反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

安保法案、16日に地方公聴会 参院本会議採決の前日。敢えて持論を記す。

 
 朝日新聞デジタル 2015年9月11日16時05分
安保法案、16日に地方公聴会 参院本会議採決の前日
W。この記事が一番、利用価値がある。安保法制の解説に飛べる。■読みとき安全保障法制
絵を使ってイロイロ解説してくれているが、「反俗日記」では、安保法制の原本に迫った記事を掲載し、それを踏まえて、現在の意見に到達しているので、朝日新聞のような観点、想定は無視できないが、ほとんど関心がない。。
■読みとき安全保障法制のような観点は、一つの重大な専門分野について分かり易く詳しく具体的に解説しなければならないマスコミ報道としては仕方のないことであるが、結局、戦争と平和の課題を貫く実行力によって血を流しながら鍛え上げられてきた政治思想を物差しとする安保法制の現時点の位置づけと、将来に対する説得力のある「推断」がないので、ソレをトータルした読者に漠然とした不安感、身体的恐怖感を抱かせる次元にとどまっている。コレは朝日だけではなくその他の報道の大方の傾向ではないかと思う。
 
 ソレらが読者に与える影響の卑近な例を挙げると、凝縮し立て込まれた情報に気持ちを揺さぶられても、「普通の状態の人々」であれば、一晩、寝た後の身の回りと世間はいつも通りであり過ぎて、昨日得た驚愕の事実の情報の数々は、日常性の現実の前に打ち消されていく。
そして、もう一度、そういう情報に接すると巻きなおされていくかと云えば、そのようなサイクルは長続きしないで、いつも通りの身の回りと世間の日常性に人々はどっぷりとつかっていく。
 
>しかし、ある人々には、その情報を対象化し客観視しようとする機会が訪れる。
 
>そういうある人々の内面で起こっている思考ルートは、
①現状肯定(例えば、アベ等、自公政権の安保法制、支持者~否定するにしてもアベ等の根拠を冷静に確認しなければ話にならない~)←vs②感情的反発、政治的危機感及び特定傾向の具体的事実を並べた否定、~~①と②を総合した見地この見地は②に、もましてや①の政治的立場に戻ることはない。
 
 もっと具体的に説明する。
>直近の大きな政治事件に例えると、日本特定有権者が精いっぱいで選んだ民主党への政権交。 
政権取り巻く条件と環境が3重苦、4重苦であったにしても、実際に新政権を選択した特定有権者の期待に沿うものでは全くなかった。(もっとも新政権を取り巻く環境を考慮せず、マニフェストに過剰な期待感を抱くことこそ政治的未熟そのもの。マニフェストなど端から相手にせず、旧政権側との「権力闘争」しか期待しなかった人もかなりいる。)
 
>精一杯の政治選択の結果、落胆した多くの特定有権者の票がなだれ込んだ先は、みんなの党であり、石原慎太郎やら、大阪「いしん」の会であった
その時点では、日本未来の党共産党に一票を投じた特定有権者は前者に対比して少数派だった
日本未来の党成田離婚的事態は煎じつめると、当選者があまりにも少なすぎたことに要因を求めることができる。元々、小沢氏は服を着ていない政治体質なのだから、裸同士では、成田離婚は当然だ。
(もっとも小沢本人と支持者の政治体質に根源的な原因はあるが、口を閉じて、安保法制事態を前にまた数の論理に走っている。次の選挙協力は国民的忌避政治家小沢氏を岸壁に積み残し、放置しない限り、特定有権者の支持は得られない。)
 
>そして、みんなの党は2014年アベ、「内乱」選挙直前解党し、「いしん」の会の「看板」W?で選挙戦を戦った候補者の多くが当選を果たし、橋下大阪「いしん」と政治統合した結果、日本維新の党が生まれた。
ところが、大阪都構想とアベ安保法制案国会審議の事態によって、あえなく短期間で空中分解してしまった
 
>どうしてこういう政党の離合集散が、80年代後半から90年代も含めて政局の肝心なときにまるで決まり事のように引き起こされるのか?
この疑念の欠け人はこの文脈の対象外である。
 
>結論ははっきりしている。
現状肯定vs現状否定~~(***)の<止揚>の思考ルートとそのしかるべき政治内容を開示でききれないからだ。
 
>否定の事実を一まとめにしてアジっても、その根拠に説得力がなければ、危機感を抱く大勢の人々を一定の政治潮流として定着できない
 
>そして、定着した政治潮流の形成がぜい弱であれば、民主党政権に対して精一杯投票した特定有権者、みん党やら「いしん」へのいとも簡単な分解現象は何度でも起こる。
 
>架空の議会圏多数派形成を前提に逆算して、今の議会圏の政治地図どうこうしようとしても限界があると云う事実を知らねばならぬ。
 
そもそも、民主党政権交代時のような絶好の政治機会をこの安保法制事態の延長線上で期待するのは非現実的である。その時よりも特定有権者の政治意識は、自公政権寄りにがなれており、安保法制事態への熱が票に歩留まりする割合を過大に評価できない。朝鮮半島情勢、北朝鮮から一発の実験用ミサイルの発射、尖閣でもめ事が起こると特定有権者の多くの政治意識はガラッと変わる。それほど頼りない、あてにできないものである。北朝鮮中国はアベ自公政権の方が国民が排外的にまとまるから都合が良い。米国もアベ等によって一番利益を確保できる。
 
