反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

最終回。「冬の兵士」~イラク帰還米兵の証言

「冬の兵士」の証言を引用する。
 
カルロス、アレドンド(アレクサンダーアレドンド、2004年ナジャエフで戦死の父)
「わたしはコスタリカで生まれました。不法入国者としてこの国に着て家族の面倒を見るためにできる限りのことをしました。
海兵隊の新兵募集ががりが息子の高校へきて現金2万ドルで彼を誘惑し入隊署名させようとした。
息子が17歳で軍に入隊する場合、そんな高額の奨励金がもらえると云うのです。
正確な奨励金の額は確認されませんでした。アレックスが死んでわかったことです。
~極めて多くのウソの約束によってわたしたちの息子たちを誘惑しています。
彼等が約束した契約賞与は、コミュニティーカレッジ(W公立の短期大学~「コミュニティ・カレッジの学費は、年間9,000ドルくらいです」)にいくのでないかぎり、単科大学に行く費用にも満たないものでした。うそつきです。彼らは息子に事実を伝えませんでした。
~彼は帰還して学校生活に戻ることを願っていました。
アレクサンダーは2004年8月25日に殺されました。第四海兵師団第一大隊が4階建ての建物に入ったまま、四日間外部から遮断されました。彼は左のこめかみを弾丸で撃たれ、4センチ近い傷口が開きました。
W。海兵隊の編成 YAHOO知恵袋 引用
「班が4名、分隊が12名、小隊が40名前後、中隊が120名~150名、大隊が300名~400名、連隊が1200名~2000名、旅団が6000名前後、師団が12000~18000名前後です。」
 
W。300名~400名の大隊には戦車あるいは装甲車が配備されているはずだが、(徒歩では移動していないはず)4階建てのビルに入ったまま、4日間も外部と遮断さていたと云う戦況は、周囲を強力な火器を装備した大部隊で包囲され、空陸の援軍を現場に派遣できないほど、制圧戦に苦戦していると云うこと。点(駐屯地と線(補給ールート、監視ルート)の確保に汲々としており、そこからはみ出る作戦をすると、人民戦争の海の中に300名~400名規模の海兵隊の部隊が孤立する。
イラク軍と抵抗する住民は戦争経験が豊富。大義もある。

 W。ウエストポイント出身の34歳の大尉の証言のキーポイントは、米軍の意向を忖度する自衛隊のような軍隊と日本国民のような他国民の税金に肩代わりさせる事が、カネもかからず、見返りも要求されない一番手っ取り早い解決法である、とこの本を読者が理解することである。
米国にとって、安保法制下の自衛隊は米軍の下請けでも、二軍的存在でもない。血を流す無償ボランティア団体であり、同時に日本の国家ーグローバル資本複合体複合体の番犬として機能する。
 
ルイス、カルロス、モンタルバン
陸軍大尉、機甲部隊士官
ワリード  2003年2004年
タルアファル、バクダード南部2005年~2006年
ワシントンDC出身 34歳
「2003年9月、わつぃは80名の兵士を任され武器を持たず(強調、証言者)イラクの交戦地域に派遣されました。わたしたちは武器も弾薬も全くないまま(強調証言者)イラクに入ったのです。
そして所属部隊との合流点であるアンバール県に着く前に、バラドで3日間、迫撃砲による攻撃を受けました。
世界最強の軍隊が、どうして兵士を丸腰で戦場に送ることができるのか。
 
 W.以下の証言を読むと、海兵隊400名の兵士が4階建てのビルに4日間も外部と遮断されて取り残される戦況が分かる。また当時、自衛隊の派遣が強く要請された意味もわかる。外国の遠征軍の兵士と武器は多ければ多いほどいい。戦争はカネと命がかかる。
 
