反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

州兵のイラク戦争派兵→1、大統領令で国軍指揮下2、湾岸戦争時より約25%削減、イラク戦場40%州兵、25%女性兵士3、貧困徴兵の実態4、<軍隊、軍人の国アメリカ事情>*「冬の兵士」より引用開始

「冬の兵士~イラク、アフガン帰還米兵が語る戦争の真実~」反戦イラク帰還兵の会 アーロングランツ TUP訳(トランスレイター フォー ピース)岩波書店2009年発行の生の証言を引用する前にアメリ市民社会と軍隊兵士の実態を知る必要がある。この実態をリアル感を持って、受け止めなければ、州兵であった証言者たちが、イラク現地に派兵された背景、実情、社会の枠組みが、わからない。
 
1)引用 YAHOO知恵袋
州兵は戦時などには大統領権限で連邦軍の一部を構成します。
 イラクなどに州兵が派遣されているのもブッシュ大統領の命令で合衆国軍の指揮下になっているからです。
パートの予備兵士になると給料の他に大学や専門学校に優先的に入学できるため人気があったそうですがイラク戦争の激化で州兵でもイラクに送られるため基本原則が揺らいでいるそうです。」
 
W。徴兵制廃止後、戦時に大統領権限で州兵を戦場派兵できるようになったのか、元々、この法律があったのかどうか、わからないが、いずれにしても、反戦イラク帰還兵の会事務局長のケリー、ドーアティーさんのように、自分の立場(州兵)と関係法を知らなかった結果、戦争反対の意思を積極的に表明していた人が、派兵された特異ケースもある。このような国家権力の中枢(暴力装置)を規定する法律は、政府にとって絶対に必要だから存在しているのであって、非常時には、拡大解釈され徹底的に実行される。日本の安保法制もしかり。
また、市民社会に軍隊が浸透している結果、こういうことが起こるのだろう。
ドーアティーさんは女性、「わたしは喫茶店ではらきながら、コロラド大学で学部卒業の準備をしていた。戦争が避けられない当然の帰結との予測のなかで、わたしは『イラク攻撃反対!』と書かれたピンバッチをエプロンに着けていた」)
 
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 <州兵>ウィキペディアより
「陸軍州兵の人員は2001年現在で35万人、空軍州兵は10万6千人(海軍州兵はいない、沿岸警備隊
行政組織上はアメリカ国防総省州兵総局。(2008年以降、大将指揮)の管轄下にあり、連邦から補助金や装備の供与。
  ~歴史~
ベトナム戦争後に、ベトナムでの敗戦・財政状況を受けて連邦軍は縮小されている。
それに伴い、常備軍と予備部隊間の差異を小さくし、一体的な運用を行えるようにする総戦力方針 (Total Force Policy) が採択された。
また、久しぶりの州兵の大規模動員であった湾岸戦争において、州兵部隊の動員および再訓練により実戦力化に時間がかかったということがあった。
そのため、戦力化までの時間を短縮するため、連携訓練に注意を払うようになった。
 
2)*「アメリカ軍では湾岸戦争当時と比較して、<兵員のおよそ25パーセントが削減されており、人員確保が課題である。」アジアネットワークプレスより。
W。国内徴兵には、大きな限界でてきた。あらゆる手練手管を駆使して、他所の国の軍隊に代行させることが、一番都合が良い。→アベ自公政権下の安保法制成立。ショックドクトリン~悲惨便乗型資本主義。低強度戦争状態の世界的拡散。バブルとイベント資本主義。
 
3)『「対テロ戦争」には、<多くの州兵>が動員されており、イラクおよびアフガニスタンに派兵されている<兵士のおよそ40パーセント>を占める』 アジアネットワークプレス』 
<連載>米国「対テロ戦争」の兵士と家族(1) 「貧困徴兵」された若者たち 市川ひろみ より引用。
W。冬の兵士の証言によれば、戦場勤務の下級兵士は1年で帰還。
イラク制圧戦が激化すると、米兵の総数の最大需要、14万人を維持する必要があるが、募兵状況は厳しくなり、イラク戦場の40%を占める州兵のかなりの部分を複数回派兵する必要がある。
このような構図から「貧困徴兵」された兵士の元々抱える問題もあって、帰還兵の精神的病と云う社会問題が発生する。
小泉政権時代の自衛隊イラク派遣の「自衛隊の行くところが非戦闘地域」と云う強引な派遣状況は、イラクの米軍の眼からみるとよく理解できる。
 