 そのように考えていくと、民政党政権から簡単にみん党や「いしん」に乗り換える特定有権者を抱え込もうとするよりも、安保法制事態の「情報を対象化し客観視しようとする機会が訪れる」人々を政治潮流として定着化することが、様々な大衆行動の第一の課題である。
単純素朴な反戦意識、軍事的不安感の醸成、既存の護憲平和(ソレが悪いと云っているのではない)に首をかしげている人は「層」として存在している、とみている。
一晩寝て目が覚めたら、別の意味で、いや待てよ、と。
 
 大衆運動は人を集める事も必要だが、目的は呼びかけたもの、参加したものが運動の中で変わること、政治潮流を形成することだ。元気のない日本的整然としたチンタラ、デモを100回やったところで、それは達成できない。
どうしてそうなるのかもとをただすと、現状肯定vs現状否定~~(***)の<止揚>の思考ルートとそのしかるべき政治内容を開示でききれないからだ。
堂々巡りの議論になっているが事実だからしかたがない。
 
歴代ドイツ政権NATO域外軍事展開に舵を切ったが、ドイツの政界再編は、反核運動の中でドイツみどりの党が結成され、ドイツ社民党政権の従来の再分配政策から英労働党のような新自由主義政策への転換過程でラフォンテーヌ党首らが離党し、様々な政治潮流と共闘の結果、東ドイツ地域で根強い政治基盤を持つ旧東ドイツ政権党の後継党と合流して、リンケ(左翼党)が生まれた
 ドイツ議会圏の政治地図はキリ教民主、バイエルン地域政党右翼政党キリ教社会同盟が過半数を握っているが、日本のような与党2/3の異常事態、野党に橋下「いしん」などと云う異常政治がまかり通るようなことはない。
国民益レベルを守る歯止めは日本よりはるかに大きい。
 
>原点に戻って改めない限り、自公<的>政権は日本的代議士制の中では「永遠に」続く。
自公的政権は過去のあった事象が拡大して生まれた。
自分流にいえば国家ーグローバル資本複合体の国体政治化の道は促進し、アメリカ的日本になりきるまで留まるところを知らない。
 
グローバル化が進むにつれて国家の役割がより重要になる(Wつまりアベ的政治)と云う考えは」、エレン、メイクシンズ、ウッドが明らかにしている。

参考資料をココに挙げる。
静かな日    医療構造改革に抗して 野田浩夫 ウッド著「資本の帝国」読後感のまとめ。
W。問題意識が鋭いので本当に凝縮されている。
引用
アメリカは史上初の資本主義の帝国として、権力の主体を資本と国家に分離することを通じて、世界を支配するスタイルを作り上げた。
>資本の権力は、国家権力と分離することで、身軽に全世界の隅々まで市場の命令を発することができるようになり、資本主義は世界に普遍的なものとなったが、それ自体で市場の命令を貫徹する力が十分なわけではない。
 
世界に市場の命令を強制するには、経済外の力、簡単に言えば軍事力が必要であり、それを作り出せるのは国家の権力しかない。
*>資本の権力は国家の権力から、一時的に分離することはできても、本質的に国家の権力なしには存在しえないのである
しかし、アメリカ国家は国境を越えて世界中に出向き、直接に資本権力を応援することはしない
世界はすでに国民国家の集合として構成されているから直接支配はありえないからである
また、直接支配によるリスクとコストを負わないことが、アメリカ帝国の新しさの本質だからである。
W.戦前いや、アメリカの歴史の伝統
 
>したがって、アメリカ国家は幾つもの他の国民国家を従属させ、彼らにその国家内でアメリカ資本の発する市場の命令を貫徹する手助けをさせなければならない。
こうしたスタイルの帝国は世界中に資本主義が普遍的になった時代特有のもので、歴史上、アメリカ以外にはなく、イギリス以前の旧帝国とは大きく違うものである。またレーニンローザ・ルクセンブルグが考えた、世界の非資本主義国を分割して支配する資本主義帝国群とも違うものである。
 
W。ここから先はエマニュエル、トッドの「帝国以後」のアメリカの演劇的小規模軍事行動主義というアメリカの軍事能力を過大評価せず、正当に評価した立場とほぼぴったりと重なる部分があるが、(多分強い影響を受けている)エレン、メイクシンズ、ウッドはカナダ人だけに、過大評価す過ぎている。

引用 エマニュエルトッド当該部分 ちなみにエマニュエルトッドはイラク戦争に参戦拒否のシラク首相に強い影響を与えた。同じく参戦拒否のドイツでもシラクの本はよく売れた。
 