 その月の終わりごろ、わたしは重要な戦略地点、シリアとイラクの間のワリードにある国境検問所を任されました。
>シリアとイラクが接する国境線100キロと
>アンバール砂漠5000~10000平方キロの安全を確保するために、私に与えられた兵士は、30名~40名でした。
この非常に大きな国境検問所の安全を確保し、そのうえ、イラク治安部隊に新兵を入隊させ、訓練し、装備を与え、その地方のインフラと経済の再開発までしなければならなかったのです。
>わたしは物資と人員の増強を求めて、おびただしい数の上申書を書きましたが、何の返答もありませんでした。
 イラクでは多くの見るに堪えないことに立ち会いました。水責めに立ち会ったこともあります。
~このほかに、シリアとイラクの国境で足止めにされていた難民に対して人道支援を提供しないようにと上官から違法な命令を生めました。その命令には従いませんでした(強調証言者)
 
~何人もの米軍司令官の下で数得きれないほどの大規模な作戦に立ち会い、また自らも加わりました。
>司令官たちにとって、作戦の成功を測る基準は拘束者の数だけでした。
>米軍がイラク治安部隊と呼ぶ、米国民の税金で賄われた武装商談が、部族間、民族間、宗派間、の構想を引き起こしたことなど、司令官たちは全く考慮しませんでした。
 
>もっとも非難されるべきは、イラクに配置される兵員が、必要な数に近づいたことさえ一度もなかったと云う点です。各将軍は、部下の将校から出された物資と兵員の増強に注意を払いませんでした。 
>それどころかイラクが内戦に陥っているにもかかわらず事態をバラ色に描いて見せました。
この将軍たちは、過去一貫して(『証言者強調)イラク治安部隊の兵力について過大な評価(強調証言者)を議会に報告し、現在もしています。
事実を偽って述べていると云う理由で軍法会議刑事告発の対象とされるべきです。
W。現時点からみても、この大尉の証言は的を射ている。
 
>わたしはイラクで多くの友人を亡くしました。アメリカ人もイラク人もいます。
イラク人の友人の多くはイラク国内で、また外国で、難民として苦しめられています。
実のところわたしが兄弟のように思っているイラク人の友人はヨルダンに逃れたまま、2年間そこで動けなくなっています。
***
以下 民間軍事請負会社の実態 武器倉庫の管理を請け負っている。安保法制の自衛隊の戦場任務の例として武器庫の防衛がよく引き合いに出された。
 
「このかんわたしは、師団司令部にモースルニアルリー、ダイナミックスインターナショナル(LDI)の倉庫に関背売る情報を提供してほしいと、絶えず働きかけました。
LDIは米国の請負会社で、国防総省に雇われていました。そこで業務にあたっているいた職員はいい加減で全く無能でした。LDIの倉庫は、イラク警察と国境警備隊鈍くと装備を供給する姿勢つとしては最大のモノでした。
>わたしはその無能の直接のしわ寄せを受け、そのために何千人ものアメリカ人とイラク人の命が危険にさらされることになりました。
 
 このような不正行為や浪費や職権乱用が何カ月もつづいたあとで、わたしたちの師団司令部の将軍がバクダードに出向いて、文民警察訓練支援隊の副司令官と会いました。
二人が書き留めた会計実務と任務手順の欠陥のあらましを示すメモのコピーをわたし持っています。
そのメモを見るとイラクにおける請負会社としてのLDIの銃だな職務怠慢が一目瞭然に分かります。
このメモでは、フィル将軍もペアレス将軍も、2004年から2005年にかけて司令官として在職していた期間中に、納税者が納めた税金、数百万ドル相当の装備と武器を管理する会計制度を設けなかったことが明らかになっています。(証言者強調) 
 
W。武器庫の装備と武器の出と入りを帳簿につけていないのは、制圧戦の戦況が流動的で、兵站の中枢となる武器庫が、標的となるため、民間軍事請負会社の派遣する人員では、己の身の保全をし、業務を果たすためには、地元の裏の要請に従うしかなかった。装備(軍の携帯食料、兵士の日用品など民生転用品)と武器(割拠する治安部隊、武装勢力横流し。米軍のコントロール機能しない)の横流しの事実を想定したからだとおもう。彼は当時のイラク治安部隊を信用していない。
 