4)<軍のリクルーター>には新兵確保の重いノルマが課せられている。
「新兵募集のリクルーターがもっとも勧誘しやすいのは、貧しく、将来の見通しがたたない若者である。
教育、医療、福祉分野の補助金助成金予算が削減されるなか、
生存権さえ脅かされている貧困層の人々の選択肢は狭められている
彼らが入隊を志願する主な理由は、高等教育の学費と医療保険を得られるからというものである。
学資ローンが払えなくなった<大学生が、借金返済のために州兵>となる場合も少なくない。
移民として強制送還される不安のなかで不安定な生活を強いられている人々も、軍に「志願」している。
2002年に入隊と引き換えに市民権が取得できるという移民法が制定され、
アメリカ市民ではない現役兵士は03年で3万7401人に及んだ。
さらに、2007年には、ビザをもたない「不法移民」も、入隊することで市民権獲得の手続を取ることが可能になった。
国防総省によると、毎年約8000人の市民権をもたない人々が入隊している。
 
>現在のアメリカ軍では、<女性もほとんどの任務に就くことが可能>となり、女性が現役軍人の15パーセントを構成している(10)。
女性兵士のうち、行政・衛生分野の任務にあたっているのは半数以下で、多くは憲兵や、戦艦、戦闘機、空中給油などの戦闘支援任務に携わっている。
女性が戦闘任務に就くことは許されていないが、戦闘を現場で支援する業務に携わっており、攻撃の対象となる。
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       アメリ市民社会と軍隊兵士の実態 
 
wellcome my life to ohaio
平凡なサラリーマンのオハイオ日記 http://ja2iin.web.fc2.com/frame01.htm
番外編 : 言いたい放題 http://ja2iin.web.fc2.com/bangai-v200.htm
W.話題は多方面にわたっており、バランス感覚があり、面白い読み物である。全部読むと、本一冊分。
この項目の中に<市民と軍隊と兵士 : 今の日本からはわからないこと>。
   ↓
市民と軍隊と兵士 http://ja2iin.web.fc2.com/guntai-v2.htm
軍隊、軍人の国アメリカ>
私の職場にも何人かの予備役の軍人がおり、政府の召集があれば戦に馳せ参じるという、「兵士社員」、がおります。一番上の階級の人は少佐で、既に40歳くらいです。
何年か前の湾岸戦争の時も、私の会社の社員がたくさん召集され、休職したそうです。

パートタイムの軍人、そして予備役の軍人。
アメリカはこのように正規の現役150万人以外に普段は会社員とか、教員とか、郵便配達人とか普通の仕事をしている大量の軍人がおり、これらの人が国家の命令で一斉に軍服を着る国なのです。
とにかくアメリカは予備役の軍人だらけの社会です。」
 
<どうやって兵隊さんを集めるか>
「1:高校卒業生を採用し、3ー5年間軍務に就いた者には除隊後大学で勉強するための奨学金を与える。これは州によっては結構な人気のようです。

2:軍務に就いて優秀な成績の者は優先的に公務員に採用する。これはあまり人気がないと言っておりました。何故かというと公務員の給料はアメリカの中でも安い代表だからという理由からだそうです。