「メディアを通じて華々しい戦闘が展開するだろうが、コレによって根本的事実、すなわち選ばれた敵のサイズがアメリカの国力を規定していると云う事実が覆い隠されてようなことがあってはならない。W。下線強調部トッド
弱者を攻撃すると云うのは、自分の強さを人に納得させるよう手とは云えない。
戦略的にとるに足りない敵を攻撃することにいよって、アメリカ合衆国は己が相変わらず世界にとって欠かすことのできない強国だと主張しているのである。しかし世界はそのようなアメリカを必要としない。
軍国主義的で、せわしなく動き回り、定見もなく、不安にかられ、己の国内の混乱を世界中に投影する、そんなアメリカは。
 ところがアメリカは世界なしにやっていけなくなっている
 
~~W。この文脈の最後は有名なアメリカ、ニューエコノミーの崩壊の予言で締めくくっている。
 
冒険主義はそれゆえ軍事のみにみられるものではない。
>金融でも見られるのだ
>そして今後数年ないし数ヶ月間に、アメリカ合衆国に投資したヨーロッパとアジアの金融機関は大金を失うことになるだろうと予言できる。
>株価の下落はアメリカ合衆国に投下された外国資産が蒸発してしまう第一段階にすぎない。」

  引用  エレン、メイクシンズ、ウッド「資本の帝国」 読書感想 
アメリカ帝国の特殊性は帝国の軍事力の使い方に最もよく現れている。唯一の帝国であるアメリカはどの国とも本格的に戦争をする必要はないが、潜在的な競争相手が、競争しようとする気持ちさえなくすような圧倒的な軍事力のデモンストレーションを永続的に続けておく必要がある(*まるで、ゴリラのボスが自らのを誇示するために周囲の木を揺さぶりながら走り回るような)。←過剰評価である。
そういう意味で、アメリカはソ連との冷戦終了後、世界中を相手にした「終わりなき戦争」に突入したのである。W。この論法は良い。
その戦争の規模は、アメリカの全軍事力からすれば演習レベルに過ぎないが(過剰評価)、本質は永続的にその演習を続けざるをえない、途中でやめることはできないということである。」
 
W。「資本の帝国」と云う本の存在すら、昨日、間接的に知っただけだが、この読書感想文のまとめ方は「資本の帝国」の内容をよくつかんでいると想う。
 
トッドは云う。
壊れた時計の針でも一日に一回だけは、正確に時を知らせる瞬間がある。
つまり危機論を絶えず選択して常に訴えかける人たちの予測は、一回だけ当たる。全般的危機とでもいおうか。
 
この読書感想文を読む限りでは、エレン、メイクシンズ、ウッド「資本の帝国」もその一種である。
引用したトッドのような論理構造とはかなり距離がある。
 
ベトナム戦争時の毛沢東ではないが「アメリカ帝国主義は張り子のトラである。全世界の人民は大団結してアメリカ帝国主義とそのすべての手先を打ち破ろう!」というと次元に到達できない、米国過大評価論の感を免れない。であれば、**される相手の対する抵抗以上のものはこの論理から出現するはずがない。
 
レーニンローザ・ルクセンブルグが考えた、世界の非資本主義国を分割して支配する資本主義帝国群とも違うものである。」多分、その方面の言及が「資本の帝国」にはかなりあるものと思われる。
しかし、そんなことは当たり前のことであり、敢えて言うことでもない。レーニンの「帝国主義論」にはマルクスのマの字も出てこない。黙ってその時代に適応する分析をした。
 
いわゆる「左翼」のエレン、メイクシンズ、ウッド「資本の帝国よりも中道保守新ドゴール主義者的トッドの「帝国以後」が圧倒的にインパクトがあるし、状況に対して公平に評価している。公平に評価する力があったから予言ができた。エレン、メイクシンズ、ウッドにはそこまで論を進める立場が欠けていた。

引用 小林秀雄 「様々な意匠」
「不安が極限に達すれば、人はもう不安なくして生きられないと感ずる。
不安感は彼の神ではないとしても少なくとも彼の支柱にとなる。昔は不安感とは精神のある疾病であったが、今日では不安こそが健康な状態になった。
 こういうとき人は自分を忘れて饒舌になる。
不安だ不安だとしゃべりちらすが、彼の声は少しも震えていないのである。自己宣伝が一番栄えるのは人が己を失ったときに限る。」
 
W。戦前の大切な時期にここまで反動的な言説をまき散らすことに嫌悪を感じるが、小林独特の逆説は平時であれば正確に的を射ている。
エマニュエルトッドのような論法を使うのは難しい。フランス知識界の伝統がそうさせている。彼は「アデンアラビア」のポール・ニザン - Wikipediaの直系(祖父)である。
 