「米国がベトナム戦争とら学ぶべきだった最大の教訓は、歴史を繰り返したくないなら説明責任は不可欠だ、と云うことでしょう。しかし学ばなかった。
結局こうして、現政権、外交官、軍上層部は、わたしたちをイラクに(そして今は中東)の惨事に引きずり込み、傲慢にも自らの考えを変えようとしないまま、信じ難い無能さでイラクを監督し続けているのだと想います。
 
何年もの間、米国がかじ取りを誤り、酷い監督をしてきたために、イラク政府は腐敗にむしばまれています。
その一番の良い証拠が現在米国に亡命中の下イラク腐敗汚職対策委員会委員のラィアル、アルラディーによる2007年の米上院監査委員会での証言です。
ヌーリー・マーリキー - Wikipedia(W、シーア派フセイン時代シリアに亡命)政権をはじめとした米国の同盟者の間にまん延する腐敗と数十万ドルに上る着服についての述べました。
***
参考資料
スンニ派クルド人勢力、シーア派の一部、イランなどは、マリキ首相が退き、民族・宗派間の対立を解消できるような人物が首相に就任することを求めているが、マリキ首相はそうした要求を一蹴した。
マリキ政権に対するスンニ派の不満が、過激組織「イスラム国」への支持につながったとの批判もあり、米国側はマリキ首相の対応にしびれを切らしている」
***
>復興はほとんど停止状態になり、
*一方、流失したカネは祖国を引き裂くテロの資金源になり、現在のイラク政権は信頼を失った、と反時は云います。
 
我が国への忠誠とけんしんから、この1年半の間に、私は個人で、あるいは仲間のイラク帰還兵たちと共同で、多くの記事を書き、それがワシントンポスト、NYタイムス、サンフランシスコクロニクルをはじめとする様々な新聞に掲載されました。
 
わたしは今日の証言を、テッドウエストハッシング大佐の生涯に捧げます。
大差は陸軍最高の倫理学者で、ウエストポイント陸軍士官学校の教授で下は、2004年にイラクへの配置を志願しました。
テッドあなたは、2005年6月5日、あなたは頭部に銃弾を受けた遺体で発見されました。
トロイアスおよびフィル将軍にあてた文書が見つかりました。
 
『あなた方の関心事は自らの出世だけで、あなた方を補佐する将校たちに支援を、任務遂行のために必要な支援を全く提供さず、それをなんとも思っていない。
腐敗と人権侵害と虚言につながる任務に、もはや手を貸すことはできない。
~わたしが志願したのは、カネに群がる腐敗した請負業者たちをもうけさせるためでも、わが身しか眼中にない司令官たちの下で働くためでもない。
 
W.下線部の解決方法は、自衛隊のような他国軍と他国民の税金に肩代わりさせることである。

       第7章 GIレジスタンスの将来
    序
2006年だけでも5361名の現役兵が米軍から脱走し、9、11以降の5年間で、合計3万7000名近くが逃亡した。さらに数千名が最初の戦闘配備から帰還した後、ひそかに無許可離隊している。
 軍隊内に留まり兵士たちも反撃している
2000名を超える現役兵士たちが、占領の終結を議会に要求する請願書に署名している。
 請願書は述べる
「軍服に身を包み、国家に仕えることを誇りとする愛国的アメリカ人として、米国の軍隊および軍事基地をイラクからすべて即時に撤退することを、議会指導者のの皆さんが支持されるよう謹んで求めます』
またこうもいう。
イラク駐留を継続するしても機能せず、代価に見合いません。米軍部隊は帰国するべき時です。』
 この取り組みは多くの議員に支持されている
その一人、その一人、市民権擁護の象徴的存在ジョンルイス議員(民主党ジョー-ジア州選出)公民権運動の指導者ジョン・ルイス 45回目の逮捕 - アフリカン ...
「この勇気ある愛国的一歩を踏み出した彼ら男女の兵士たちに対する深い尊敬の念を伝える』
『彼らは合衆国憲法で保障された言論の自由権を行使し、不正な戦争に疑問を呈しているのです』
 
