるべきである。」
 
>今、住民投票で問われているのは、こんな次元のことではない。こういう思考パターンを住民投票に持ち込むことによって、己の「日本を再び戦争国家に転落させることは、体を張ってでも阻止しなければならないと考える主権者」を軽く見積もってしまっている事に気づいていないアジテーションの類である。
 
>敢えて言う。
今の日本内外の情勢は、確かに多くの若者の将来は、ほぼ確定の石畳が敷きつめられている反面で、欲望は情報によって極限まで開示されているが、もしかしたら今がいちばん平和な状況かもしれない
朝鮮戦争ベトナム戦争のような戦後の大きな戦争はない。中国や韓国が政治的経済的軍事的に力をつけて、戦前のように日本の想い通りにならない。
自衛隊は米軍世界戦略の下請けのように行動するが、そもそも、このような軍事ユニットの力の及ぶ範囲には大きな限界がある。世界はやはり広く、多極化している。が、戦争は政治の手段として相変わらず機能している。
 
しかし、一番の世界共通の課題は、グローバル資本制の深化の下で、従来と全く違った経済的政治的支配~被支配関係が日本と世界で生まれている、状況ではないのか?大部のピケティーの「21世紀の資本」が世界的に売れた要因はここにある。しかし、コレだということは何も提示されていなかった。できなかったのである。
ココがすっきりしないから、「日本を再び戦争国家に転落させる」という一面の状況把握に切り縮めようとするのではないか?そのほうが楽であり簡単である。考えてみると、そうして一生政治に携わってきた活動家がいるのである。立派である。しかし、自分の疑問は、こういうところから発している。
>確かに現日本国憲法護持という立場で見れば、日本は重傷者であるに違いないのだが、状況の根幹は、先に示したものであるという思いは強い。
 
日本を戦争をできる国にしようとする事に対して反対~」と常日頃宣伝していると、逆に若者を中心に戦争を受容するの空気を醸成していることにならないかという変な危惧を抱く。
それによって危機感を抱く世代とそうでない世代の落差は大きいとみているからだ。政治と世の中を見る基準が、大きく違っている。そのスローガンは基準によって受け止め方が大きく違って、いる可能性がある。危機感が危機感でなくなり、別物になる。
 
>状況一般を政治や軍事状況優先に還元する政治思考は、通用しないのではないか。具体的な経済、生活労働、命健康分野の利害を提起することが大事である。現に自民党は常にそうして政治支配をしてきた。
そして有権者は己の保身利害関係や空気感で政治選択してきた。
 
>今回の住民投票をめぐっての自民党の動きをみると、つくづく住民感情に密着するしたたか者を相手にするのは、並大抵のことではないと感じた。
共産党では今一どころか、今二のところがある。外に開かれた政党でないから、そうなってしまうのだろう。
そういう意味で民主党は、幅広い住民感情に訴えることができる。民主党に政権が一時的に云ったのはムードだけではなかった。有権者の意識を代表する術があった。それが大阪では全滅。民主党の票のかなりの部分は「いしん」と共産に分解した。コレが日本の政治の現実である。
 
>日本の投票行動の弱いところは、投票者が自身がどの政治潮流に属しているかという意識が希薄なことだ。「維新」の党のような海の物とも山のものとも検証されていない政党勢力の急伸は、先進国議会政治ではあり得ない。リベラルだとか中道だとか、日本では定着していない政治区分で、政治地図の再編を云々する時期は過ぎ去っている。現に存在する過去からの政治の流れの中で、自分がどの位置にいるのかと判断することの必要性が高まっている。その枠内のブレならば、<日本政治の合成の誤謬>は生まれない。
だから、小沢一郎ということになるのだろうが、とっくの昔に事実上政治破産をしている。
>結局は政治思想の過去から現在までの在り方の問題に尽きる。
冷戦体制ー55年体制などと中身を問わず、新たな事態に政治創造力を発揮せず、大ざっぱに総括し野党勢力が一挙に瓦解していったのは、日本だけである。もっとも、それ以前の凄まじいい高度経済成長時代に政治創造の力が足りなかった。物欲要求とともに、生死をかけた戦いには大きな限界があった。
「日本を再び戦争国家に転落させることは、体を張ってでも阻止しなければならないと考える主権者」などは言葉として突き刺さってこない。直近にそうした人がいたが、残念にも自分に刃を向けてしまった。想いはたくさんある事を知っているので、このヒトがそのように書く気持ちはわかる。しかし、政治思想として表現するのが望まれているのではないか。協同の創造である。
丸山真男が高度経済成長時代、バブル崩壊まで存命していたとは全く知らなかった。この時代の日本には本物の政治思想家は育たなかった。

