反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

イラン・イラク戦争 略図入り。イスラム教「スンニ派」と「シーア派」違いは何?図表ヨーロッパのイスラム人口。加速する米国からの石油輸出 - 丸紅

 前回の記事には修正すべき問題があった。
NAVERをコピペするときに、現状に至るキーポイントの時系列とその簡潔な内容、大きな流れをつかむことが主眼で、気になっていたことを調べなかった。
そこで今回は中東情勢と影響するEU主要国の基礎知識を情報のまま列記する。
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2015年7月6日「憲法を活かす講演の集い」(白井聡氏)京都第一法律事務所
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 *自分のリアルな問題意識、課題から注目する学者。
原理的、正々堂々、フレキシブル、である。
 
1)戦前の東京オリンピック開催挫折以降の80年を2で割り、片肺モスクワオリンピックから、2020年開催の想像力は自分にはとてもじゃいが、及ばなかった!
 
2)強大な米軍事j力によって、追い詰められた東アジア人民を収奪した(リアル民主なければ政治的抑圧感覚の自覚はできない)天皇支配権力の、合国降伏宣言受諾宣言はお盆の時期であり大戦争敗北、と天皇制近代国家に対する<臣民>~市民の国民国民な臣民の国民国家~、を仏教的万物の輪廻転成を歴史習俗的に同期できるとき、だった。
 
戦争とリアルな敗北の内外の犠牲、尚武と敗北を美学化した平家物語戦災のハードボイルド的現実世界方丈記>の世界、留まると云うのが、小林秀雄の第二次大戦直後の特別的地位の文学的感想である。
 
3)グローバリズムの政治思想的本性は、個々人が<学者>と<技術者>を志さなければでなけばならない、と云うこと

「現在のイランとイラクの宗教状態は異民族ながらイスラムシーア派過半数以上を占めておりイラクは約65%、イランでは95%の国民がシーア派を信奉している。しかしイラクでは少数派のスンニ派が国家中枢を独占しており、イラク国内のシーア派の存在はイラクとイランの関係にとって憂慮すべきものとなっている。」
「1978年にイラン国内で起こったシーア派の革命「イラン革命」が起こるとイラク国内のシーア派の動向を懸念したイラクバース党がアラブ川に関する協定を無視して空爆を開始。」
W。当時の宗教原理をめぐる宗派対立に対して、リアルポリテックスの選択肢がなかったのか?
まして、世界情勢の激変の予兆を察知できれば、8年間も戦争する必要があったのか?
1988年7月イライラ、戦争停戦
1978年12月 鄧小平改革開放路線開始
1985年3月 ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開
当時選択肢はあった、と見たから、サダム、フセイン無知無能、泥縄式政治対応の観を偉そうに記した。
思想政治運動、民衆運動ではなく国家権力を握った権力者集団の政治は民衆生活に直接、責任を負う。
又責任を背負わさなければならない!
原理、理念と現実適応の区別、適応妥協の覚めた政治がなければ、上位のパワーに利用される。コレは政治の原則ではないだろうか?
欧米の中東介入、侵略と侵謀略政治を告発していればよいと云うことではない。
NAVERのサダムフセインの政治の時系列を辿っていくと、泥縄式との率直な感想が浮かんできていまだに消えない。
 
2)イスラム教「スンニ派」と「シーア派」違いは何?
スンニ派コーランやハーディスを重視
シーア派=血脈が宿るリーダーを重視
W。この解説を読むと、スンニ派が多数派になる理由が良くわかる。原理的解釈もできて、情勢に対する現実対応性が高い。プロテスタントキリスト教?。
シーア派は教義のうちに、現実政治の要請に基づく支配体制(ヒエラルキー)を含む。カソリック系?。
 
イラクの不幸は、すぐ隣にアラブ世界では少数派のシーア派革命、自国のシーア派約60%、フセイン政権中枢スンニ派、少数派クルド人地域は油田地帯で外国利権化。→シーア派クルド人を利用し、分断支配をするのが外国介入者。かつてのユーゴスラビア崩壊後の分裂状態の中東版を想起させる。
 
>「イスラム国」台頭もそういう環境によるところもあり、それも当面は大混乱の要因には違いがないが、大きな政治の枠からみると、中東地域は分断して統治せよの歴史的に介入してきた欧米原則によって、利用されているのではないか
 