軍人ブログもまた、合衆国イラク両国で盛んになった。
軍法会議か『行政上の、超過以上の、契約上の、あるいは刑事上の処置』に結びつくとしているが~これらの規則に強制力を持たせることは不可能だった。わずかな例外はあるものの、米軍兵士たちは、軍服を着ていると云う知友だけで自分たちの言論の自由表現の自由を放棄することはない。

ストップロス命令除隊延期制度。志願制の米軍を維持するため、政府の都合で契約を無視して兵役を延長すること。不当に変兵士を拘束する『裏徴兵』DVD紹介]映画『ストップ・ロス 戦火の逃亡者』
映画『ストップ・ロス 戦火の逃亡者』 - リブ・イン・ピース 9+25
~“ブッシュの醜い徴兵制”“裏口の徴兵制”を告発
監督:キンバリー・ピアース
出演:ライアン・フィリップ

発売:パラマウント ジャパン
「兵役が満期になっても除隊を認めず、継続して戦場に派遣し続ける米軍の制度「ストップ・ロス」。今日に至るまで8万1000人の兵士がこの「ストップ・ロス」によって、再派兵を強いられてきたという。戦争の泥沼化で部隊のローテーションが困難となり、もはやこのストップ・ロスなしではアメリカはイラクアフガニスタン戦争を遂行することが出来なくなっている。ブッシュが9月に打ち出した5700人のアフガン増派も、イラクからの部分撤退とストップ・ロスが前提となっている」
兵士であり続ける3つの理由 軍隊と云う特殊な世界と生活、職業上の実態
     ↓
2015/9/23(水) 午後 2:25自衛隊の実態を記事にしたときに、非任期雇用の自衛隊の高齢化の問題を取り上げた。他の公務員組織と同じように終身雇用が前提になる非任期雇用の自衛隊。『防衛関係予算 防衛関係予算 防衛関係予算 の内訳 <特筆すべきは、人件費食糧費が約44%に上ることである> 
 
ギャレット、レペンヘーガン
陸軍特技兵騎兵偵察隊
第一歩兵師団第三旅団
バァクーバ 2004年~2005年
コロラド州グランドジャクソン出身 32歳
 
「わたしは反戦軍人ブログの先駆けの一つ、『生き残るために戦え』を立ち上げ様々なGIレジスタンス(現役兵士の抵抗運動)に関わりましたが、それで陸軍の規則をはぶる必要などありませんでした。
それで名誉除隊も認められました。
軍機にふれることなくこの戦争に抵抗する方法はあります。
 
>合衆国軍隊についてもっとも重要なことの一つはシチズン、ソルジャー兵士もまた市民だと云うことです。
兵士は市民としての権利を保持します。こうした権利を行使できるし、行使すべきです。
なぜなら兵士こそがこの権利を守るために献身しているからです。
憲法修正第1条(信教、言論、集会、出版の自由及び請願権)を行使することで火国民とみなされるなら、それは恥ずべき事態です。
イラク戦争ベトナム戦争比べてみましょう。
現在は徴兵制がないので、学生が軍隊に編入されることはありません。
この戦争の帰還兵の多くはまだ軍隊に所属していて、退役軍人の数はベトナムのときほど多くありません。
ストップロス命令除隊延期制度。志願制の米軍を維持するため、政府の都合で契約を無視して兵役を延長すること。不当に変兵士を拘束する『裏徴兵』とも呼ばれ、兵士による反戦運動のキーワードともなっている)
や個人常備予備役制度のために軍で足止めを食っています。
             ↓                                      ↓        
W。こういう米軍の兵士不足の実態を知るとますます、安保法制による自衛隊米軍肩代わり、の実態がリアルに浮き彫りされる。
 
