前回の記事と全く関係がないのだけれど、NHK第2(教育)ラジオの日曜夜8時から1時間、
第1回から聴き始めて第3回まで聴いいて、学者さんらしい実証にあくまでも踏まえようとする慎重、真面目、学術的解説は、ちっとも面白くなかったが、人間を物質運動の一部とみる世界観(注)の一環を形成する原理的課題でなので、我慢して聞いてきた。
こういう観点がずっと引っかかっていた。
が、昨日の第4回でようやく話が面白いところに、踏み込んできた。
寒冷気候ほど動物が大型化すると云う法則通り、氷河期の気候に適応するため、ネアンデルタール人の身体は大きく頑丈にできていた。寒さによる熱エネルギーの放出と、大きな身体を維持するために、今の人間の1日平均の消費カロリー1800カロリー~2200カロリーの倍近くの1日4000カロリー以上の食料を必要としていた。
現在はアイソトープ検査器によって、人骨のある種の炭素と窒素の含有量を調べると、食糧事情が解明できるようになっていると云う。(コレも凄い話で、普段の食い物の影響は何十万年経っても人体の根幹組成から消去されず、食いもによって、人体がいかに影響を受けるかの証左。)
小動物や自然の果実、木の実などをチマチマと採っていたら、4000カロリー摂取を達成できない。体力を利用して大型草食哺乳動物に狙いを定めるのは理にかなっている。
所が大型草食動物をしとめる最高の武器は粗雑な旧石器の槍しかい。おそらく、逃げる獲物に怪我を負わせ手足止めにするだけで、致命的なダメージを与えることができない。
そこでどうしたか。
ネアンデルタール人はこれらの動物と力づくで格闘した、という。
その格闘の仕方も実に、荒っぽい。
発掘された幾多の人骨の損傷部位や状態、大型草食動物を主食にしていたことなどから総合的に判断すると、
ネアンデルタール人は、どうもカウボーイのロディオのような形で背中に飛び乗って、とどめを刺していたらしいと云うのである。裸馬に飛び乗るロディオを想わせるが、相手は相当な怪我をしており、背中に飛び乗って、とどめを刺すのは、一日の平均消費カロリー4000カロリーの身体の持ち主たちには、一番手っ取り早い得意技だっただろう。横からでなく真上から、大きな身体の体重をかけて直角に凶器を獲物の急所めがけて、振り下ろす。理にかなっている。
旧石器の粗末な槍だけで、刺していたら、息の根を止めるまで時間がかかり過ぎる。こうして獲物と格闘するしかなかった。実に納得できる話である。
集団で獲物をしとめるとか、地形を利用するとか、いろいろ体力勝負でないところはあっただろうが、やっぱりネアンデルタール人は、当時の厳しい気象状況の中で生命維持する食料調達と云う、生活の大半の時間を要する行動で、荒っぽいことをやっていたのである。
そういう狩りを当時の環境から中心据えた生活全体を野蛮とするかどうかは、その時代の価値判断の問題ではないか。
>想像すると、狩りをすること、食うこと、寝ること、生殖すること、以外の意識の冷めた時間は極めて短く、「余剰な時間は、ぼっーとしたまま時間だけが過ぎて云った。
がしかし、イロイロな余分な現代文明的生活条件を省くと、やっていることの根幹は実に今日的人間状況に似ていると云える。
そういう意味では動物としてネアンデルタール人は野蛮ではないが、今日的人間状況は野蛮である。
***
原人系人類の第一回目のアウト オブ アフリカ(ネアンデルタール人、北京原人、ジャワ原人など)と第二回目の現世人類の出アフリカ以降、中近東、ヨーロッパ方面で、ある時期(歴史時代と比較するとあまりにも長すぎるすぎる期間だ。)、ネアンデルタール系と現生人類は共存し(W。講演ではそこまで進んでいない。Wの想像で)前者は滅び、後者は2万年以前に氷結したベーリング海峡を渡って、最後は南米大陸最南端マゼラン海峡付近まで到達した。