堀田善衛は「方丈記私記」において、学徒出陣で兵士に引っ張られる前、大空襲下の東京を彷徨いながら、「方丈記」とレーニンの本をよりどころにしていた。
堀田によれば、レーニンは革命の仕事に忙しすぎて、「不安感」など持つ暇がなかった自分とは対極のところにいる精神の逞しい常に前を向いた人間と観念していたので、無常感一杯の「方丈記」とともに読んで、精神の均衡を得ていたのだろう。
「日記」で、レーニンの「帝国主義論」を特集したとき、真っ先に感じたのは、この第一次世界大戦勃発時のチューリッヒレーニンは、ようやく自分の出番がやってきたと一種の精神的高揚感に包まれて、「帝国主義論」を一気に書き上げたのではないだろうかと云うことだった。
帝国主義戦争を内乱に転化せよ!
このスローガンで最後を締めくくりたかったが、ロシア国内での検閲事情に配慮して、外され後で追加された。
この大方向は、1917年の4月テーゼ、全ての権力をソビエトへ!に繋がり、最後は武装歩記の政治決断に行き着く。
 
寝言を文字にしているわけではない。
上記してきたような思考ルートが積極的な政治決断を生む例え敗れても継続の力にもなる。政治潮流を作り出すとは、そういうことだ。被害者意識や相手の力の過大評価、政治的危機感だけしか根幹に流れていない様ならば、それはできない。

引用 資本の帝国」2004年 読書感想文。 W。ウッズの次の観点は素晴らしい。
「>資本のグローバルな支配と、それを巨大な軍事力で支える国民国家群という様式はきわめて不安定で、
真に民主主義的な経済的・政治的要求による挑戦の前に思いがけぬ脆さを必ず露呈するはずのものである。
>そのとき、ネグり/ハートが主張するように各国民国家の役割を終わったものと見なすのは、戦う相手を間違えるというものである。(W。形を変えた経済主義である)
>資本の支配がグローバル化すればするほど国民国家による主として軍事的な支えはますます重要性を高めているからである。
*>したがって、民主主義の闘いは、グローバルであることが求められると同時に、各々の国民国家内での固有な営みを決して軽視してはならず、むしろ主戦場は国内にあると考えるべきなのである。」
 
W。最後に、静かな日  医療構造改革に抗して 野田浩夫 は次のように結論付けている。
 
「これは結局、 よく言われる think globally,act locally  ということに決着するといっても良い。
しかし、この本を読む前と後では、こんな手垢にまみれた言葉の意味も違って見える。」
 
W。「日記」のような反国家主義者には古臭いとは思えない。
 
が、しかし、つい最近もこんな当たり前のことを確認した。
コレの立場が繰り返し、安保法制事態に置いて「日記」が執拗に指摘してきた国家ーグローバル資本複合体の国体政治化は多数派国民に矛盾と負担を押し付ける。
米国支配層の政治≒(日本国家~グロ資本複合体)vs国民利害の基本矛盾構造である。
護憲、一過性の厭戦意識を危機感を煽って醸成することが一辺倒になるのは間違いである。政治経済軍事のリアルの利害問題を常に同時に訴える必要がある。TPPを同時に持ちだせば、政治的分岐ができるが、少なくとも学生諸君の戦いにはそれができる。共産党社民党はそうすべきである。結局、「統一戦線」には含まれる予定はないし、支持の広がりも限られているのだから、最初からキチンと問題点を並べて、提出すべきである。

kim hang 「帝国の閾(しきい)」 引用
「この二つの自由主義が『進歩的』にいけ取られるところに、日本ファシズムの『実際問題の実地』が横たわっている、というのが戸坂潤の診断だった。
>それゆえ彼は『日本は世界的な角度から見られなければならぬ。』といいながら『コレは、日本は民衆の立場から見られなければならぬと云うことに基づくのである。』
すなわち『実際問題の実地の解決』のための『包括的で東市的な観念のメカニズム』は世界と云う普遍性と民衆と云う党派性が結合した理論構造を意味したのである。」
 
「従ってこの唯物論者が小林秀雄(W。日本の保守思想は小林的思想に尽きる)に対するもっとも峻烈な批判者になったのは当然のことである。」
 

 
民主党政権交代は野党にとって今までにない政権獲得の絶好の条件が重なっていたにもかかわらず、自公獲得票は38%であった。コレを自公的政権の岩盤とみなし、以降の政局にもたえず、この岩盤との力関係に立ち返って、議会圏の勢力分布の移動を考えていく必要がある。
 
換言すれば、政権獲得までの好条件は政権獲得後、政局運営の厳しい悪条件に転化する。
純政治力学の観点では、「革命」の進行に対する「反革命」の密集と云う状況を想定してよい。
後知恵になるが、コレを回避する道は小沢氏の単独離党しかなかった。長年政権運営してきた自民党の常とう手段は、政局の不利な局面が煮詰まった時に、標的をはぐらかすと云う議会圏政治における唯一のリアリズムを会得していたからだ。
小沢氏は、自民党田中派時代から、こうした回避行動ができなかった。剛腕は自民党長期政権の政治基盤の上でのみ発揮された。空回りしたと云うよりも悪影響を与えた。
 