>現在は当時とは異なる種類の兵士がいます。職業軍人です。プロの兵士です。
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W、ココから先の話は下士官以下の下級の職業兵士の実態。
長いブログ未更新前の最後のブログ2015/9/23(水) 午後 2:25自衛隊の実態を記事にしたときに、非任期雇用の自衛隊の高齢化の問題を取り上げた。他の公務員組織と同じように終身雇用が前提になる非任期雇用の自衛隊。『防衛関係予算 防衛関係予算 防衛関係予算 の内訳 <特筆すべきは、人件費食糧費が約44%に上ることである> 
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わたしが任務を共にした人々は軍隊は職業であり仕事であり名誉なことと考えられていました。
彼等がそれを捨てたくないと想っていました。
彼らの多くは養うべき妻や夫、それに子供がいます。そのために軍に入ることは申し分のない方法だろうと想ったのです。
他国を違法の占領したりもぞまれもしない駐留で人々を虐げたりするためにイラクへ送られることを、自ら求めたわけ絵ではありません。←W。年齢層が若く未婚者の多い海兵隊の特殊性が浮かび上がってくる
平和的な解決法がすべて尽きた後になって初めて、自分たちが使われると信じていました。自分たちが危険地帯に派遣されるのはそうなったときだろう。←W、イラク侵攻は、おそらく9,11事件以前の1月のブッシュ大統領就任から画策されていただろう。証言 「テネシー州の田舎町の州兵部隊が拡張されると云って、募兵されたのは9,11事件の半年前」
 
>任務後退方法も今日では違っています。
>兵士は一人づつイラクに配置されるわけではなりません、師団全体で送り込まれたり引き揚げたりします。
>わたしがイラクでともに任務についたのはコソボにいたときに任務を共にしたのと同じ人たちです。わたしはたがいに忠誠心を持っています。
>こういった人々の多くは軍隊を家族のように感じ、普通の市民生活について知りません
軍隊の中にいて居心地がよく、友達や家族を見限りたくない。だからと云って、イラクで、それも何度も任務に就きたいわけではありません。
>こういった人たちには多くの恩典が用意されています。
神学の資金を援助する復員軍人援護法があります。W。この制度の歴史は古い。退役軍人が商売を始めるときに低利融資、~我等の生涯の最良の年 - Wikipediaの一場面では退役軍人の小作農が土地を買う際に銀行の担当役員に復帰した主人公の人地が工兵軍務と人柄を信用して無担保低利融資して頭取に注意される。~
奨学金融資。
健康保険があります。快適で安全な住居が与えられ、伴侶が軍の売店や専用の店で買い物をすることができます。子供あたちは安全かつ健全な環境になる学校に通えます。コレも手放しがyたいものです。
 
>ですから、どうして兵士たちは抵抗しないのかと問うならば、これらすべてが理由として挙げられます。
>機関銃主としての世界しか知らないのですから彼らの多くは外の背会いに出ることをひどく恐れています。
 
*数々の恩典、職業の選択肢(W選択肢がない)、職務に対する忠誠と誇り、コレが兵士であり続ける3つの理由です。

       結びの言葉、
カミロ、メヒア
2003年4月から10月までイラクで任に就いた。
彼がイラクへ戻ることを公に拒否したため投獄された最初の兵士である
反戦イラク帰還兵の会現議長
著書にラマーディーからの道 二等軍曹メヒアの個人的反乱~イラク戦争回顧録」W。翻訳されていなようだ。
 
「ジョージオーウェルはかつてこう述べました。
『虚偽がまかり通る時代には、真実を語ることは抵抗の行為になる』
ココにいる皆さんや世界の人々と、自らの経験を分かち合った現役兵士、退役兵士によってここに入ること、そのものがレジスタンスです。
 
言論の自由だの民主主義だののから文句にわたしたちは異議を唱えます。
イラクアフガニスタンの占領で最もひどい打撃を受けてきた人々の声を、政府とマスコミが抑え込んできたのですから。
 
 
自国の堤防が壊れ、橋が崩落しているときにイラクで国家を建設するなどと云うホラ話はお断りだ。
2005年八ケーンカトリーヌで堤防が決壊したとき、被災住民の救助に向かうルイジアナ州兵はイラク戦争に動員されていて出動できなかった
 