米国の石油事情もシェールオイルが大量に採掘されるようになって、替わってきているので、中東地域に対する政策のフリーハンドがヨーロッパ、日本、中国に比べて、広がっており、ウクライナ、ヨーロッパ情勢、東アジア情勢など紛争地域とリンクした対応の幅も拡大している、と見なければならない。


参考資料列記
(1)図表ヨーロッパのイスラム人口、ユダヤ系人口(山内昌之「民族問題入門 」による)。
「フランスでは公立学校でのイスラム教徒のスカーフ着用禁止ユダヤ教の帽子やカトリックの十字架も禁止。
イスラム系を中心とした若者の暴動(2005年)やイスラム系住民との軋轢が生じている。また、2015年1月には、イスラム預言者の風刺画を掲載した週刊紙シャルリエブド編集部への銃撃やユダヤ人スーパー立てこもりを行ったイスラム過激派による連続テロ事件が発生した。これについては、フランスや欧米文化圏で「反イスラム」ではなく「表現の自由の擁護」を目指した「私はシャルリ」デモが大きく巻き起こった。」
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W。フランスにおける国家の原則とはフランス革命の人権宣言に端を発する自由平等博愛精神を継承して、
思想信条宗教人種民族職業階層などの属性を取り除いた自律的な人間(抽象的人間)である人権主体の結集する機構である。
血を流した市民革命の精神を引き継ぐフランス国家は公の場から様々な属性の違いを超えた自律する個々の人間主体として国家への結集する個々人に国民としての人権を保障する。
ジャコバンな革命的中央集権主義によって、国家への自律的人権主体である個々人の同化に求める構造を含んでいる。フランス国歌「ラ、マルセイーズ」。
イスラム教の習俗宗教性と原理的に相容れないところが本質的にある。
週刊紙シャルリエブド編集部が、イスラム預言者の風刺画を掲載するのは、上記の理屈から導き出せるフランス的自由からは、自重すべき挑発とみなさない。
 
メリカの原理的民主主義は新大陸植民地の宗主国イギリスからの独立宣言でもあったので、フランスの宗教勢力と封建勢力を倒した市民革命によって生まれた国家の中立性の護持の精神とは異なる。
世界で初めて憲法を発布した国家はキリスト教原理をもつ個々の住民主体の共同体の連合体として出発し、後に機構化して、思想信条の自由を修正条項第1条で認めたが、原点の宗教性は根強く残っている。
もっとも古いイギリスの民主主義は、新興封建土地所有者、商工業者を主体とする議会の市民革命の途上で議会と君主制妥協した均衡状況を反映した民主主義である。
日本の民主主義は資本主義近代化の後発として登場した絶対主義国家権力が上から資本主義近代化を押しするめるアイテムとして古代的王政を復活させ原住民結集の軸にし、
抵抗の少ない近隣侵略によって資本主義の原始蓄積を達成し、
この状態を国家=政治社会の機構原理にして、そのまま資本の強蓄積から帝国主義戦争の敗北に至り、
>その強い残滓を残した本体の社会と国家に米国型市民社会の民主主義が風俗的にラッピングされたものである。
したがって、戦後世界体制という刻印ある包装紙は同じでも中身は替えられる。
 
*****引用に戻る
 
    
「西欧では、ドイツ、フランス、英国、イタリアにイスラム系住民(イスラム人口)が多いが、これらは旧植民地からの移民が多いためである。
>この4カ国では人口比で3.7~7.5%となっており、多かった時期の日本の在日韓国・朝鮮人を60万人とすると人口比0.5%であるので、これらの国のイスラム系住民の存在感は、日本における在日韓国・朝鮮人の存在感を大きく上回っていると見られる。
W。大阪府全体で最高時の太平洋戦争直前に釜山の人口を超える80万人という数字を以前記事にしたが、上記のように、安易に比較するのは、東アジアの歴史的思考と現状認識を欠いており、間違っている。
フランス:マグレブ系移民 (マグレブ北アフリカ西部地域を指す)
ドイツ:トルコ系移民
英国:南アジア系移民
フランスについては、少し古いデータであるが、第2の図でチュニジア以西のマグレブ諸国、アルジェリア、モロッコからのイスラム系移民が多いことがうかがわれる。

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 下にヨーロッパ主要国の国民の対イスラム感情をあらわした意識調査の結果を掲載した。
イスラム感情が強いのはイタリア(W。ファシスト党の後継党が国民政党化している。北部同盟ギリシャポーランドなどであり、フランスは、英国と並んで、もっともイスラムに寛容であることがうかがえる
W.フランス流の民主主義は寛容でなくなる要素を本質的に含んでいる。
 