がしかし、議会圏の政治の土壌のないロシアではレーニンとボリシエビキであれば、11月のあの日の武装蜂起となる。
毛沢東中国共産党=紅軍であれば、戦略的防御から、戦略的対峙段階をさらに進めて、国共内戦勝利を目指した総反抗完遂である。
コレが政治現場に置いて、政治暴力、軍事力が併存する政治状況、文字通りの「戦争は他の手段を持ってする政治の継続」状況である。
 
やらなければやられる状況での政治決断であり、歴史が評価する。
ロシア革命、中国民族解放国家統一は、冷戦時代の先進国の資本主義に経済過程への国家の直接介入、福祉国家などケインズ有効需要創出路線を選択させたこと、「途上」国の独立を即した事によって、歴史は正当に評価しなければならない。冷戦時代はソ連圏中国と云う世界資本主義の無政府的増殖過程に対する巨大な軍事力を含めた物理力をもつ、「労働組合」的対抗勢力が存在していたのである。
組合政治が最後に資本に従属するのは当たり前の現象である
 

上記のサイクルに対する回答は最初に記した。
しかし、「その情報を対象化し客観視しようとする機会が訪れる」ある人々に世界の今と将来を説得力を持って開示し、心を揺さぶり、日常性から飛躍した選択的な行動に向かわせる、方法が必要である。
ある傾向の事実を凝縮してひとまとめに羅列しただけでは、享けての最深部までインパクトが届かない。
先にのべたように、その手の情報は、最少は衝撃を受けても、一晩寝て目が覚めたら、周囲と世間の余りにも変わらな過ぎ、の日常性に風化していく。
古くて新しい課題であり、その解答もすでに出尽くしている
 
もう一つの世界、もう一つの情報源のネットワークが肝心である。
 
アベ等は、安保法制事態の自衛隊を自らの政治目標の一貫の方策として運用しようとしている。
外面的な形だけからみると、大ざっぱにいえば日本は20年の周回遅れでドイツの辿った道を歩もうとしている
 
冷戦体制崩壊後、統一ドイツ国家権力(国防軍NATO域外派兵憲法裁判所合憲判決)と政府は、湾岸戦争参戦拒否、小切手外交と批判されて以降、1990年代からNATO域外の攻撃的軍事作戦のセルビア爆撃、内戦介入にかけて、基本法の解釈替えを通じて、ドイツの軍事化NATO域外派兵、攻撃的あるいは防御的戦争行為を実行してきた。
ドイツの軍事化と同じ道を、20年の周回遅れで、今、アベ等自公政権が、辿って行こうとしている。
だから、自公政権や支持者の立場からみると、大したことではない、大きく道を踏み外すことはないと云う想い、感情である
 
しかし、先行したドイツ政府と国防軍の辿ったわだちの後を日本政府と自衛隊(軍)が歩んでいるわけでは絶対にない。
 
まず、日本とドイツの近代史現代史の違いは大きすぎる
長々と違いを記述した内容は削除した。 
 
 EU結成の大きな動機は冷戦体制崩壊によって出現した統一ドイツはヨーロッパの脅威になりかねないので、EUの枠組みに封じ込めようというものであった。それほど二度の世界大戦のドイツの脅威はヨーロッパの政治指導者に刻み込まれていた。この辺の実感は国土が二度にわたって主戦場となったヨーロッパにしかわからない。
 
結局、EUとNATOはドイツ金融資本の外国市場への跳躍のシステムになった
ソ連邦崩壊時期の旧ソ連の大量の高級技術者の移民先はドイツである。
ユーゴスラビア内戦の紛争地域はもともと、ベルリン~バクダッド鉄道計画もあったドイツの権益の伸びる回廊であり、ナチス系の地元政党と支持者の多い地域だった。セルビアによる民族浄化と自らのホロコーストをだぶらせて内戦介入の口実にするのは、大量現地派兵と最新鋭の戦闘爆撃機による空爆を国民に説得する口実、問題のすり替えである。
ウクラナイなロシア時代、ユダヤ人虐殺暴動の多発地帯であり、ドイツ系移民の多い地域だった。
ドイツ政府はいつの間にやら、ウクライナ紛争のロシアに対する米国と肩を並べるヨーロッパの代表者になっている。
特に教育水準の高い旧東欧地域に部品工場を展開したドイツ製造業は、高付加価値体系を維持して、ヨーロッパ市場を席巻している。
ドイツは日本のGDPに換算すると毎年30兆円の国際収支のプラス計上し、中国を抜いて世界一だと云う。
 
>そして、アフガンに派兵されたドイツ国防軍は国連治安維持活動の一翼を担い、戦闘現場に関わらない任務を引き受けているが、タリバンとの戦闘で50名の戦死者をだしている。戦死者が出ると云うことは、この数倍の敵と目される現地人を殺害していると云うことになる。
>さらに軍事最前線との情報共有、各種の連携を担う国防軍の通報による米軍の誤爆で、アフガン民間人に多くの死者が出ている。
現在ドイツ国防軍では紛争地域の基地に2000名~3000名の駐留している。
 