氷河期が収束に向かい温暖化の影響で海進が始まると、食料調達が簡単になり、人類の活動は急に活発化する。使用する道具は巧妙になり、遂に狩猟採取から、定着農耕、牧畜が始まると人口が増え出す。
ココから先、文明地域では文物で明確に実証できる歴史時代が始まり、本論でないので省略したいが、
>以上の文脈からみた歴史時代のハイライトは、
今から約6万年~7万年前の出アフリカした現生人類が中近東あたりで東西二手に分けれて、グレイトジャーニー??の結果、各地で文明を発達させ、遂に1532年11月、南米大陸、インカ帝国のカハマルカの広場で出会ったことだろう。
>もっともここが肝心なところで、現生人類が地球上を張りの先ほどの存在で徘徊していた様はとてもじゃないけど、グレイトジャーニーなどと呼べるものではなかった。
医師の関野さんらしい理系イマジネーションで、実態は実に散文的であった。
Wが、以前計算したところによると、現生人類グレイトジャーニーの進捗具合は1カ月にせいぜい行って1kmだな。
結果からみた視野と、現生人類の活きた現実は違う。
大陸も移動してきたのだ。植物、動物も可能な限り地球上に広がってきた。
現生人類は最良の狩りと採取の場を求めて、散文的に移動生活をしていたにすぎない。
ソレは環境と自らの条件がそうさせていただけであって、この移動生活の中に、定住生活の要素が内在していたのだ。基本的に動物として快適環境が整えば、一か所のテリトリーに長く留まる。移動してきた能力も、厳しい環境に適応し種を保存しようとする能力も、現生人類に動物的本能のなせる技だ。日本人などは、未だに東アジア東端付加体列島原住民的状況から抜け出せない、ではないか!(もっともそれで良しとするのだが)
出アフリカ以降、6万年を経て、全く相互交流なく、発展した文明どうしが正面から向き合ったときこそが、
出アフリカ以降の人類史上、もっとも決定的瞬間であった。
そこで何が起こったかを含めると、今日的意味さえ見出すことができる。前回の記事の問題意識とも繋がる。
歴史はあちこちで、つながっているが歴史認識は区別して整理して、エポックとして繋がりを分断しようとする。
イラクの人々がイラク戦争に反対したのは、少なくとも1532年インカ帝国、カハマルカの広場以降の事態に照らし合わせても、間違いではなかった。敢えて今風にいえば、インカ帝国の人々には武装して抵抗する権利があった。当時の聖書の価値観がもっとも強固で一貫するイデオロギーとして妨げていた。←十字軍遠征を見よ。
聖書をひらひらさせて神父が読みあげて、手渡された王は訳が分からないとポイ捨て以降の暴虐、蹂躙の限りを尽くされ事態は、とことん抵抗する動機と理由になる。
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その後に起こった残酷物語はフランシスコ・ピサロ - 海賊物語(W。南米の文明にも戦争と内戦、階層格差はあった。ココが完全に抜け落ちている。善VS悪だけでは割り切れない。?大航海時代と云う誤魔化しの歴史用語を発見した日本人らしい発想がある。)、インカ帝国滅亡(史実中心で○)に詳しい。
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日程
①10/23(金) 西洋史学からネアンデルタール研究へ
②10/30(金) 翻弄されたネアンデルタール人
③11/06(金) 西アジアで一石を投じた日本隊の活躍 ←聴いていなかった?
④11/13(金) ネアンデルタール人は最後の隣人か ←11月22日放送
⑤11/20(金) 人類交代劇の行く末←ますます面白くなりそうだが、なんだ、この次で終わりなのか。
②10/30(金) 翻弄されたネアンデルタール人
③11/06(金) 西アジアで一石を投じた日本隊の活躍 ←聴いていなかった?