フランスにおける2015年1月のイスラム過激派テロはこうした状況を変えてしまうだろうか。
W。こういう発想がラッピング日本の民主主義である。
 
なお、いずれの国でも右派の反イスラム感情が強いことが分るが、フランスはどちらかというと左派と右派とで反イスラムの割合の違いが大きいのも特徴となっている。
 
W。EU主要国において、EUの枠組みが経済停滞、格差拡大、ドイツの一人勝ちになっている現状への不満が拡大している。
ましてや唯のフリートレードゾーンにすぎないTPPはグローバル資本の跳梁跋扈のためにある。
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同じ調査のユダヤ人観データも掲げておいたが、ヨーロッパでは反ユダヤの感情より反イスラムの感情の方が大きいことが分る(2014年7~8月のイスラエルパレスチナ攻撃以前のデータだが)。
これに理不尽な気持ちをイスラム系住民が抱いていたからイスラム過激派がユダヤ人スーパーを襲ったのかも知れない(図録9038参照)。
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欧米主要国の国籍別外国人労働者
フランスで2005年10月27日に発生した暴動は、全土に波及し、非常事態法の発動にまで至り、1968年の反体制運動「5月革命」以来の騒乱となった。このフランスの暴動は、差別や貧困に悩む移民社会の問題を浮き彫りにした。
フランスの暴動のほか、ロンドンの同時爆破テロ事件など、2005年はヨーロッパのイスラム系移民に注目が集まる事件が相次いだ。移民たちはどこから、どんな経緯でやってきたのかに関心がもたれる。

移民は、過去に外国人労働者が定住し、国籍を取得し、さらに2世、3世が生まれて、増加したものである(フランスだと国内で生まれ、5年以上滞在すればフランス国籍を取得できる)。
 
W。1世の過半はヨーロッパ各国の資本主義の高度経済成長に伴う(重厚長大型の製造業資本の拡張)3K労働を担う下層労働力不足に伴い、戦前の各覇権地域から調達されたのである。
従って、主として戦後の問題に比重が置かれる。この点が歴史認識なるモノが問題になる日本との違いである。
 
現在の外国人労働者がどこから来たついては図録3835http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3835.html
ドイツでは、外国人労働者362万人中、トルコ人が100万人と多い
人口約8200万万人のうち、「外国人」は約670万人
 
フランスでは、モロッコアルジェリアチュニジアといった旧アフリカ植民地の人々が多い。
人口約6200万人のうち「移民」が約430万人。
 
英国では、旧植民地のインド人パキスタン人なども多い
人口5880万人のうち、白人は92%で、約8%に相当する約460万人がアジア系など「民族的少数派」だ
 
イタリアでは、モロッコ人、アルバニア人が多い。
 
スペインでは、総人口約4200万人のうち「合法外国人」約185万人が滞在する
 
ヨーロッパにイスラム教徒はどれくらいいるのかというと
20世紀初頭のフランスには、イスラム教徒がほとんどいなかったが、
現在では人口約400万~500万人にまで増え、今や第2の宗教である。
また、英政府統計では、キリスト教72%に対し、イスラム教は3%で2番目だ。パキスタンバングラデシュからの移民が増えたためだ。」

W。大ざっぱな推移で直近のシェールオイル関連の影響力が一目で分かり、わかり易い。1995年以前の推移が欠けている。
 
W.このページはいつも詳しすぎて混乱するときがある。
 
W.シェールオイル関連の立ち入った情報を簡潔に説明してくれている情報。
W。が、イケイケドンドンかな。
 
W。詳しい論文。資料は少し古い。筆者の名前だけで所属が分からない。冒頭を読んだだけだがじっくりと読む価値あり。
 
出光佐三 - WikipediaW。戦前日本の石油市場は自由市場であったが、軍部の要請によって、政府は戦略物資の石油の価格を統制していく(戦線拡大への具体的政策)。コレに対して石油業者の出光は反対を行動で示している。石橋湛山も意見と同じであった。
家族から見た日章丸事件について(当時の日章丸の船体写真はコレが最適)
「1953年(昭和28年)に起きた石油の輸入とそれに付随した訴訟および国際的な衝突。<W。1952年のモサディク首相のイラン石油う国有化>に対する経済制裁国際法上の正当性は無いと判断し、極秘裏に日章丸(タンカー・同名の船としては二代目)を派遣することを決意。」