*>安保法制事態下の自衛隊は、ドイツ軍と同じ役割と戦闘行為を遂行し、結果も同じであろうが、
*>ドイツの軍事化の過程は言葉を変えて云えば、ドイツのEU、NATOの枠組みを利用した超過利潤獲得への代償である。
*>その意味で国防軍はドイツ金融資本の荒稼ぎの外交的方便である
 
安保法制事態下の日本政府と自衛隊はドイツとまったく違った条件下にある。
 
 「戦争は他の手段を持ってする政治の継続である」という原則が通用するのはアベ等のあいだだけであり、この付けを国民はまともに背負うのである。
増税と政治的閉塞の市場原理主義の檻の中に閉じ込められる。この状態を無視しようとすれば自らをアパシー状態のタコつぼに閉じ込めなけらばならない。アベ等が、今歩を速めて進行中させているのはこの事態ではないか。
 

これらアパシー層をタコつぼから引き出そうと云うのは無駄な努力である。又出てきたところでまともな選択ができる訳がない。
大阪都構想の僅差は、カネの多寡が評価基準である非政治的風土の大阪には珍しく、連日のきめ細かな両陣営による政治宣伝扇動が効果を発揮して、非政治想が動いたからであり、これらの票の多くは橋下「いしん」に流れた。彼らは何も学ばない自分から調べない、結論と感情が優先する政治体質である。
 
>あの選挙戦の実態を注意深く観察したものとして、安保法制以降、「緊急」事態が内外で生じると、憲法改定国民投票を実行したとき、成立しかねないと痛感した自民党は6割の支持者層しかまとめ切れなかった。公明支持者では反対票が圧倒した。他の政治傾向は反対票であるから、青年壮年の無党派層は、橋下「いしん」の掲げるもので構わないと云うものは圧倒した。
そもそも、国民投票は良い意味での個人主義に欠ける日本の政治風土になじまず、扇動的要素が強くなり、そのあとに始末が大変である。その時の決定に歯止めは効かず、さらにその先を進む。
が、アベ等には何の不都合もない。正直に云わないだけである。しかし、自民党経験草案にキチンと改定ある。

安保法制反対 大橋巨泉の「こんなモノいらない!」〈週刊朝日
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150910-00000007-sasahi-pol
週刊朝日 2015年9月18日号
特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される
(W。これをW流儀で解釈すると、古代ギリシアアテネまで辿る必要はないが、いわゆる戦争事態と民主主義政治は塩梅は違うが共存してきた。国民国家の成立過程を検証すれば一目でわかる。
日本では、その条件はなかったし、いまだにないままだと考える。)
 

捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。

 それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。これまで主として反対してきたのは、われわれ戦争を体験してきた世代であったが、すでに80の坂を越え、日に日に少数になってゆく。」
(W。貴重な声である。)
 

「ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」

 どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。

これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである

 

 竹槍こそ使わなかったが、本土決戦を本気で考えているうちに、東京大空襲から広島・長崎まで、何十万人という市民の命が、無意味に失われた。そして300万人の貴重な犠牲の上に、われわれは平和を手に入れ、戦争のできない憲法のもと、70年の繁栄を享受してきた。

 
 
 いかに戦争が悪で、平和や自由が尊いか。若い人もようやくわかってくれたようだ。8月30日の大集会はインパクトがあった。こうした若者に対し、自民党の武藤貴也衆院議員が、「戦争に行きたくないので反対」というのは「利己的個人主義」と批判(※1)したのには驚いた。この人は36歳、若者である。
ここにはすでに「滅私奉公」のメンタリティーが感じられる
デモの若者たちの発言は、「殺人したくないから反対」というのと同じだということがわかっていない
W。この気持ちはよくわかる。「相手をそれなりに認める認識があったから」「殺すのは絶対ににごめんだと拒否した」「戦争をしたくなかった」。若い人は自分の問題にひきつけて良くわかっている。素直に自分よりもエライと想う。
もう日本人は崖っぷちに立っているのだ。空気に流されやすい日本人は、戦争法制ができあがったら、後戻りできまい。何とか参議院で廃案にできないものか。それは「ハイアン!」と叫び続けることだ。継続こそが力なのである。」
W.巨泉さんの気持ちは痛いほどよくわかる

>さらに日本政府と自衛隊は、イラク戦争時のドイツのフランスとの共同歩調を合わせた参戦拒否を日本政府と自衛隊はできない
ずるずるとアメリカの世界戦略の一翼を担っていくのであり、そのことに対する見返りは多数の国民にとってなにもないばかりか、増税その他によって、損失ばかりがしわ寄せされる。
他方、日本国家ーグローバル資本複合体には国民多数を人身御供のごとくすることで、利益が舞い込んでくるしくみになっている。
 
以上がドイツの軍事化に至るまでの道のりの総括と、EU NATOの利害関係の素描である。
 
 
 
 次に日本事情。
日本の歴史は削除した。

「戦争は他の手段を持ってする政治の継続である」 クラウゼビッツ。
 
要は、将来するTPP事態、日米二国間の支配層に渡る安保体制を大前提に、アベ等自公政権の内外の政治手段として、完全な解釈改憲そのものである、安保関連法制13本が、現状と将来の日本国民多数の生活労働生命健康にとって、適切、利益につながるかどうかの、問題に尽きる。
もちろん人を殺すのは例え軍隊でも良くない、と考えた。では具体的にどうであるべきかと迷った。結論は出ていない。
 