3:貧しい階層の若者に的を絞り、積極的にアプローチする。

4:男だけではなく、女を集める。アメリカ軍の20%近くは既に女性。

やはりアメリカも兵隊集めには苦労をしているようです。特に近年はアメリカの景気がかってない程良く、世の中が人手不足で悩んでいるので輪をかけて難しくなっているとの事です。
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  ↓W。初耳。コレは全く知らなかった!
<ROTC (RESERVE OFFICER(W。予備役将校) TRAINING CORPS)出身の社員
コレのことだな→詳しくは参照→予備役将校訓練課程 - Wikipedia
W。<どうやって将校さんを集めるか>引用、市民と軍隊と兵士 http://ja2iin.web.fc2.com/guntai-v2.htm
「軍隊で重要な事は兵隊さんはともかく、いかに優秀な将校を確保するかという点です。
アメリカは伝統的という制度で大量の下級将校を供給しており、これがアメリカ軍の一線を支えていると言われている程です。
ROTCとは大学の在学中に、専攻の単位以外に軍事教育の単位をとり、そして通算で確か6カ月の実際の訓練を受け大学卒業後、更に訓練を受けて少尉になるという制度で、殆どのアメリカの大学はこの制度を取り入れております。
教育学部以外の学生が、教職課程をとるような感じ。)W.云い得て妙だ。
日本では昔、学校で軍事教練というのがあったそうですが、アメリカは志願制で、今も続いていると思っていいでしょう。私の会社の連中に聞いてみたところ、ROTCになると学費が免除され生活費も一部が支給されると言っておりました。
ROTCに採用される学生は、成績もかなりのレベルを要求されるそうで、その社員曰くオレの成績じゃダメだったと言っておりました。

これらの下級将校は大体5年間軍務に就き、その後除隊をして予備役となり、会社員とか公務員とかの一般の職業に就くのですが、私の会社もこのような出身の人間をかなりの数、採用した時期がありました。
が、殆どが1年以内で辞めてしまいました。

私の職場にも何人か来たのでその仕事ぶりとか態度を見ておりましたが、概して自分で考えて行動をしない若者、というのが私の印象でした。また、古いアメリカ人の社員との軋轢が相当にあり、よくもめておりました。

これら古参の社員に言わせると、彼らは自分の権限がどこまであるのか、そればかり気にして仕事をまともにしない、というような意味の事を言っておりました。

製造業の、しかも日系企業は彼らにとっては馴染みにくい組織だったのかも知れません。
 

<力こそ正義>
アメリカ人と付き合っていろいろと話をしていると、彼らには共通の考え方がある事に気がつきます。
それは何かと言いますと、一般的に全ての事柄に関して問題を起こさないようにするにはどうすればいいのかを考えるのではなく、問題が起きたらどうするかを議論し、それを考えるという点です。

アメリカ人は問題があったら、「どう対処するか」、を考える、どんな領域の事でも問題は起きる、という事を前提に仕組みを作ります。
戦争は起きる、これからもずっと起きる、じゃどうするか、答えは明快です。力を持つ、です。

力とは、「経済的な力と軍事力、そしてそれをうまく使っていくための政治力」、だとアメリカ人ははっきりと言っております。
彼らは何かあった時に、この力を使う事に一切の躊躇はありません。
なぜなら力を使うという事は正義の行使なのですから。

その力の一つである軍事力を支える為の努力が、社会の隅々まで行き渡っているのがアメリカです。
議会の承認なしで大統領が徴兵制を明日にでも実施できるとか、何百万人もの予備役の軍人を平時から抱えているとか、学校の中(高校も含む)まで軍隊が深く入り込んでいるとか、 日本ではなかなかわかりにくい事ばかりです。

そして、世界中の大半の国がアメリカと同じような方法、立場をとっている、これを今の日本人はあまりわかっていないような気がしてなりません。


「冬の兵士」より引用開始
読者の皆さんへ
2003年3月から2004年4月までイラク服務 W。イラク戦争の年表 - Wikipediaによると開戦と同時の派兵、侵攻軍に従軍していたことにある。
反戦イラク帰還兵の会創設者の一人、元事務局長。
 
「2003年2月、わたしは所定の部隊に配属され、開戦時の侵攻に備えて、クェイトに入り、続いて北進し、イラクに入った。
イラク南部(W。スンニ派の多い地域)の巡視やアメリカ企業の物資輸送車列の護衛に従事し、帰国を待ち望みながら1年近くを過ごした。」
 