「いしん」のミニ宣伝カーが赤信号で交差点に止まると、小柄なねぇちゃんの後ろ姿が手を振って通り過ぎていった。
わたしは近づいて、
>「大阪都構想と云いながら、どうして大阪市だけの住民投票で、堺市住民投票は問わないのだ?おかしいじゃないか?」
「まずは大阪市から」と交差点に止まった車のミニ宣伝カーの選挙用の笑顔を絶やさない若者は答える。
堺市有権者の離脱選択を覆すことは不可能。であれば立ち止まると云うのが筋。人口30%の大阪市だけに問うのは理不尽極まりない。橋下の云っていることは政策展開の中でできる。) 
>完全に運動体の感覚である。住民運動ならばそれでいいかもしれないが、重大な制度改革の事案の賛否を急きょ、大阪市有権者に対してのみ、問うことの理不尽さ、を首長と議会の最大会派という政治権力を握っているものが、認識していない。逆に、「コレが最後のチャンス」などと宣伝している有様である。
政治的精神構造は宣伝カーの若者並みである。だから受ける、ともいえる。
共感する若者は、コレが分かるまで時間がかかる。むしろ一生わからないままのものが多数だろう。仕方のないと、思う。自分も若いときにそんな感覚だった。もっとむちゃくちゃだった。政治権力を握っている橋下「いしん」のような立場とは相いれなかっただけだ。
 問題は、橋下「いしん」である。
議会圏の政治権力を握っているものが住民運動レベルの感覚で、多種多様な利害を調整しようとする意識に欠けているのだから、もめ事が絶えず、地方自治政治がないがしろにされるのは当たり前の現象である。
 
 自民党の国会議員の演説者はシビルミニマムという最低限のことさえさわかっていない、と云っていた
引用。
「シビル・ミニマムは、都市化社会・都市型社会において、民が生活していくのに最低限必要な生活基準。これに基づき市民と自治体の協働で社会資本整備、まちづくり社会保障等の基準を定めるべきとされる。」
勉強になるなぁ~。コレで橋下「いしん」の住民運動体感覚の精神構造の謎もかなりわかった。
 
「都区制度は戦時法制としてできたんだぞ、なぜ平時の今、実行されなければいけないのか?」
「イロイロなな考え方はあります」
終いに大きな声で「暴力はやめてください」
オレンジのTシャツのむき出しのたくましい腕に人差指で触っただけである。
俳優のようなのっぺりとした顔は選挙用の笑顔を絶やさなかった。
 
>例え、反対票が上回っても、大阪の混乱は続く。橋下「いしん」を生み出す要素を小さくしていくことである。
選挙ということいなるのだが、橋下「いしん」は大阪マスコミによって生み出された要素が大きい。
全体主義の運動基盤は小市民大衆である。橋下「いしん」は全体主義の今日的適応形態である。その意味ではアベとは違う。(「美しい国へ」)
マスコミと小市民との間にキャッチボールの相乗効果が始まって、歯止めが利かなくなる。「平和感覚」の中でタカをくくっていのである。この意識は戦争状態が掃き清めない。だから続く。グローバリズムに終着駅はない。全部市場の溶鉱炉に溶かしこんで、その矛盾を形成しながら時代は変わっていく。その過程で確実なことは大戦争を取り除いた、云われているすべての事実の進行だ。
カタストロフィーを戦争に求めるのは逃げ口上。政治の放棄につながる。