日本と云う国の将来がどうのこうのは、関係がない。
グローバリズムの中の「先進国」である日本ではそんな心配を国民はしなくてよい。
日本は永遠に「不滅」である。もちろん「  」付きだが、日本と云う国はずっと続く。
中国と本格的な交戦状態になることもない。
北朝鮮から核弾頭ミサイルが飛んでくることもない。
 
政治権力を維持する手っ取り早い方法は、隣国に敵を作って、国民政治意識を政権に都合の云いようにひとまとめにすることである。
人類史上、最大の軍事紛争の地であり、近代と国民国家を生み出したヨーロッパの古いことわざ。
「諸君砲撃せよ!しからば国民は団結する」
 
もちろん、軍隊と軍人は日常的に、国家の軍事空間領域を相互に埋め尽くすために、日常業務の軍事行動に携わっている。彼等をコントロールできる政治権力が、バカなことをいい加減にやめて、そんなカネは別な有意義なところに使う、と云えば、状況は一変する。しかしそれができないのだ。 

参考資料
コラム:中国ショックは「世界不況」招くか=竹中正治
ロイター 竹中正治龍谷大学経済学部教授
中国の構造的4重苦>
整理すると、中国経済の成長率下方屈折の要因は以下の4つだ。
第1は、固定資本形成(住宅、工場設備、インフラ建設などの設備投資)依存度の高過ぎる経済成長がついに限界にぶつかったことだ。一時期、実質GDP成長率で10%を超えていた中国の高度成長は、GDPに占める固定資本形成の比率が50%前後にも及び、成長率の寄与度でも固定資本形成が約70%を占めていた。これは固定資本形成が前年と同じ規模を維持しても、その増加率が前年比フラットになっただけで成長率は3%(=10%-10%×0.7)に低下することを意味する。
 
第2は、人口動態が経済成長の促進要因からブレーキ要因になる転換点に中国が入ったことだ。
一般に15―64歳の生産年齢人口に対する14歳以下と65歳以上の従属人口の割合を「従属人口比率」と呼ぶ。実質経済成長率は、労働者数の増加率と労働生産性(1人当たり労働者の生産する付加価値)の伸び率の和である。したがって他の条件が同じならば、従属人口比率の低下は経済成長を押し上げる(人口ボーナス)。逆に同比率の上昇は経済成長を押し下げる(人口オーナス)。
 
第3は、「ルイス転換点」に中国が至った可能性だ。途上国がテイクオフする急速な工業化の過程では、低付加価値産業である伝統的な農業部門から、都市部の高付加価値産業の工業部門などに大規模な余剰労働力の移動が起こり、高度成長が実現されやすい。戦前の日本はすでに途上国ではなかったが、戦後の急速な工業化の過程で同じ仕組みが働き、戦後復興期に続いて約20年に及ぶ高度成長期を実現した。
そして農業部門の余剰労働力の底を突いた時が高成長の終焉時であり、ルイス転換点と呼ばれる。中国の農村部には依然、余剰労働力があり、ルイス転換点に至っていないという見方もあるが、現代的な産業では労働力の量のみならず質も問題となる。近年の中国都市部での賃金の高騰は現代的な産業部門で実際に使える労働力がひっ迫する段階に達したことを示唆している。
 
最後の第4の問題は、指令経済的な体質を色濃く残し「開発独裁体制」と位置づけられる中国共産党一党独裁の政治体制と改革開放政策で導入された市場経済カニズムの間の軋轢、矛盾が拡大していることだろう。
開発独裁(Developmental autocrat)」という用語は、もともとファシズムと経済政策を対象にした研究で使われたものだ(Anthony James Gregorによる1979年の著作「Italian Fascism and Developmental Dictatorship」に詳しい)。それは経済発展を優先するために、権力の強権的な行使や政治的な安定性を維持する目的で、国民の参政権などの制限を正当化する体制だ。このような政治体制でも、途上国経済がテイクオフし、急速なキャッチアップ過程をたどる一定の発展段階(あるいは戦時経済下)では有効性を持ち得ることを示したのが、おそらく過去30年間の中国かもしれない。」

参考資料
コラム:日中、政治的対立をよそに深まる経済的依存関係  Andy Mukherjee 
シンガポール 3日 ロイター BREAKINGVIEWS]
 

アベ等の心配に及ばない。アベ等の心配は、このままでは日本のプレゼンスが低下していくと云う点に尽きる
そこで経済大国と軍事大国の二兎を追い求める方策が、「富国強兵」路線である強靭な経済と政治プレゼンスの向上、その一環としての軍事力の保持と云うことらしい。←経済学者浜サン。
上記の政治路線をアベの「美しい国日本」の論法で解釈すると、対米従属そのものの日米安保体制の世界展開を、日本独自のプレゼンスの向上の絶好の機会と<読み替える>。
 