④11/13(金) ネアンデルタール人は最後の隣人か ←11月22日放送
⑤11/20(金) 人類交代劇の行く末←ますます面白くなりそうだが、なんだ、この次で終わりなのか。
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>W。交代劇は、ネアンデルタール人と現生人類の併存時期だけではない。
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地元の郷土史には、縄文人と弥生人はたった1kmも離れずに同じ時期に暮らしていた事実が発掘調査でわかった、と書かれていた。地元の事なのでしぜんと、先人にとって最適環境であろう地形も浮かび、リアリティーがあった。
。ここにも併存時期はあった。
>もっといえば、近代化以降の歴史の進捗するスピードは異常、驚異的である。
>しかし、厳しい氷河期を耐え生きぬいてきた現生人類の基本組成は、急激な技術的進歩に身体思考社会関係レベルで適応できていない、と云う意見がある。
そういった意味で米国などその典型なのだが、傍から見て分かり易い魅力があるのも事実だが、250年など歴史の内には入らない。
過去と決別した新天地に集まった人間集団が背負う重荷は軽いはずだ。
軽く原始的にコアなモノは、広範囲に飛散し易い。
もっとも定着するのは土壌によりけりだが、拒絶感の強い土壌が、世界史の見地で役に立たないとは言えない。抵抗することは歴史上大事なことであった。
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戦国時代まっ盛り!中央権力崩壊。土一揆(つちいっき) - Wikipediaが国人侍層に収斂され国一揆 - Wikipediaが決起した時代。
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W。応仁の乱
応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した内乱。
戦国時代
室町幕府崩壊。
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W。当時の日本では、戦国時代の内乱で蓄えた強大な武装勢力の存在から、外国は手をだせなかった。
長い鎖国の果ての黒船来航以降、最初は薩長は武力抵抗をしたが、彼我の武力差の大きさに武力抵抗を諦め、欧米の権益と近代化を受け入れた。この時、日本は世界でなくなり、世界を見失った。そして、政権は欧米の手法で鎖国東アジアの李朝朝鮮に迫った。日本近代化の最初に歴史が一回転ねじれている 。日本の政治思想は世界を持たない思想である。
上部構造が経済下部構造を完全に主導できる時代だった。その後の日本史に前回のグラムシ的歴史ブロック論を適応すると、経済下部構造が政治上部構造を主導する時代なのに、風俗、習慣、情緒、理念の上部構造が、以前の歴史のなかに片足をかけている状態で取り残されている。
どうしてそうなのか?
***
レーニンの思考は、無底である「物質」の運動そのものにふれていた。それと一体であることもしばしばだった。
「物質の中では、実存はもっとも本質的なエレメント(W要素、構成部分)しか示さない。ただそれだけを見つめようとしていたから、彼の思考は単純でもあった。
子供たちは、そのことに気づいていたのではないか。
>子どもたちはついこの間、生の世界から出てきたばかりだから、自分たちが後ろにしてきた、無の世界の記憶を失っていない。
>(W。このフレーズは、この本の最後にふさわしい哲学的イマジネーションをわきたたせる!
哲学のの神様が降臨している!さすがだ!
もっともこの本の肝心なところは、レーニン論に名を借りた神様仏様の哲学論議で、ちんぷんかんぷんだったけど。→岩波書店、1994年第7刷。こんな余りも難解な哲学的ムードの本が売れたこと今から想うと時代不思議時代。 <日本バブル崩壊>1992年ごろ。やっぱり、小林秀雄の云う通り、歴史の繋がりは離れてみないと解らない。残念ながら!!存在をかけて本気で注視なければ見えてこない!わたしは180度背を向けていた。その代償は大きい。結果的に何も知らないも同然だった。求めなければ得られない。コレだ。
もっともこの本の肝心なところは、レーニン論に名を借りた神様仏様の哲学論議で、ちんぷんかんぷんだったけど。→岩波書店、1994年第7刷。こんな余りも難解な哲学的ムードの本が売れたこと今から想うと時代不思議時代。 <日本バブル崩壊>1992年ごろ。やっぱり、小林秀雄の云う通り、歴史の繋がりは離れてみないと解らない。残念ながら!!存在をかけて本気で注視なければ見えてこない!わたしは180度背を向けていた。その代償は大きい。結果的に何も知らないも同然だった。求めなければ得られない。コレだ。
>*解っていることとわかっていないことをはっきりさせなければ、思想は前に進まない。
>中沢さんの云う「物質」とは、日本的哲学方面では、ハッキリと『始原的物質』と定義され、宇宙論として展開されているのじゃなかたっけ?←ビッグバンを連想させる。
その究極的運動形態が地球上の現生人類の存在である。中沢さんは、このようなすっきりした議論を神様仏様論にしている。だから難解きわまる。)
そのために、レーニンが生と死の向こうになる、何者かにふれているヒトであると、直感したのではないか。
レーニンはそのなにものかを「物質」と名付けた。
>死は全ての終わりでない。死を通して、人間は再びその「物質」の運動の中に戻っていく。
だからこどもたちは、こううたうことができたのだーーレーニンは怖がらずに墓に行くのだと。」