帰還しても、PYSDのケアもなく、ホームレスになるか、あるいは自殺、殺人、家庭内暴力を頻発させざる得ない軍体験者の一大世代が生まれようとしているときに、『軍隊を支援せよ』と云う政府の項s気な美辞麗句ななど願い下げだ。
わたしたちは胸が張り裂けるような証言を聞きました。
午前三時に扉をけ破って襲った家の子供たちの目の中にある恐怖を、私たちはその場で見たのです。
 
わたしは活動家になったのは2003年10月、2週間の休暇でイラクから帰国していた時でした。
最初、わたしは、兵士たちの士気は高いと記者たちが断言したとき、それに反論しただけでした。
>それから防弾チョッキや無線など基本装備もないまま、戦闘任務に出かけている様子について話し始めた。軍の車両に取り付ける総鋼板が不足しているため車体に古い防弾チョッキを貼り、床には度脳をななべル必要がありました。巡回警備に出かける前に、弾薬を分けてくれと他の正体に頼まなければならないこともあった、と記者に話しました。
さらに気温が60度に達しようとするとき、一度の任務で兵士一人に付きボトル2本の水しかなかったので巡回警備が中止になりました。
 
休暇が終わっても自分の部隊に戻るまいと決心した後では、わたしの発言はさらに過激になりました。
囚人に対する拷問や民間人の殺害についても語りはじめました。
 
陸軍は私を戦線離脱で有罪とし、9ヶ月間収監しました。
GIレジスタンスへの取り組みを開始したのは、2005年刑務所から釈放されて少しあとのことです。その翌月、正式にIVAに加入し、以来ずっと専従の活動家です。
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もっと反戦運動がそこまで強まらないかという質問を過去何度も受けてきた。
ベトナム戦争にまつわる政治的歴史的な文脈を分析することによってのみ見出すことができます。
 
*1、当時は徴兵制があったので、米国の中流家庭の子息も無関係でいられなかったことが指摘されるでしょう。
そのためより裕福な層の怒りのタガが外れ遂には徴兵制への抵抗、兵士の集団脱走、良心的兵役拒否の申請
何百もの大学のキャンパスでの戦闘的は反戦運動や大規模街頭デモへとつながっていったのです。
 
*2、もう一つの局面は当時の公民権運動から受け継いだ抵抗の遺産がまだ記憶に新しかったのに対し、今日の運動にはそれがないと云うことがあります。
今日の若い新兵や兵員は、公民権運動はもとよりベトナム戦争への抵抗でさえ参考にする手立てがありません。
>そういった歴史は、新世代の活動家から力を奪うために、公的記録から削除うされているのです。
 
*3、更に今日の運動にとってもう一つの不利な点に、米国大衆の個人的なかかわりの欠如があります。
 
コレは全人口の0,5%にも満たないものしか戦闘に直接関与していないと云う事実だけでなく、その戦うものたちが社会のよりまず数層に属していると云う事実でも説明できます
この層を方地図来るのは、勤労者、有色人種、移民、保険もなく教育もない人々で、一言でいえば多くの欠乏を抱えているのに、社会的経済的な力をほとんどもたない人々です。
 
>我が国のイラクへの軍事介入によって、イラク国民と米兵及びその家族の双方が味わう恐怖を、今日の米国社会は自分のものとして体験していません。
イラク占領の身の毛がよだつような真相が隠されているのは政府が国民にそう信じ込ませたいように、戦没者の尊厳を守るためではありません。
>隠ぺいの目的(W。ベトナム戦争の時と比べて、マスコミが戦争の恐怖を隠そうと努めている、とメヒアは指摘している)は占領の情緒的な影響力を最小限に抑えることにあり、
もしそうなれば、合衆国が国家の名において税金を注ぎ込み、この国の息子や娘たちの血を流して犯している犯罪の責任を、国家としてとらないでおくことができます。