しかしそうすると実際は、米世界戦略の一翼を担って、軍事的経済的政治的負担を積極的に肩代わりしなくてはならず、独自覇権を求めるつもりがますます、従属の深みにはまっていく
 
どうしてそのようなジレンマに陥るかと云えば、
冷戦体制の残存する東アジア(生活労働専門家庶民にとっては、もう一つの情報を共有できなし、覚悟もないから不安材料になる)における持たざる国(have nots)日本には、イラク戦争参戦拒否をしたドイツのようなEUもNATOも地域の対等の枢軸であるフランスに相当する裸の生身の自らをガードする大枠はなく<そういう意味でドイツはグローバル時代の持てる国(haves)>、未必の故意的TPPと世界的軍事国家としてハブ的軍事ネットワークを持つ米国との二国間安保体制しか、有していないからだ。
上記のような日本の根本的な戦略的ぜい弱性にもかかわらず、アベ等のできるはずもない経済大国軍事大国の追及路線は、日本の国家グローバル資本複合体の権益を拡張する一方で、その付けは、生活労働専門家庶民に回される。そのような不可逆な政治軍事経済財政過程がアベ等の政治路線によって、時期を早めて、手繰り寄せられる。
 
第二次世界大戦の敗北の巨大な影響が、国民意識の奥底への刷り込まれている。
 
太平洋戦線のアメリカ軍攻勢に対して防戦一方の日本軍の惨めな壊滅、都市大空襲及び原子爆弾と云う大量破壊兵器の投下、肉親の戦死者、それも交戦中に倒れたものではなく餓死病死、万歳突撃などの要因(徹底した艦砲射撃、空襲、そして地上戦が行われ、住民が巻き込まれた沖縄では戦争観が、空から戦争が降ってきた本土と違っているが、よりによってそんな沖縄に7割の軍事基地の負担を背をわせている。)によって、物心両面にわたって壊滅的打撃を受けた日本では、この戦争に至る明治維新以来の一貫した強兵富国政策の国民意識の奥底への刷り込みもあって、
日本国家機構という権力実体の現状と推移に国民一人一人の内面の意識を無意識に投影することで、政治意識と「政治判断」が形成されてきた。
国民一人一人の無意識の意識操作として日本国家機構~ほとんど何の媒介項もなく~個人の実存なので、実質的に、日本国家=個人の関係になる。
日本の一番成功した工場である教育生産工場による徹底した集団主義教育の「精華」でもある。
地理的風土的民族的影響に還元するのは間違いだが無視することはできない。
日本の内外状況が厳しくなると、そういう個々の深層に潜む内面心理が大衆心理として機能し、ソレが政治に反映する。
 
>アベ等自公政権を支持する大衆の深層心理は、日本の現状と将来の内外状況に漠然とした不安を抱き、日本国家を前面に押し出すアベ等に、漠然とした国家共同幻想を抱き、なんとなく安心感と拠り所を求めている、ところにある

W。現代に適応できる肝心な箇所。
引用  現代アメリカの研究
アメリカでクラウゼヴィッツが研究されるようになるのはジョミニの後であり、翻訳が出版されるのは第二次世界大戦中の1943年であった。
アメリカでは伝統的に自由主義の政治イデオロギーに基づいてクラウゼヴィッツ的な戦争理論ではなく規範的な観点から戦争が論じられてきており、クラウゼヴィッツは評価されていなかった。したがって、戦争が政治の延長線上にあることを認めておらず、戦争の唯一の基準は敵の殲滅であると考えられていた。マッカーサー元帥は戦時と平時の区分を明確にした上で戦時においては政治家から軍人に全面的に責任が移行すると考えていた。
しかし朝鮮戦争ベトナム戦争アメリカは政策と戦略の調整という問題に直面する。そこで米国国防大学が中心となって1970年代からクラウゼヴィッツ研究が本格化することになった。この研究はマイケル・ハワードとピーター・パレットによる1976年の『戦争論』の翻訳が出版されることで促される。サマーズ大佐は1982年に『戦略論』でクラウゼヴィッツの軍事理論を受容する研究を発表し、またマイケル・ハンデルの1986年の『クラウゼヴィッツと現代戦略』によってアメリカでのクラウゼヴィッツ研究が活発となった。」
 
W。地球規模の低強度戦争事態の恒常化、云いかえるとエマニュエルトッドのいう自分サイズにふさわしく演劇的的小規模軍事行動によって 弱者を攻めて、世界にとってアメリカの必要性を認めさせる。
 
 結論。
中国は日本を攻めていく状態にない、そうするメリットもないが、日本側から、尖閣中国船、えい航、船長裁判のような限度を超えた、ちょっかいを出せば、必ず中国は反撃する。同じ程度のことを二度やると、反撃はあのときではすまない。
しかしこういった状況は、仲裁者ぶる米国の東アジアのアブ的プレゼンス強化しと儲け生み出するだけに終わり、日中両国民に何のメリットもなく負担ばかりを背負い込むことになる。