<父はベトナム戦争時代の海軍兵。2003年平和を目指す退役軍人の会に加入>
反戦イラク帰還兵の会結成までの経過が語られている>
>平和を目指す退役軍人の会(元ベトナム戦争従軍兵によって結成)→反戦イラク帰還兵の会へ
「父は私がイラクに配置されるのを見るに忍びなく、占領の1年目に現地派遣団の一員としてイラクを訪れることさえしている。
>わたしがイラクから帰るとすぐ、父は私を、ボストンで行われる平和を目指す退役軍人の会に出席しないかと誘った。
~会場に到着すると、驚いたことに、私はイラクや中東で勤務した何人かの帰還兵と一緒に、公開討論会のパネラーの一人となって発言する予定になっていた。
~年次総会に臨んだ何人かのイラク帰還兵はイラク戦争に反対する9,11以降の退役軍人から成る組織を作りたいと、<平和を目指す退役軍人の会>の人々と相談を重ねていた。
>2004年7月24日、わたしは兵士の家族とともに歴史的に有名な(ボストンの)ファニエルフォールの舞台に立ち反戦イラク帰還兵の会の結成を発表した。
~~
イラクからの全占領軍の即時かつ無条件の撤退
*全ての退役軍人に対する医療保障その他の給付
イラク国民への賠償
会員が増え、各地に支部が結成され始めるとともに、どのような侮りがたい社会的勢力になるかと云う点において、新たな段階に入った。
「冬の兵士 イラクアフガニスタン」を組織した。
~~
ある会員は、海兵隊のすべての軍務よりも反戦イラク帰還兵の会の仕事に誇りを感じる、と私に語っている。
~~
>戦闘から帰国した私たちの話を多くの人々は聴きたがらない。
戦争や占領と云う倫理があいまい化し、善悪の境界線もぼんやりと定まらない状況が抱える過酷な現実を知って、居心地の悪い思いをしたくないのだ。
わたしたち兵士の経験を認めることによって、
人々は、自分たちの一般市民防衛する事を究極の目的とする軍隊がとった行動に対して、自らの責任を認識せざる得ないと云う圧力を感じることになる。
 
>人々にとっては私たちを英雄と呼び、わたしたちのことを忘れ、わたしたちが背負って機や犠牲と耐えてきた恐怖を忘れることの方が、いつだってはるかに容易だ。」

W。時間の都合で<省略>→反戦イラク帰還兵の会のその後の活動記録と反戦ベトナム帰還兵の会の時代状況の違い。(有名な演説はケリー海軍大尉の演説<その後マサチューセッツ州選出上院議員、2004年ブッシュと争った民主党大統領候補。)
 
 
 序章
「IVAWの会員は、『冬の兵士 イラクアフガニスタン』が同じような歴史的役割を果たすことを期待していた。
しかしこれまでのところ、連邦議会上層部とマスコミの無関心に阻まれている。
~~2008年の集会は、~ホワイトハウスから15キロも離れていないメリーランド州シルバースプリングで開催されたにもかかわらず、
アフガニスタンイラク戦争の帰還兵数100人によって繰り広げられた証言は、ほんのわずかしか報道されなかった。
ワシントンポスト紙は、『冬の兵士 イラクアフガニスタン』の記事を首都圏欄に埋没させ、
ニューヨークタイムズ紙及びCNN、ABC、CBSは完全に無視した。
>それでも外国の報道機関と、星条旗新聞、アーミータイムズなど軍機関紙の関心を集めた。
>また連邦議会では革新系議員団のメンバーが注目し、2008年5月15日、連邦議会に9人の帰還兵を招いて証言を求めている。
~大多数の狩猟メディアは、またもや、この核心系議員団による『冬の兵士』フォーラムの報道を避けた。
W。ラクオバマ2008年8月民主党大統領候補の指名獲得
2008年11月4日、大統領選に勝利。
イラクからの撤退>
「2009年2月27日、オバマノースカロライナ州で演説し、2010年8月末までにイラク駐留戦闘部隊を撤退させ、その後は最大5万人の駐留部隊をイラクに残すという新戦略を発表した。これは、完全撤退に対する反対意見が根強い共和党や軍上層部からの意見に配慮したものと見られる。」
<戦後最悪の大統領>
「2014年にコネチカット州にあるキニピアック大学が行った調査では「第二次世界大戦後で最悪の大統領」としてオバマが第1位に選ばれ、前回調査1位のジョージ・W・ブッシュを5ポイント上回ったと発表された。外交やテロ対策での対応に対する不満が増大していることが顕著であったという」
W。内政問題(経済財政社会矛盾拡大)が外交問題にすり替えられているのではないか。日本にも同じことがいえるが。
今度の大統領選以降(戦争政策推進を競うような大統領戦になる)、世界中に反戦イラク帰還兵の会が必要になりそうだ。